第02回 平成24年度予備試験論文問題
以下の事例に基づき、甲、乙及び丙の罪責について論じなさい(特別法違反の点を除く。)。
1 甲は、中古車販売業を営んでいたが、事業の運転資金にするために借金を重ね、その返済に窮したことから、交通事故を装って自動車保険の保険会社から保険金をだまし取ろうと企てた。甲は、友人の乙及び丙であれば、協力してくれるだろうと思い、2人を甲の事務所に呼び出した。
甲が、乙及び丙に対し、前記企てを打ち明けたところ、2人はこれに参加することを承諾した。3人は、更に詳細について相談し、
(1)甲の所有する普通乗用自動車(以下「X車」という。)と、乙の所有する普通乗用自動車(以下「Y車」という。)を用意した上、乙がY車を運転して信号待ちのために停車中、丙の運転するX車を後方から低速でY車に衝突させること、
(2)その衝突により、乙に軽度の頸部捻挫の怪我を負わせること、
(3)乙は、医師に大げさに自覚症状を訴えて、必要以上に長い期間通院すること、
(4)甲がX車に付している自動車保険に基づき、保険会社に対し、乙に支払う慰謝料のほか、実際には乙が甲の従業員ではないのに従業員であるかのように装い、同事故により甲の従業員として稼働することができなくなったことによる乙の休業損害の支払を請求すること、
(5)支払を受けた保険金は3人の間で配分することを計画し、これを実行すること
を合意した。
2 丙は、前記計画の実行予定日である○月○日になって、これらの犯罪に関与することが怖くなり、集合場所である甲の事務所に行くのをやめた。
甲及び乙は、同日夜、甲の事務所で丙を待っていたが、丙が約束した時刻になっても現れないので、丙の携帯電話に電話したところ、丙は、「俺は抜ける。」とだけ言って電話を切り、その後、甲や乙が電話をかけてもこれに応答しなかった。
甲及び乙は、丙が前記計画に参加することを嫌がって連絡を絶ったものと認識したが、甲が丙の代わりにX車を運転し、その他は予定したとおりに前記計画を実行することにした。
そこで、甲はX車を、乙はY車をそれぞれ運転して、甲の事務所を出発した。
3 甲及び乙は、事故を偽装することにしていた交差点付近にさしかかった。乙は、進路前方の信号機の赤色表示に従い、同交差点の停止線の手前にY車を停止させた。甲は、X車を運転してY車の後方から接近し、減速した上、Y車後部にX車前部を衝突させ、当初の計画どおり、乙に加療約2週間を要する頸部捻挫の怪我を負わせた。
甲及び乙は、乙以外の者に怪我を負わせることを認識していなかったが、当時、路面が凍結していたため、衝突の衝撃により、甲及び乙が予想していたよりも前方にY車が押し出された結果、前記交差点入口に設置された横断歩道上を歩いていたAにY車前部バンパーを衝突させ、Aを転倒させた。Aは、転倒の結果、右手を路面に強打したために、加療約1ヶ月を要する右手首骨折の怪我を負った。
その後、乙は、医師に大げさに自覚症状を訴えて、約2ヶ月間、通院治療を受けた。
4 甲及び乙は、X車に付している自動車保険の保険会社の担当者Bに対し、前記計画どおり、乙に対する慰謝料及び乙の休業損害について保険金の支払を請求した。しかし、同保険会社による調査の結果、事故状況について不審な点が発覚し、保険金は支払われなかった。
練習答案の作成
(1)甲の罪責について。
第1は、甲が乙に頸部捻挫の怪我を負わせた行為についてです。この行為は傷害罪の構成要件に該当しますが、乙がそれに同意していたことから、傷害罪の違法性が阻却されるのかという点が問題になります。
被害者の同意は、構成要件該当性によって推定された違法性を阻却する事由(超法規的違法性阻却事由)と理解されています。ただし、どのような同意であっても、被害者が同意していれば、犯罪の違法性が阻却されるわけではありません。乙の同意が保険金を騙取するという詐欺罪の目的としたものなので、これによって違法性を阻却するのかというのが争点になります。
違法性阻却の一般原理については、現在では社会的相当性説(行為無価値論の立場)が有力です。つまり、被害者が傷害の被害にあることにつき同意があったことだけでなく、同意が得られた目的や動機、傷害を生じさせた方法・手段、身体的部位、傷害の重大性などを総合的に評価して、違法性阻却の可否を判断します。
第2は、甲がAの右手首骨折の怪我を負わせた行為についてです。Aが右手首骨折の怪我を負ったのは、乙が乗車するY車がAに衝突したのが直接の原因ですが、それは甲がY車に自己のX車を衝突させなかったならば起こらなかった結果であるといえます。いわゆる「条件関係公式」を適用して判断すると、甲の行為とAの怪我の間には「条件関係」があります。ただし、条件関係が認められるだけでは、刑法上の因果関係を認めることはできません。この点については、相当因果関係説の折衷説や危険の現実化説などの学説に基づいて判断することになります。
