032 違法性阻却事由・概説
以下の場合において、甲・乙・丙および丁の罪責はどうなるか。
(1)警察官・甲は、被疑者Aが窃盗を犯したと疑われる相当な理由があったので、裁判所に申請して逮捕状を取得してAを逮捕した。
(2)父親・乙は、未成年のわが子のBがひどいいたずらをしたので、Bの尻を叩いて説教した。
(3)弁護士・丙は、自己が弁護する被告人の利益のために、記者会見を開いて関係者Cの名誉を傷つけるような発言をした。
(4)新聞記者・丁は、外務省職員Dに対して取材し、国際条約に関する情報を入手したが、それはDの公務員としての守秘義務に違反する内容を含んでいた。
以下の場合において、甲・乙・丙および丁の罪責はどうなるか。
(1)警察官・甲は、被疑者Aが窃盗を犯したと疑われる相当な理由があったので、裁判所に申請して逮捕状を取得してAを逮捕した。
(2)父親・乙は、未成年のわが子のBがひどいいたずらをしたので、Bの尻を叩いて説教した。
(3)弁護士・丙は、自己が弁護する被告人の利益のために、記者会見を開いて関係者Cの名誉を傷つけるような発言をした。
(4)新聞記者・丁は、外務省職員Dに対して取材し、国際条約に関する情報を入手したが、それはDの公務員としての守秘義務に違反する内容を含んでいた。
(0)犯罪の構成要件に該当する行為は、その違法性が推定されます。ただし、正当防衛や緊急避難にあたる場合には違法性が阻却され、処罰されません。これを違法性阻却事由といいます。構成要件に該当する行為は違法であることが推定されますが(原則的に違法である)、違法性阻却事由を満たす場合には、違法性の推定が否定されます(例外的に適法である)。このように構成要件と違法性阻却事由は「原則と例外」の関係にあります。
違法性阻却事由には、法定されたものと、法定されていないものがあります。前者は、正当行為(刑35)、正当防衛(刑36)、緊急避難(刑37)です。後者は、被害者の承諾、義務の衝突、自救行為です。内容的に見ると、緊急時の違法性阻却事由と通常時の違法性阻却事由に分類できます。緊急時の違法性阻却事由は、急迫不正の侵害や現在の危難の存在を要件とする正当防衛と緊急避難です。また義務の衝突や自救行為も、緊急状況において行われるので、緊急時の違法性阻却事由に分類されるでしょう。これに対して、通常時の違法性阻却事由は緊急性を要件としません。正当行為や被害者の同意がそれにあたります。
刑法35条は、「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」と定めています。
法令による行為の典型例は、現行犯逮捕です。現行犯人を逮捕しようとしたところ、抵抗を受けたとき、警察官であると私人であるとを問わず、その状況から見て社会通念上逮捕のために必要かつ相当であると認められる限度内の実力行使が、暴行罪などの構成要件に該当しても、刑事訴訟法上許容されます(刑事訴訟法212条。
教師による懲戒行為もまた法令行為の一種です(学校教育法11条)。教師は生徒を懲戒できますが、体罰は許されていません。教師が生徒を殴打する行為は懲戒のためであっても、暴行罪の違法性は阻却されません。ただし、平手や軽く握った手で生徒の頭を数回軽く叩いたという軽度の有形力は、懲戒行為の行使として許容されるとして、暴行罪の違法性の阻却が認められた事案があります。
正当な業務による行為の典型例は、医療行為、弁護活動、取材活動、宗教活動、労働組合の争議行為などです。これらは、一定の社会的な地位・立場・職業に基づいて、反復され継続されている行為です。これらの行為によって社会が運営されていると言っても過言ではありません。これらの行為が何らかの犯罪の構成要件に該当しても、それが正当なものである限り、違法性が阻却されます。ただし、業務であるという理由だけで、違法性が阻却されるわけではありません。それによってどのような法益が侵害され、またどのような法益が保全されたのか。また、その行為態様はどのようなものだったのか、相当なものだったのか。さらに、その行為の目的はどのようなものだったのか、正当なものだったのか。このような点を社会通念に照らして、社会的に相当なものであったといえるかを判断しなければなりません。
かつて性転換手術について、当時の社会通念に照らせば正当な医療行為と認めることはできないとして、優生保護法(現在は母体保護法)の罪の違法性の阻却を否定したものがありました(ブルーボーイ事件)。また、ある刑事事件の担当弁護人が「冤罪救済」の市民集会において被告人の無罪を訴えるなかで、特定の人物を名指しで批判した事案に関して、市民集会での発言と弁護活動との関連性を問題視し、名誉毀損罪の違法性阻却を否定したものもあります(刑230)。日米の密約があることを明らかにするために、外務省の女性職員をそそのかして秘密情報を漏示させたジャーナリストの行為について、女性職員との肉体的な関係を利用したとして、社会通念上認められないとして、国家公務員法の秘密漏示のそそのかし罪の違法性阻却を否定したものがあります。
このように法令に基づいているように見えても、それにあたらない場合もあります。また、業務とはいえ、その態様の相当性や目的の正当性が問題視されるような場合、違法性が阻却されません。
(1)甲は、Aが窃盗を犯したと疑われる相当な理由があったので、Aを逮捕しました。その行為は逮捕罪の構成要件に該当します(刑220)。しかし、甲は裁判所に申請して逮捕状を取得して、それを執行しました。これは警察官としての甲の職務(刑訴法199)であり、それは法的に認められています。また、逮捕行為の態様も法が求める方式に従っており、その目的も犯罪捜査と真相の究明にあったといえます。従って、違法性が阻却されます。
(2)乙がBの尻を叩いた行為は、暴行罪の構成要件に該当します(刑208)。しかし、それはBがひどいいたずらをしたため、親として叱責するためでした。親権者には未成年の子どもに対して懲戒行為を行う権利・義務があります(民822)。おしりを叩くという行為は、痛みを伴いますが、社会通念に照らして、親が子に行う懲戒の範囲内にあると思われますし、その目的もまたひどいいたずらをしたことの重大性を認識させ、その反省を促すためであったと思われるので、正当なものであったと思います。したがって、暴行罪の違法性を阻却することができます。
