Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

2017年度刑法Ⅰ(第04回)刑事判例資料

2017-04-23 | 日記
 刑法判例百選Ⅰ・刑法総論参考資料 緊急避難
【30】現在の危難(最一判昭和53・2・4刑集14巻1号61頁)
【事案の概要】
 ある村の川にかかっていたつり橋は、築15年を経て腐朽しており、近辺の人々は村に対して、かけ替えるよう要請し、また応急的な対応として補強工事を行なってきた。しかし、かけ替えは一向に実現しなかった。そこで、被告人X・Yは、この橋が雪害によって落橋したかのように装えば、災害補償金の交付が受けられ、それによって橋の架け替えが容易になると考え、橋を爆破して落下させることを計画した。そして仲間とともに、橋脚にダイナマイトを仕掛け、これを爆破して損壊した。それによって、通行の往来を妨害するにいたった。被告人らは、爆発物取締罰則1条の爆発物使用罪を手段として行い、その結果として刑法124条の往来危険罪を行ったとして起訴された(なお、両罪は刑法54条の牽連犯〔けんれんぱん〕の関係に立つ)。
 弁護人は、被告人らが橋を爆破して落下させたのは、起こるであろう事故を防ぐためであった。それは、刑法37条の緊急避難にあたり、爆発物使用罪と往来妨害罪の違法性が阻却されると主張した。山形地裁は、この橋を通行するにあたっては、すでに積載重量を減らす方法がとられていたこと、通行にあたっては補強工事が行われていたこと、村役場の名で「車馬通行禁止」の立て札が立てられていたこと(その意味において、橋の落下に伴う人や動物の生命に対する「現在の危難」はなかった。かりに「現在の危難」があったとしても)、ダイナマイトによる橋の爆破は、それを避けるためにやむを得ない行為であったとはいえないとして、緊急避難を否定した(懲役3年6月の実刑)。
 これに弁護人が控訴した(被告人の行為は緊急避難に該当する。かりに該当しないとしても、被告人は現在の危難を誤想して行為を行ったので、違法性の意識がなく、犯罪の故意が阻却される)。仙台高裁秋田支部は、緊急避難の成立を否定した原判断を維持したうえで、被告人に「違法性の意識」があったとして、故意の阻却を否定しながらも、刑法38条3項但書を適用して、情状により刑を減軽することができるとして、原判決を破棄・自判し、「懲役2年執行猶予3年」に処した。
 今度は、これに対して検察官が上告し、最高裁は刑法38条3項による刑の減軽を違法として、原判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した。差戻審である仙台高裁秋田支部は、橋の落下による人の生命などに対する現在の危難の存在を肯定したが、ダイナマイトの使用による橋の破壊という方法は「やむを得ない行為」であったが(避難行為の必要性と補充性の要件を満たしている)、それによって避けられた害よりも、生じた害の方が大きかったとして(害の均衡の要件を満たしていない)、過剰避難の成立を認め、懲役2年執行猶予3年を言い渡した。これに対して検察官が上告した。

【争点】 はたして、人の生命などに対して現在の危難があったと判断できるのか。

【裁判所の判断】
 記録によれば、右つり橋は200貫ないし300巻の荷馬車が通る場合には極めて危険であったが、人の通行には差し支えなく……、しかも右の荷馬車も、村当局の重量制限を犯して時に通行する者があったが程度であったことが窺える……のであって、果たしてしからば、本件つり橋による危険は、少なくとも本件犯行当時たる昭和28年2月21日頃の冬期においては原審の認定するほどに切迫したものではなかったのではないかと考えられる。さらに、また原審は、被告人等の本件所為は、右危険を防止するためにやむを得ずに出た行為であって、ただその程度を超えたものであると判断するのであるが、かりに本件つり橋が原審認定のように切迫した危険な状態にあたっとしても、その危険を防止するためには、通行制限の強化のほか、適当な手段・方法を講ずる余地がなかったというようなことはなく、本件におけるようにダイナマイトを使用して、これを爆破しなければ右危険を防止しえないものであったととは到底認められない。しからば、被告人らの本件所為については、緊急避難を認める余地はなく、したがって過剰避難も成立しないといわなければならない。