相当因果関係説の折衷説は、行為と結果の間に条件関係があることを前提にして、そのような行為を行った場合、社会生活の経験から見て、そのような結果が生ずることが通常ありうるだろうかと問題にして、「ありうる」と言える場合、因果関係を肯定します。この判断にとって重要なのは、行為から結果に至るまでの間に、第3者の行為、被害者の行為、または行為者自身の第2行為が介在することが予見可能であったか否かです。甲が自動車を乙の自動車に衝突させたときに、乙の自動車がAに衝突してケガを負わせることが予見可能であったかどうか。とくに、路面が凍結していて、Xに自動車が衝突したときに、Yの自動車が押し出されて、横断歩道を歩いているAに接触し転倒させ、ケガを負わせることが予見できたかどうかです。問題文には季節や気温などは書かれていませんが、想像するに、雪や雨の降った後の寒い時期だったようです。路面の凍結は予見可能です。また、場所は交差点なので、横断歩道を歩く歩行者がいることも認識可能です。甲が自動車を乙の自動車に衝突させたときに、乙の自動車が凍結した路面をすべって、押し出され、それが歩行者に接触し、転倒させ、ケガを負わせることも予見可能です。したがって、相当因果関係説の折衷説からは、因果関係を肯定することができます。
では、危険の現実化説からはどうでしょうか。この説は、行為の危険性が結果へと実現したとえるかどうかを問題にします。行為に内在していた危険性が結果において実現したかどうか。これを判断するためには、行為の方法・態様やその場所などの状況をも踏まえる必要があります。甲は路面が凍結した交差点において、乙が乗る自動車の後ろから自車を衝突させました。甲の行為には、どのような危険が内在していたでしょうか。甲の行為は乙にケガを負わせるだけでなく、その自動車を凍結した路面の上を滑らせて、前へと押し出し、交差点を歩いている歩行者に衝突させる危険な行為です。その危険性は、現実化したでしょうか。それは、もう言うまでもないでしょう。したがって、危険の現実化説からも、甲の行為とAのケガの因果関係を認めることができます(Aのケガという結果は、甲の行為に帰属します)。相当因果関係説の折衷説からも、また危険の現実化説からも、甲の行為は乙に対する傷害罪、Aに対する傷害罪の構成要件に該当します。
次に、甲は乙に頸部捻挫の怪我を負わせる認識はあったので、傷害の故意を認めることができます。しかし、Aに対して怪我を負わせる意図はありませんでした。このような場合でもAに対する傷害の故意を認めることができるのかという点が問題になります。これは具体的事実の錯誤における方法の錯誤の問題です。つまり、主観的に実現しようとした構成要件と客観的に実現した構成要件が傷害罪という同一の構成要件でありますが、乙という客体だけでなく、異なるAという客体のところにおいても傷害罪の構成要件を実現した場合の錯誤です。このような錯誤に関しては、法定的符合説の立場から、主観的に実現しようとした犯罪と客観的に実現した犯罪の構成要件が重なり合う限り、客観的に実現した犯罪の故意の成立が認められます。乙に対する傷害罪の故意だけでなく、Aに対する傷害罪の故意も認められるので、乙・Aの両方に対して故意の傷害罪が成立することになります。
しかし、甲は乙にケガをおわせようと1回の意思決定をしただけです。1回の意思決定によって行われるのは、1個の故意の行為だけなのではないでしょうか。1個の故意に基づいて行われるのは、1個の故意の行為だけであると考えるならば、故意が向けられていなかったAに対して故意の傷害罪の成立を認めることはできないようにも思われます。甲には乙に対して「罪を犯す意思」はありましたが、Aに対して「罪を犯す意思」があったとはいえません。故意の内容を具体的な対象と事実に即して評価すると、甲は乙に怪我を負わせようとしていたのであって、Aではありませんでした。生じた傷害という点は同じであっても、その対象が異なる以上、甲に対して「お前はわざとAに怪我を負わせた」と故意の責任非難をすることはできません。このような考えを1故意犯説といいます。これは具体的符合説から導かれます。そうすると、通説・判例の法定的符合説は、この考えに対して説得力のある批判をしなければ、自説の妥当性を主張することはできません。
通説・判例である法的的符合説は、故意の責任非難について異なる説明をします。故意の責任非難とは、行為者が実現しようとした個別行為ごとに、つまり被害を及ぼした個々の具体的な客体ごとに問題になるのではありません。責任非難は、行為者が決定した意思に即して問題になります。「人に怪我を負わすることなかれ」という傷害罪の規範に背いて、人に怪我を負わせたこと、つまり傷害罪の禁止規範に背いて傷害罪の構成要件を実現した行為者の反規範的な意思決定(そのような規範に違反する意思を決定した行為者の人格的態度)に関して、傷害罪の故意の責任非難は成立するのです。その限りでいえば、故意の責任非難は、個別行為や個々の具体的な客体から遊離して、行為者の意思決定を対象にして判断されることになります。刑法教科書では、責任論のところで行為責任や個別行為責任という用語の説明があり、それが責任主義の重要な事実的基礎であるのですが、具体的事実の錯誤における客体の錯誤の問題では、それが緩和されている傾向があるようです。いずれにせよ、傷害罪の禁止規範に背いて、傷害罪の構成要件を実現した以上、それが乙のところで生じたのか、それともAのところで生じたのかは、故意の責任非難をする上であまり問題にはなりません。責任非難は、乙やAといった具体的な対象を基準にして成立するのではなく、あくまで「人」が基準になるからです。その意味でいえば、故意の責任非難の対象は乙やAという具体的な対象から「人」というレベルにまで「抽象化」されます。人に怪我を負わせてはならないとする傷害罪の禁止規範に背いて人に怪我を負わせた以上、その人に傷害罪の故意の責任を負わなければなりません。