(3)丙は、公然とCの名誉を傷つける発言をし、その社会的評価を引き下げているので、名誉毀損罪の構成要件に該当します(刑230)。ただし、丙が担当する刑事事件の被告人の権利を擁護するために、その弁護活動の一環として行った場合には違法性が阻却されます。丙が法廷においてCの名誉を傷つける発言をすることは弁護活動の一環であったといえますが、記者会見を開いて発言したのはの名誉を傷つたのは、それに該当するとはいえません。したがって、名誉毀損罪の違法性を阻却することはできないように思われます。
(4)ジャーナリストが国家秘密を入手して、新聞などに公表するために、国家公務員に取材を申し入れ、その秘密を聞き出すのは、報道の自由・表現の自由の行使であり、また国民の知る権利の保障に資する行為です。国家公務員法の秘密漏示のそそのかし罪の構成要件に該当しますが、違法性が阻却されます。ただし、目的が正当であっても、その方法・態様に問題があれば、社会通念に照らして、社会的に相当とはいえない場合もあります。ジャーナリストが秘密を聞き出すために、外務省の女性職員と男女関係を作り、それを利用して聞き出した事案では、秘密漏示のそそのかしの行為の方法・態様が相当ではないとして、違法性の阻却を否定したものがあります。設問では、そのような行為は取られていないので、正当な取材にあたり、違法性が阻却されるでしょう。
違法性阻却事由には、法定されたものと、法定されていないものがあります。前者は、正当行為(刑35)、正当防衛(刑36)、緊急避難(刑37)です。後者は、被害者の承諾、義務の衝突、自救行為です。内容的に見ると、緊急時の違法性阻却事由と通常時の違法性阻却事由に分類できます。緊急時の違法性阻却事由は、急迫不正の侵害や現在の危難の存在を要件とする正当防衛と緊急避難です。また義務の衝突や自救行為も、緊急状況において行われるので、緊急時の違法性阻却事由に分類されるでしょう。これに対して、通常時の違法性阻却事由は緊急性を要件としません。正当行為や被害者の同意がそれにあたります。
刑法35条は、「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」と定めています。
法令による行為の典型例は、現行犯逮捕です。現行犯人を逮捕しようとしたところ、抵抗を受けたとき、警察官であると私人であるとを問わず、その状況から見て社会通念上逮捕のために必要かつ相当であると認められる限度内の実力行使が、暴行罪などの構成要件に該当しても、刑事訴訟法上許容されます(刑事訴訟法212条。
教師による懲戒行為もまた法令行為の一種です(学校教育法11条)。教師は生徒を懲戒できますが、体罰は許されていません。教師が生徒を殴打する行為は懲戒のためであっても、暴行罪の違法性は阻却されません。ただし、平手や軽く握った手で生徒の頭を数回軽く叩いたという軽度の有形力は、懲戒行為の行使として許容されるとして、暴行罪の違法性の阻却が認められた事案があります。
正当な業務による行為の典型例は、医療行為、弁護活動、取材活動、宗教活動、労働組合の争議行為などです。これらは、一定の社会的な地位・立場・職業に基づいて、反復され継続されている行為です。これらの行為によって社会が運営されていると言っても過言ではありません。これらの行為が何らかの犯罪の構成要件に該当しても、それが正当なものである限り、違法性が阻却されます。ただし、業務であるという理由だけで、違法性が阻却されるわけではありません。それによってどのような法益が侵害され、またどのような法益が保全されたのか。また、その行為態様はどのようなものだったのか、相当なものだったのか。さらに、その行為の目的はどのようなものだったのか、正当なものだったのか。このような点を社会通念に照らして、社会的に相当なものであったといえるかを判断しなければなりません。
かつて性転換手術について、当時の社会通念に照らせば正当な医療行為と認めることはできないとして、優生保護法(現在は母体保護法)の罪の違法性の阻却を否定したものがありました(ブルーボーイ事件)。また、ある刑事事件の担当弁護人が「冤罪救済」の市民集会において被告人の無罪を訴えるなかで、特定の人物を名指しで批判した事案に関して、市民集会での発言と弁護活動との関連性を問題視し、名誉毀損罪の違法性阻却を否定したものもあります(刑230)。日米の密約があることを明らかにするために、外務省の女性職員をそそのかして秘密情報を漏示させたジャーナリストの行為について、女性職員との肉体的な関係を利用したとして、社会通念上認められないとして、国家公務員法の秘密漏示のそそのかし罪の違法性阻却を否定したものがあります。
このように法令に基づいているように見えても、それにあたらない場合もあります。また、業務とはいえ、その態様の相当性や目的の正当性が問題視されるような場合、違法性が阻却されません。
(1)甲は、Aが窃盗を犯したと疑われる相当な理由があったので、Aを逮捕しました。その行為は逮捕罪の構成要件に該当します(刑220)。しかし、甲は裁判所に申請して逮捕状を取得して、それを執行しました。これは警察官としての甲の職務(刑訴法199)であり、それは法的に認められています。また、逮捕行為の態様も法が求める方式に従っており、その目的も犯罪捜査と真相の究明にあったといえます。従って、違法性が阻却されます。
(2)乙がBの尻を叩いた行為は、暴行罪の構成要件に該当します(刑208)。しかし、それはBがひどいいたずらをしたため、親として叱責するためでした。親権者には未成年の子どもに対して懲戒行為を行う権利・義務があります(民822)。おしりを叩くという行為は、痛みを伴いますが、社会通念に照らして、親が子に行う懲戒の範囲内にあると思われますし、その目的もまたひどいいたずらをしたことの重大性を認識させ、その反省を促すためであったと思われるので、正当なものであったと思います。したがって、暴行罪の違法性を阻却することができます。
(3)丙は、公然とCの名誉を傷つける発言をし、その社会的評価を引き下げているので、名誉毀損罪の構成要件に該当します(刑230)。ただし、丙が担当する刑事事件の被告人の権利を擁護するために、その弁護活動の一環として行った場合には違法性が阻却されます。丙が法廷においてCの名誉を傷つける発言をすることは弁護活動の一環であったといえますが、記者会見を開いて発言したのはの名誉を傷つたのは、それに該当するとはいえません。したがって、名誉毀損罪の違法性を阻却することはできないように思われます。
