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Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

刑法Ⅰ(10)応用編(刑事判例資料062~072)

2020-07-07 | 日記
062窃盗罪における実行の着手(最二決昭和40・3・9刑集19巻2号69頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、某日の0時40分頃、窃盗の目的で、電気器具商A方店舗に侵入し、小型懐中電灯を使用して、現金が置いてあると思われる同店舗内のたばこ売り場に近づき、金員を物色しようとしていた。そのとき、たまたま帰宅したAに発見され、「ドロボー、ドロボー」と叫ばれた。Xは、逮捕を免れるため、所携の果物ナイフでAの胸部を突き刺して失血死させ、さらにAの妻Bに手拳で強打するなどの暴行を加えて傷害を負わせた。

 第1審大阪地裁は、被告人Xが「現金が置いてあると思われる同店舗内のたばこ売り場に近づき、金員を物色しようとしていた」行為が、まだ「物色」に該当しないとしても、Xの意図する金員の窃取(窃盗罪の構成要件的行為)にきわめて密接な関係性を持っているので(これを密接関連行為という)、この物色しようとした行為をもって窃取罪の実行の着手があったものと認めるのが相当であるとして、Xは窃盗罪の実行の着手後(窃盗未遂罪の成立後)、Aから住居侵入罪と窃盗未遂罪の嫌疑で現行犯逮捕されるのを免れるために、Aを刺殺したので、それにつき(事後)強盗致死罪が、Bに傷害を負わせた行為については(事後)強盗致傷罪の成立が認められた。

 弁護人は、Xがたばこ売り場に近づき、金員を物色しようとしていた行為だけでは、窃盗罪の実行の着手は認められないとして、被告人は窃盗の実行の着手前にAを刺殺し、Bを負傷させただけなので、住居侵入罪は成立するとしても、(事後)強盗致死罪および(事後)強盗致傷罪は成立しないと主張して、控訴した(住居侵入罪と傷害致死罪および傷害罪の牽連犯を主張したものと推察される)。

 第2審大阪高裁は、Xの行為は、窃盗行為に密接な行為であって、それによって窃盗罪の実行の着手がなされたものと解するのが相当であるとして、控訴を棄却した。

 これに対して弁護人が上告した。

【裁判所の判断】
 被告人Xは、某日の0時40分頃、電気器具商A方店舗において、窃盗の目的で、小型懐中電灯を使用して、真暗な店内を照らしたところ、電気器具が積んであることが分かったが、なるべく金を盗りたいので、自己の左側に認めたたばこ売り場の方に行きかけた際、被害者Aが帰宅した事実が認められるというのであるから、原判決がXに窃盗の着手行為があったものと認め、刑法238条の「窃盗」犯人にあたるものと判断したのは相当である。

【解説】
 犯罪(例えば住居侵入して窃盗を行なう)の成立過程を時系列で見ていくと、
1行為者が犯罪を決行することを決意し、
2そのための計画(2人以上で行なう場合は謀議)を行ない(誰から盗もうかと考え)、
3その準備をしてから(その人の家などを下見し、侵入経路を確認してから)、
4家の中に入り、窃盗を開始し(金目のものを探して)、
5当初予定の結果を発生させる(それを窃取する)
という過程とたどる。

 犯罪として処罰される行為は、基本的に法益の侵害を遂げた⑤の段階の行為が基本である。これを、一般に「既遂犯」と呼んでいる。たたし、その法益の重大性にかんがみて、侵害を遂げるに至らない場合でも処罰される場合がある。④の段階の行為をしたが、⑤に至らなかった場合を一般に「未遂犯」と呼んでいる。刑法43条本文は、犯罪の実行に着手し、法益侵害の結果が発生しなかった場合でも処罰される場合のあることを明記している。したがって、未遂犯として処罰されるには、行為者が法益侵害の結果を発生させなかっただけでなく、犯罪の実行に着手していたことが必要である。

 さらに、重大な法益を保護するために、③の段階の行為を予備罪として、②の段階の行為を陰謀罪・共謀罪として処罰することも可能である。ただし、①の段階では、まだ内心における意思決定あって、行為は行われていないので、犯罪にはなりえない(思想・信条、内心の処罰は許されない)。

 窃盗罪について考えると、これら過程における行為のうち、その保護法益の重大性にかんがみて、④以降の行為について刑罰の対象にされている。つまり、④の行為が行われれば、窃盗罪の実行の着手が認められ、たとえ⑤の段階に至っていなくても、窃盗未遂罪として処罰できるが、④の行為が行われていなければ、窃盗未遂にはあたらない。その場合、住居侵入罪で処罰されるだけである。

 この事案では、何が問題になっているのか。「現金が置いてあると思われる同店舗内のたばこ売り場に近づき、金員を物色しようとしていた」被告人の行為が窃盗の実行の着手にあたるならば、窃盗未遂罪が成立し(刑法235条、243条)、その逮捕を免れるために被害者に暴行を加えただけなら、(事後)強盗未遂罪(238条、243条)が成立し、それにより被害者が死傷した場合には、最終的には(事後)強盗致死罪(240条:死刑または無期懲役)と(事後)強盗致傷罪(無期または6年以上の懲役)として評価される。これに対して、金員を物色しようとしていた被告人の行為が窃盗の実行の着手にあたらないならば、住居侵入後の行為は傷害致死罪(205条:3年以上20年以下の懲役)および傷害罪(204条:1月以上15年以下の懲役)にとどまる。窃盗罪の実行の着手の有無によって、このように処断される刑が異なるので、裁判では激しく争われたと思われる。


063強姦罪における実行の着手(最三決昭和45・7.28刑集24巻7号585頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、某日の午後7時30分頃、ダンプカーに友人Yを同乗させ、ともに女性を物色して情交を結ぼうとの意図のもとに、P市内を徘徊走行していた。その際、1人で帰宅中のA女を認め、「車に乗せてやろう」等と声をかけながら、役100メートルほど走行したが、相手にされなかった。