第3は、甲が故意による事故を過失による事故と偽って、保険会社の担当者Bに対して保険金の請求を行いましたが、Bがそれを調査して不審な点を発見し、保険金を支払わなかったことについて、詐欺未遂罪が成立するかという問題です。
甲は、保険会社に保険金という財物を交付させるために、故意の傷害罪を過失による交通事故であるとして、保険金の請求を行いました。これは、保険会社のBをして、正当な保険金請求であると誤信させる行為であり、詐欺罪の欺き行為を開始したといえます。ただし、Bは調査の結果、不審な点を発見したため、事故が過失によるものだと錯誤に陥ったわけではありません。このような場合でも、欺く行為が開始されているので、詐欺罪の実行の着手を認め、詐欺未遂罪の成立を肯定することができるのでしょうか。
犯罪の構成要件は法益侵害を類型化したもので、それは特定の個人を基準ではなく、一般人を基準にしたものです。従って、その実行行為も一般人を対象にして類型化されていると解されています。詐欺罪の構成要件は、人を欺いて財物を交付させる行為ですが、人を欺く行為というのは、人に虚偽の事実を真実と認識させる行為ですが、それは一般人を基準に判断されます。甲は、保険金をだまし取るために、交通事故が偽装されたものであることを隠して、保険会社のBに保険金を請求しました。Bは錯誤するにはいたっていませんが、一般人を基準に判断すれば、甲の行為は、一般に人を錯誤に陥れる可能性のある行為だったので、詐欺罪の実行に着手したと認定することができます。その結果、保険金をだまし取るに至っていませんが、甲の行為は詐欺未遂罪にあたります。
(2)乙の罪責について
第1は、乙が甲と共謀して故意の事故を過失の事故と偽装しました。そのために甲が行った傷害罪につき乙に共同正犯が成立するかについてです。
共同正犯とは、2人以上の者が共同して犯罪を実行することをいいます。単独で行った場合でも成立する犯罪を2人以上で行った場合に共同正犯が成立します。犯罪の構成要件該当行為を共同実行した事実と共同実行する意思が必要です。
では、乙には傷害罪の構成要件該当行為を甲と共同実行した事実はあるでしょうか。甲が乙に頸部捻挫の怪我を負わせたのは、甲から見れば傷害罪にあたることはすでに説明したとおりです。乙から見ても、それは傷害罪にあたるでしょうか。傷害罪の「人を傷害する」というのは、人を傷害することですが、その人とは他人を意味します。本件の事案では、乙は自分を傷害しただけであり、それは自傷行為です。他人の傷害と自己の傷害は、行為客体が異なります。また、自傷の場合、保護法益は放棄されています。他人の傷害を処罰する傷害罪の規定を、それとは異質な自傷行為に適用して処罰するのは、類推解釈であり、認められません。従って、乙には甲の傷害罪の共同正犯は成立しません。
では、甲が乙に対して行った傷害罪に、乙自身が協力したとして、乙に傷害罪の幇助が成立するでしょうか。甲・乙・丙の3人は保険金をだまし取るために相談しました。この犯罪は甲・乙・丙の3人が金銭を得るために相談しているので、甲のために乙が協力するというものではありません。したがって、乙が甲を幇助したという関係にはありません。かりに乙が甲の傷害罪を幇助したといえるかを問題にしたとしても、共犯が処罰されるのは、共犯が正犯が行った行為を自ら単独で行った場合であるので、甲が行った乙への傷害は、それを乙が行った場合は依然として自傷行為なので、乙には傷害罪の幇助は成立しません。甲の傷害罪は、それに同意した乙の存在なしには行われなかったので、乙は傷害罪の正犯である甲を幇助したと解することもできそうですが、この場合でも甲の傷害罪は乙から見れば同意に基づいて自ら負傷を受けることであり、傷害罪にはあたりません。従って、乙には甲の傷害罪の幇助犯は成立しません。
では、Aにケガを負わせたことについてはどうでしょうか。乙もまた路面が凍結していたのを認識し、甲の追突によって自車が前に押し出され、歩行者に接触してケガを負わせることを予見しえたのではないでしょうか。乙は自傷の認識しかなく、Aを負傷させることを認識していませんでしたが、それを予見することは可能だったと思います。そうすると、乙にはAにケガを負わせたことについて過失があります。自動車の不注意な運転によってAにケガを負わせたので、過失運転致傷罪が成立します。
この乙のAに対する過失運転致傷罪と甲のAに対する傷害罪は、どのような関係にあるのでしょうか。共同正犯でしょうか。共同正犯は、2人以上の者が共同して犯罪を実行することであり、共同するというのは、共同実行の意思、すなわち故意を意味すると解するならば、共同正犯は故意犯の共同正犯であり、傷害罪と過失運転致傷罪の共同正犯のような故意犯と過失犯の共同正犯はありえないことになります(犯罪共同説)。これに対して、共同するというのは、一定の行為を共同するという意味であって、犯罪の故意がない場合であっても、共同して行為を行っているという認識があれば足りると解するならば、過失犯の共同正犯、故意犯と過失犯の共同正犯もありえます(行為共同説)。甲と乙は、乙を被害者とする交通事故を偽装する行為を共同していましたので、甲のAに対する傷害罪と乙のAに対する過失運転致傷罪は共同正犯が成立すると解することもできます。
