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Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

2015年度前期刑法Ⅰ(総論) 第12週 教唆犯・幇助犯

2015-06-27 | 日記
 第12週(2015年06月30日・07月02日) 教唆犯・幇助犯
(1)正犯と共犯
 刑法の目的は、法益の保護です。刑法は、法益を保護するために、それを「侵害・危殆化」する「行為」を犯罪として定め、それに刑罰を科します。従って、「行為」でないものは処罰できませんし(行為主義)、行為であっても、「法益の侵害・危殆化」に関わりのない行為は処罰できません(法益侵害主義)。また、行為者が故意・過失によって有責に行なった行為しか処罰できません(責任主義)。

 このような犯罪に関する基本原則(行為主義、法益侵害主義、責任主義)は、まずは正犯、すなわち法益を直接侵害・危殆化する行為(構成要件該当行為)についてあてはまりますが、それ以外の行為であっても処罰される行為を行なった場合にもあてはまります。刑法は、犯罪を実行した者を正犯とし(1人で行なった者は単独正犯)、2人以上で共同して犯罪を実行した者もまた正犯としています(60条:共同正犯)。さらに、構成要件該当行為以外の行為で犯罪の実行に関与した者を処罰する規定も設けています。教唆(61)・幇助(62)がそれです。犯罪として処罰されるのは、原則的に構成要件に該当する違法でかつ有責な行為を行なった者ですが、それ以外の教唆・幇助にあたる行為を行ない、犯罪の実行に関与した者についても、教唆犯・幇助犯(共犯)として例外的に処罰されます。このように正犯を構成要件該当行為に限定する考えを「限縮的正犯概念」といいます。これに対して、教唆・幇助はは、正犯の構成要件を修正し、処罰範囲を拡張するものであると解されています(共犯は刑罰拡張事由)。

 教唆・幇助して正犯を実行させた場合、その罪の教唆・幇助が成立しますが、正犯の刑が拘留・科料に限定されている場合は、基本的に教唆・幇助は成立しません。ただし、特別の規定がある場合は、その限りではありません(64)。

(2)共犯類型
1教唆
・故意の正犯とそれに対する教唆犯
 刑法61条は、「人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科す」と定めています。犯罪を実行した(というか、実行させられた)者が正犯であり、それを実行させた者が教唆犯(共犯)です。教唆とは、人に犯罪遂行の意思(犯罪の故意)を生じさせて、それに基づいて犯罪を実行させることであると定義されています。従って、教唆犯と正犯の関係を時系列で見ると、教唆行為→正犯における犯罪遂行の意思の惹起→その意思に基づく犯罪の実行→結果の発生(既遂犯)または危険の発生(未遂犯)という因果経過をたどります。この因果経過をたどれば、正犯が行なった犯罪に対して教唆犯が成立します。例えば、AがXを殺害するようBを教唆し、BがCの殺害を決意し、その意思に基づいてCを殺人を実行した場合、Bは殺人既遂罪、Aは殺人既遂罪の教唆犯になります(共犯の罪責は、正犯の罪責が確定した後に考えなければなりません)。

・既遂犯の教唆と未遂犯の教唆
 BがCを殺害するに至らなかった場合、Bには殺人未遂罪が成立します。では、Aには何罪の教唆犯が成立するのでしょうか。Aは、Cの殺人既遂を教唆したので、殺人既遂罪の教唆が成立するのでしょうか。この場合、Aには「殺人未遂罪の教唆」が成立します。

 未遂犯とは、既遂犯の構成要件要素の「法益侵害」の部分を「法益の危殆化」へと修正した類型です。行為者は法益侵害を実現しようという認識に基づいて、実行に着手したが、それを遂げなかった(法益侵害の危険が発生しただけであった)場合は、未遂犯が成立します。この場合、行為者は主観的には既遂犯の構成要件を実現しようとし、客観的にはその修正形式である未遂犯の構成要件を実現しているので、「異なる構成要件にまたがる錯誤、抽象的事実の錯誤」(法益侵害という重い結果を発生させるつもりが、それより軽い法益危殆化を発生させた)の問題として扱うことができます。ただし、刑法43条本文は、この場合を「未遂犯」として処罰できる場合のあることを明文で定めています。というのも、法益侵害の危険という軽い結果の範囲において、2つの構成要件の重なりが認められるからです。刑法43条は、重い法益侵害を惹起する故意で、軽い法益侵害の危険を発生させた場合、未遂として処罰される場合のあることを「当たり前」のように規定していますが、それは構成要件の重なり合いを前提にしているからです。

 このような議論は、共犯という修正された構成要件にもあてはまります。主観的には正犯に法益侵害をするよう教唆したつもりが、結果的にはその危険の発生を教唆しただけであった場合、正犯には未遂が、教唆者にはその未遂犯の教唆が成立します。(修正された)未遂罪の構成要件に対する(さらに修正された)教唆は、犯罪の基本類型を二重に修正したものです。