(4)ジャーナリストが国家秘密を入手して、新聞などに公表するために、国家公務員に取材を申し入れ、その秘密を聞き出すのは、報道の自由・表現の自由の行使であり、また国民の知る権利の保障に資する行為です。国家公務員法の秘密漏示のそそのかし罪の構成要件に該当しますが、違法性が阻却されます。ただし、目的が正当であっても、その方法・態様に問題があれば、社会通念に照らして、社会的に相当とはいえない場合もあります。ジャーナリストが秘密を聞き出すために、外務省の女性職員と男女関係を作り、それを利用して聞き出した事案では、秘密漏示のそそのかしの行為の方法・態様が相当ではないとして、違法性の阻却を否定したものがあります。設問では、そのような行為は取られていないので、正当な取材にあたり、違法性が阻却されるでしょう。
043 正当行為(1)
以下の場合において、甲および乙の罪責について論じなさい。
(1)甲は、Aに自転車を盗まれた。甲がたまたまAの家の前を通りかかったとき、庭先に1週間前に盗まれた自分の自転車が置いてあるのを見つけたので、Aの庭に無断で入って行き、Aが取り付けた鍵を外して自転車を持って帰った。
以下の場合において、甲および乙の罪責について論じなさい。
(1)甲は、Aに自転車を盗まれた。甲がたまたまAの家の前を通りかかったとき、庭先に1週間前に盗まれた自分の自転車が置いてあるのを見つけたので、Aの庭に無断で入って行き、Aが取り付けた鍵を外して自転車を持って帰った。
(2)乙は、自己所有地に家を建造中であったが、乙所有地の隣にBの家があり、その庇(ひさし)が乙所有地にはみ出していたので工事の支障となっていた。乙とBの間で話し合いがもたれ、Bは測量によって庇が境界線からはみ出していることを納得し、その切り取りに一度は同意したが、その後もいろいろと工事を妨害した。乙は、Bの同意を得た後に人手を手配しており、工事を続行しなければ莫大な損害が生じることから、その時点ではBが切り取りに反対していたにもかかわらず、庇の先端を切断した。
(0)犯罪の構成要件に該当する行為は、違法であるとの推定を受けます。刑法35条の正当行為、36条の正当防衛および37条の緊急避難の要件を満たしている場合には、違法性が阻却されます。ただし、このような法定の違法性阻却事由に該当しなくても、実質的に判断して違法性の阻却が認められる場合があります。法定されていませんが、違法性の実質を考慮することによって、構成要件に該当する行為の違法性が阻却されます。これを超法規的違法性阻却事由といいます。被害者の同意、義務の衝突、自救行為などがそれにあたります。
違法性の実質を考慮することによって、その行為の違法性が阻却されるかどうかが判断できます。ある行為が法に反していれば、違法であるといえますが(このような違法性を形式的違法性いといいます)、それだけでは違法性の実質や本質を明らかにすることはできません(そのような違法性を実質的違法性といいます)。なぜ法がその行為を違法としているのか、なぜ犯罪として処罰するのかの実質的な根拠を明らかにしなければ、違法性の実質や本質は明らかにできません。違法とは法に反することであり、基本的人権の尊重を原則としている憲法のもとではあ、違法とは自由や権利に対する侵害において捉えることができます(法益侵害説)。
しかし、法益侵害が認められれば、その全てを違法と判断することは妥当ではありません。現代の社会は、歴史的に形成された社会的な倫理規範に基づいて成り立っており、その規範に反しない限り、自由や権利などの法益を侵害する行為であっても、適法と判断される余地があります(規範違反説)。それを刑法において類型化したものが、正当行為、正当防衛、緊急避難です。しかも、類型化されていないものであっても、実質的に違法性が阻却される行為があります。ただし、どのような場合に違法性が阻却されるのかについては、慎重に判断しなければなりません。行われた行為によって、或る法益が侵害されたが、それによって他の法益が保全された場合、2つの法益を比較衡量することによって違法性阻却の可否を判断することもできますが(法益衡量説)、その行為態様の相当性や行為目的の正当性などの事情をも考慮に入れる必要があります(社会的相当性説)。全体的な法秩序の見地に立って、社会通念に照らして、その行為が社会的に相当であったのか否かを判断することが求められます。
被害者が法益侵害を受けることに同意していた場合、保護すべき法益は存在しないので、外形的に見て傷害罪などの構成要件に該当していると判断できても、法益侵害がない以上、違法性が阻却されると解することもできますが(法益不存在の場合)、同意を得た事情、行為態様の相当性、行為目的の正当性などを総合的に勘案して違法性阻却の可否を判断しなければなりません。
また、義務の衝突の場合でも、それは同じです。例えば、医師Xが患者Aと患者Bを同時に治療することが不可能な局面において、Bを治療しなければ死亡することを予見しながら、Aの治療を優先したため、Bが死亡した場合、この不作為の殺人罪の違法性が阻却できるか否かも実質的に考慮しなければなりません。
さらに、権利を侵害された者が、裁判所などの国家機関の救済を求めていては時期を失してしまうような状況において、その実力を行使して権利の回復を図るような自救行為の場合、権利の回復を図る行為が犯罪の構成要件に該当しても、違法性が阻却される余地があります。自救行為は、過去の権利侵害に対するものなので、正当防衛にはあたりません。ただし、その侵害状態が継続しているため、事後的な救済行為としての性質を持っています。ただし、それは無条件に認められるわけではありません。一般に、①権利侵害の状態を除去して、権利の回復を図るために必要な行為でなければなりません(必要性)。そして、国家機関の救済と保護を求める時間的な余裕がなく、すぐに対応しなければ、権利の実現・回復が不可能または著しく困難になるおそれがなければなりません(緊急性)。さらに、権利侵害の状態を除去し、その回復を図る行為が適切で相当なものでなければなりません(手段行為の相当性)。また、自己の権利回復を図ろうとする意思に基づいていなければなりません(自救の意思・目的の正当性)。盗まれた物を取り返す行為、隣の家のひさしが土地の境界線を越えて自分の土地に着き出しているため、建築工事ができない場合に、そのひさしを切り取る行為などをまぐって自救行為にあたるかが争われています。その行為の違法性を阻却する明文の規定がないため、実質的な判断が求められます。下級審には自救行為を認め、その違法性を阻却したものがありますが、最高裁ではそれを認めた事案はありません。