第2は、甲が行った詐欺未遂罪の共同正犯が乙に成立するかについてです。甲は保険会社のBに対して保険金の請求をし、その際に乙は甲が起こした自動車事故の被害者であることを装っていましたので、乙は甲と共同してBに対して欺く行為を行ったといえます。従って、乙には甲の詐欺未遂罪の共同正犯が成立します。
(3)丙の罪責について
丙は、甲と乙との間で交通事故を偽装し、それに基づいて保険会社に保険金を請求することをを共謀したが、犯行の当日になって「俺は抜ける」との意思を表明しました。甲と乙は、丙が犯行計画に参加することを嫌がって連絡を絶ったと認識したので、甲が丙の代わりにX車を運転し、その他は予定したとおりに計画を実行しました。このような場合、丙には甲が行った傷害罪、そして甲・乙が行った詐欺未遂罪に対して共謀共同正犯が成立するのでしょうか。それとも傷害罪の実行に着手する以前に、共謀関係を解消し、そこから離脱したとして、責任を負わなくてもよいのでしょうか。
共同正犯は、一般に2人以上の者が共同して犯罪を実行する「実行共同正犯」を指します。2人以上の者が犯罪の実行行為を分担し、結果を発生させた場合に、その全員が結果に責任を負わなければなりません。その実行行為を分担しなかった者であっても、犯罪を共謀しただけの者であっても、他の実行者の行為を自分の行為のようにして行わせた以上、結果に対して同じ責任を負わなければなりません。これを共謀共同正犯といいます。刑法60条は実行共同正犯を定めていますが、共同して共謀した者に対しても適用できるというのが判例・通説の立場です。
しかし、犯罪を共謀した者が、他の実行者が当該犯罪の実行に着手する以前に、共犯関係を解消し、またそこから離脱したことが認められる場合には、共謀にのみ関与した者は他の実行者が行った犯罪に責任を負う必要はありません。これを共犯関係の解消または共犯からの離脱といいます。共犯関係の解消を認定する基準は、一般に犯罪の実行の着手の前後に分けられています。実行の着手前の段階では、離脱者が他の関与者に離脱の意思表示をし、その了承を得た場合に離脱が認められます。実行の着手前の段階なので、犯罪の実現のための物理的な作用はまだ生じていません。ただし、犯罪を共謀したので、その心理的な作用は生じています。離脱の意思表示をし、他の関与者がそれを了承することによって、心理的な作用が消滅するので、共犯関係の解消が認められます。これに対して、実行の着手後の段階になると、犯罪の実現のための物理的な作用が生じているので、離脱の意思表示と他の関与者の了承だけでは共犯関係は解消されません。離脱者はその物理的な作用を遮断するなどの措置をとらなければなりません。
本問では、甲が傷害罪の実行に着手する前に丙が「俺は抜ける」と離脱の意思表示をし、甲と乙はそれを認識した上で、計画を変更して、甲が丙の代わりにX車を運転することにしました。これによって、甲と乙は丙の離脱を暗黙に了承し、また丙の犯罪への心理的作用は解消されたものと見なすことができると思います。このように解すことができるならば、丙にはいかなる罪責も生じません。
(4)結論
甲には、1乙に対する傷害罪、2Aに対する傷害罪、3Bに対する詐欺未遂罪が成立する。乙には4Aに対する過失運転致傷罪、3Bに対する詐欺未遂罪が成立する。甲の2Aに対する傷害罪と乙の4Aに対する過失運転致傷罪は共同正犯である。甲と乙の3Bに対する詐欺未遂罪も共同正犯である。甲の1乙に対する傷害罪と3Bに対する詐欺未遂罪は併合罪である。
*なお、甲の1乙に対する傷害罪と3Bに対する詐欺未遂罪の罪数関係については、併合罪と解する立場が多数です。しかし、乙に対する傷害罪は、Bを欺くために行われた行為の一部を構成します。検察官は、甲と乙に詐欺未遂罪が成立すると主張するにあたって、甲と乙が交通事故を偽装し、それによってBを欺こうとしたと主張するでしょう。つまり、甲と乙がBを欺く行為を開始した事実のなかでに、甲と乙の偽装事故(甲の乙に対する生涯罪)が含まれているということです。したがって、この傷害は詐欺の欺く行為の一部を構成しているといえます。詐欺未遂罪が成立する以上、この傷害をそれとは別の犯罪として扱うならば、2つの犯罪は併合罪になってしまいます。そのように扱うならな、1個の傷害を、一方では傷害罪として、他方では詐欺罪の欺く行為として2回処罰されることになります。両罪の関係を併合罪(刑45)とすると、重い方の傷害罪の法定刑の長期を1・5倍し、処断刑を最長で22年6月まで引き上げることができます(刑48)。これは憲法39条の二重処罰の禁止に違反するのではないでしょうか。かりに、詐欺未遂とは別に傷害罪が成立するとしても、傷害罪と詐欺未遂罪は併合罪ではなく、牽連犯(刑50条後段)の関係に立つと解することもできます。そうすると、重い方の傷害罪の法定刑の範囲内で処断することになり、二重処罰の禁止に抵触せずに済みます。