・「過失による教唆」の不可罰性
 共犯も例外的ではあっても処罰されるので、刑法38条1項の規定が適用されます。つまり、教唆が処罰されるのは、それを故意に行なった場合です。つまり、人に対して故意に犯罪の実行を教唆した場合です。しかも、「過失による教唆」を処罰する規定は設けられていません。従って、教唆が処罰されるのは故意の場合に限られます。例えば、AがBに対して「これがあれば、自由に殺人が行なえる」と拳銃を見せびらかし、それを貸し与え、それを受け取ったBがX殺害の意思を持ち、実行したとします。Bは殺人罪の正犯です。Aにその教唆犯が成立するかというと、それは成立しません。なぜならば、AはBに犯罪遂行の意思を抱かせる認識はなかったからです。Aに殺人罪の教唆が成立するためには、犯罪遂行の意思を抱かせる認識、つまり教唆の故意が必要です。

・教唆の故意――「アジャン・プロヴォカトゥール」(未遂の教唆)の問題
 では、「教唆の故意」とは何でしょうか。故意とは、正犯の場合、犯罪にあたる事実を惹起する認識、すなわち構成要件該当の事実(既遂犯)を行なう認識・予見です。これを教唆などの共犯に応用して考えると、正犯に犯罪事実を実行させることの認識・予見、正犯に構成要件該当の事実(既遂犯)を行なわせることの認識・予見と定義されることになります。つまり、「教唆の故意」は、正犯に法益侵害を実行させることの認識・予見、「既遂犯」を実行させることの認識・予見です。そうすると、最初から正犯を未遂に終わらせるつもりであった場合、教唆の故意があったとは認められません。「未遂の教唆」(アジャン・プロヴォカトゥール)は、不処罰ということになります。例えば、覚せい剤の密売組織を摘発するために、覚せい剤中毒者に扮した捜査官Aが、売人Bに対して、「覚せい剤を1グラム売ってくれ」と依頼し、Bがそれを差し出そうとしたところを逮捕しました。Bは、覚せい剤譲り渡し罪(覚41条の2第1項)の実行に着手し、それを遂げていないので、Bには覚せい剤譲り渡し罪の未遂(同3項)が成立します。では、Aにはその教唆が成立するでしょうか。成立しません。なぜならば、AはBに覚せい剤譲り渡し罪の既遂を行なわせることの認識(既遂罪の教唆の認識)はなかったからです。「未遂犯の教唆」が成立するのは、教唆者に「既遂犯の教唆の故意」がある場合にだけで、最初から未遂犯に終わらせる認識の場合には、「未遂犯の教唆」は成立しません。

 ただし、AはBに「覚せい剤譲り渡し罪の未遂」という違法行為を行なうところまで堕落させているので、堕落説(不法共犯論・責任共犯論)からは、最初から未遂で終わらせる場合でも「未遂犯の教唆」は成立します。

・「過失犯に対する教唆」の問題
 教唆は、人に犯罪遂行の意思を生じさせ、その意思に基づいて犯罪を実行させた場合に成立します。では、教唆された者が犯罪遂行の意思を持たずに、犯罪にあたる行為を行なった場合、どのようになるでしょうか。これが「過失犯の教唆」の問題です。これは、「過失による教唆」と混同されることがあるので、正確に区別して理解してください。

 教唆は、正犯に犯罪の遂行意思を生じさせることを要件としてるので、正犯が犯罪の故意がなく実行した場合、教唆した者は教唆犯として処罰されません。正犯の行為が過失犯として処罰される場合、正犯には過失犯が成立します。例えば、医師Aが看護師Bに「この薬には毒物が入っている。これで患者Xを殺してくれ」と渡したが、Bはいつもの軽い冗談だと聞き流し、ビタミン剤だと思い、Xにそれを飲ませ、Xを死亡させたとします。この場合、Bに薬の内容を確認する注意義務を怠った過失が認められれば、業務上過失致死罪が成立します。医師の処方に従って投与したので過失は認められないならな、無罪です。では、Aにはどのような犯罪が成立ずるのでしょうか。この問題は、後の「正犯と共犯の関係」のところで詳しく説明しますが、Aが行なった行為は、犯罪の故意のないBを利用してXを殺害した殺人罪の「間接正犯」になります。Bに過失がある場合、Aの殺人罪(間接正犯)とBの業務上過失致死罪(直接正犯)が成立することになります。

 ただし、Aは主観的には殺人の教唆の故意で、客観的に殺人の間接正犯を行なっているので、これは異なる構成要件(教唆類型と正犯構成要件)にまたがる錯誤の問題になります。この問題の解決については、(4)の1で説明します。

・正犯の教唆(直接教唆)、教唆者の教唆(間接教唆)、その教唆(再間接教唆)、幇助者の教唆
刑法61条1項の教唆は、人を教唆して犯罪を実行させる場合、つまり「正犯の教唆」です。この正犯は「単独正犯」だけでなく、「共同正犯」も含みます。この教唆を「直接教唆」と呼んでおきます。

 刑法61条2項は、「教唆者を教唆した者」には「教唆」が成立すると規定しています。これが、「教唆者の教唆」です。例えば、AがBに対して「CにX殺害を実行させろ」と教唆し、BがCを教唆してX殺害を実行させた場合です。Cは殺人罪の正犯、Bは殺人罪の教唆犯(直接教唆)です。AはBという教唆者を教唆したので、殺人罪の教唆が成立します。AはBを教唆して、間接的にCを教唆しているので、Aには教唆犯が成立するのです。このような教唆者の教唆を「間接教唆」といいます。