違法性の実質を考慮することによって、その行為の違法性が阻却されるかどうかが判断できます。ある行為が法に反していれば、違法であるといえますが(このような違法性を形式的違法性いといいます)、それだけでは違法性の実質や本質を明らかにすることはできません(そのような違法性を実質的違法性といいます)。なぜ法がその行為を違法としているのか、なぜ犯罪として処罰するのかの実質的な根拠を明らかにしなければ、違法性の実質や本質は明らかにできません。違法とは法に反することであり、基本的人権の尊重を原則としている憲法のもとではあ、違法とは自由や権利に対する侵害において捉えることができます(法益侵害説)。
しかし、法益侵害が認められれば、その全てを違法と判断することは妥当ではありません。現代の社会は、歴史的に形成された社会的な倫理規範に基づいて成り立っており、その規範に反しない限り、自由や権利などの法益を侵害する行為であっても、適法と判断される余地があります(規範違反説)。それを刑法において類型化したものが、正当行為、正当防衛、緊急避難です。しかも、類型化されていないものであっても、実質的に違法性が阻却される行為があります。ただし、どのような場合に違法性が阻却されるのかについては、慎重に判断しなければなりません。行われた行為によって、或る法益が侵害されたが、それによって他の法益が保全された場合、2つの法益を比較衡量することによって違法性阻却の可否を判断することもできますが(法益衡量説)、その行為態様の相当性や行為目的の正当性などの事情をも考慮に入れる必要があります(社会的相当性説)。全体的な法秩序の見地に立って、社会通念に照らして、その行為が社会的に相当であったのか否かを判断することが求められます。
被害者が法益侵害を受けることに同意していた場合、保護すべき法益は存在しないので、外形的に見て傷害罪などの構成要件に該当していると判断できても、法益侵害がない以上、違法性が阻却されると解することもできますが(法益不存在の場合)、同意を得た事情、行為態様の相当性、行為目的の正当性などを総合的に勘案して違法性阻却の可否を判断しなければなりません。
また、義務の衝突の場合でも、それは同じです。例えば、医師Xが患者Aと患者Bを同時に治療することが不可能な局面において、Bを治療しなければ死亡することを予見しながら、Aの治療を優先したため、Bが死亡した場合、この不作為の殺人罪の違法性が阻却できるか否かも実質的に考慮しなければなりません。
さらに、権利を侵害された者が、裁判所などの国家機関の救済を求めていては時期を失してしまうような状況において、その実力を行使して権利の回復を図るような自救行為の場合、権利の回復を図る行為が犯罪の構成要件に該当しても、違法性が阻却される余地があります。自救行為は、過去の権利侵害に対するものなので、正当防衛にはあたりません。ただし、その侵害状態が継続しているため、事後的な救済行為としての性質を持っています。ただし、それは無条件に認められるわけではありません。一般に、①権利侵害の状態を除去して、権利の回復を図るために必要な行為でなければなりません(必要性)。そして、国家機関の救済と保護を求める時間的な余裕がなく、すぐに対応しなければ、権利の実現・回復が不可能または著しく困難になるおそれがなければなりません(緊急性)。さらに、権利侵害の状態を除去し、その回復を図る行為が適切で相当なものでなければなりません(手段行為の相当性)。また、自己の権利回復を図ろうとする意思に基づいていなければなりません(自救の意思・目的の正当性)。盗まれた物を取り返す行為、隣の家のひさしが土地の境界線を越えて自分の土地に着き出しているため、建築工事ができない場合に、そのひさしを切り取る行為などをまぐって自救行為にあたるかが争われています。その行為の違法性を阻却する明文の規定がないため、実質的な判断が求められます。下級審には自救行為を認め、その違法性を阻却したものがありますが、最高裁ではそれを認めた事案はありません。
(1)窃盗罪の行為客体は他人の財物です。それは他人が占有する財物です。その人に所有権がなくても、占有の状態がある以上、そのような財物であっても刑法によって保護されます。甲は盗まれた自転車を取り戻しましたが、その行為は窃盗罪の構成要件に該当します(刑235)。ただし、自救の必要性、緊急性、行為態様の相当性、自救の意思の要件が満たされているならば、自救行為として違法性が阻却されます。甲の行為は必要性と自救の意思は認められますが、警察に通報して救済してもらうなどの手続を取れたとので、その緊急性を認めることはできません。また無断でAの家の庭に立ち入り(住居侵入)、鍵を壊す(器物損壊)などの行為は、自救のために相当な行為とはいえません。甲の窃盗罪の構成要件に該当する行為の違法性は阻却されないと思います。
(2)乙はBの家の庇の先端を切り取りました。これは建造物損壊罪(刑260)の構成要件に該当します。しかし、乙は工事を継続するためには、Bの家の庇を切り取る必要があり(必要性)、また工事を継続しなければ莫大な損害が発生することから、すぐにでも庇を切り取らなければならない事態にありました。Bは一度はそれに応じたにもかかわらず、工事を妨害するなどの行為に出ました(緊急性)。しかも、乙が工事を継続するためには、その庇を切り取るほかなく(行為態様の相当性)、しかも自己の権利の回復・実現の意思で行っています(自救の意思)。これらの点を踏まえると、甲の建造物損壊罪の違法性は阻却されると思われます。
044 正当行為(2)
暴力団の幹部・甲は、末端の組員であるAから指をつめる(切断する)ことを依頼されて、出刃包丁や金づちなどを用意し、Aの左小指の根元を釣糸で縛って血止めしたうえ、風呂のあがり台の上に乗せた小指の上に出刃包丁を当て、金づちで2,3回叩いて左小指の末節を切断した。
(1)Aは、別組織の者との親しい交際を難詰されて、幹部である甲から指をつめるよう強要されて渋々承諾したという場合、Aの承諾は有効か。
(2)Aが、深く指をつめれば、その報償として組織内における幹部の地位が与えられると甲から欺罔されたので、指づめを承諾した場合、Aの承諾は有効か。
(3)Aが、錯誤なく自発的に指づめを承諾した場合、甲の罪責はどうなるか。
(0)犯罪の構成要件に該当する行為を行った場合、違法であることが推定されますが、被害者がその結果につき承諾している場合には、違法性が阻却されます。これを被害者の承諾または被害者の同意といいます。これは、正当行為(刑35)、正当防衛(刑36)、緊急避難(刑37)のように刑法で明文化された違法性阻却事由ではないので、超法規的違法性阻却事由と呼ばれています。明文の根拠はありませんが、違法性の本質を踏まえて、実質的に判断すれば、被害者の承諾・同意がある場合には、犯罪の違法性が阻却されます。