以下の事例に基づき、甲、乙及び丙の罪責について論じなさい(特別法違反の点を除く。)。
1 甲は、中古車販売業を営んでいたが、事業の運転資金にするために借金を重ね、その返済に窮したことから、交通事故を装って自動車保険の保険会社から保険金をだまし取ろうと企てた。甲は、友人の乙及び丙であれば、協力してくれるだろうと思い、2人を甲の事務所に呼び出した。
甲が、乙及び丙に対し、前記企てを打ち明けたところ、2人はこれに参加することを承諾した。3人は、更に詳細について相談し、
(1)甲の所有する普通乗用自動車(以下「X車」という。)と、乙の所有する普通乗用自動車(以下「Y車」という。)を用意した上、乙がY車を運転して信号待ちのために停車中、丙の運転するX車を後方から低速でY車に衝突させること、
(2)その衝突により、乙に軽度の頸部捻挫の怪我を負わせること、
(3)乙は、医師に大げさに自覚症状を訴えて、必要以上に長い期間通院すること、
(4)甲がX車に付している自動車保険に基づき、保険会社に対し、乙に支払う慰謝料のほか、実際には乙が甲の従業員ではないのに従業員であるかのように装い、同事故により甲の従業員として稼働することができなくなったことによる乙の休業損害の支払を請求すること、
(5)支払を受けた保険金は3人の間で配分することを計画し、これを実行すること
を合意した。
2 丙は、前記計画の実行予定日である○月○日になって、これらの犯罪に関与することが怖くなり、集合場所である甲の事務所に行くのをやめた。
甲及び乙は、同日夜、甲の事務所で丙を待っていたが、丙が約束した時刻になっても現れないので、丙の携帯電話に電話したところ、丙は、「俺は抜ける。」とだけ言って電話を切り、その後、甲や乙が電話をかけてもこれに応答しなかった。
甲及び乙は、丙が前記計画に参加することを嫌がって連絡を絶ったものと認識したが、甲が丙の代わりにX車を運転し、その他は予定したとおりに前記計画を実行することにした。
そこで、甲はX車を、乙はY車をそれぞれ運転して、甲の事務所を出発した。
3 甲及び乙は、事故を偽装することにしていた交差点付近にさしかかった。乙は、進路前方の信号機の赤色表示に従い、同交差点の停止線の手前にY車を停止させた。甲は、X車を運転してY車の後方から接近し、減速した上、Y車後部にX車前部を衝突させ、当初の計画どおり、乙に加療約2週間を要する頸部捻挫の怪我を負わせた。
甲及び乙は、乙以外の者に怪我を負わせることを認識していなかったが、当時、路面が凍結していたため、衝突の衝撃により、甲及び乙が予想していたよりも前方にY車が押し出された結果、前記交差点入口に設置された横断歩道上を歩いていたAにY車前部バンパーを衝突させ、Aを転倒させた。Aは、転倒の結果、右手を路面に強打したために、加療約1ヶ月を要する右手首骨折の怪我を負った。
その後、乙は、医師に大げさに自覚症状を訴えて、約2ヶ月間、通院治療を受けた。
4 甲及び乙は、X車に付している自動車保険の保険会社の担当者Bに対し、前記計画どおり、乙に対する慰謝料及び乙の休業損害について保険金の支払を請求した。しかし、同保険会社による調査の結果、事故状況について不審な点が発覚し、保険金は支払われなかった。
練習答案の作成
(1)甲の罪責について。
第1は、甲が乙に頸部捻挫の怪我を負わせた行為についてです。この行為は傷害罪の構成要件に該当しますが、乙がそれに同意していたことから、傷害罪の違法性が阻却されるのかという点が問題になります。
被害者の同意は、構成要件該当性によって推定された違法性を阻却する事由(超法規的違法性阻却事由)と理解されています。ただし、どのような同意であっても、被害者が同意していれば、犯罪の違法性が阻却されるわけではありません。乙の同意が保険金を騙取するという詐欺罪の目的としたものなので、これによって違法性を阻却するのかというのが争点になります。
違法性阻却の一般原理については、現在では社会的相当性説(行為無価値論の立場)が有力です。つまり、被害者が傷害の被害にあることにつき同意があったことだけでなく、同意が得られた目的や動機、傷害を生じさせた方法・手段、身体的部位、傷害の重大性などを総合的に評価して、違法性阻却の可否を判断します。
第2は、甲がAの右手首骨折の怪我を負わせた行為についてです。Aが右手首骨折の怪我を負ったのは、乙が乗車するY車がAに衝突したのが直接の原因ですが、それは甲がY車に自己のX車を衝突させなかったならば起こらなかった結果であるといえます。いわゆる「条件関係公式」を適用して判断すると、甲の行為とAの怪我の間には「条件関係」があります。ただし、条件関係が認められるだけでは、刑法上の因果関係を認めることはできません。この点については、相当因果関係説の折衷説や危険の現実化説などの学説に基づいて判断することになります。