 争いがあるのは、「教唆者を教唆した者」を教唆した者についてです。例えば、AがBに対して「CにX殺害を実行させろ」と教唆し、BがCを教唆してX殺害を実行させた場合において、実はAがJから教唆されていた場合です。正犯と教唆犯の関係は、正犯とその直近の教唆犯の関係を最初に問題にするので、殺人罪の正犯Cを教唆したBに殺人罪の教唆(直接教唆)が成立し、そのBを教唆したAにも殺人罪の教唆(間接教唆)が成立します。問題なのは、間接教唆Aを教唆したJについてですが、間接教唆Aも「教唆」であることに変わりはないので、Jは教唆者Aを教唆したとして、61条2項を適用して、Jも殺人罪の教唆にあたると考えることができます。このような「間接教唆」の教唆を「再間接教唆」といい、判例は肯定していますます(大判大11・3・1刑集1巻99頁)。

 なお、62条2項では、「幇助犯(従犯)を教唆した者」には「幇助」が成立すると規定しています。例えば、AがBに対して「CのX殺害を手助けしろ」と教唆し、BがCに対してX殺害に使用する拳銃を与え、Cがそれを用いてX殺害を実行した場合です。Cは殺人罪の正犯、Bは殺人罪の幇助犯です。AはBという幇助者を教唆したので、殺人罪の「幇助」が成立します。「幇助犯の幇助」の可罰性については、後で説明します。

2幇助
・正犯の幇助――物理的・精神的な援助・支援
 刑法62条1項は、正犯を幇助した者は、従犯とすると規定しています。その刑は正犯の刑を減軽したものが適用されます(63条)。条文上は、幇助犯という言葉はありませんが、従犯のことを一般に幇助犯と表しています。この正犯は、単独正犯だけでなく、共同正犯に場合も含みます。従って、単独正犯だけでなく共同正犯に対して幇助は成立します。

 幇助とは、正犯に物理的・精神的(心理的)な援助・支援を与えることによって、その犯罪の構成要件該当の行為の遂行やその結果の惹起を促進することを意味しています。物理的な援助が行なわれた場合には物理的な促進の効果があり、心理的な援助が行なわれた場合には心理的な促進の効果が必要です。例えば、殺人を決意しているBにAが拳銃を貸し与え、それを用いて殺人を実行した場合、Aの行為は殺人の物理的な促進効果が認められ、殺人罪の幇助が成立します。ます。Bが手持ちのナイフで殺人を実行したとしても、拳銃を携帯していることで心理的な促進効果(安心感や度胸)が認められる場合にも殺人罪の幇助の成立が認められます。

 教唆の場合は、正犯に犯罪遂行の意思を生じさせることが要件でしたが、幇助の場合は、正犯が犯罪遂行の意思を有していることが前提になっています。例えば、殺人を決意しているBにAが「お前が殺されても、残された家族の面倒はオレが見てあげるから」と述べた、Bの決意が強化されれば、心理的な促進効果が認められ、殺人罪の幇助が成立します。従って、幇助の成立を時系列で表すと、幇助行為→正犯による犯罪遂行の物理的・精神的な促進→構成要件該当事実の実現の促進という因果経過をたどります。

・「過失による幇助」の不可罰性
幇助も処罰される行為であるので、刑法38条1項により、罪(幇助)を犯す意思(故意)がなければ処罰されません。幇助については、過失による場合を処罰する規定は設けられていないので、幇助は故意による場合しか処罰されません。

 では、「幇助の故意」とは何でしょうか。これは、教唆の故意と同じように、援助・支援して既遂犯の実行を促進することです。正犯が犯罪の構成要件該当行為だけでなく、その結果を発生させることの認識・予見が必要です。

・「過失犯に対する幇助」の問題
幇助犯の成立には、正犯が犯罪遂行の意思を有している、つまり犯罪の故意を有していることが前提なので、「過失犯に対する幇助」(幇助して過失犯の実行を促進した)というのは考えられません。例えば、医師Aは看護師Bが患者Xを殺害することを計画していると勘違いして、「これで君の計画は完全に実行できるよ」と、毒の入った薬を渡したところ、Bは「いつもの悪い冗談だ」と思い、Xにそれを投与して、Xを死亡させたとします。この問題についても、後の「正犯と共犯の関係」のところで詳しく説明しますが、Aが行なった行為は、犯罪の故意のないBを利用してXを殺害した殺人罪の「間接正犯」になります。Bに過失がある場合、Aの殺人罪(間接正犯)とBの業務上過失致死罪(直接正犯)が成立することになります。

 ただし、Aは主観的には殺人の幇助の故意で、客観的に殺人の間接正犯を行なっているので、これは異なる構成要件(幇助類型と正犯構成要件)にまたがる錯誤の問題になります。この問題の解決については、後に説明します。

・「幇助犯に対する教唆」と「幇助犯に対する幇助」
 62条2項では、「幇助犯(従犯)を教唆した者」には「幇助」が成立すると規定しています。例えば、AがBに対して「CのX殺害を手助けしろ」と教唆し、BがCに対してX殺害に使用する拳銃を与え、Cがそれを用いてX殺害を実行した場合です。Cは殺人罪の正犯、Bは殺人罪の幇助犯です。AはBという幇助者を教唆したので、殺人罪の「幇助」が成立します。