被害者の承諾・同意が、犯罪の違法性を阻却する効果を持つのは、個人的法益に対する犯罪が自分に対して行われる場合に限られます。そして、そのような犯罪が自分に行われることを事前に理解し、それを承諾していなければなりません。欺かれて承諾したり、また脅迫されて承諾した場合、欺かれなかったならば、また脅迫されなかったならば承諾しなかったであろうといえる場合には、その承諾は真意に基づく承諾とはえいないので、犯罪の違法性を阻却する効果を持ちません。さらに、被害者が承諾・同意していることを行為者が知っていることも必要です。つまり、被害者が承諾・同意していること、それによって犯罪の違法性が阻却されることを、行為者が事前に知っていることです。もしそれを知らずに行ったというなら、行為者は純然たる犯罪を行う意思で行っているだけなので、その行為は客観的に正当化できても、主観的に正当化することはできません。急迫不正の侵害があるにもかかわらず、それを認識せずに行為を行い、自己の権利を防衛した「偶然防衛」について、正当防衛は「防衛のため」に、つまり防衛の意思に基づいて行った行為の違法性を阻却するのであって、防衛の意思のない行為には正当防衛は成立しないと説明しました(通説・判例の防衛の意思必要説=防衛の意思は主観的正当化要素)。この論理を被害者の承諾に当てはめると、行為者は被害者が承諾していることを知っていなければ、違法性が阻却されないことになります。
なお、被害者が個人的法益に対する罪の被害を受けることを承諾・同意していても、違法性が阻却されない場合があります。嘱託殺人罪・承諾殺人罪(刑202)は、被殺者の依頼や承諾に基づいて、その人を殺害する行為です。この場合の被害者の承諾は、普通殺人罪(刑199)の違法性を減少させる効果しか持ちません。また、13歳未満の者に対するわいせつ行為や性交(刑176条2文・177条2文)は、暴行・脅迫を手段として強制的に行っていなくても、つまり承諾があっても処罰されます。13歳未満の者の承諾は無効であり、わいせつ行為や性交の違法性を減少させる効果を持ちません。刑法では、13歳以上の者でなければ、自分が受ける性犯罪の被害の意味を正確に認識・判断できないと考えられているようです。ただし、欺罔・脅迫を受けた場合の承諾が無効です。それはすでに説明した通りです。なお、仕方なく承諾した場合の評価をめぐっては、複雑な問題があります。承諾は真意・任意なものでなければならないなら、仕方なく承諾した場合、違法性の阻却の効果は認められませんが、暴行・脅迫が用いられていない場合、そもそも強制わいせつ罪や強制性交罪の構成要件には該当しないので、違法性は推定されません。その処罰の隙間を埋めるために、不同意わいせつ罪・不同意性交罪の新設を求める意見もありますが、行為者が被害者の承諾を真意に基づくものであると錯誤した場合、その犯罪の故意の成立が否定されるでしょう。このように性犯罪をめぐって立法論としても検討すべき課題があります。
(1)設問1では、Aは甲による指つめを承諾し、甲はAの指を切断しました。この行為は傷害罪の構成要件に該当します。では、Aの承諾はその違法性を阻却するでしょうか。承諾は被害者の真意に基づく、任意なものでなければなりません。被害者が自由な意思を持ち、それに基づいて自ら判断して、承諾するか否かを決定していなければなりません。Aは暴力団の組員であり、甲はその幹部です。甲はAに指づめを強要しています。Aが自由な意思に基づいて自ら判断できるような状況ではありません。Aは指づめを承諾していたとはいえ、それは真意かつ任意なものとはいえません。そのような承諾によって、甲の傷害罪の違法性を阻却することはできません。
(2)設問2では、Aは甲によって欺罔され、指づめを承諾しています。欺罔による承諾の場合も、強要による承諾と同じく、犯罪の違法性を阻却する効果を持ちません。それは真意・任意になされたものでないからです。もしも欺罔されなかったならば、被害者は錯誤に陥ることはなく、また承諾しなかったであろうといえなら(欺罔・錯誤・承諾の間に条件関係があるなら)、欺罔されて承諾した場合、それは錯誤に基づく承諾であり、真意・任意に基づくものではありません。そのような承諾は無効です。ただし、欺罔とは無関係に承諾したなら、その承諾は違法性阻却の効果を持ちうると思います。設問2のAは、甲から「深く指をつめれば、その報償として組織内における幹部の地位が与えられる」と欺罔され、錯誤に基づいて指づめを承諾しました。Aの承諾は、甲の欺罔よって錯誤に陥れられ、それによって得られた承諾です。欺罔されなかったなら錯誤に陥ることはなく、また承諾しなかったといえるので、その承諾は無効であり、違法性阻却の効果は認められません(通説・判例)。
ただし、学説のなかには、欺罔-錯誤-承諾の間に条件関係があるだけでなく、被害者が侵害を受ける法益についても錯誤している場合の承諾だけが無効であると主張するものもあります。つまり、違法性が阻却されるのは、被害者が欺罔され、その法益が侵害されることはないと錯誤して承諾した場合だけだと言います。例えば、Aが甲に欺かれ、左子指を切断されることはないと錯誤していた場合の承諾だけが無効であると言うのです。このような学説を「法益関係的錯誤説」といいます。この学説に基づいて説例を検討すると、Aは甲から「深く指を積めれば、その報償として組織内における幹部の地位が与えられると甲から欺罔されたので、指つめを承諾し」ました。Aは指をつめれば組織の幹部になれると錯誤しましたが、指をつめるという法益侵害については錯誤していませんでした。このような場合、法益関係的錯誤説からは、Aの承諾は有効であり、傷害罪の違法性を阻却することができます。
(3)設問3では、Aは錯誤なく自発的に指づめを承諾しているので、その承諾は有効です。ただし、真意性・自発性があれば、どんな承諾も傷害罪の違法性を阻却できるわけではありません。傷害にも様々なものがあります。生命に危険を及ぼす重大な傷害もあれば、治癒・回復可能な傷害もあります。左小指の末節の切断という傷害は、生命に危険を及ぼすものではないので、Aの錯誤なく自発的な承諾は有効であり、傷害罪の違法性を阻却することができるといえます。
暴力団の幹部・甲は、末端の組員であるAから指をつめる(切断する)ことを依頼されて、出刃包丁や金づちなどを用意し、Aの左小指の根元を釣糸で縛って血止めしたうえ、風呂のあがり台の上に乗せた小指の上に出刃包丁を当て、金づちで2,3回叩いて左小指の末節を切断した。