【解説】
 犯罪の構成要件に該当する行為を行っても、自己または他人の生命、身体、自由または財産に対する「現在の危難」を避けるため、「やむを得ずにした行為」(避難行為の必要性と補充性)であり、その行為によって生じた害が、避けようとした害の程度を超えていなかった場合には(害の均衡)、緊急避難として違法性が阻却される。
 本件のつり橋は、腐朽していた。そこを通行する人や動物にとって危険であった。しかし、補強工事を施し、積載重量を制限するなどの措置をとっていたので、危険が切迫していたとはいえなかった。そうすると、緊急避難の前提条件である「現在の危難」が欠けているので、緊急避難は問題にはならない。従って、過剰避難にもあたらない。
 もしも、つり橋が崩壊しそうであり、人々が怖くて渡れない状況にあったならば、「現在の危難」の存在を認めることもできよう。ただし、その危難を避けるための方法・手段としては、様々に考えられ、ダイナマイトを使用した爆破が、唯一残された最後の手段であったと言えるかどうかは検討を要する。危難を回避するためには、まずは通行制限を強化したり、さらには通行を禁止するなどの措置を執とれば足りたといえるなら、ダイナマイトによる爆破は残された唯一の手段であったとはいえない。そしたがって、爆破行為を選択した場合には、避難行為の補充性(他に取るべき方法がさく、それが残された最後の方法であったという意味)の要件を満たしはいない。「現在の危難」の存在を認めることができたとしても、「避難行為の補充性」の要件を欠いているので、緊急避難を認めることも、また過剰避難を認めることもできない。
 刑法37条1項但書の「過剰避難」は、現在の危難や避難行為の補充性の要件を満たしている行為について、「害の均衡」の要件が満たされていない場合に認められる。「現在の危難」が認められなければ、緊急避難も過剰避難も問題にはならない。かりに「現在の危難」が認められても、「補充性の要件」を満たしていなければ、緊急避難も過剰避難は問題にはならない(ただし、この解釈には異論あり。「補充性の要件」からの逸脱・過剰として、過剰避難の成立を認める見解もある)。

【31】避難行為の相当性(東京高判昭57・11・29刑月14巻11=12号804頁、判時1071号149頁)
【事案の概要】
  酩酊状態にあった被告人Xは、襲いかかってくる弟A(もまた酩酊状態にあった)から逃れるために、自動車の車内に逃げ込んで、潜んでいた。しかし、Aに気づかれたために、自動車に乗って逃げるしかないと思い、自動車を発進させた。その後、市街地に入り、XはN警察署に行き、保護を求めた(道交法は禁止する酒気帯び運転の罪の構成要件に該当する行為を行った)。原審は、XがAに襲われていたので、生命、身体に対する危険が切迫していたという事実を認定し、生命に対する「現在の危難」があったと判断しながらも、本件の酒気帯び運転が、その危難を避けるためにやむを得なかった唯一の手段・方法であったとは言い難いとして、緊急避難の要件である「避難行為の補充性」の要件を満たしてないと判断し、過剰避難(刑37条但書)の成立を否定した。

【争点】
 過剰防衛には、量的過剰と質的過剰の2つの形態があったが、それは過剰避難にもあてはまる。過剰防衛における量的過剰は、急迫不正の侵害に対して防衛行為を行い(第1行為)、その限りで違法性が阻却されるにもかかわらず、急迫不正の侵害が終了した後でも、なおも防衛行為を継続した場合(第2行為)に問題になる。第1行為と第2行為が客観的に見て時間的・場所的に近接した関係において行われ、第2行為が主観的にも防衛の意思に基づいて行われていたときには、第1行為と第2行為を一連の防衛行為として一体的に認定して、過剰防衛として扱われる。ただし、時間的・場所的な近接関係が否定されたり、また第2行為が防衛の意思に基づいていなかった場合には、第1行為と第2行為は一連的・一体的なものとはいえないので、第1行為は正当防衛として正当化されても、第2行為は純然たる犯罪として処罰される。
 緊急避難においても、これと同様に量的過剰が問題になるが、本件の被告人の行為につき、過剰避難における量的過剰を認めることができるか。

【裁判所の判断】
 被告人Xが、N警察署に到着するまでの間、被告人の生命、身体に対する危険に現に切迫した客観的状況が継続していたと認められ、Xが自らその危難を招いたということもできず、右危難を避けるためには身を隠していた自動車を運転して見げ出すほかに途はなく、Xが自宅の前から酒気帯び運転の行為に出たことも、まことにやむを得ない方法であって、かかる行為に出たことは条理上肯定しうることろ、その行為から生じた害(酒気帯び運転による道路交通の妨害、交通関与者の生命・身体への危険)は、避けようとした害(X自身の生命・身体の危険)の程度を超えない程度のものであったと認められる。しかしながら、T橋を渡って市街地に入った後は、A車の追跡の有無を確かめることは困難であるが、不可能ではなく、適当な場所で運転をやめ、電話連絡等の方法で警察の助けを求めることは不可能ではなかったと考えられる。この点で、被告人の一連の避難行為(市街地に入る前の酒気帯び運転と市街地に入った後の酒気帯び運転)が、一部過剰なものを含むことは否定できないところであるが(市街地における酒気帯び運転)、前記一連の行為状況に鑑みれば、本件行為をかく然たる一線をもって前後に分断し、各行為の刑責の有無を決するのは相当とは考えられないのであって、全体としての刑責の有無を決すべきものである。このような見地から被告人の行為を全体として見ると、自己の生命、身体に対する現在の危難を避けるためにやむを得ずに行ったものであるが、その程度を超えたものと見るのが相当である(過剰避難のうちでも量的過剰の事例)。

