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Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

第7週 刑法Ⅰ(総論)(2014.05.26.-05.28.)

2014-05-25 | 日記
 第07週 責任論の基礎と故意                2014年5月26日・28日)
(1)責任の意義
1犯罪の概念
 犯罪は、構成要件に該当する、違法で、有責な行為である。
その認定は、構成要件該当性から、違法性(違法性阻却事由)を経て、責任(有責性)へと進む。

2心理的責任論の意義
 AがXの生命を侵害した→それは、殺人罪の構成要件に該当する違法な行為である。
 では、Aにその責任はあるか。Aは、その行為を有責に行ったといえるか?
 「Aはその結果が発生することを予見していた」という事実が認定されたならば、
  →殺人罪の構成要件に該当する違法な行為を有責に行なったと判断できる。

 有責性の判断基準
 犯罪の構成要件該当の違法行為と行為者の認識内容との対応関係の有無
 責任の根拠 → 行為者の心理的事実 = 心理的責任論

 責任主義
 責任を犯罪の成立要件とする責任主義→近代刑法の基本原則
 前近代に横行していた責任なき処罰(結果責任、団体責任や連座制)を克服する原則

3心理的責任論の限界
 Aは結果発生を予見していなかった→行為を有責に行なったとはいえない→故意の否定
 しかし、Aはそれを不注意からそれを認識しなかった→過失の肯定?
 心理的責任論は、心理的事実の認識の有無によって責任の有無を判断→認識なし→責任なし

 刑法は、刑法38条1項で「罪を犯す意思」がない行為は罰しないと規定し、犯罪として処罰されるのは、原則的に「罪を犯す意思」のある場合、すなわち故意の場合だけであると規定している。「ただし書き」で、「罪を犯す意思」がない場合でも、例外的に処罰できるとしている。これを「過失」と呼んでいる。Aに認識がなく、故意が否定されても、過失が成立する余地は残されている。では、心理的責任論によって、過失の成立を説明できるか?(できないだろう)
 「結果発生の予見」という心理的事実に責任の根拠を求める心理的責任論の限界

4規範的責任論への展開
 心理的責任論を踏まえながら、いかに限界を突破するか?
 結果発生の予見がある場合、その故意の責任を肯定できる理由は、
 行為者が結果発生を予見していたということ(心理事実)にあるのではなく、そのように認識していたにもかかわらず、止めずに行為の実行を決定したこと(非難可能性)にある。このように故意の責任の実体は、結果発生を予見していたという心理的事実ではなく、そのように予見していたにもかかわらず、その行為の実行を決意したことに対する規範的評価にある。そうであるならば、結果発生を予見していなかった場合でも、それを予見して、行為を思いとどまるよう意思決定できたにもかかわらず、不注意にもそれをしなかったことに対して非難することができる。過失の責任の実体は、結果発生を予見していなかった心理的事実にあるのではなく、予見して行為を止めるよう意思決定でき、そうすべきであったにもかかわらず、それを怠ったことに対する非難可能性にあると論ずることができる。

 心理的責任論は、責任を心理的事実によって根拠づけるために、その事実がない場合には責任を根拠づけれないと考えてきた。しかし、責任は心理的事実の有無によって根拠づけられるのではなく、その有無の規範的評価によって根拠づけられるのである。心理的事実があれば、「罪を犯す意思」があったとして、重い非難可能性を根拠づけることができ、その事実がなくても、それより軽い過失の非難可能性を根拠づけることができるのである。心理的責任論の限界は、その理論を放棄することなく、責任の本質を非難可能性という規範的評価に求める理論によって補いことができる。責任の本質が非難可能性であり、それは一定の事象に対する評価であるが、その評価の対象は行為者の心理的事実であり、それに対する評価が非難可能性である。このような議論は、心理的責任論を否定するものではなく、その上に成り立つもの、それを発展させたものとして理解すべきである。このような立場を規範的責任論という。
 規範的責任論の意義――適法行為の期待可能性なし=超法規的責任阻却事由
 行為者が構成要件該当の違法行為を行なうことを決定したので、故意があることが明らかであっても、その意思決定に故意の非難を向けることができなければ、責任は否定される場合がある。
 例えば、洋上で漂流しているAが同じく漂流しているBを溺死させてでも、生き延びようと思い、浮かんでいる一枚の板を自分のところに引き寄せるために、Bの手を振り払い、Bを溺死させた「カルネアデスの板」の事例では、緊急避難を理由に殺人罪の違法性を阻却する立場(違法阻却一元説)もあるが、違法であるが殺人の責任を阻却する立場もある(違法阻却と責任阻却の二分説)。AはBを溺死させることを意思決定したが、それ以外に適法な行為を選択することができなかった場合(適法行為の期待可能性なし)、Aの意思決定は「罪を犯す意思」にあたり、殺人の故意があるといえるが、それを非難することはできない。
 規範的責任論は、期待可能性論とともに発展してきた。