 では、次の場合はどうでしょうか。例えば、BがCのX殺害を手助けしたいが、いいアイデアがないので、Aに相談したところ、様々なアドバイスを得られ、そのアイデアを用いてCを幇助して殺人の遂行を促進した場合です。Cは殺人罪の正犯、Bは殺人罪の幇助犯です。Aは「Bという幇助者を幇助することによって、正犯Cを間接的に幇助した」として、幇助犯の成立が認められています(最決昭44・7・17刑集23巻8号1061頁)。しかし、刑法には「教唆者の教唆」(61条2項:間接教唆)の規定はありますが、「幇助者の幇助」(間接幇助)の規定はありません。「幇助者の幇助」の規定がない以上、処罰を認めるのは罪刑法定主義に反するとの批判があります。

 しかし、構成要件に該当する行為であれ、教唆・幇助に該当する行為であれ、それらはすべて犯罪として処罰される行為=正犯であると解する「拡張的正犯概念」の立場に立つと、教唆も幇助も正犯なので、AはB幇助犯という正犯を幇助したので、刑法62条1項を的用して、Aに幇助犯の成立を認めることができます。しかし、限縮的正犯概念は、正犯は構成要件該当行為を行なった者に限定するので、B幇助犯を「正犯」と捉えることはできないません。AがB幇助犯を幇助した「間接幇助」を幇助として処罰する規定がない以上、Aには幇助犯は成立しないと思います。

*1人で「犯罪」を実行した者は「正犯」であり、2人以上共同して「犯罪」を実行した者は「共同正犯」ですが、拡張的正犯概念の立場は、この「犯罪」は刑罰が科される行為を意味し、教唆・幇助が含まれると解しています。従って、1人で「殺人罪」、「殺人教唆罪」、「殺人幇助罪」を実行した者は「殺人罪の正犯」、「殺人教唆罪の正犯」、「殺人幇助罪の正犯」であり、2人以上共同して「殺人罪」、「殺人教唆罪」、「殺人幇助罪」を実行した者は「殺人罪の共同正犯」、「殺人教唆罪の共同正犯」、「殺人幇助罪の共同正犯」となります。

(3)共犯の基礎理論
 以上、教唆と幇助に関して、それぞれの条文に即して解説をしましたが、根本的な問題については、まだ説明していません。それは、「共犯の処罰根拠」と「正犯と共犯の関係」の問題です。

1共犯の処罰根拠
 構成要件論を基礎にすえた犯罪体系論においては、「犯罪は構成要件に該当する違法で、かつ有責な行為である」と定義されます。この定義に即して考えるならば、法益侵害をもたらさない行為、つまり構成要件に該当しない行為を行っても犯罪として処罰されることはありません。犯罪の教唆・幇助は、それ自体として法益侵害を引き起こす作用を持っていないので、処罰されないはずです。ただし、それは「正犯」として処罰されないだけで、例外的に「共犯」として処罰されます。そのような意味から、共犯は正犯の処罰範囲を拡張する理由(刑罰拡張事由)と言われています。しかし、共犯を刑罰拡張事由として理解するためには、正犯でないにもかかわらず、処罰されるのかという疑問が明らかにされなければなりません。これが「共犯の処罰根拠」の問題です。それをめぐって、大きく2つの考え主張されています。

・堕落説と惹起説
 一つは、「堕落説」です。これは、教唆であれ、幇助であれ、正犯を犯罪の世界へと堕落させて、構成要件該当の違法で有責な行為を行なわせたことが、処罰される理由であると説明します。堕落説の内部では、正犯に「構成要件該当の違法で有責な行為」を行なわせたことが共犯の処罰根拠であると解する「責任共犯論」と、正犯に「構成要件該当の違法な行為」を行なわせていれば、共犯として処罰あれると解する「違法共犯論」があります。いずれも、共犯は正犯を犯罪の世界に引きずり込んでますが、正犯の法益侵害に対して因果的な影響を与えていないと考えている点において共通しています。これに対して、惹起説は、共犯もまた正犯と同様に法益侵害、構成要件該当の事実を発生させた点にその処罰根拠を求めます。共犯は、正犯を介して構成要件該当の事実を間接的に惹起したので、処罰されると理解しています。学説においては、惹起説が有力化しています。この説は、共犯もまた構成要件該当の事実に対して因果的な影響を与えていると理解していることから、「因果的共犯論」とも呼ばれています。

 「犯罪は法益侵害である」という理解に立つならば、共犯もまた構成要件該当の事実を(間接的ではあるが)惹起していると解すべきなので、惹起説(因果的共犯論)が妥当です。しかし、「共犯は、正犯を介して構成要件該当の事実を間接的に惹起した」という場合、その事実の性格が問題になります。つまり、その事実は、正犯から見た場合に犯罪の構成要件に該当する事実でなければならないのか、また共犯から見た場合も犯罪の構成要件に該当する事実でなければならないのかという問題です。