【解説】
 本件のXの行為は、酒気を帯びた状態で自動車を走行したというものであり、それは道交法の酒気帯び運転罪の構成要件に該当する。しかし、それはAによる侵害から逃れるために行った行為であった。この行為に緊急避難の規定を適用して、違法性を阻却できるか否かを判断するためには、①Xの生命、身体などに対する現在の危難、②避難の意思、③やむを得ずにした行為、④害の均衡の要件を満たしていなければならない。④の要件を満たさず、生じた害の方が避けようとした害よりも大きい場合には、過剰避難になる。
 原審は、XがAによる危難から逃れるために、酒気帯び運転をするのは「避難行為の補充性」の要件を欠いていると判断し、そもそも緊急避難の問題を論ずる余地はなく、したがって過剰避難にも当たらないと判断した。警察に通報するなどの方法によって危難を回避すべきであったという。
 これに対して、東京高裁は、XがAから逃れるためには、酒気帯び運転もやむを得なかったとして、補充性の要件を認めた。しかし、市街地に入った時点において、いったん停車し、Aが追跡してるかどうかを確かめることは可能であった。従って、Aによる危難が存在していた時点では、酒気帯び運転には避難行為の補充性を認めることができても、それが存在しなくなった以上、酒気帯び運転は緊急避難の問題を論ずる余地はない。
 しかし、ここで重要なことは、控訴審が、現在の危難が終了する前後で、Xの酒気帯び運転を以上のように2個の部分に分けて論じた上で、それを一連の避難行為として扱っていることである。このように扱うことによって、その全体について過剰避難の成立が認められるという。確かに、前半を緊急避難(不可罰)、後半を酒気帯び運転(可罰)として分離認定することも可能なのかもしれないが、Xが市街地に入って継続して行った酒気帯び運転は、客観的に見て、市街地に入る前からの酒気帯び運転と時間的に連続し、場所的には移動を伴いながら継続された行為である。また主観的にも、Aからの危難を逃れる意思で行われた行為であり、避難意思という1個の意思に基づいて行われたものである。このような客観面と主観面の特徴に鑑みるならば、Xの行為を全体として1個の行為として扱い、過剰避難にあたると認定するのが妥当である。判決も、そのような理解に基づいている。




【32】自招危難(大審院一判大正13・12・12刑集3巻867頁)
【事案の概要】
 被告人Xは、自動車を南の方角に向かって運転していた。すると、前方同一の方向に向かって3人の人が歩いていた。Xがクラクションを鳴らしても、3人は道を空けなかった。また、3人の向こうから荷物を積載して北の方向に走行する荷車があった。Xは、走ってきた道をそれまでと同じようには走れないと思い、荷車の西側(Xから見て右側)を通行しようとして、漫然と時速31・2キロメートルの速度ですれ違おうとした。すると、荷車の背後からA(16才)が現れ、西(Xから見て右側)へ横断しようとしたため、これを避けようと、ハンドルをさらに西にきった。すると、北に向かって歩いていたAの祖母B(62才)と衝突し、負傷を負わせ、死亡させた。
 Xは、夜間であったため、荷車の後方から、いつ人や他のものが飛び出してくるか予想できない状況にあったため、荷車とすれ違うときは、いったん急停車し、障害なく通過できるかどうかを確かめ、急停車できない場合には徐行するなどの危害防止のための措置をとるべきであった。それにもかかわらず、Xは注意を怠って、荷車の背後に十分な注意をすることなく、上記の速度で自動車を走行させた過失があった。

【争点】
 Xの行為は、過失運転により歩行者Bと衝突し、負傷させ、それにより死亡させた。この行為は、過失運転致死罪に該当する(当時の罪名は業務上過失致死罪)。
 しかし、Xの行為は、Aに衝突することを回避するするために行ったものであり、緊急避難の成立を問題にすることができそうである。かりにそうであるとしても、Aの生命に対する「現在の危難」は、Xの自動車運転上の過失(業務上過失)によって惹き起こされたものであり、その意味で、Xが自ら招いた現在の危難(自招危難)である。このような場合において、Xの行為(過失運転致死罪)について緊急避難を議論することができるか。