 これにいら立ったYが下車して、Aに近づくのを認めたXは、付近の空き地に車を停めて、待ち受けていた。YがAを背後から抱きすくめ、ダンプカーの助手席前まで連行してきたため、XはYがAを強姦する意思を有することを察知し、Yと強姦の意思を通じたうえ、Yとともに必死に抵抗するAを運転席に引きずり込んだ(第1行為)。その際の暴行により、Aは全治10日を要する傷害を負った。

 その直後、 Xはダンプカーを発進して、同所より約5キロメートル西方にある護岸工事現場に行き、そこで運転席内でAの反抗を抑圧して(第2行為)、Y、Xの順に姦淫した。

 第1審は、X・Yに強姦致傷罪の共同正犯の成立を認め、原審もこれを維持した。弁護人は、強姦の実行の着手は、護岸工事現場に連行した後の第2暴行によって認められるのであり、本件傷害は強姦の実行に着手する前の第1暴行によるものであるから、傷害罪と強姦罪の併合罪で処断すべきであると主張して上告した。

【裁判所の判断】
 上告棄却。かかる事実関係のもとにおいて、XがAをダンプカーの運転席に引きずり込もうとした段階(第1暴行の時点)において、すでに姦淫にいたる客観的な危険が明らかに認められるから、その時点における(第1)暴行によって強姦の実行の着手があったと解するのが相当である。

【解説】
 強盗罪は、暴行・脅迫を手段として行ない、財物を強取するという目的を達成する行為である。暴行・脅迫は、それ自体として暴行罪・脅迫罪にあたり、財物の強取もまた窃盗罪にあたる。このように、それ自体として犯罪にあたる行為が手段・目的の関係にある、それが結合している場合、暴行罪・脅迫罪と窃盗罪の2罪として扱われずに、強盗罪という1罪として扱われる。このような犯罪を「結合犯」という。結合犯の実行の着手は、手段行為を開始した時点において認められる。強盗罪の場合、暴行・脅迫を開始した時点で強盗の実行の着手が認められ、その後、財物を強取すれば強盗既遂罪が成立する。暴行から傷害・死亡の結果が発生した場合、強盗致傷罪・強盗致死罪になる。

 強姦罪(強制性交罪)は、強盗罪と同じように、暴行・脅迫を手段行為としているが、姦淫それ自体は性交であり、犯罪ではない。ただし、強姦罪の全体構造が強盗罪に類似しているので、強姦罪の実行の着手も、強盗罪と同じように、手段行為の暴行・脅迫が開始された時点において認められる。

 強盗罪や強姦罪が、手段行為から目的行為へとスムーズに行なわれた場合、その実行の着手時期を認定するのに大きな問題はないが、例えば被害者に暴行・脅迫(第1行為)を加え、他の場所に連れていき、そこで再び暴行・脅迫(第2行為)を加えて、財物の強取や姦淫を行なったような場合、強盗や強姦が既遂に達していることに問題はないが、その実行の着手は第1行為の時点において認められるのか、それとも直近の第2行為なのか、必ずしも明らかではない。

 もしも、実行の着手が、第2行為において認められるならば、第1行為は強盗や強姦の準備行為として行われた暴行だけであり、暴行罪と第2行為以降の強盗罪・強姦罪は、併合罪(45条)の関係にたつ。第1行為から致傷結果がは発生した場合は、傷害罪と強盗罪・強姦罪の併合罪である。その処断刑は、重い罪である強盗罪・強姦罪の刑の長期にその2分の1を加えたものが長期になるので(47条)、強盗罪の場合は5年以上30年以下の懲役、強姦罪の場合は3年以上30年以下の懲役になる。これに対して、実行の着手が、第1行為において認められるならば、成立する犯罪は強盗致傷罪(240条)で無期または6年以上の懲役、強姦致傷罪(181条2項)で無期または5年以上の懲役となる。

 このように、第1行為か第2行為かの、いずれの時点において実行の着手が認められるのかによって、成立する犯罪が異なり、またその処断刑も異なってくる。本件では、XがAをダンプカーの運転席に引きずり込もうとした時点において、すでに姦淫にいたる客観的な危険が明らかに認められることを理由に、強姦の実行の着手があったと判断した。つまり、実行の着手時期の判断基準は、法益侵害または構成要件的結果の発生の客観的な危険性の有無である。

 では、結果発生の客観的な危険の有無を判断するための方法は、どのようなものか。本件の事案では、行為者X・Yは姦淫の意思を有しながら、その相手を探して、第1行為を行ない、その後、場所を移動させて、第2行為を行なって、姦淫の目的を遂げている。姦淫に至る直接的な手段は、第2行為であるが、それは第1行為後に時間的・場所的な近接関係において行なわれ、また第1暴行は当初からの姦淫目的に基づいて行われたものであった。このような第1行為と第2行為が時間的・場所的に関連していたこと、また第1暴行の時点で姦淫の意図があったこと、第1暴行から第2暴行を介して姦淫することを計画していたことなどに着目することによって、第1行為は、強姦罪の手段行為に密接に関連した行為であったので、それによって強姦の実行の着手を認めることができる。


064早すぎた結果の発生(最一決平成16・3・22刑集58巻3号187頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、被告人Yに夫Aの殺害を依頼した。Yは他の共犯者3人と共謀して、クロロホルムを使用してAを失神させ、そのまま海中に転落させ、溺死させる計画を立てた。実行犯の3名は、Aにクロロホルムを吸引させ、失神させた後(第1行為)、2キロメートル離れた港に行き、Yを呼び寄せて、海中に転落させた(第2行為)。Aは死亡した。

 Aの死因は、でき水に基づく窒息であるか、そうでなければクロロホルムの摂取による呼吸停止、心停止、窒息、肺機能停止であるが、いずれであるかは特定できなかった。Aは、第2行為の前に、第1行為により死亡していた可能性があった。また、第1行為は人を死亡させる危険な行為であったが、Yらは、第1行為によってAが死亡する可能性があると認識していなかった。