5行為責任論か、それとも人格責任論か
 犯罪は構成要件に該当する違法で有責な行為であるので、責任の対象は、構成要件該当の違法行為に対する行為者の心理的事実であり、責任の内容は非難可能性である。
 例えば、Aは昨年末に窃盗で逮捕され、起訴猶予処分を受けた。しかし、今年に入って傷害事件を行ない、逮捕・起訴された。裁判では、傷害罪の構成要件に該当する違法な行為を行なったに関して責任が問われる。ここでは昨年末に窃盗行為を行なったは、直接的な問題にはならない。従って、過去に故意に窃盗を行なったことを理由にして、傷害の責任が重く判断されることはない。責任は、あくまでも今回問題にされている傷害行為に対する責任である。これを個別行為責任という(ただし、傷害罪の量刑を判断する要素に過去の窃盗を含めることはある)。

 では、次のような犯罪の責任はどのように説明できるだろうか。
 Aは暴力団関係者に誘われて賭博場へ行き、そこで丁半バクチをし、大当たりを出した。Aは寝ても覚めてもあの興奮が忘れられず、今度は一人で賭博場へ行き、バクチを打った。その日は県警の捜査官が潜入捜査をしてていたため、Aを含む関係者全員が常習賭博罪(186)で現行犯逮捕された。Aが賭博をするのは2回目であるが、常習賭博罪で逮捕された。その理由は、Aに賭博を反復累行する「習癖」(常習性)があったと認められたからである。

 常習賭博罪の法定刑は、単純賭博罪よりも重い。それは単純賭博罪よりも責任が重い、非難可能性が強いからである。その根拠は、賭博の常習性(賭博を反復累行する習癖)にあると解されている。過去に賭博を繰り返したため、常習性を身に付けたことが今回の賭博を常習賭博として重く非難する理由となっているのである。しかし、過去に賭博を繰り返し行ったことが、なぜ今回の賭博の責任を加重する理由になるのか。責任の対象は、今回の賭博を行なうことを決意したことなのではないか。このように個別行為責任の考えに基づくとに考えると、過去の賭博は量刑の理由にはなっても、今回の賭博の責任を加重する理由にはならない。さらには、常習賭博罪という犯罪規定それ自体が行為責任論の立場に沿わない。

 確かに、個別行為責任論の見地から考えた場合、常習賭博罪の規定の必要性はない。立法論としては、法定刑に一定の幅を持たせた「賭博罪」(減軽類型としての単純賭博罪ではない)という規定を設けて、賭博の責任を肯定したうえで、定刑の範囲内で「初心者」の量刑は軽く、「リピーター」の量刑は重く判断すればよい。しかし、現行刑法は単純賭博罪と常習賭博罪という二つの規定を設けているので、それを立法論から批判するのではなく、解釈論として整合的に運用することが求められる。常習賭博罪の刑の加重の根拠が「常習性」にあり、それが非難可能性を強める根拠になっていると考えるならば、責任の対象は、Aが今回の賭博を決意したという表層的な心理的事実にとどまらず、その深層にあるAの人格も含まれる。それは、つまり繰り返し賭博を行なったために形成されたAの賭博に対する「習癖」、ギャンブルに溺れるAの人間的・人格的弱さである。このように責任の対象を、個別行為を行なう意思だけでなく、その背後にある行為者人格にまで遡らせる立場を人格責任論という。