相当因果関係説の折衷説は、行為と結果の間に条件関係があることを前提にして、そのような行為を行った場合、社会生活の経験から見て、そのような結果が生ずることが通常ありうるだろうかと問題にして、「ありうる」と言える場合、因果関係を肯定します。この判断にとって重要なのは、行為から結果に至るまでの間に、第3者の行為、被害者の行為、または行為者自身の第2行為が介在することが予見可能であったか否かです。甲が自動車を乙の自動車に衝突させたときに、乙の自動車がAに衝突してケガを負わせることが予見可能であったかどうか。とくに、路面が凍結していて、Xに自動車が衝突したときに、Yの自動車が押し出されて、横断歩道を歩いているAに接触し転倒させ、ケガを負わせることが予見できたかどうかです。問題文には季節や気温などは書かれていませんが、想像するに、雪や雨の降った後の寒い時期だったようです。路面の凍結は予見可能です。また、場所は交差点なので、横断歩道を歩く歩行者がいることも認識可能です。甲が自動車を乙の自動車に衝突させたときに、乙の自動車が凍結した路面をすべって、押し出され、それが歩行者に接触し、転倒させ、ケガを負わせることも予見可能です。したがって、相当因果関係説の折衷説からは、因果関係を肯定することができます。
では、危険の現実化説からはどうでしょうか。この説は、行為の危険性が結果へと実現したとえるかどうかを問題にします。行為に内在していた危険性が結果において実現したかどうか。これを判断するためには、行為の方法・態様やその場所などの状況をも踏まえる必要があります。甲は路面が凍結した交差点において、乙が乗る自動車の後ろから自車を衝突させました。甲の行為には、どのような危険が内在していたでしょうか。甲の行為は乙にケガを負わせるだけでなく、その自動車を凍結した路面の上を滑らせて、前へと押し出し、交差点を歩いている歩行者に衝突させる危険な行為です。その危険性は、現実化したでしょうか。それは、もう言うまでもないでしょう。したがって、危険の現実化説からも、甲の行為とAのケガの因果関係を認めることができます(Aのケガという結果は、甲の行為に帰属します)。相当因果関係説の折衷説からも、また危険の現実化説からも、甲の行為は乙に対する傷害罪、Aに対する傷害罪の構成要件に該当します。
次に、甲は乙に頸部捻挫の怪我を負わせる認識はあったので、傷害の故意を認めることができます。しかし、Aに対して怪我を負わせる意図はありませんでした。このような場合でもAに対する傷害の故意を認めることができるのかという点が問題になります。これは具体的事実の錯誤における方法の錯誤の問題です。つまり、主観的に実現しようとした構成要件と客観的に実現した構成要件が傷害罪という同一の構成要件でありますが、乙という客体だけでなく、異なるAという客体のところにおいても傷害罪の構成要件を実現した場合の錯誤です。このような錯誤に関しては、法定的符合説の立場から、主観的に実現しようとした犯罪と客観的に実現した犯罪の構成要件が重なり合う限り、客観的に実現した犯罪の故意の成立が認められます。乙に対する傷害罪の故意だけでなく、Aに対する傷害罪の故意も認められるので、乙・Aの両方に対して故意の傷害罪が成立することになります。
しかし、甲は乙にケガをおわせようと1回の意思決定をしただけです。1回の意思決定によって行われるのは、1個の故意の行為だけなのではないでしょうか。1個の故意に基づいて行われるのは、1個の故意の行為だけであると考えるならば、故意が向けられていなかったAに対して故意の傷害罪の成立を認めることはできないようにも思われます。甲には乙に対して「罪を犯す意思」はありましたが、Aに対して「罪を犯す意思」があったとはいえません。故意の内容を具体的な対象と事実に即して評価すると、甲は乙に怪我を負わせようとしていたのであって、Aではありませんでした。生じた傷害という点は同じであっても、その対象が異なる以上、甲に対して「お前はわざとAに怪我を負わせた」と故意の責任非難をすることはできません。このような考えを1故意犯説といいます。これは具体的符合説から導かれます。そうすると、通説・判例の法定的符合説は、この考えに対して説得力のある批判をしなければ、自説の妥当性を主張することはできません。
通説・判例である法的的符合説は、故意の責任非難について異なる説明をします。故意の責任非難とは、行為者が実現しようとした個別行為ごとに、つまり被害を及ぼした個々の具体的な客体ごとに問題になるのではありません。責任非難は、行為者が決定した意思に即して問題になります。「人に怪我を負わすることなかれ」という傷害罪の規範に背いて、人に怪我を負わせたこと、つまり傷害罪の禁止規範に背いて傷害罪の構成要件を実現した行為者の反規範的な意思決定(そのような規範に違反する意思を決定した行為者の人格的態度)に関して、傷害罪の故意の責任非難は成立するのです。その限りでいえば、故意の責任非難は、個別行為や個々の具体的な客体から遊離して、行為者の意思決定を対象にして判断されることになります。刑法教科書では、責任論のところで行為責任や個別行為責任という用語の説明があり、それが責任主義の重要な事実的基礎であるのですが、具体的事実の錯誤における客体の錯誤の問題では、それが緩和されている傾向があるようです。いずれにせよ、傷害罪の禁止規範に背いて、傷害罪の構成要件を実現した以上、それが乙のところで生じたのか、それともAのところで生じたのかは、故意の責任非難をする上であまり問題にはなりません。責任非難は、乙やAといった具体的な対象を基準にして成立するのではなく、あくまで「人」が基準になるからです。その意味でいえば、故意の責任非難の対象は乙やAという具体的な対象から「人」というレベルにまで「抽象化」されます。人に怪我を負わせてはならないとする傷害罪の禁止規範に背いて人に怪我を負わせた以上、その人に傷害罪の故意の責任を負わなければなりません。