【裁判所の判断】
 実行犯3名の殺害計画は、Aにクロロホルムを吸引させて失神させ(第1行為)、自動車ごと海中に転落させて溺死させる(第2行為)というものであって、第1行為は、第2行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠なものであり、第1行為に成功した場合、それ以降の殺害計画を遂行するうえで障害となる特段の事情は存在しなかったので、第1行為と第2行為の時間的・場所的な近接性に照らすと、第1行為は第2行為に密接な行為であるといえるので、第1行為が開始された時点において、殺人にいたる客観的な危険性があったことが明らかに認められるので、その時点において殺人罪の実行の着手を認めるのが相当である。

 3名は、Aにクロロホルムを吸引させて失神させ、その上で海中に転落させるという一連の行為を行って、殺人の目的を遂げた。3名は、第1行為の後、第2行為を行ない、それによってAを死亡させると認識していたが、かりに第1行為によってAが死亡していたとしても、殺人の故意に欠けるところはなく、3名は殺人罪の共同正犯が成立する。X・Yは、3名と共謀して殺人に及んだのであるから、X・Yにも殺人罪の共同正犯が成立する。

【解説】
 本件の事例では、第1行為は殺人の準備行為であり、第2行為が殺人の実行行為であると捉えるのではなく、第1行為と第2行為の時間的・場所的な近接した関係、犯行計画における連続した関係に着目をして、第1行為の時点において殺人に至る客観的な危険性が発生したとして、殺人の実行の着手を認めている。つまり、客観的には第1行為と第2行為が一体的な行為であり、第1行為の開始をもって、殺人罪の実行の着手を認めることができる。この判断方法は、すでに検討した判例と基本的に同じである。

 ただし、本件では、行為者のところでは、第1行為は第2行為を行なうための準備行為として認識されていた。この認識が殺人の故意ではなく、殺人予備の故意であるならば、行為者は殺人予備の故意に基づいて、殺人の実行行為を開始したことになる。いうまでもなく、犯罪の故意は、行為を開始する時点において、あるいはその途中において存在していなければならない。人を殺害する意思なしに行為を行ない、死の結果を発生させた場合、故意の殺人罪ではなく、過失致死罪が成立することになる。本件第1行為の時点においてAが死亡していたとしても、殺人の故意に欠けるところはないという判例の説明は、若干の補足が必要である。

 客観的に評価すると、クロロホルムを被害者に吸引させるという第1行為の開始時点で、被害者の死亡結果を発生させる客観的な危険性があった。したがって、第1行為の開始をもって殺人罪の実行の着手を認定することができる。行為者は、クロロホルムを被害者に吸引させる行為の認識はあったが、そこから死亡結果が発生するとは認識していなかった。このような行為者の認識は、殺人予備の故意にとどまるのか、それとも殺人の故意にあたるのか。

 この点について、判例は詳細な説明をしていないが、次のような推察が可能であろう。客観的には、第1行為と第2行為には場所的・時間的に近接した関係、密接した関係があるので、それは一連・一体の行為である。したがって、第1行為の開始をもって、殺人罪の実行の着手が認められる。行為者は、第1行為と第2行為との関係について、第1行為が殺人の準備行為、第2行為が殺人の実行行為であると認識していたが、同時に第1行為が第2行為に密接に関連することを認識していたと思われる。第1行為を行ったときに、このような密接な関連性を認識していたのであれば、行為者の認識は殺人の実行行為を解する認識があったと認めることができる。行為者は、「第1行為は、第2行為の準備のつもりであった」と主張するであろうが、「第1行為を行った後、すぐに第2行為を行うつもりでした」と述べるならば、第1行為が第2行為に近接した行為であることの認識があったと評価できる。その認識は、殺人罪の実行行為の開始の認識である。したがって、殺人の故意に欠けるところはない。


065間接正犯における実行の着手時期(大審院第3刑事部判大正7・11・16刑録24輯1352頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、Aに対して、毒物の混入した物を白砂糖の贈答品のように見せかけて送った。これを受け取ったAは、それを使用して調理していた際、それが毒物であることに気づき、食するには至らなかった。

 原審は、殺人未遂罪の成立を認めた。これに対して弁護人が上告した。弁護人は、原判決はXがAに毒物を郵送したことをもって殺人の実行の着手を認めているが、送っただけでは、Aがそれを食すかどうかは不確実であり、それを理由にAやその家族がこれを食する状態に置いたとはいえない、つまり殺人罪の実行に着手したということはできないと主張した。

【争点】
 間接正犯や離隔犯における実行の着手時期は、利用者(被告人)の行為を基準に判断するのか(発送主義)、それとも被利用者(幼児や配達人)の行為を基準に判断するのか(到達主義)。さらには、被害者の行為をも含めて判断するのか。
 原審は、利用者の行為を基準にして、殺人罪の実行の着手を認めたようであるが、大審院は、被利用者である配達員が毒物の混入した物を被害者に届け、被害者がそれを受領したことを理由に、被告人が毒物を被害者と家族が食しうる状態に置いたと認定した。

【裁判所の判断】
 他人が食べた結果、毒死するにいたることを予見しながら、毒物を食しうる状態に置いた事実があれば、もちろん殺人罪の実行の着手を認めることができるが、本件のように、Aに毒物の混入した砂糖を贈るときには、Aやその家族が純粋の砂糖であると誤信して、それを食べて死亡することを予見しながら、Aにその毒物を贈り、Aがそれを純粋の砂糖であると誤信して受け取り、それを調理に使用したが、毒物であることに気づき、Aと家族が食べる状態にならなかった場合、これはAと家族がそれを食しうる状態に置いたということができ、殺人罪の実行の着手を認めることができる。

【解説】
 犯罪の構成要件該当行為を行ない、結果を発生させた者を「正犯」といい、それ以外の行為を行なって、結果の発生に影響を与えた者を「共犯」という。刑法は、教唆・幇助という行為に限定して、共犯の成立を認めている。