6行為責任論の意義と人格責任論の問題性
 犯罪の成立要件に責任が必要であるが、その評価を行為者の意思だけでなく、その背景にある行為者の人格にまで拡大させることに問題はないのだろうか。国家の刑罰権が刑事責任を判断するために、人格の領域に入り込むことが許されるのだろうか。非難可能な人格とそうでない人格を区別することができるのだろうか。そもそも人格とは、その人がその人であるための証(あかし)である。それは法の前では平等であって、良いとか、悪いといった評価の判断対象にはなりえないと思われる。行為責任論からの批判を立法論として排斥するのではなく、現行刑法の規定の解釈論として活かすことが必要である。

(2)故意
 犯罪の構成要件に該当する違法な行為を行なったことについて、行為者がそれを知りながら行なったなら、故意の責任があり、不注意から知らずに行なったなら、過失の責任がある

1故意・過失の犯罪体系上の位置付け
 違法とは客観的に法に反することである(違法を形式的に捉える形式的違法性論)
 →では、違法の実質とは何か? 違法の実質=法益侵害または規範違反性(実質的違法性)
  法益侵害の類型化=違法行為類型(=構成要件該当→違法性阻却事由なし=違法性の確定)

 責任とは主観的に(わざと、不注意で)法に反することである(形式的責任論=心理的責任論)
 「責任形式」という言葉は、故意・過失という心理的な事実関係のこと
 →では、責任の実質とは何か? 責任の実質=非難可能性(実質的責任論=規範的責任論)
  故意・過失の類型化=責任類型(責任類型に該当する→責任阻却事由なし=責任の確定)
  故意・過失は責任類型であって、構成要件要素ではない
  故意・過失は責任故意・責任過失であって(構成要件的故意・過失ではない)

 これに対して、故意・過失を違法行為類型の要素として、すなわち構成要件要素として位置付ける立場がある。この場合の故意・過失は構成要件的故意・過失である。この立場によると、構成要件該当性を判断する段階において、行為者に故意(法益侵害結果の発生の予見)または過失(予見可能性)があったかか否かを明らかにしなければならない。この立場は、構成要件は違法行為類型として一元的に把握され、故意・過失はその要素として含まれる。

 さらに、構成要件は違法行為類型の一元的な構造をなしているのではなく、違法行為類型と責任類型の二元的な構造をなしていると考える立場がある。この立場からは、故意・過失を問題にすることなく、違法行為類型に該当するかどうかを判断することができるが、それだけでは構成要件該当性を認めることはできない。故意・過失の責任類型に該当することを踏まえなければ、構成要件該当性を認めることはできあい。このような立場からは、構成要件は客観的構成要件と主観的構成要件に分けれ、前者が違法行為類型、後者が責任類型と区別される。この二つは、構成要件のレベルにおいて統一される。

2故意の要件 刑法38条1項 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。
 罪を犯す意思=故意 → 犯罪事実の認識・予見(法益侵害または危殆化の認識・予見)
 違法と評価される事実(違法行為類型=構成要件該当性の判断対象)の認識・予見
 法益を侵害または危殆化する事実を認識・予見→違法性の認識→適法行為の反対動機の形成
 それにもかかわらず、反対動機を抑えて法益侵害の実行を決意→故意の非難可能あり
 非難可能性の根拠→法益侵害・危殆化の事実の認識・予見+違法性の認識

・法益侵害または危殆化の事実の認識・予見(構成要件該当事実の認識)
 Aは拳銃でXを射殺した。Aは拳銃を発砲すれば、Xは死亡するであろうと認識していた。
 Aには殺人罪の構成要件に該当する事実の認識あり(一般的には違法性の認識もそれに伴う)

・違法性阻却事由に該当する事実の認識
 しかし、AはXが刃物をもって自分に襲いかかろうとしていると誤想していた。
 Aは自分の行為が正当防衛にあたると認識(誤想)していた(違法性の認識は伴わっていない)

・このような場合、Aの行為(Aが惹起した事実)は、殺人罪の構成要件に該当し、違法性が阻却されない行為(事実)である。確かにAはXの生命侵害を予見していたが、同時にA自身の生命を防衛しようと考えていた。全体として見れば、Aが認識していた事実は違法と評価されない事実であった。違法性を基礎づけない事実を認識しても、適法行為の反対動機は形成されない。Aは違法な結果を故意に発生させたと判断することはできない(誤想防衛は故意を阻却する)。

