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Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

ひかりごけ事件に関するインタビューに答える

2020-07-21 | 旅行
 ひかりごけ事件に関するインタビューに答える

▼ご専門は何でしょうか?
 刑法の学説と判例を分析するのが私の研究課題です。そのために、外国国の刑事立法や学説・判例を研究をしています。

▼法的な立場から見て、なぜ人が人を食べてはいけないのでしょうか?
 死んだ人の肉を切り取って食べた場合に成立するのは、死体損壊罪です。日本の社会には、死んだ人々を一定の儀式にのっとってあの世へ送り出す慣習があります。感謝と哀悼の気持ちを込めて送り出すことによって、生きている私たちの怒りや悲しみも鎮めることができます。死んだ人の肉を切り取るというのは、そのような社会的な慣習や残された人々の感情に反する行為であり、許されるものではありません。

▼なぜ、食人そのものを罰する法律がないのでしょうか?食人は法律上、罪ではないということですか?
 死体の肉を切り取る行為と、それを食べる行為は、文化的な意味あいが異なりますし、私たちの感情面でも受け止めとしては、食人の方が甚だしい行為であることは明らかです。ただし、現在の刑法では、死体の肉を食べる行為は死体損壊罪に含めて扱われます。刑法を制定した明治40年、1907年の時点で、食人は死体損壊に含めて扱うべしと判断したかどうかは分かりませんが、論理的にはそのようになります。もちろん、食人行為を死体損壊を区別し、別々に処罰する条文を刑法に取り入れることもできたと思います。しかし、そのような条文を設けると、当時の欧米諸国から、日本ではいまだに食人行為が行われているのかと誤解を招きかねません。それを危惧したのではないかと考えられます。

▼昭和18年に発生した知床の難破船長食人事件(いわゆる「ひかりごけ事件」)について、もし今現在、裁判が行われたとしたら、どのような判決になると思われますか?
 現在の刑事裁判の判例や刑法学説に照らすと、船長の行った行為は死体損壊罪の構成要件に該当しますが、刑法37条の緊急避難の要件を満たしているので、その違法性が阻却され、無罪になると思われます。かりに、緊急避難にあたらなくても(過剰避難であっても)、行為当時、船長は是非善悪の区別ができない精神状態にあったとして、心神喪失ゆえに責任を問うことはできず、無罪になると思われます。たとえ責任能力があったとしても、食人以外の行為を行うよう期待をかけることは不可能だったでしょうから、適法行為の期待可能性がなかったことを理由に責任を問うことはできないでしょう。

▼実際の裁判が行われた昭和19年当時は、なぜ船長に1年の実刑判決が下されたのでしょうか?
 判決を読みますと、裁判官は、船長が、寒さと飢えの極限状態のなかで、なんとか餓死を免れようとして行ったことは認めました。しかし、飢餓に苦しめられていたとはいえ、人の肉を食べて、餓死の危機を逃れたのは、「社会生活上の文化的秩序維持の精神にもとること甚だしい」と認定し、「やむを得ずにした行為」とは言えないと判断して、緊急避難の成立を斥けました。ただし、行為当時、船長は是非善悪を区別する能力が著しく減退していた認定し、心神耗弱に当たると判断しました。これを理由に、検察官の懲役2年の求刑に対して、懲役1年を言い渡したようです。

▼個人の生存欲求や権利よりも、社会的秩序の方が優先されたのでしょうか?それはどうしてでしょうか?
 生きるか死ぬかの極限状況では、死んだ乗組員の死体と船長の生命のうち、どちらの重要性が高いかとたずねると、当時の社会においても、船長の生命が重要であると答えたのではないかと思います。しかし、この裁判は、陸軍によって徴用された船長が裁きを受ける裁判であって、軍法会議ではありませんが、軍の影響の下に行われたようです。裁判官が緊急避難の成立を否定するために用いた「文化的秩序維持の精神」という言葉には、戦争に勝利するために天皇と国民が一体となって戦う精神が暗示されているように読めます。陸軍の徴用令を受けたということは、天皇の命令を受けたということです。船長も乗組員も命がけでその命令を遂行することが求められました。死んだ乗組員の肉を食べるというのは、天皇の命令に背く行為に他ならないという考えが、裁判官にあったのではないでしょうか。
▼戦時中と現在とでは、法律は違っていたのでしょうか?
 現在の刑法は、明治40年、1907年に制定されたもので、一部改正を経て今日に至っていますが、刑法の基本構造は当時のままです。それに込められる文化的観念や価値観の違いによって、正当防衛や緊急避難の解釈や適用は変化することは十分ありえます。