 犯罪の構成要件該当行為を行ない、結果を発生させた者は「正犯」であり、その行為を直接行なう場合が一般的であるが(直接正犯)、それを事情を知らない第三者に行為を行わせて、その行為を介して間接的に結果を発生させる場合もある。これを「間接正犯」という。例えば、心神喪失者や刑事未成年者を利用して窃盗させる場合(責任無能力者・刑事未成年者の行為の利用)、医師が事情を知らない看護師に毒入りの薬を手渡し、それを患者に服用させて殺害する場合(故意のない者の行為の利用)が、「間接正犯」の典型である。

 本件は、郵便配達員や宅配業者などの通常の業務行為を利用した場合であり、「故意なき者の行為の利用」にあたる。これを「離隔犯」ともいう。郵便制度や宅配制度は、配達依頼をすれば、それを阻む重大な事情がない限り、相手方に届けられる。その実行の着手の時期をめぐって、配達を依頼した時点か(発送主義)、それとも被害者側に届けられた時点か(到達主義)の争いがある。

 本件の原判決では、発送主義の立場から、行為者が砂糖を送った時点で殺人の実行の着手が認められているが、判例では、到達主義の立場から、毒物が届けられ、調理に使用されて、被害者・家族がそれを食しうる状況にあったことから、殺人の客観的危険性が肯定され、殺人の実行の着手が認められている。

 この事案において、被害者に贈られたのは、「毒入りの砂糖」であった。当時、砂糖は調味料の一種として利用されていた。このような事情を踏まえると、到達主義の立場からの判断であっても、被害者宅に砂糖が届けられなければ、殺人の結果発生の客観的な危険性が生じたとは認定できない。つまり、砂糖の到達後、被害者が調理の際に砂糖を使用できる状況になれば、殺人の結果発生の客観的危険性が生ずるということである。本件では、弁護人の主張を受け入れたうえで、到達後の被害者の調理行為が行なわれたことを理由にして、殺人の結果発生の危険性を認定した。

 本件で重要なのは、被害者の調理行為が行われたことをもって、殺人罪の実行の着手が認められた点にある。被害者の調理行為がなければ、殺人罪の実行の着手が認められないというのは、遅すぎるように思われるが、当時は砂糖が調味料として利用されるだけで、それ自体をお茶に入れて摂取するようなことはなかったという背景にある。同じことは、サラダ油などにも当てはまるであろう。これに対して、毒入りのまんじゅうの場合、配達され・到達すれば、被害者は「調理」のような行為を介することなく、それを食することができるので、毒まんじゅうを送った場合であれば、被害者に到達した時点で殺人罪の実行の着手を認めることができるであろう。


066不能犯(1)(最二判昭和37・3・23刑集16巻3号305頁)

【事実の概要】
 被告人Xらは、Aを殺害して、保険金を詐取するために、Aの両腕の静脈内に蒸留水5ccとともに、空気30ccないし40ccを注射した。Aは死亡しななかった。

 弁護人は、人の静脈に空気注射をして死亡に至らしめるには、70cc以上の空気が必要であり、本件は40cc以下の空気しか注射していないので、人を殺害するには絶対に至らないので、本件は殺人の不能であり、殺人未遂罪は成立しないと主張した。

 第1審は、致死量の半分程度の空気であっても、被害者の体質、健康状態、注射方法などから死亡に至ることもありうるので、致死量に達しなかったからといって、殺人の不能になるわけではないとして、Xらに殺人未遂罪の共同正犯の成立を認めた。

 Xの控訴を受け、第2審は、医師ではない一般人は、人の血管内に少しでも空気を注射すれば、死亡にいたるものと考えており、そのことは被告人らもまた観念していたことは明らかであると述べて、「人体の静脈に空気を注射することはその量の多少に拘らず人を死に致すに足る極めて危険な行為であるとするのが社会通念であったというべきである。してみれば被告人等は一般に社会通念上は人を殺すに足るものとされている人の静脈に空気を注入する行為を敢行したものであって……右の行為が医学的科学的に見て人の死を来すことができないものであったからといって直ちに被告人等の行為を以って不能犯であるということはできない」と判断した。


【争点】
 殺人罪の実行に着手し、死亡させるに至らなかった場合、殺人未遂罪が成立する。殺人未遂罪として処罰できるのは、人の死亡を発生させる具体的な危険行為を開始していたからである。

 では、致死量に満たない空気を静脈に注射する行為は、人の死亡を発生させる具体的な危険のある行為といえるか。いえないなら、その行為を理由に殺人罪の実行の着手を認めることはできない(せいぜい殺人予備罪が成立するだけである)。

 このような行為の結果発生の具体的危険性について、3種の判断方法がある。
 第1は、その行為自体の危険性の有無を判断する方法である。
 第2は、その行為だけでなく、行為客体の年齢や体調、健康状態、注射した体の場所などをも勘案して判断する方法である。
 第3は、行為の当時の一般人の認識などをも踏まえて判断する方法である。
 第1審は、第2の判断方法を採用した。控訴審は、第3の方法を採用した。


【裁判所の判断】
 所論は、人体に空気を注射し、いわゆる空気栓塞による殺人は絶対に不可能であるというが、原判決並びにその是認する第1審判決は、本件のように静脈内に注射された空気の量が致死量以下であっても被注射者の身体的条件その他の事情に如何によっては死の結果発生の危険が絶対にないとはいえないと判示しており、右判断は、原判示の各鑑定書に照らして是認するに十分であるから、結局、この点に関する所論原判示は、相当である。


【解説】
 ある犯罪の結果を発生させるためには、それを発生させる危険性のある行為を行なわなければならない。殺人の結果を発生させるためには、それを発生させる危険性のある行為を行なう必要がある。それが絶対的に不可能な行為の場合、それを行なっても、殺人の結果の客観的危険性は発生しえないので、殺人の実行の着手を認めることはできない。