・惹起説内部の争い――純粋惹起説、修正惹起説、混合惹起説
 例えば、公務員Aが妻B(非公務員)を教唆して、企業Cからのワイロを受け取らせたとします。Bは公務員ではないので、Bの行為は収賄罪の構成要件に該当しません。では、Aは収賄罪の教唆になるのでしょうか。惹起説のうち、「純粋惹起説」の立場は、「惹起された結果」の違法性は、正犯から見た場合と共犯から見た場合で異なることを認めます(違法の相対性または違法の個別性)。そうすると、正犯が惹起した結果が犯罪の構成要件に該当していなくても(少なくとも一般的な違法性があれば)、共犯から見れば、違法である場合には、共犯の成立が認められます。そうすると、Aは「収賄罪の教唆」になります。

 しかし、Aの行為が収賄罪の構成要件に該当しないにもかかわらず、Bを収賄罪の教唆として処罰するのは、「正犯なき共犯」を認めることになり、それは刑法61条「人を教唆して犯罪を実行させた」、62条「正犯を幇助した」という条文と合致しません。従って、純粋惹起説には問題があります。どのように修正されるかというと、共犯の違法性は正犯の違法性から導き出されると考えて、正犯が構成要件に該当せず、違法でない場合には、共犯も成立しないと判断します(違法の絶対性または違法の連帯性)。従って、修正惹起説からは、Bの行為が収賄罪の構成要件に該当する違法な行為でない以上、Aには収賄罪の教唆は成立しません。

 では、次の場合はどうでしょうか。CがDに「自分の殺害」(Cの殺害)を教唆して実行させたが、Aが死ななかった場合です。Dは嘱託殺人未遂罪(202、203)の正犯、Cは嘱託殺人未遂罪の教唆犯にあたるでしょうか。修正惹起説からは、Dの行為は嘱託殺人未遂罪の構成要件に該当する違法な行為であり、Cは嘱託殺人未遂罪の違法を連帯するので、嘱託殺人未遂罪の教唆が成立します。しかし、Dが惹起したCの生命の危険という結果は、Cの立場から見れば、自死の危険であって、それを自分で行なっても、何らかの犯罪の構成要件に該当する違法な行為ではありません。このような場合、違法の相対性を認める純粋惹起説からは、嘱託殺人未遂罪の教唆の成立は否定されます。

 この点は、修正惹起説には問題があり、純粋惹起説が妥当であると思います。しかし、純粋惹起説は、正犯なき共犯を認めるので、その点が問題として残ります。正犯に可罰的違法性がなければ、共犯は成立しないと考えて、この点について純粋惹起説を批判する立場として混合惹起説があります。混合惹起説は、純粋惹起説と同じように、Cの嘱託殺人未遂罪の教唆を否定したうえで、Aの収賄罪の教唆を否定します。ただし、ワイロを受け取ったのは実質的にAであると認定することができるので、Aを収賄罪の直接正犯とすれば、妥当な結論が導けます。

2共犯と正犯の関係
 以上のような共犯の処罰根拠を踏まえると、共犯の処罰根拠は、正犯を介して、構成要件該当の事実を間接的に惹起したところにあり(惹起説・因果的共犯論)、その事実は直接行為者から見れば、正犯の構成要件に該当する違法な行為であることが必要です(修正惹起説)。さらに、共犯がそれを自ら行なった場合にも、正犯と同じように、構成要件に該当するものでなければなりません(混合惹起説)。従って、修正惹起説と混合惹起説の対立は、嘱託殺人未遂罪の被害者が、その教唆にあたるかという問題をめぐる問題です。

 このように考えると、修正惹起説であれ、混合惹起説であれ、正犯と共犯の関係は、正犯が構成要件に該当する違法な行為を実行した場合に、それを教唆・幇助した者に、その罪の共犯が成立することになります(制限従属形式・制限従属性説)。これに対して、純粋惹起説からは、正犯が構成要件に該当していれば、可罰的な違法性がなくても、それを教唆・幇助した者に、その罪の共犯が成立することになります(最小従属形式・最小従属性説)。また、正犯が構成要件に該当していなくても、一般的な違法行為であれば、それを教唆・幇助した者に、その共犯が成立することにもなります(一般違法従属形式・一般違法従属性説)。このような考えに対して、共犯は、正犯の構成要件該当性・違法性・有責性に従属すると主張する考えもあります(極端従属形式・極端従属性説)。それを図式化すると、次のようになります。

        正犯 一般違法性 構成要件該当性 可罰的違法性 有責性
極端従属性   共犯   ○      ○       ○    ○
制限従属性★  共犯   ○      ○       ○
最小従属性   共犯   ○      ○
一般違法従属性 共犯   ○

 これらのうち、制限従属性説が通説・判例であると言われていますが、実際の問題を考えるにあたっては、(可罰的)違法性への従属は、「違法性の相対化」という考えによって求められなくなっているといえます。とはいえ、共犯の正犯に対する関係については、「共犯は正犯の実行に従属する」(実行従属性)、「共犯は正犯の構成要件該当の違法な行為に従属する」(要素従属性)、そして「共犯は正犯の犯罪名に従属する」(罪名従属性)という点は理解しておいてください。