3構成要件該当事実の認識
・AはXが飲む飲料水が入った水筒に致死量の毒物を混入→Aの生命侵害の予見(確定的故意)
・Aは運動会で児童が飲む飲料水の水筒に同じ毒物を混入→児童の誰かの生命侵害の認識
 どの児童であるかの認識は不確定であるが、発生結果の認識は確定的(これを概括的故意)

・Aは拳銃をXに向けて引き金に指をかけたとき、当たるかもしれないが、当たらないかもしれないと思いながら、発砲し命中させた。このような中途半端な認識の場合、結果発生予見があったといえるか。結果発生の危険性を認識していた以上、故意ありと考えることもできるが(表象説=認識説)、そのような認識だけでは、まだ非難できない。非難可能な認識とは、そのような結果が発生しても構わないと認容する心的態度であろう(意思説=認容説)。しかも、適法行為へと向かう反対動機を形成できるほどの危険性を認識・認容していることが必要であろう(動機説)。行為者の認識・予見は、未だ必ずしも確定的故意・概括的故意のような非難可能なものではないが、このような場合の故意を「未必の故意」という。

・AはXから身体に有害だと説明を受けて薬物を預かった。その薬物は覚せい剤であった。
 「身体に有害な薬物」の所持の認識は、覚せい剤の所持の故意にあたるか?
・AはX嬢と同意のもとに性交した。AはXが12才なのに、13才以上であると誤想。
 177条第2文の強姦罪の「13才未満の女子」の認識(故意)があったといえるか?
・AはXに児童ポルノの画像データを提供した。Aは被写体の人物が18才だと誤想。
 児童ポルノ処罰法7条の罪の故意があったといえるか(同法9条参照)。

4構成要件の規範的要素に該当する事実の認識
・AはXの自転車を乗って帰った。Aはその自転車が自分のものだと誤想していた。
 Aに窃盗罪(235)の「他人の財物」(財物の他人性)の認識があったといえるか。
・AはXに女性の裸体が掲載された写真集を渡した。Aには「エッチな写真集」という認識あり
 「わいせつ図画」とは認識していなかったが、わいせつ物頒布罪の故意があったといえるか?
・Aは狩猟法において禁猟獣として指定された「むささび」を捕獲したが、「もま」だと認識
 →「もま」は「むささび」の俗称であり、両者は同一の動物 →故意あり
 Bは禁猟獣として指定された「たぬき」を捕獲したが、「むじな」だと認識していた。
 →Bは「たぬき」と「むじな」とは別の動物だと思っていた →故意なし

・違法性阻却事由に該当する事実の認識
法益侵害または危殆化の事実の認識があっても、その事実が違法性阻却事由に該当すると誤想していた場合、全体として違法性を基礎づける事実を認識していたとはいえないので、故意に法益侵害を発生させたと非難することはできない 誤想防衛→故意の阻却

 問題 誤想防衛を理由に阻却される故意は責任故意か、構成要件的故意か?
 その故意は、責任故意である
 →Aの行為は殺人罪の構成要件に該当し、違法性が阻却されない行為である。
  しかし、誤想防衛ゆえに、この違法な行為を故意に行なったとはいえない
 いや、構成要件的故意である。
 →Aは、Xの殺害(殺人罪の構成要件該当の事実)を認識・予見していた。Aの行為は「故意の殺人罪」の構成要件に該当し、その違法性は阻却されない。しかし、誤想防衛ゆえに「故意」が阻却される。この故意は殺人罪の構成要件的故意である。

 しかし、違法性阻却事由論や責任論の検討に入る以前に、すでに殺人の故意がないので、故意の殺人罪の構成要件該当性を否定すべきではないのか。故意の殺人罪の構成要件該当性を認め、違法性阻却を否定したうえで、責任のところに入って、「故意」の阻却という結論を出したとたん、「その故意は実は構成要件的故意のことだったんだ、あとは過失が問題になるだけだ」と、遡って故意の殺人罪の構成要件該当性を否定し、過失を問題にするというのはおかしな話である。いったんは「故意の殺人罪」の構成要件該当性を認めておきながら、誤想防衛を理由に殺人罪の構成要件的故意を否定し、ふたたび過失致死罪の構成要件該当性のところに戻る論理矛盾を「ブーメラン現象」といい、批判が向けられている。この現象を解決するためには、故意を構成要件要素ではなく、責任要素として位置づける以外にない。
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