(1)Aは、別組織の者との親しい交際を難詰されて、幹部である甲から指をつめるよう強要されて渋々承諾したという場合、Aの承諾は有効か。
(2)Aが、深く指をつめれば、その報償として組織内における幹部の地位が与えられると甲から欺罔されたので、指づめを承諾した場合、Aの承諾は有効か。
(3)Aが、錯誤なく自発的に指づめを承諾した場合、甲の罪責はどうなるか。
(0)犯罪の構成要件に該当する行為を行った場合、違法であることが推定されますが、被害者がその結果につき承諾している場合には、違法性が阻却されます。これを被害者の承諾または被害者の同意といいます。これは、正当行為(刑35)、正当防衛(刑36)、緊急避難(刑37)のように刑法で明文化された違法性阻却事由ではないので、超法規的違法性阻却事由と呼ばれています。明文の根拠はありませんが、違法性の本質を踏まえて、実質的に判断すれば、被害者の承諾・同意がある場合には、犯罪の違法性が阻却されます。
被害者の承諾・同意が、犯罪の違法性を阻却する効果を持つのは、個人的法益に対する犯罪が自分に対して行われる場合に限られます。そして、そのような犯罪が自分に行われることを事前に理解し、それを承諾していなければなりません。欺かれて承諾したり、また脅迫されて承諾した場合、欺かれなかったならば、また脅迫されなかったならば承諾しなかったであろうといえる場合には、その承諾は真意に基づく承諾とはえいないので、犯罪の違法性を阻却する効果を持ちません。さらに、被害者が承諾・同意していることを行為者が知っていることも必要です。つまり、被害者が承諾・同意していること、それによって犯罪の違法性が阻却されることを、行為者が事前に知っていることです。もしそれを知らずに行ったというなら、行為者は純然たる犯罪を行う意思で行っているだけなので、その行為は客観的に正当化できても、主観的に正当化することはできません。急迫不正の侵害があるにもかかわらず、それを認識せずに行為を行い、自己の権利を防衛した「偶然防衛」について、正当防衛は「防衛のため」に、つまり防衛の意思に基づいて行った行為の違法性を阻却するのであって、防衛の意思のない行為には正当防衛は成立しないと説明しました(通説・判例の防衛の意思必要説=防衛の意思は主観的正当化要素)。この論理を被害者の承諾に当てはめると、行為者は被害者が承諾していることを知っていなければ、違法性が阻却されないことになります。
なお、被害者が個人的法益に対する罪の被害を受けることを承諾・同意していても、違法性が阻却されない場合があります。嘱託殺人罪・承諾殺人罪(刑202)は、被殺者の依頼や承諾に基づいて、その人を殺害する行為です。この場合の被害者の承諾は、普通殺人罪(刑199)の違法性を減少させる効果しか持ちません。また、13歳未満の者に対するわいせつ行為や性交(刑176条2文・177条2文)は、暴行・脅迫を手段として強制的に行っていなくても、つまり承諾があっても処罰されます。13歳未満の者の承諾は無効であり、わいせつ行為や性交の違法性を減少させる効果を持ちません。刑法では、13歳以上の者でなければ、自分が受ける性犯罪の被害の意味を正確に認識・判断できないと考えられているようです。ただし、欺罔・脅迫を受けた場合の承諾が無効です。それはすでに説明した通りです。なお、仕方なく承諾した場合の評価をめぐっては、複雑な問題があります。承諾は真意・任意なものでなければならないなら、仕方なく承諾した場合、違法性の阻却の効果は認められませんが、暴行・脅迫が用いられていない場合、そもそも強制わいせつ罪や強制性交罪の構成要件には該当しないので、違法性は推定されません。その処罰の隙間を埋めるために、不同意わいせつ罪・不同意性交罪の新設を求める意見もありますが、行為者が被害者の承諾を真意に基づくものであると錯誤した場合、その犯罪の故意の成立が否定されるでしょう。このように性犯罪をめぐって立法論としても検討すべき課題があります。
(1)設問1では、Aは甲による指つめを承諾し、甲はAの指を切断しました。この行為は傷害罪の構成要件に該当します。では、Aの承諾はその違法性を阻却するでしょうか。承諾は被害者の真意に基づく、任意なものでなければなりません。被害者が自由な意思を持ち、それに基づいて自ら判断して、承諾するか否かを決定していなければなりません。Aは暴力団の組員であり、甲はその幹部です。甲はAに指づめを強要しています。Aが自由な意思に基づいて自ら判断できるような状況ではありません。Aは指づめを承諾していたとはいえ、それは真意かつ任意なものとはいえません。そのような承諾によって、甲の傷害罪の違法性を阻却することはできません。
(2)設問2では、Aは甲によって欺罔され、指づめを承諾しています。欺罔による承諾の場合も、強要による承諾と同じく、犯罪の違法性を阻却する効果を持ちません。それは真意・任意になされたものでないからです。もしも欺罔されなかったならば、被害者は錯誤に陥ることはなく、また承諾しなかったであろうといえなら(欺罔・錯誤・承諾の間に条件関係があるなら)、欺罔されて承諾した場合、それは錯誤に基づく承諾であり、真意・任意に基づくものではありません。そのような承諾は無効です。ただし、欺罔とは無関係に承諾したなら、その承諾は違法性阻却の効果を持ちうると思います。設問2のAは、甲から「深く指をつめれば、その報償として組織内における幹部の地位が与えられる」と欺罔され、錯誤に基づいて指づめを承諾しました。Aの承諾は、甲の欺罔よって錯誤に陥れられ、それによって得られた承諾です。欺罔されなかったなら錯誤に陥ることはなく、また承諾しなかったといえるので、その承諾は無効であり、違法性阻却の効果は認められません(通説・判例)。
ただし、学説のなかには、欺罔-錯誤-承諾の間に条件関係があるだけでなく、被害者が侵害を受ける法益についても錯誤している場合の承諾だけが無効であると主張するものもあります。つまり、違法性が阻却されるのは、被害者が欺罔され、その法益が侵害されることはないと錯誤して承諾した場合だけだと言います。例えば、Aが甲に欺かれ、左子指を切断されることはないと錯誤していた場合の承諾だけが無効であると言うのです。このような学説を「法益関係的錯誤説」といいます。この学説に基づいて説例を検討すると、Aは甲から「深く指を積めれば、その報償として組織内における幹部の地位が与えられると甲から欺罔されたので、指つめを承諾し」ました。Aは指をつめれば組織の幹部になれると錯誤しましたが、指をつめるという法益侵害については錯誤していませんでした。このような場合、法益関係的錯誤説からは、Aの承諾は有効であり、傷害罪の違法性を阻却することができます。