(4)共犯に関するいくつかの問題
正犯と共犯の関係については、制限従属性説の立場が通説・判例ですが、いくつか考えておくべきことがあります。

1教唆をめぐる問題
・責任無能力者を教唆・幇助して犯罪にあたる行為を実行させた場合
 Aが責任無能力者B教唆・幇助して窃盗を行なわせた場合、責任能力は責任の要素であるので、Bの行為の構成要件該当性や違法性を判断するにあたって、その有無は問題にはなりません。Bが行なった行為は窃盗罪の構成要件に該当する違法な行為です。責任能力がないため、処罰されません。では、それを教唆・幇助したAの罪責はどのように考えればよいでしょうか。制限従属形性説の立場からは、窃盗罪の教唆・幇助が成立することになりそうです。しかし、多数説と判例は、Bが責任無能力であることを理由にして、Aに窃盗罪の成立を認めます。それを一般に、窃盗罪の「間接正犯」といいます。

 間接正犯とは、責任無能力者(心神喪失者)や刑事未成年者(14才未満の者)との間の人間関係や上下関係を背景にして、その者を「道具」として利用して、犯罪を遂行することをいいます。利用者は構成要件に該当する行為を直接行っていないので、「直接正犯」にあたりませんが、責任無能力者などを「道具」として利用して間接的に行なっているので、「間接正犯」として扱われます。多数説と判例がAに窃盗罪の成立を認めるのは、この間接正犯の理論によるものです。

 しかし、Bは責任無能力とはいっても、窃盗罪の構成要件に該当する違法な行為を行なっています。共犯の従属性から考えれば、窃盗罪の教唆・幇助が成立すると考えることもできそうです。しかし、多数説と判例は、Aの窃盗罪の間接正犯を認めます。何故でしょうか。例えば、Bは責任無能力者であっても、財物窃取の認識があり、窃盗の故意があり、それを責任要素と位置づければ、Bの行為は客観的に窃盗罪の構成要件に該当する違法な行為なので、Aは窃盗罪の教唆・幇助になります。これに対して、故意を構成要件要素と位置づけるならば、責任無能力者が財物窃取を認識していても、それは是非・善悪、違法・適法の弁識能力のない者の認識であり、非難可能性のないものなので、「故意」とはいえず、行なった行為も窃盗の故意のない行為なので、最初から窃盗罪の構成要件には該当しないと判断することもできます。そうすると、Bの行為は窃盗罪の構成要件に該当しないので、制限従属性説からは、Aにはその教唆は成立しないことになります。しかし、BもAも無罪では、「処罰のすきま」が生じてしまうので、それを埋める必要があります。それを埋めるのが、間接正犯の理論です。

 責任無能力者Bを利用して窃盗を間接的に行なうAには、窃盗の正犯の故意があるので、窃盗罪の間接正犯の成立を認めることができます。

・主観的には教唆の故意で、客観的に間接正犯を行なった場合
 この間接正犯の理論は、責任無能力者・刑事未成年者を利用して行なう場合だけでなく、故意のない者を利用して行なう場合にも適用されます。例えば、医師Aが態度の悪い患者Xを殺害するために、事情を知らない看護師Bに「ビタミン剤」だと偽って毒薬を渡し、飲ませるよう指示し、Bが指示通りXに飲ませ、死亡させた場合、Yには殺人の故意はないので、故意の殺人罪の構成要件に該当しません。Bは無罪である。しかし、Aは殺人罪の間接正犯になります(故意の殺人罪の構成要件に該当する違法な行為を行なっています)。

 では、次の場合はどうでしょうか。医師Aが態度の悪い患者に腹を立てて、看護師Bに「これは毒薬だから、Xに飲ませて殺して欲しい」と依頼したところ、Bは「いつもの冗談だ」と思い、それをXに飲ませ、死亡させた場合です。Bには殺人の故意はないので、殺人罪の構成要件に該当しません。では、Aには殺人罪の間接正犯が成立するかというと、Aは主観的には殺人罪の教唆を行なうつもりで、客観的には事情を知らないBを利用した殺人罪の構成要件に該当する違法な行為を行なっています。ここには、殺人罪の教唆という犯罪と殺人罪の間接正犯という犯罪という異なる構成要件にまたがる錯誤が生じています。

 錯誤が異なる構成要件にまたがっている場合、法定的符合説からは、それが重なる範囲について故意犯の成立が肯定されます。例えば、忘れ物だと思って持って帰ったが、持ち主が近くにいた場合、占有離脱物横領罪の故意で、窃盗罪を行なっていますが、2つの構成要件は、占有離脱物横領罪の範囲で重なっています。重い犯罪の構成要件のなかに、軽い犯罪の構成要件が包摂されているので、重なり合いを認めることができます。

           客体  実行行為  構成要件的故意
軽 占有離脱物横領罪 他人の占有から離脱した財物  横領=占有の移転  認識あり
重 窃盗罪      他人の占有下にある財物    窃取=占有の移転 認識あり

 では、殺人罪の教唆という犯罪と殺人罪の間接正犯という犯罪という異なる構成要件について、重なり合いはあるでしょうか。重い犯罪の構成要件のなかに、軽い犯罪の構成要件が包摂されているのでしょうか。

軽 殺人罪の教唆   教唆行為→正犯による殺人罪の故意の発生→それを実行し→結果の発生
重 殺人罪の間接正犯 殺人の故意のない者を道具のように利用して実行させ→結果の発生