【裁判所の判断】
 刑法37条において、緊急避難として刑罰の責任(刑事責任)を課すことができない行為が規定されているのは、公平・正義の観念から考えて、他人の正当な利益を侵害しても、なおも自分の利益を保つことができるからである(違法性が阻却されるからである)。そうすると、Xの自動車と衝突することによってAの利益が危難にさらされているが、その危難は、Xその責任において行った行為によって招かれているものであり、社会通念に照らして、それを避けるための行為がやむを得ないものとして是認することができるといえない場合には、刑法37条を適用することはできないと解すべきである。そのように判断した原判決は正当である。

【解説】
 自己(X)または他人(A)の生命などの権利に対する現在の危難を、自らの故意または過失の行為によって招いた場合、その危難を第三者(B)に転化して、避けることが許されるか。本件は、いわゆる自招危難の問題である。

 本件の判断は、大正時代の大審院によるものである。その判断が、現在においてもそのまま妥当するかどうかはともかくとして、このような自招危難の問題について一定の指針を示したものとして重要な意味がある。この判断では、緊急避難にあたる行為には、「刑罰の責任」を課すことができないと述べて、「責任」について言及しているので、緊急避難を違法性阻却事由(違法性阻却一元説)ではなく、責任阻却事由として捉えているのかもしれない。ただ、Aの生命に対する現在の危難を避けるために、その危難をBの生命に転化した二つの同じ価値の法益に関する緊急避難の場合、責任が阻却されると論ずる説もある(違法性阻却・責任阻却の二元説)。

 以上のことはさておき、裁判所の判断について検討する。裁判所は、結論的には、自らがAに対する危難を招いた場合、その危難を第三者に転化した行為が緊急避難にあたるかどうかは、社会通念に照らして判断するとしている。Aの生命に対する現在の危難は、Xの過失によって生じたものであり、Xが行なった避難行為がやむを得ないものとして是認できるかどうかは、社会通念に照らして判断される。従って、どのような場合にやむを得ないものとして是認できるのか、またどのような場合には是認できないのかを判断する基準が問題になる。

 本件では、荷車の背後から人や物がいつ飛び出してくるかが予想できない状態にあったので、荷車とすれ違うときは、いったん停車するなり、徐行するなりして、万が一飛び出してくる人や物への危害を防止するための措置を講するべきであった。そうすれば、事故を回避することができた。従って、Aの生命に対する現在の危難はXが過失によって招いたものであり、回避可能なものであったので、Xがその危難をBに転化した行為を緊急避難によって正当化することはできない。

 ただし、Aの生命に対する現在の危難がXの過失によって作り出されたものであっても、Aに重大な違反行為があったような場合は、社会通念による判断も変わり得る可能性がある。自動車やバイクの運転者は、老人や子ども(少年)など交通ルールを十分に守らない人々が道路交通に関与することを想定して運転すべき注意が課せられている。そのような人々が違反行為をしたからといって、生じた結果について、その人々の自己責任として扱うことはできない。ただし、一般にルールを順守できる状況にある人が違反行為をし、結果が発生した場合は、信頼の原則に基づいて、その結果は運転者の過失により引き起こされたものではないと判断される(過失行為なし。したがって、その結果はその行為によって生じたものではないので、因果関係なし)。


【33】誤想過剰避難(大阪簡裁昭和60・12・11判時1204号161頁)
【事案の概要】
 被告人Xは、A・Bから逃れるために、駅構内のコンコースから離れ、地下階段から地下一階に下りた。そこからC理容店の前を通ってさらに進み、ビール瓶など護身用の道具になるものを探したが、なかった。そのため、引き返し、C理容店の散髪バサミを護身用に使うため持ち出した。