 このような問題に関しては、大きく分けて、客体の属性ゆえに結果の発生が不可能な場合と行為の属性ゆえに結果の発生が不可能な場合がある。前者を客体の不能、後者を方法の不能という。不能と判断されれば、実行の着手が認められず、未遂の成立が否定される。

 本件は、「方法の不能」が問題になった事案であるが、結果発生の客観的危険性の有無については、方法それ自体の属性だけを対象にせずに、その行為に対して一般人が抱く印象、被害者の体質や健康状態などの可能な条件などをも対象にして、社会通念に照らして、結果発生の客観的危険性があったか否かを判断している。


067不能犯(2)(広島高判昭和36・7・10高刑集14巻5号310頁)

【事実の概要】
 暴力団組員の被告人Yは、Aに殴打されて憤慨し、とっさにAの殺害を決意し、Aに拳銃を発射した。その銃声を聞いた同組員の被告人Xは、YがAを銃撃したものと直感し、Yの弾丸がAの急所を外していた場合にはAにとどめを刺そうと考えて、現場に急行し、倒れているAがまだ生きていると信じて、殺意をもってその左右腹部を日本刀で突き刺した。

 原審は、Aの直接の死因はYが与えた頭部貫通銃創であるが、それによって通常即死するものではなく、真死に至るまでには、少なくとも数分ないし十数分を要することもあるので、Xの与えた切創は死後のものとは認めがたく、生前の瀕死時近くに発生したものと推測されると述べて、Aの死亡はX・Yの両名の行為によると認定し、両者を殺人既遂罪として処断した。

 これに対して、Xは、AはYの行為により死亡していたのであるから、自分の行為は死体を損壊したものに過ぎないと主張して控訴した。


【裁判所の判断】
 控訴審では、Aの死亡はYの行為によるものであり、Xが行為を行なった時には、すでに死亡していたという内容の鑑定結果を採用し、原判決の事実認定には誤認があるとして破棄し、Xの行為について死体損壊罪が成立するのか、それとも殺人未遂罪が成立するかどうかについて判断した。

 Aの生死については、専門家の間においても見解が分かれるほど医学的にも生死の限界が微妙な案件である。Xは、加害行為時に被害者の生存を信じていたが、それだけでなく、一般人もまた被害者が死亡していることを知りえなかった。したがって、Xの行為によって被害者が死亡するであるという危険を感じさせるものであったことは当然である。このような場合、Xの行為の寸前にAが死亡していたとしても、それは意外の障害によって、予期していた結果を発生させることができなかっただけであるので、Xの行為は殺人の不能犯と解すべきではなく、殺人未遂罪をもって論ずるのが相当である。


【解説】
 本件は、「客体の不能」に関する事案である。

 一般論で言えば、死体を刃物で刺しても、生命侵害の危険性は客観的に発生しえない。従って、死体損壊にあたるだけで、殺人未遂にはなりえない。

 しかし、このような判断は、客体が「死体」であることが明白な場合には成り立っても、「死体」であることが明らかではない場合には、成り立ちえない。人の生死は、専門的な医師においても見解が分かれるほど判断が困難な複雑な事象であり、ある時点において、生きていたのか、それとも死んでいたのかは、法医学の専門医による解剖などによらなければ判明しえない(「心肺停止の状態」であるからといって、「死亡した」ことを裏付ける根拠としては不十分である)。したがって、ある時点における生命侵害の客観的危険性の有無は、客体が生きていたのかどうかという事実だけでなく、客体に対して一般人が抱く印象・認識などをも考慮に入れて、社会通念に照らして判断せざるをえない。

 本件では、被害者はYの行為によって死亡し、それによって殺人罪は成立し終えているので、たとえXが被害者の生存を信じて、殺人に関与したとしても、殺人罪は成立しえないと判断することもできる。しかし、Xだけでなく、一般人から見ても、Aの死亡を知りえなかったのであるから、Xの行為は、今なお生きているAの身体に日本刀を突き刺す行為であり、それは生きているAの生命を侵害する危険な行為であると実感させるものであった。このような事情を踏まえると、YがAに拳銃を発射した後、Xは「生きているA」の身体を日本刀で刺し、AはYの射撃によって死亡したのであるから、Xの行為とA死亡との因果関係はなく、Xには殺人未遂罪が成立するにとどまると解するのが妥当である。

 なお、この事案は、XとYが、意思の連絡なしに、Aを殺害しようとしたものである。Aの死亡がX・Yいずれの行為が原因となって生じたのかが不明である場合、「択一的因果関係」の問題として扱うことができる。X・Yの行為の両方なかったなら、Aは死亡しななかったであろうといえる場合、X・Yの行為A死亡の因果関係があり、両者に殺人既遂罪が成立する。原審の判断は、Xの行為の時点では、まだAは生存していたことを前提にして、この問題を択一的因果関係の問題と捉えたようである。

 しかし、鑑定の結果、AはXの行為の前において、すでにYの行為によって死亡していたことが明らかになったので、択一的因果関係の問題として論ずることはできない。問題は、Xが刺突したのは死体なのか、生体なのかになった。控訴審では、Aはすでに死んでいたが、行為時を基準にして、行為者Xや一般人の認識内容を基準にして判断した結果、Xが刺突したのは生体であったと認定して、殺人未遂罪の成立を認めた。


068不能犯(3)(岐阜地判昭和62・10・15判タ654号261頁)

【事実の概要】
 被告人Xは、長女Aと次女Bを殺害して、自らも死のうと決意し、都市ガスによる殺害を試みたが、友人に発見されて、殺害するには至らなかった。

 弁護人は、被告人が用いた都市ガスは天然ガスであり、一酸化炭素を含んでいないから、人体には無害であって、生命を侵害することはできないので、殺人の不能であり、殺人未遂は成立しないと主張した。


【争点】
 都市ガスによって自殺することができるか。この問題に答えるためには、都市ガスの成分が人体にどのような影響を及ぼすかという医学的・化学的な知見が必要である。