第3は、甲が故意による事故を過失による事故と偽って、保険会社の担当者Bに対して保険金の請求を行いましたが、Bがそれを調査して不審な点を発見し、保険金を支払わなかったことについて、詐欺未遂罪が成立するかという問題です。
甲は、保険会社に保険金という財物を交付させるために、故意の傷害罪を過失による交通事故であるとして、保険金の請求を行いました。これは、保険会社のBをして、正当な保険金請求であると誤信させる行為であり、詐欺罪の欺き行為を開始したといえます。ただし、Bは調査の結果、不審な点を発見したため、事故が過失によるものだと錯誤に陥ったわけではありません。このような場合でも、欺く行為が開始されているので、詐欺罪の実行の着手を認め、詐欺未遂罪の成立を肯定することができるのでしょうか。
犯罪の構成要件は法益侵害を類型化したもので、それは特定の個人を基準ではなく、一般人を基準にしたものです。従って、その実行行為も一般人を対象にして類型化されていると解されています。詐欺罪の構成要件は、人を欺いて財物を交付させる行為ですが、人を欺く行為というのは、人に虚偽の事実を真実と認識させる行為ですが、それは一般人を基準に判断されます。甲は、保険金をだまし取るために、交通事故が偽装されたものであることを隠して、保険会社のBに保険金を請求しました。Bは錯誤するにはいたっていませんが、一般人を基準に判断すれば、甲の行為は、一般に人を錯誤に陥れる可能性のある行為だったので、詐欺罪の実行に着手したと認定することができます。その結果、保険金をだまし取るに至っていませんが、甲の行為は詐欺未遂罪にあたります。
(2)乙の罪責について
第1は、乙が甲と共謀して故意の事故を過失の事故と偽装しました。そのために甲が行った傷害罪につき乙に共同正犯が成立するかについてです。
共同正犯とは、2人以上の者が共同して犯罪を実行することをいいます。単独で行った場合でも成立する犯罪を2人以上で行った場合に共同正犯が成立します。犯罪の構成要件該当行為を共同実行した事実と共同実行する意思が必要です。
では、乙には傷害罪の構成要件該当行為を甲と共同実行した事実はあるでしょうか。甲が乙に頸部捻挫の怪我を負わせたのは、甲から見れば傷害罪にあたることはすでに説明したとおりです。乙から見ても、それは傷害罪にあたるでしょうか。傷害罪の「人を傷害する」というのは、人を傷害することですが、その人とは他人を意味します。本件の事案では、乙は自分を傷害しただけであり、それは自傷行為です。他人の傷害と自己の傷害は、行為客体が異なります。また、自傷の場合、保護法益は放棄されています。他人の傷害を処罰する傷害罪の規定を、それとは異質な自傷行為に適用して処罰するのは、類推解釈であり、認められません。従って、乙には甲の傷害罪の共同正犯は成立しません。
では、甲が乙に対して行った傷害罪に、乙自身が協力したとして、乙に傷害罪の幇助が成立するでしょうか。甲・乙・丙の3人は保険金をだまし取るために相談しました。この犯罪は甲・乙・丙の3人が金銭を得るために相談しているので、甲のために乙が協力するというものではありません。したがって、乙が甲を幇助したという関係にはありません。かりに乙が甲の傷害罪を幇助したといえるかを問題にしたとしても、共犯が処罰されるのは、共犯が正犯が行った行為を自ら単独で行った場合であるので、甲が行った乙への傷害は、それを乙が行った場合は依然として自傷行為なので、乙には傷害罪の幇助は成立しません。甲の傷害罪は、それに同意した乙の存在なしには行われなかったので、乙は傷害罪の正犯である甲を幇助したと解することもできそうですが、この場合でも甲の傷害罪は乙から見れば同意に基づいて自ら負傷を受けることであり、傷害罪にはあたりません。従って、乙には甲の傷害罪の幇助犯は成立しません。
では、Aにケガを負わせたことについてはどうでしょうか。乙もまた路面が凍結していたのを認識し、甲の追突によって自車が前に押し出され、歩行者に接触してケガを負わせることを予見しえたのではないでしょうか。乙は自傷の認識しかなく、Aを負傷させることを認識していませんでしたが、それを予見することは可能だったと思います。そうすると、乙にはAにケガを負わせたことについて過失があります。自動車の不注意な運転によってAにケガを負わせたので、過失運転致傷罪が成立します。
この乙のAに対する過失運転致傷罪と甲のAに対する傷害罪は、どのような関係にあるのでしょうか。共同正犯でしょうか。共同正犯は、2人以上の者が共同して犯罪を実行することであり、共同するというのは、共同実行の意思、すなわち故意を意味すると解するならば、共同正犯は故意犯の共同正犯であり、傷害罪と過失運転致傷罪の共同正犯のような故意犯と過失犯の共同正犯はありえないことになります(犯罪共同説)。これに対して、共同するというのは、一定の行為を共同するという意味であって、犯罪の故意がない場合であっても、共同して行為を行っているという認識があれば足りると解するならば、過失犯の共同正犯、故意犯と過失犯の共同正犯もありえます(行為共同説)。甲と乙は、乙を被害者とする交通事故を偽装する行為を共同していましたので、甲のAに対する傷害罪と乙のAに対する過失運転致傷罪は共同正犯が成立すると解することもできます。