 この二つの犯罪について、決定的に問題なのは、道具として利用される人に殺人の故意がないために殺人の教唆の範囲で重なり合いを認めることができないことです。そうすると、重なり合いがないため、Aには殺人罪の教唆も成立しないことになります。もちろん、殺人罪の間接正犯が成立しないのは言うまでもありません。なぜならば、殺人罪の正犯の故意がないからです。殺人の正犯も、その教唆犯も成立しないのです。このような結論は妥当ではありません。何とかして、妥当な結論、少なくとも殺人罪の教唆の成立は認められるべきです。そのためには、どのようにすればよいのでしょうか。そのためには、構成要件の重なり合いを判断する段階において、被教唆者による殺人罪の故意を構成要件要素から責任要素に戻すことが必要です。つまり、「正犯による殺人罪の故意の発生」は、正犯の殺人罪の故意責任の問題として扱い、その構成要件の問題としては、殺人の故意を問題にせずに、外形的な事実のレベルで「行為者BがXに毒を飲ませ、それによりXが死亡した」と捉えれば、二つの犯罪は、殺人罪の教唆の類型の範囲内において重なり合いを認めることができます。

 殺人罪の間接正犯も、その教唆犯も成立しない結論が出てくるのは、故意を構成要件要素として位置づける「構成要件的故意」に起因しています。そのような理解にとどまると、共犯の正犯への従属性、とくに正犯の構成要件該当性への従属を論ずるにあたって、「正犯の故意への従属」が前提になってしまい、妥当でない結論にはまりこんでしまいます。故意を責任要素と位置づければ、そこから抜け出すことができます。このような問題は、すでに誤想防衛における「故意の阻却」の「故意」が構成要件的故意であると解すると、「ブーメラン現象」という論理矛盾に落ち込んでしまうと問題と本質的には同じです。

2幇助をめぐる問題
・主観的には教唆の故意で、客観的には幇助を行なった場合
 教唆と間接正犯にまたがる錯誤と類似の問題で、主観的には教唆の故意で、客観的には幇助を行なった問題を考えてみます。

 医師Aが看護師Bを教唆してXを殺害させたところ、Bはすでに殺意を有していたという場合です。BはAも同じ考えを持っていることを知り、Xの殺害の決意がいっそう強化されたのです。Aは主観的にはBに殺人教唆を行なったつもりが、客観的には殺人の幇助を行なっていました。このような場合、どのように扱えばよいでしょうか。この問題は、それとは逆の場合、つまりAがBを幇助してX殺害を手助けしたつもりが、Bはそれによって初めて殺意を抱き、X殺害を実行したという場合にもあてはまります。つまり、主観的には殺人幇助を行うつもりが、客観的には殺人教唆を行なっていたという場合です。

 ここで問題になっているのは、殺人幇助と殺人教唆の間の「抽象的事実の錯誤」です。従って、法定的符合説からは、幇助と教唆の二つの行為類型が重なり合う範囲で故意の犯罪が成立します。

軽 殺人罪の幇助 幇助行為→正犯による殺人罪の故意の強化・行為の促進→実行→結果発生
重 殺人罪の教唆 教唆行為→正犯による殺人罪の故意の発生→実行→結果発生

 このような場合、(軽い)幇助の類型と(重い)教唆の類型の間には、軽い幇助の類型の部分について重なり合いがあると考えられています。

・正犯としての認識があるが、幇助として扱われる場合(故意ある幇助的道具)
 幇助は、教唆と同様に、構成要件に該当しない行為を行なって、犯罪に関与する者なので、構成要件該当行為を行なった者は教唆・幇助にはなりません。それは正犯です。では、次のような場合はどうでしょうか。

 国会議員Aは、政治資金について過小報告するために、会計責任者Bに指示して、提供された政治資金の一部を収支報告書に記載しないようにした。Bは政治資金規正法の収支報告書不記入(政資25①2)の「正犯」の嫌疑で逮捕され、Aはその教唆で逮捕された。しかし、その政治団体の活動はすべてAによって運営されており、その資金についても、実質的にAが管理していた。検察官は、この事案について、Aを政治資金規正法の収支報告書不記入の正犯で、Bをその幇助で起訴した。

 政治資金規正法の収支報告書に記載する業務を担当していたのはBであり、記載しなかったのはBであると捉えると、Bは未記入の正犯であり、Aがその教唆犯となりますが、政治資金規正法違反の全体構造を見ると、全体を統括していたのはAであり、BはAの指示に従って、いわば道具のように行為を行なっただけであるので、Aが正犯であり、Bがその幇助犯と解することもできます。しかし、Aには不記入の事実とその認識があるので、外形的には「正犯」であると認定することもできます。

 このような犯罪の実態と全体の構造に着目し、Aを正犯、Bを幇助犯として認定するために、Bを正犯としての認識があるが、幇助として扱われる「故意ある幇助的道具」という幇助の形態が認められています。

・幇助の因果性
 共犯の処罰根拠として、惹起説は、共犯は正犯の行為を介して構成要件該当の事実を惹起する点を重視しています。つまり、共犯の行為と犯罪事実との因果的な連関を重視しています。

 構成要件該当の結果を発生させたのは誰であるかというと、それは正犯です。正犯の行為(構成要件該当行為・実行行為)が行なわれたので、構成要件該当の結果が発生したわけです。両者の間には因果関係があります。では、惹起説は、共犯の行為とこの構成要件該当の結果との間の関係として、正犯の因果関係と同じ関係が必要だと主張しているのでしょうか。もし、そのように主張しているとすれば、共犯の行為と構成要件該当結果との間に「条件関係」(あの行為がなかったならば、この結果は発生しなかったであろう)があり、その上で相当因果関係(そのような行為から結果が発生することが経験的に通常ありうる)が必要だということになります。