 医学・化学の知見からは、都市ガスは天然ガスであり、一酸化炭素が含まれていないので、自殺することも、他人を殺すこともできない。つまり、都市ガスでは一酸化炭素中毒死は起こりえないということである。

 ただし、都市ガスが部屋中に充満し、それに何かの火が引火して、爆死することはありうる。また、都市ガスが充満することによって、酸素が欠乏し、酸欠で死亡することもありうる。

 このような点をも踏まえて考えると、都市ガスによって自殺すること、他者を殺害することもできるといえる。


【裁判所の判断】
 都市ガスは天然ガスであり、一酸化炭素を含んでいないので、それによる中毒死のおそれはないが、部屋に充満した都市ガスに冷蔵庫などから発せられる静電気が引火して爆発事故が起こること、さらに都市ガスの充満による酸素欠乏が生ずることによって人の死の結果を招くことがあることは十分にありうることである。
 一般人は、都市ガスを部屋に充満させることは、室内にいる人を死に至すに足りる極めて危険な行為であると認識しているのであり、社会通念上は、そのような行為は人を死に致すに足りる危険な行為であると評価されているものと解するのが相当である。したがって、被告人の行為は、殺人の不能とはいえず、殺人未遂が成立する


【解説】
 本件は、方法の不能の問題である。都市ガスは天然ガスであり、一酸化炭素を含んでいないので、中毒死する危険はないが、行為当時の行為者と一般人の認識内容を基準に判断すると、中毒死する危険が認められるので、殺人未遂の成立が肯定されている。


069中止行為の任意性(福岡高判昭和61・3・6高刑集39巻1号1頁)

【事実の概要】
 被告人Xは被害者Aを殺害する意思に基づいて、その頭部をナイフで突き刺したところ、大量の血を口から吐き出したのを見て、大変なことをしたと思い、傷口にタオルをあて、Aに「動くな、じっとしとけ」などと声をかけ、消防署に通報して、Aを励ましながら、救急車の到着を待った。救急車の到着後、消防署員とともにAを運び込み、駆け付けた警察官に逮捕された。

 原審は、殺人未遂罪の成立を認め、それに中止未遂の規定を適用しなかった。弁護人が控訴した。


【争点】
 犯罪の実行に着手した後、自己の意思により、結果の発生を防止した場合、未遂犯は成立するが(必要的減軽)、それに刑法43条但書の「中止犯」の規定を適用することができる(任意的減軽または免除)。自己の意思により(中止の任意性)と犯罪を止めた(中止行為)とは、どのような意味か。


【裁判所の判断】
 「自己の意思により」とは、外部的な障碍によってではなく、行為者の任意の意思によって「中止行為」が行われることをいうと解すべきである。本件では、大量の血が口から吐き出されたという外部的事実があり、行為者はそれが契機となって、大変なことをしたと思い、結果の発生を防止するための行動に出た。このように中止行為が流血等の外部的事情の表象を契機としている場合、中止行為の任意性は否定されるが、そのような場合、すべて外部的障碍によるものとして中止未遂の成立を否定するのは相当ではない。外部的障碍が中止行為の契機になっている場合であっても、行為者がその表象によって必ずしも中止行為に出るとは限らない場合もある。そのような場合において、行為者が中止行為に出た場合には、任意の意思によって中止したものと見るべきである。

 本件では、被告人Xが自己の罪責を免れるため、被害者Aを放置したまま犯行現場から逃走することも十分に考えられ、通常人であれば、本件のごとき流血のさまを見ると(見ても)、中止行為と同様の措置をとるとは限らないというべきである。また、本件犯行直後から逮捕されるまでにおける被告人の真摯な行動やAに対する言葉などに照らして考察すると、「大変なことをした」との思いには、本件犯行に対する反省、悔悟の情が込められていると考えられる。本件の中止行為は、流血という外部的事実の表象を契機としているが、犯行に対する反省、悔悟の情などから、任意の意思に基づいてなされたものと認めるのが相当である。


【解説】
 刑法43条但書は、中止未遂の規定である。犯罪の実行に着手した後、自己の意思により中止した場合に、成立する犯罪の未遂罪(刑の任意的減軽)に、さらに中止未遂の規定を適用して、刑を必要的に減軽または免除する。中止未遂の規定が適用されるのは、実行に着手した後、結果が発生する前に、自己の意思により、中止した場合である。前者が中止の任意性、後者が中止行為である。

 中止の任意性の意義に関しては、主観説と客観説の対立がある。主観説は、犯罪の結果を発生させることができたが、それを自己の意思によって中止した場合には任意性ありと考える(「フランクの公式」という)。これに対して、客観説は、行為者が認識した外部的事情が行為者の意思に影響を及ぼし、それによって中止の意思決定した場合は任意性なし、それとは無関係に中止の意思決定をした場合は任意性ありと考える。

 例えば、XがAから金目の物を盗むために、Aの家に侵入し、物色行為を始めたところ、高価なものがなかったので、安価なものを盗ろうと思えば盗れたが、中止の意思決定をした場合、主観説の論理を徹底すると、中止の任意性が認められることになる。このようなXの窃盗未遂にも中止未遂の規定を適用して、刑を必要的に減軽することになる。果たして、それでよいのか。中止未遂の規定を適用して、刑を必要的に減軽・免除するのは、行為者が自己の意思により犯罪を中止したので、それへの「ほうび」を与えるという意味であり、また犯罪の実行に着手した後にそれを中止したことを「褒賞し、ほめたたえる」かためである。Xは、もっと高価なものがほしかったから中止したのであるが、そのようなXにほうびを与える必要はないように思われる。

 これに対して、客観説からは、Aが高価なものを持っていなかったという外部的事情をXが認識したときに、それがXの意思に作用して、中止の決意へと至らせたと認定できるので、中止の任意性は否定される。