【争点】
 本件は、誤想避難と過剰避難が結合した事案である。
 Xは散髪用ハサミを盗む行為であり、それは窃盗罪の構成要件に該当する。Xは、それをA・Bから逃れるために行った。しかし、A・BはもはたXを追跡しておらず、Xに対する現在の危難は存在していなかった。しかし、Xはその存在を誤想していた。
 かりに、A・BがXを追跡し、Xに対する現在の危難が存在したとしても、他人の財物を窃取することは危難を避けるために唯一残された最後の行為であるといえるのか。そして、Cにおいて生じた害が、Xにおいて避けようとした害の程度を超えていなかったといえるのか。
 刑法37条但書の過剰避難の規定、現在の危難が存在することを前提として、害の均衡の要件を満たさない場合に適用され、その刑が任意的に減軽または免除される。行為者の行為は避難の程度を超えているが、現在の危難に対応する行為の違法性が減少し、かつ避難の意思に基づいていたので、その故意の責任非難が減少するからである(違法減少・責任減少)。
 誤想過剰避の場合、現在の危難が存在しなかったので、違法性が減少しないので、37条但書を「適用」することはできない。しかし、、非難の意思に基づいて行為を行った点については、緊急避難との類似性を認めることができるので、37条但書を「準用」することができる。

【裁判所の判断】
 被告人Xが本件の所為をなした時点において、いまだXの身体に対する切迫した危難があったということはできない。しかし、Xは今にも2人のやくざ風の男から身体に危害を加えられるのではと思いこみ、この危難を避けるため、護身用具が必要と考えて、本件の散髪バサミを持ち出した。このように本件の事案は、被告人が現在の危難を誤想して、これを避けるためにハサミを取った誤想避難である。しかし、被告人は、その場所から逃げることができたのであり、またそこから逃げれなくても、電話などを使って警察に助けを求めることもできたのである。ただし、Xの当時の心理状態を考慮すると、Xにそのような行為を期待することは困難な面もあった。従って、このような事情を踏まえると、護身用にハサミを盗む行為は「やむを得ずにした行為」にあたるが、過剰であったし、Xにもその認識はあった。それゆえ、被告人の行為は、現在の危難の誤想にもとづく避難行為であり(誤想避難)、かりに現在の危難が存在していたとしても、やむを得ない行為であり、その程度を超えた行為であった(過剰避難)。
 被告人は、他に方法がないと思って本件所為に出たものではないと認められる(補充性からの逸脱という意味で過剰性の認識あり)。

【解説】
 本件のXの行為は、理容店のハサミを持ち出したもので、それが窃盗罪の構成要件に該当することは明らかである。また、Xの身体はA・Bによって攻撃にさらされていないので、現在の危難にあたる事実は存在せず、窃盗の違法性を阻却する事情は存在しない。しかし、Xは、生命などに対する現在の危難の存在を誤想していた。
 このように現在の危難が存在しないにもかかわらず、それが存在すると誤想することを「誤想避難」という。さらに、避難の方法が、現在の危難が存在するとしても、過剰であった場合を「誤想過剰避難」という。誤想過剰避難には2種類あって、一つは避難行為の補充性の要件を満たしているが、害の均衡から逸脱している場合、さらに避難行為の補充性の要件から逸脱している場合である。本件では、誤想した危難を逃れるためは、逃げるなり、電話するなりできたのであるから、ハサミを取った行為は唯一残された最後の行為とはいえないが、その心理状態を踏まえるならば、電話するなどの行為を期待することは困難であって、そのためハサミを取る行為はやむを得ない行為であったと判断したうえで、その程度を超えたとして、誤想過剰防衛としている。
 このような誤想過剰防衛の場合、過剰性について認識がなかった場合には、行為者には緊急避難の認識しかなく、故意は阻却される(ただし、過失が認められる余地は残る。窃盗罪の場合、故意は阻却され、過失が認められても、過失の窃盗は不可罰なので、処罰されることはない)。これに対して、過剰性の認識があれば、故意は阻却されない。ただし、過剰な避難行為を故意に行ったとはいっても、緊急状況下であったので、その非難可能性は減少する。そうすると、刑法37条但書を「準用」して、情状によりその刑が減軽または免除することができる。

 誤想防衛・誤想過剰暴利と誤想避難・誤想過剰避難についてまとめる。
 誤想防衛・誤想避難の場合、行為者は一定の犯罪構成要件に該当する認識があるので、犯罪の故意があると「推定」されるが、同時に防衛の意思・避難の意思があるので、故意が阻却される。
 防衛の意思・避難の意思があっても、自分の行為が防衛行為・非難行為の程度を超えていることを認識している場合もある。このような過剰な行為を認識していれば、故意は阻却されない。ただし、過剰性の認識があっても、防衛の意思・避難の意思があるので、その分だけ非難可能性が減少する。

 過剰防衛(刑36②)と過剰避難(刑37但書)の刑の任的減免の理由は、違法性減少と非難可能性(責任)減少に求められる。誤想過剰防衛・誤想過剰避難には、違法性の減少は認められないので、刑法36条②と37条但書を「適用」することはできないが、非難可能性(責任)が減少するので、それを「準用」することは許される。