 教唆の場合、教唆者は正犯に犯罪遂行の意思を生じさせるので、その犯罪が遂行された場合には、教唆と犯罪結果との因果関係を認めることは難しくありません。しかし、幇助については、正犯にはすでに犯罪の故意があり、幇助はその遂行を容易にした(物理的幇助)、あるいはその意思を強化した(精神的幇助)という場合、幇助の効果が犯罪結果にまで及んでいるかどうかを判定するのは容易ではありません。

 AはBがX殺害を行なう予定の部屋に行き、射撃音が外に漏れないように目張りをしたとします。しかし、Bは別の場所で犯行に及んだ場合、Aの幇助がBの殺人の遂行を容易にした、促進したとはいえません。正犯の遂行に物理的な促進力を与えたとはいえなけえば、幇助はそれ自体は「未遂」に終わったことになります。共犯類型の行為の実行に着手して、その効果が生じていない「未遂」について、処罰規定は設けられていないので、幇助として処罰することはできません。しかも、BにはAから幇助されているという認識もありません。AはBに心理的にも援助しているとはいえないので、幇助は成立しません。このように考えると、幇助が成立するためには、正犯の行為が容易になった、正犯の意思が強化されたことが必要です。ただし、幇助が行われなかったならば、正犯のこの結果は発生しなかったであろうというところまで影響が及んでいる必要はないでしょう。Aが狙撃犯Bに激励し、Bが一発でXを射殺した場合、激励して殺人の意思は強化されたのは明らかですが、狙撃の成功にまで影響を与えたことを証明するのは不可能だからです。従って、幇助の正犯に対する因果的な影響(物理的幇助・精神的幇助)を、構成要件論の「因果関係」と同じように理解してはなりません。幇助の場合、正犯の行為と意思一定の物理的・心理的影響を与えたことで足ります。正犯の結果は、幇助によって実現したといえなくても、幇助の因果性を認めることができる。

・片面的幇助
 AがBを幇助し、物理的に犯行が容易にされたが、BにはAから幇助されているという認識がなかった場合はどうでしょうか。Aからの一方的な幇助、すなわち片面的幇助はありうるでしょうか。例えば、コンビニのアルバイト定員Aは、店長Xの態度が気に入らなかったので、店舗が荒らされれば、会社から責任を取らされるだろうと思い、店舗に誰かが侵入することを期待しながら、閉店後にカギを閉めずに帰宅した。その夜、Bがカギの開いているドアから店舗に侵入し、店内の商品数点を盗って、逃走したとします。この場合、Bには建造物侵入罪と窃盗罪が成立します(正犯)。では、Aにはその片面的幇助が成立するでしょうか。

 幇助のうち、心理的幇助は、正犯の意思が強化されていることが必要なので、正犯Bは幇助犯Aに幇助されていることの認識がなければならないでしょう。しかし、物理的幇助の場合は、Bにその認識は不要ではないならば、AにはBの罪の幇助が成立します。Bが窃盗を行なうのを知りながら、Aがその見張りをすれば、Aは窃盗の「片面的」な幇助にあたります。

・中立的行為(日常的行為)と幇助
 中立的行為(日常的行為)とは、日常的に行なわれる合法的な商取引行為のことです。そのような行為が犯罪の遂行を容易にする場合、それもまた幇助にあたるといえるのでしょうか。例えば、BがスーパーAで包丁を購入し、その包丁で殺人を行ったとします。Bは殺人の正犯ですが、Xはそれを幇助したことになるのでしょうか。銀行AはBのために預金口座を開設し、Bはそれを振り込め詐欺の入金口座として利用したとします。Bは詐欺罪、Aはその幇助になるのでしょうか。中立的行為に従事している者は、それを利用する者が犯罪遂行のために使うことを知らない場合が多いので、幇助の故意はないので、幇助罪は成立しませんが、考えるべきなのは、その中立的行為それ自体が、客観的に見て幇助の類型に該当するのかという問題です。該当しないならば、幇助の故意が問題になる前に、そもそも幇助ではないと判断されます。

 社会には便利なものが出回っています。それによって私たちの生活は快適になっています。しかし、それが悪用されることもあります。便利なものは、良い方向で利用されるだけでなく、悪い方向で利用される危険もあります。その意味で常に二面性を持っています。この二面性を重視するならば、犯罪を抑止するために、中立的な行為を制限することも必要になってきます。ただし、客観的に見て「中立的行為」、「日常的行為」である以上、制限することは困難です。それは、どこかの誰かが犯罪に利用するかもしれない危険性があっても、制限するのは難しいでしょう。そのように考えるならば、基本的に日常的行為は、その形式と方式に従って行なわれている限り、、幇助の類型にあたらないと考えるべきです。ただし、乗客が「今から殺しに行くので、急いでくれ」と依頼し、タクシー運転手が乗客の犯罪計画を明らかに認識したような場合、運転手がそれに応えてタクシーを走行した場合には、もはや中立的行為・日常的行為とはいえません。
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