 主観説の内部でも、「高価なものがほしかった」という場合、任意性を認めるべきではないと主張する者もある。ただし、行為者は、被害者が安価なものしか持っていなかったことを知り、「このような人から盗むことなどできない」と、反省、悔悟、後悔し場合であれば、中止の任意性を認めてもよいという(限定主観説)。

 本件では、被告人は、流血という外部的事情を認識し、それを契機にして、「大変なことをした」という思いにかられた。流血という事象を認識すれば、犯行の継続を中止することを決意させられるのか。そうとは限らない。それゆえ、中止の意思は任意に決意されたものであると認定されている。



070実行未遂と着手未遂(東京高判昭和62・7・16判時1247号140頁)

【事実の概要】
被告人Xは、被害者Aを殺害する意思のもと、刃渡り29・3センチメートルの牛刀でAの左側頭部付近をめがけて一撃して、突き刺したところ、左手で防いだAが抱き着くようにして、「命だけは助けてください」とせがまれたため、憐憫と悔悟の念から、行為の継続を中止した。その結果、Aに全治2週間の傷を負わせた。

 第1審は、XがAに一撃したことによって殺人の実行行為は終了しているので、実行未遂(実行行為は終了した=終了未遂)であり、その後、行為の継続を中止しても、中止未遂には当たらないと判断し、殺人未遂罪の成立を認めた。

 弁護人は、Xの一撃だけでは、まだ殺人の実行行為は終了していないので、着手未遂であり(実行に着手しただけで、実行行為は終了していない=未終了未遂)、実行に着手した後、そその継続を自己の意思により中止したので、中止未遂にあたると主張した。


【裁判所の判断】
 被告人Xは、Aを牛刀でぶった切り、あるいはめった刺しにして殺害する意図を有していた。最初の一撃で殺害の目的が遂げられなかった場合には、その目的を完遂するために、さらに二撃、三撃と追撃に及ぶ意図が被告人にXにあったことは明らかである。

 原判示のように、Xが牛刀でAに一撃を加えたものの、その殺害に奏効しなかったという段階では、いまだ殺人の実行行為は終了しておらず、従って本件はいわゆる着手未遂に該当する事案である(殺人の実行に着手し、その実行行為がまだ終了していない事案)。

 いわゆる着手未遂の事案においては、行為者がそれ以降の実行行為を継続せずに、それを中止し、かつそれが任意に行なわれたものと認められる場合には、中止未遂の規定が適用される。本件では、殺人の実行に着手したのち、その継続を任意に中止しているので、殺人未遂に中止未遂の規定を適用すべきである。


【解説】
 刑法43条但書が適用されて、未遂犯の刑が必要的に減軽または免除されるには、中止の任意性と中止行為の要件が必要である。

 中止行為とは、犯罪の既遂結果の発生を阻止することであるが、それには大きく分けて、実行未遂(終了未遂)と着手未遂(未終了未遂)の2種類がある。

 実行未遂とは、構成要件該当行為(実行行為)を行ない終え、あとは結果が発生するだけという状況である。この状況において、中止行為の要件が認められるためには、その発生を食い止める積極的な作為に出ることが必要である。

 着手未遂とは、構成要件該当行為(実行行為)の全てが終了していない状況である。この状況において、中止行為の要件が認められるためには、その継続を中止するという(消極的な)不作為に出ることで足りる。

 問題は、犯罪の実行に着手した後、実行未遂の状況にあるのか、着手未遂の状況にあるのかを、何を基準に判断するのかである。例えば、6連発銃に6発の弾丸を込めて、それを用いて、人を殺害する場合、1発目で殺害の結果を発生させた場合、「第1発目の弾丸の発射」によって、殺人罪の実行行為は終了し、それによって結果が発生している。では、それが外れた場合でも、実行行為は終了しているのか。それとも、2発目の発射が予定されているので、終了していないのか。

 行為の特徴にかんがみると、6発銃による殺害の場合、1発目の発射で殺人の実行行為が終了したとはいえず、その後の2発目、3発目が予定されているので、ある程度の数の弾丸が発射されるまでは、実行行為は終了していないといえる。これに対して、行為者の主観や犯行計画を重視すると、行為者が1発で結果を出すと考えている場合、1発目が外れた場合、それによって実行行為は終了していることになり、結果が出すまで発射し続けると考えている場合、6発目が外れた場合でも、実行行為は終了していないことになる。

 基本的には、行為の特徴にかんがみて、実行行為の終了・未終了を区別するのが妥当である。本件では、牛刀を用いた殺人であり、一撃で殺害に至らない場合がありうることを考慮に入れて、殺人の実行行為が終了していないことが肯定された。従って、中止行為の要件が満たされるためには、実行行為の継続を中止するという不作為で足りると判断された。


071結果防止行為の真摯性(東京高判平成13・4・9高刑速3131号50頁)

【事実の概要】
 被告人Xは、借金の返済に窮するなど、生活に行き詰っていたことから、アパートの自室に放火して自殺しようと企て、畳のうえに積み上げられた衣類に所携のライターで点火し放火したが、火勢を見た後、燃えていない衣類をかぶせ、手で押さえつけるなどしたが、それ以上の消火行為は行っておらず、アパートから出たのちも、119番通報しているが、犯行現場から離れたところから、断片的な内容を伝えるだけであった。その後、消防隊員により消火されたため、衣類や木製小物入れなどを焼損したにとどまり、その目的を遂げなかった。

 第1審は、(放火の実行行為が終了したのちに)中止未遂が成立するためには、自ら放火の結果の発生を防止する行為を行なっているか、自分で行っていなくても、これを同視するに足りる行為を行なっていなければならないなければならないが、被告人Xはそれを行なっておらず、放火未遂に中止未遂の規定を適用することはできないと判断した。