(3)設問3では、Aは錯誤なく自発的に指づめを承諾しているので、その承諾は有効です。ただし、真意性・自発性があれば、どんな承諾も傷害罪の違法性を阻却できるわけではありません。傷害にも様々なものがあります。生命に危険を及ぼす重大な傷害もあれば、治癒・回復可能な傷害もあります。左小指の末節の切断という傷害は、生命に危険を及ぼすものではないので、Aの錯誤なく自発的な承諾は有効であり、傷害罪の違法性を阻却することができるといえます。
045 正当行為(3)
大学病院の医師・甲は、患者Aが治癒不可能ながんに冒され、鎮痛処理を施されて意識不明のまま余命数日という状況を迎えた際、Aの苦しみを終わらせるために安楽死を施すことを決意し、筋弛緩剤を注射して即座にAを死亡させた。
(1)積極的安楽死に関する判例①の基準からは、甲の罪責はどうなるか。
(2)積極的安楽死に関する判例②の基準からは、甲の罪責はどうなるか。
(3)仮に、筋弛緩剤の注射ではなく、チューブの管を抜くなどの治療中止行為によって患者Aが死亡した場合で、かつ患者が治療中止を許容する意思を有していたことを家族らが予め確認していた場合、甲の罪責はどうなるか。
①名古屋高判昭和37年12月22日高刑集15巻9号674頁(嘱託殺人罪の成立を認めた事例)
②横浜地判平成7年3月28日判時1530号28頁(殺人罪の成立を認めた事例)
③最決平成21年12月7日刑集63巻11号1899頁
(0)この問題は、いわゆる「安楽死」に関する問題です。安楽死は、不治の病に冒され、余命数日しかなく、しかも肉体的苦痛が激しい患者に対して、その苦痛から解放するために行う行為です。その行為にも様々なものがあります。患者に対する水分や栄養分の投与を中止し、それによって患者は死ぬことになりますが、その分だけ肉体的苦痛を長引かせないことができます。治療を中止することによって生命を短縮することを「消極的安楽死」といいます。また、患者の肉体的苦痛を和らげるために薬剤を投与しますが、その結果として生命の短縮を伴う場合、投与される薬剤は苦痛の除去に向けられ、生命侵害に向けられていませんが、いわば患者を間接的に死亡させています。これを「間接的安楽死」といいます。さらに、患者の肉体的苦痛を除去するために、筋弛緩剤などを注射して、患者自身を殺害する場合です。筋弛緩剤の注射は、生命侵害に直接向けられています。これを「積極的安楽死」といいます。
このうち筋弛緩剤の注射による生命侵害は、殺人罪の構成要件に該当します。日本には、この積極的安楽死を合法化する法律は存在しません。ただし、下級審の判断では、一定の要件がそろえば、その違法性が阻却される場合のあることが認められています。日本では法制度上は安楽死は認められていませんが、判例上は同意殺人罪の違法性が阻却される場合のあることが認められています。
(1)1の事案は、家族が患者に毒物を飲ませて死亡させた事案です。名古屋高裁では、6つの要件がそろっている場合に同意殺人罪の違法性が阻却されるとしました。1患者が不治の病に冒され、その死期が目前に迫っていること、2患者の苦痛が甚だしいこと、3専ら患者の死苦を緩和する目的で行われたこと、4患者が意思を表明できる場合には、真摯な嘱託または承諾のあること(意思表明があれな嘱託殺人罪が問題になります。それがなくても承諾・同意が推定されれば、嘱託殺人罪が問題になります)、5医師の手によること、そして6その方法が倫理的に妥当なものとして認容しうること。この6つの要件によって嘱託殺人罪の違法性が阻却されます。
設問では、Aは治療不可能ながんに冒され、余命数日という状況でした(第1要件は充足)。Aは意識不明だったので、苦痛が甚だしいかどうかは不明です(第2要件の充足は不明)。甲はAの苦痛を終わらせるために行っています(第3要件は充足)。Aは意識不明の状態だったので、意思表明できませんが、その承諾が推定できます(第4要件は充足)。甲は医師です(第5要件は充足)。そして、筋弛緩剤の注射によって、Aは激痛を伴わずに死へ向かうことができ、倫理的にも容認できます(第6要件は充足)。問題は、第2要件です。Aが意識不明であるため苦痛であることを表明できません。しかし、それによってAの苦痛がなかったとはいえません。、「治癒不可能ながん」の場合、肉体的な苦痛を伴うのが一般的ですし、末期ガンの患者が死へと向かっていくプロセルそれ自体が苦痛であると捉えることもできます。このように考えれば、第2要件の充足を認めることができます。以上から、甲の同意殺人罪の違法性を阻却することができます。なお、名古屋高裁の事案では、5と6の要件が満たされていないので、嘱託殺人罪の違法性は阻却されないと判断されました。
(2)2の事案は、医師が患者を死亡させた東海大安楽死事件と呼ばれる事案です。横浜地裁は、「承諾殺人罪」の違法性阻却のために4つの要件を示しました。1患者が耐え難い肉体的苦痛に苦しんでいること、2患者の死が避けられず、その死期が迫っていること、3患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、他に代替手段がないこと、そして4生命短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること。この4つの要件によって承諾殺人罪の違法性が阻却されます。
設問では、Aは意識不明の状態にあったので、肉体的苦痛に苦しんでいたかどうかは不明です(第1要件の充足は不明)。Aは治療不可能ながんのため余命数日でした(第2要件は充足)。甲はAのために鎮痛処理をしていたので、それ以外に取りうる手段はありませんでした(第3要件は充足)。Aは意識不明の状態にあったので、生命短縮を承諾する明示の意思表示はできませんでした(第4要件は充足せず)。以上から、第1要件の充足は不明です。また第4要件は満たされていません。かりに第4要件が満たされれば、本件は承諾殺人罪の事案になりますが、それが充足されていないため、通常の殺人罪の事案になります。甲の行為は殺人罪の構成要件に該当し、第1要件と第4要件がそろっていないので、その違法性は阻却されません。