第2は、甲が行った詐欺未遂罪の共同正犯が乙に成立するかについてです。甲は保険会社のBに対して保険金の請求をし、その際に乙は甲が起こした自動車事故の被害者であることを装っていましたので、乙は甲と共同してBに対して欺く行為を行ったといえます。従って、乙には甲の詐欺未遂罪の共同正犯が成立します。
(3)丙の罪責について
丙は、甲と乙との間で交通事故を偽装し、それに基づいて保険会社に保険金を請求することをを共謀したが、犯行の当日になって「俺は抜ける」との意思を表明しました。甲と乙は、丙が犯行計画に参加することを嫌がって連絡を絶ったと認識したので、甲が丙の代わりにX車を運転し、その他は予定したとおりに計画を実行しました。このような場合、丙には甲が行った傷害罪、そして甲・乙が行った詐欺未遂罪に対して共謀共同正犯が成立するのでしょうか。それとも傷害罪の実行に着手する以前に、共謀関係を解消し、そこから離脱したとして、責任を負わなくてもよいのでしょうか。
共同正犯は、一般に2人以上の者が共同して犯罪を実行する「実行共同正犯」を指します。2人以上の者が犯罪の実行行為を分担し、結果を発生させた場合に、その全員が結果に責任を負わなければなりません。その実行行為を分担しなかった者であっても、犯罪を共謀しただけの者であっても、他の実行者の行為を自分の行為のようにして行わせた以上、結果に対して同じ責任を負わなければなりません。これを共謀共同正犯といいます。刑法60条は実行共同正犯を定めていますが、共同して共謀した者に対しても適用できるというのが判例・通説の立場です。
しかし、犯罪を共謀した者が、他の実行者が当該犯罪の実行に着手する以前に、共犯関係を解消し、またそこから離脱したことが認められる場合には、共謀にのみ関与した者は他の実行者が行った犯罪に責任を負う必要はありません。これを共犯関係の解消または共犯からの離脱といいます。共犯関係の解消を認定する基準は、一般に犯罪の実行の着手の前後に分けられています。実行の着手前の段階では、離脱者が他の関与者に離脱の意思表示をし、その了承を得た場合に離脱が認められます。実行の着手前の段階なので、犯罪の実現のための物理的な作用はまだ生じていません。ただし、犯罪を共謀したので、その心理的な作用は生じています。離脱の意思表示をし、他の関与者がそれを了承することによって、心理的な作用が消滅するので、共犯関係の解消が認められます。これに対して、実行の着手後の段階になると、犯罪の実現のための物理的な作用が生じているので、離脱の意思表示と他の関与者の了承だけでは共犯関係は解消されません。離脱者はその物理的な作用を遮断するなどの措置をとらなければなりません。
本問では、甲が傷害罪の実行に着手する前に丙が「俺は抜ける」と離脱の意思表示をし、甲と乙はそれを認識した上で、計画を変更して、甲が丙の代わりにX車を運転することにしました。これによって、甲と乙は丙の離脱を暗黙に了承し、また丙の犯罪への心理的作用は解消されたものと見なすことができると思います。このように解すことができるならば、丙にはいかなる罪責も生じません。
(4)結論
甲には、1乙に対する傷害罪、2Aに対する傷害罪、3Bに対する詐欺未遂罪が成立する。乙には4Aに対する過失運転致傷罪、3Bに対する詐欺未遂罪が成立する。甲の2Aに対する傷害罪と乙の4Aに対する過失運転致傷罪は共同正犯である。甲と乙の3Bに対する詐欺未遂罪も共同正犯である。甲の1乙に対する傷害罪と3Bに対する詐欺未遂罪は併合罪である。
*なお、甲の1乙に対する傷害罪と3Bに対する詐欺未遂罪の罪数関係については、併合罪と解する立場が多数です。しかし、乙に対する傷害罪は、Bを欺くために行われた行為の一部を構成します。検察官は、甲と乙に詐欺未遂罪が成立すると主張するにあたって、甲と乙が交通事故を偽装し、それによってBを欺こうとしたと主張するでしょう。つまり、甲と乙がBを欺く行為を開始した事実のなかでに、甲と乙の偽装事故(甲の乙に対する生涯罪)が含まれているということです。したがって、この傷害は詐欺の欺く行為の一部を構成しているといえます。詐欺未遂罪が成立する以上、この傷害をそれとは別の犯罪として扱うならば、2つの犯罪は併合罪になってしまいます。そのように扱うならな、1個の傷害を、一方では傷害罪として、他方では詐欺罪の欺く行為として2回処罰されることになります。両罪の関係を併合罪(刑45)とすると、重い方の傷害罪の法定刑の長期を1・5倍し、処断刑を最長で22年6月まで引き上げることができます(刑48)。これは憲法39条の二重処罰の禁止に違反するのではないでしょうか。かりに、詐欺未遂とは別に傷害罪が成立するとしても、傷害罪と詐欺未遂罪は併合罪ではなく、牽連犯(刑50条後段)の関係に立つと解することもできます。そうすると、重い方の傷害罪の法定刑の範囲内で処断することになり、二重処罰の禁止に抵触せずに済みます。