▼時代によって社会的モラルは異なってしまうものなのでしょうか?
 経済的に安定した平和な時代であれば、人々は寛容な気持ちから、厳罰化を求めることはしません。反対に経済的な貧困が深刻化し、安全面で不安定な時代であれば、ちょっとした違反行為であっても、厳しく取り締まる風潮が強まってきます。今の世の中にも、似たような現象が起こっていると思います。

▼昭和19年当時の社会的モラルとは、どのようなものだったのでしょうか?
 国策として戦争を始めた時代の社会的モラルです。戦争が正しことなのかどうか、自問自答することさえ封ずるモラルです。始めた戦争の正しさは、それに勝つことによって証明される。その限りで言えば、普遍的でないモラル、非常に特殊な時代のモラルだと思います。

▼その普遍的ではない社会的モラルが法にまで影響してしまうのでしょうか?
 1940年代の前半に、天皇を頂点に据えた法律学を研究する学術運動がありました。日本法理運動といいます。多くの裁判官、検察官、大学教授が、この運動に参加し、大日本帝国の法律学に与えられた世界史的任務を明らかにし、その実現のために協力しました。欧米の近代的で普遍的な物質文明とその下に成立した合理主義的な法律学を乗り越えて、日本固有の精神文化とその下に成立する法律学を追求したのが日本法理運動です。この事件の裁判官も、それを意識していたと思います。

▼当時の社会も、船長が罰せられることを望んだということでしょうか?
 それは分かりません。当時の社会では、建前では処罰を求めたと思いますが、本音のところでは、同じ状況に置かれたなら、自分も似たようなことをしただろうと、多くの人々は船長を責めることを躊躇したはずです。ただし、この裁判は、陸軍の影響もあって、非公開で行われ、新聞も一切報道できなかったようです。当時の社会は、一部の地域を除いて、事件の存在自体が知らされていなかったのではないかと思います。

▼現在であれば船長に同情の声が寄せられるはずだと思います。その違いは何なのでしょうか?
 社会が情報を正確に共有しているかどうかだと思います。そうすれば同情の声は必ず寄せられ得るでしょう。それと同時に、憶測や想像も不可避的に出てくる可能性があります。「殺して、食べた」というのがその典型です。現在の社会には、当時の社会にはなかった表現の自由があるので、センセーショナルな事件が起こったときに、どのような形で表現されるのかは、様々ありうると思います。

▼なぜ、船長は1年の実刑を、こんなに軽くていいはずがないと感じたのだと思われますか?
 裁判では、検察官も裁判官も「死体損壊」について論じ合っていました。しかし、船長は自分が行ったのは、死体を損壊するといった表面的な行為ではなく、その肉を食べた、もっと罪深い行為だったと考えていたからではないでしょうか。

▼船長は出所後も亡くなるまで罪の意識にさいなまれ続けました。それはどうしてだと思われますか?
 法律家は、法律の条文を通して、罪と罰の関係を理解します。それは頭の中で行う観念的な作業です。船長は、乗組員の肉を切り取り、それを口に入れてかみしめ、胃の中に落としていく肉感的な作業を通じて、自分の行為がいかに罪深いかを体験しました。それは法律の条文を超越した体験です。乗組員の肉を食べたことも罪深いが、それによって生きながらえ、今も生きている。そのこと自体が罪である。そう考えたのではないかと思います。刑務所であれば罪を償っている実感がわきますが、釈放されれば、その実感はなく、普通に生きているだけです。これほど罪深い生き方はないと、苛まれたのではないでしょうか。