(3)治癒不可能ながんの患者の治療を中止して、生命を短縮させる行為は、殺人罪の構成要件に該当するでしょうか。たとえ治癒不可能ながん患者であっても、治療を継続すれば、その間は延命できます。医師は患者の治療を継続し、その延命をはかる地位にあり(保障者的地位)、それを継続して行うことは可能であり、かつ容易であったので(作為の可能性と容易性)、医師には患者の治療のための作為義務が課されます。そして、その義務を尽くしていたならば、十中八九、患者は延命することができたといえるなら、治療の作為義務に反した不作為と生命短縮の間の因果関係があり、その不作為は殺人罪の構成要件に該当します。
3の事案は、筋弛緩剤の注射という生命短縮の積極的な行為ではなく、チューブの管を抜くという治療中止による生命短縮の事案であり、いわゆる消極的安楽死です。最高裁は、その違法性が阻却されるための一般的な要件を示すことなく、個別事案に関する判断として2つの要件を示しました。1被害者の回復不可能および余命、そして2被害者の推定的な意思という2つの要件を踏まえて、違法性阻却の可否を判断しました。Aは治癒不可能ながんをわずらい、余命数日であったので、第1要件を満たしています。そして、Aは事前に治療の中止を許容する意思を家族に表明していたので、家族の証言などによって、Aが治療中止を承諾する意思を有していたことが推定されます。そうすると、甲の行為は殺人罪ではなく、承諾殺人罪の構成要件に該当し、その違法性が阻却されることが認められます。
このうち筋弛緩剤の注射による生命侵害は、殺人罪の構成要件に該当します。日本には、この積極的安楽死を合法化する法律は存在しません。ただし、下級審の判断では、一定の要件がそろえば、その違法性が阻却される場合のあることが認められています。日本では法制度上は安楽死は認められていませんが、判例上は同意殺人罪の違法性が阻却される場合のあることが認められています。
(1)1の事案は、家族が患者に毒物を飲ませて死亡させた事案です。名古屋高裁では、6つの要件がそろっている場合に同意殺人罪の違法性が阻却されるとしました。1患者が不治の病に冒され、その死期が目前に迫っていること、2患者の苦痛が甚だしいこと、3専ら患者の死苦を緩和する目的で行われたこと、4患者が意思を表明できる場合には、真摯な嘱託または承諾のあること(意思表明があれな嘱託殺人罪が問題になります。それがなくても承諾・同意が推定されれば、嘱託殺人罪が問題になります)、5医師の手によること、そして6その方法が倫理的に妥当なものとして認容しうること。この6つの要件によって嘱託殺人罪の違法性が阻却されます。
設問では、Aは治療不可能ながんに冒され、余命数日という状況でした(第1要件は充足)。Aは意識不明だったので、苦痛が甚だしいかどうかは不明です(第2要件の充足は不明)。甲はAの苦痛を終わらせるために行っています(第3要件は充足)。Aは意識不明の状態だったので、意思表明できませんが、その承諾が推定できます(第4要件は充足)。甲は医師です(第5要件は充足)。そして、筋弛緩剤の注射によって、Aは激痛を伴わずに死へ向かうことができ、倫理的にも容認できます(第6要件は充足)。問題は、第2要件です。Aが意識不明であるため苦痛であることを表明できません。しかし、それによってAの苦痛がなかったとはいえません。、「治癒不可能ながん」の場合、肉体的な苦痛を伴うのが一般的ですし、末期ガンの患者が死へと向かっていくプロセルそれ自体が苦痛であると捉えることもできます。このように考えれば、第2要件の充足を認めることができます。以上から、甲の同意殺人罪の違法性を阻却することができます。なお、名古屋高裁の事案では、5と6の要件が満たされていないので、嘱託殺人罪の違法性は阻却されないと判断されました。
(2)2の事案は、医師が患者を死亡させた東海大安楽死事件と呼ばれる事案です。横浜地裁は、「承諾殺人罪」の違法性阻却のために4つの要件を示しました。1患者が耐え難い肉体的苦痛に苦しんでいること、2患者の死が避けられず、その死期が迫っていること、3患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、他に代替手段がないこと、そして4生命短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること。この4つの要件によって承諾殺人罪の違法性が阻却されます。
設問では、Aは意識不明の状態にあったので、肉体的苦痛に苦しんでいたかどうかは不明です(第1要件の充足は不明)。Aは治療不可能ながんのため余命数日でした(第2要件は充足)。甲はAのために鎮痛処理をしていたので、それ以外に取りうる手段はありませんでした(第3要件は充足)。Aは意識不明の状態にあったので、生命短縮を承諾する明示の意思表示はできませんでした(第4要件は充足せず)。以上から、第1要件の充足は不明です。また第4要件は満たされていません。かりに第4要件が満たされれば、本件は承諾殺人罪の事案になりますが、それが充足されていないため、通常の殺人罪の事案になります。甲の行為は殺人罪の構成要件に該当し、第1要件と第4要件がそろっていないので、その違法性は阻却されません。
(3)治癒不可能ながんの患者の治療を中止して、生命を短縮させる行為は、殺人罪の構成要件に該当するでしょうか。たとえ治癒不可能ながん患者であっても、治療を継続すれば、その間は延命できます。医師は患者の治療を継続し、その延命をはかる地位にあり(保障者的地位)、それを継続して行うことは可能であり、かつ容易であったので(作為の可能性と容易性)、医師には患者の治療のための作為義務が課されます。そして、その義務を尽くしていたならば、十中八九、患者は延命することができたといえるなら、治療の作為義務に反した不作為と生命短縮の間の因果関係があり、その不作為は殺人罪の構成要件に該当します。
3の事案は、筋弛緩剤の注射という生命短縮の積極的な行為ではなく、チューブの管を抜くという治療中止による生命短縮の事案であり、いわゆる消極的安楽死です。最高裁は、その違法性が阻却されるための一般的な要件を示すことなく、個別事案に関する判断として2つの要件を示しました。1被害者の回復不可能および余命、そして2被害者の推定的な意思という2つの要件を踏まえて、違法性阻却の可否を判断しました。Aは治癒不可能ながんをわずらい、余命数日であったので、第1要件を満たしています。そして、Aは事前に治療の中止を許容する意思を家族に表明していたので、家族の証言などによって、Aが治療中止を承諾する意思を有していたことが推定されます。そうすると、甲の行為は殺人罪ではなく、承諾殺人罪の構成要件に該当し、その違法性が阻却されることが認められます。