【裁判所の判断】
 被告人Xが、燃えていない洗濯物を燃えた衣類にかぶせて抑えつけた後に、火が室内の木製3段の小物入れや畳などに燃え移っていることが認められたのであるから、Xの所論の行為をもって、結果発生を防止したと同視しうるということはできず、Xが119番通報したことをあわせてみても、アパートの住人に火事を知らせ、消火の助力を求めるなどの措置をとっていない以上、結果発生を防止したと同視しうる行為と認めることはできない。中止未遂の成立を否定した原判断は是認することができる。


【解説】
 刑法43条但書が適用されて、未遂犯の刑が必要的に減軽または免除されるには、中止の任意性と中止行為の要件が必要である。

 本件は、実行未遂の事案であるので、構成要件該当行為(実行行為)が終了しているので、中止行為の要件が認められるためには、その発生を食い止める積極的な作為に出ることが必要である。この作為とはどのようなものでなければならないか。

 第1には、結果の発生を防止しうる効果のある作為でなければならない。

 第2には、その作為によって、結果の発生が防止されたという因果関係が必要である。他の事情によって結果の発生が防止される場合もあるので、中止行為と結果の不発生の因果関係は重要な要件である。

 第3には、行為者が中止行為を行えない場合、他人の助力を借りて行なうこともあるが、自らが結果の発生を防止したと同視しえなければならない。その場合、他人の助力によって結果の発生を防止できたとしても、「よろしく頼む」と声をかけただけでは不十分であって、一定の積極性や真摯さが表されていなければならない。

 第3の要件は、刑法43条但書に明記されていないが、判例によると、「中止行為の真摯性」として必要とされている。


072予備の中止(最大判昭和29・1・20刑集8巻1号41頁)

【事実の概要】
 被告人Xは、Y、Z、Wと相談して、A方で強盗することを企て、Zが出刃包丁を、Wが縄を携えて、4人でA方に赴いた。

 Xは、強盗予備の事実について、他の共犯者らをA方まで案内しただけで、自ら行なう意思はなかったので、強盗予備罪の故意はないと主張した。また、かりに故意が認められ、強盗予備罪(の共同正犯)が成立するとしても、他の共犯者がA方のドアをたたくのをみて、恐ろしくなって自宅に帰ったので、強盗罪に実行に着手する前に帰宅したので、強盗予備罪に中止未遂の規定を「適用」すべきであると主張した。

 第1審・2審とも、被告人に強盗予備罪の成立を認めた。


【争点】
 強盗予備罪を行なった後、基本犯である強盗罪の実行に着手することを自己の意思により中止した場合に、強盗予備罪に対して中止未遂の規定を準用できるか。


【裁判所の判断】
 被告人Xが、強盗の意思がなかったとの主張には理由はなく、強盗予備の行為を行なったことは十分に認めることができる。また、予備罪には中止未遂の観念を容れる余地はないので、中止未遂の規定を適用することもできない。


【解説】
 犯罪として処罰されるのは、原則的には法益侵害の結果を発生させた場合であり、犯罪の実行に着手したが、結果の発生に至らなかった場合、例外的に未遂として処罰される。したがって、犯罪の準備をしただけで、その実行に着手したなかった場合を「予備罪」として処罰するのは、例外中の例外であり、さらには予備以前の相談・計画を「陰謀罪」として処罰するのは、そのまた例外である。

 予備罪として処罰されるのは、その保護法益の重要性にかんがみて、殺人罪、強盗罪、身の代金略取・誘拐罪、放火罪などの重大な犯罪に限られている。予備罪は、犯罪の実行に着手する前の行為であり、未遂罪は、犯罪の実行に着手した後、結果が発生しなかった行為である。刑法43条但書の中止未遂の規定は、実行の着手後の未遂罪に適用されるが、実行の着手前の予備罪に適用されることは明示されていない。

 では、予備を行なった後、犯罪の実行に着手するのを自己の意思により中止した場合、予備罪に対して中止未遂の規定を適用することができるか。とくに、強盗の予備を行ない、強盗の実行に着手することを任意に中止した場合、強盗予備罪に中止未遂の規定を適用し、刑を減軽または免除することができるか。

 なぜこのような問題を議論するのかというと、殺人予備罪(201条)や放火予備罪(113条)の場合、「情状により刑を免除することができる」という但書があるので、殺人予備や放火予備を行なった後、その実行に着手することを任意に中止した場合、それを「情状」として認めれるならば、刑の任意的免除ができる。しかし、強盗予備罪(237条:2年以下の懲役)には、刑の任意的免除を定めた但書はなく、強盗予備後に強盗の実行に着手することを任意に中止しても、強盗予備罪の刑で処罰されてしまう。

 さらに、強盗予備の後に、強盗の実行に着手し、任意に中止した場合、強盗未遂罪に中止未遂の規定が適用されて、刑が必要的に減軽され(236条の強盗罪は5年以上の有20年以下の有期懲役。それを減軽すると、2年6月以上10年以下の有期懲役になる)、さらにその減軽された刑が免除される可能性がある。強盗予備罪を行ない、実行に着手することを任意に中止しても、刑は免除されないにもかかわらず、実行に着手した後、それを中止すれば、刑が減軽・免除されるというのは、均衡を失しているように思われる。それゆえ、強盗予備を行ない、その実行に着手することを任意に中止した場合、強盗予備罪に中止未遂の規定を「適用」することができないかという問題が議論されているのである。

 本件では、最高裁は、中止未遂の規定の適用が問題になるのは、犯罪の実行の着手後なので、それ以前の予備罪には中止未遂の規定を「適用」できないと、形式論理的な理由で否定した。しかし、それでは不均衡を解消することはできないので、中止未遂の規定の「適用」はできないとしても、それを「準用」(被告人に有利な類推適用)できるかどうかを検討の余地はある。殺人予備罪や放火予備罪には、情状による刑の任意的免除の規定があるにもかかわらず、強盗予備罪にはそれがない。したがって、このような規定の問題を刑法43条但書の「準用」によって補うことが必要であり、また可能であると思われる。

 なお、この事案は、被告人Xが他の共犯者Y・Z・Wとの共犯関係から離脱した場合の問題である。
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