▼法律の問題とは関係なしに、人が人を食べることに対して、誰しもが心の中に少なからず拒否反応を持つのはなぜだと思いますか?
 人間の本能的な感情として、共食いを避ける傾向があるかどうかは分かりませんが、戦争をすることはあっても、食人は決して行わないと言われています。戦争は文明によって正当化できても、食人は正当化できない野蛮そのものだというのです。現在では、牛、豚、鶏の肉を食べる習慣が定着しているので、人の肉を食べようという動機は起こりませんし、その必要性もありません。現代人は、その限りで文明人でいられます。牛や豚などが少なくなり、食糧危機になると、食人を禁止する文明の価値観も揺らいでくるかもしれません。「文化的秩序維持の精神」のような価値観では、船長の行為を規制できなかったことを、私たちは受け止めるべきでしょう。

▼裁く側の人間は、そういった人間の本能的感情を持つべきですか、持たざるべきですか?
 罪の有無を判断するのは、裁判官です。彼ら・彼女らもまた、1個の人間であり、その限りにおいて人間の本能的感情と無関係に法を適用することはできません。空腹ゆえに死体の肉を食べた船長に同情的になれるのも人間的な感情ゆえにです。しかし、乗組員の肉を食べて一人だけ生き延びた船長を冷ややかな眼差しで見つめるのも人間的な感情です。裁判官の役割は、このように人間的感情の狭間で揺れ動く国民感情を考慮に入れて裁判をすることだと思います。そうでなければ、国民の裁判に対する信頼を維持することはできないでしょう。

▼正義とは何でしょうか?
 自由であり、平等であり、平和であり、民主主義です。しかし、そのために戦争をも辞さない、他者を抑圧することも厭わない、小さな不正に目を閉ざし、大きな正義の物語を平然と語ることも辞さない。それも正義ゆえにです。船長は生きる自由を求めたために法を犯したのです。有罪を言い渡した裁判は正義に適っているのでしょうか。正義とは何かという問いは、簡単に答えが出せる問題ではないようです。

▼罪悪とは何でしょうか?
 正義を実現するために、逆に正義を否定していることに、自己矛盾を感じない精神構造。それが罪策です。また、自己矛盾を感じても、それを自己の人格に深く刻もうとしない無感覚・無感動の精神構造のことです。船長は、そのような自己矛盾を経験し、罪悪感に駆られた人ではなったかと思います。

▼社会的秩序よりも個人の利益を優先することはいけないことなのでしょうか?利己心は罪ですか?
 食人をした船長は、個人の利益を優先した。それによって社会的秩序の精神を否定した。裁判官は、そのように言いました。人間は、命ある限り、生きていく存在です。それを阻む状況があれば、乗り越えていく、つまり死んだ人の肉を食べるのも人間存在ゆえにです。それは利己心とは違うもののように思います。
 
▼昭和18年当時の船長は、極限状況化でどうすれば正解だったのでしょうか?
 私は、法律が極限状況における人間の行為を裁けるのかという問題を考えたいと思います。法律は死体を損壊することを禁止しています。死体を損壊せずに、それとは別の合法的な行為を行うよう求めています。ただし、その禁止命令を遵守できるのは、死体の損壊以外の行為を選択できる余地がある平時の状況だけです。餓死寸前の極限状況に置かれた船長に対して、船員の死体を切り取り、食べてはいけないと禁止しても、ほかに手段がなかった以上、その命令は届かないように思います。極限状況において法は無力なものになるのか、それともそのような状況における規範を内在しているのか。法の概念を深化させる必要があります。

▼われわれは究極の飢餓状態に陥った時、何を信じ、どう行動すればよいのですか?
 私は難破船の船長と同じ状況に陥った経験がないので、それについて正確に語る自信はありませんが、仮に船長が生きていていたら、次のように答えたのでではないかと思います。
 法は法であり、命令は命令である。たとえ問題がある法であっても、また無理を強いる法であっても、それもまた法である。従って、それに従わなければならない。法とはそのようなものである。それに背く行為をしたなら、甘んじて刑に服すべきである。ときおり社会の側が同情心から情状酌量の余地を認め、裁判官がそれを考慮して刑を軽くすることもある。それに期待するかどうかは各人の問題である。
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