Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

LS刑法Ⅰ(第06回 2015年10月26日)

2015-10-15 | 日記
 第06回 共同正犯と錯誤

 判例の事案(その1)(最判昭和25・7・11刑集4巻7号1261頁) XはYにAが金銭を持っていることなどを話した。それを聞いたYは、Aに対して強盗を行うことを決意し、Zら3人と共に、日本刀やバールなどを携えて、A宅に侵入したが、母屋に入ることができず、いったん断念した。しかし、「更に同人等は犯意を継続し」、Aの隣家であるB電気商会に押し入ることを謀議し、決行することとした。YはB宅付近で見張りをし、Zら3人は、それに侵入し、就寝中のCを脅迫して金銭を強取した。

 原審広島高岡山支部は、Y、Zら3人に、A宅への住居侵入罪とは別に、B宅への住居侵入罪と強盗罪の成立を認め、さらにXに、住居侵入罪の教唆と窃盗罪の教唆の成立を認め、両罪は刑法54条後段の牽連犯の関係に立つものとした(広島高岡山支部昭和24・10・27刑集〔参〕4巻7号1273頁)。

 これに対して、Xとその弁護人は、Xが教唆したのはA宅への侵入窃盗であるから、これが実現されない限り、教唆には問われるべきではなく、B宅への侵入は教唆していないので、窃盗教唆にはならないはずであるとして、これを窃盗教唆だとした原審には擬律錯誤の違法があるとした。


 裁判所の判断
 犯罪の故意ありとなすには、必ずしも犯人が認識した事実と、現に発生した事実とが、具体的に一致(符合)することを要するものではなく、右両者が犯罪の類型(定型)として規定している範囲において一致(符合)することを以て足るものと解すべきであるから、いやしくも右Yの判示住居侵入強盗の所為が、被告人Xの教唆に基づいてなされたものと認められる限り、被告人Xは住居侵入窃盗の範囲において、右Yの強盗の所為について教唆犯としての責任を負うべきは当然であ(る)。→錯誤論

 被告人Xの本件教唆に基づいて、判示Yの犯行がなされたものと言い得るか否か、換言すれば右両者間に因果関係が認められるか否かという点について検討するに、原判決中に「更に同人等は犯意を継続し」とあることに徴すれば、原判決は被告人Xの判示住居侵入強盗の行為との間に因果関係ある旨を判示する趣旨と解すべきが如くであるが、他面……Yの供述記録によれば、……諦めて帰りかけたが、右3人は、吾々はゴットン師であるからただでは帰れないと言い出し、隣のラヂオ屋に這入って行ったので自分は外で待っておった旨の記載があり、これによればYのB方における犯行は、被告人Xの教唆に基づいたものというよりむしろYは一旦右教唆に基づく犯意は障碍の為め放棄したが、たまたま、共犯者3名が強硬に判示B電気紹介に押入らうと主張したことに動かされて決意を新たにして遂に敢行したものであるとの事実を窺われないでもないないのであって、彼是綜合するときは、原判決の趣旨が果たして明確に被告人Xの判示教唆行為と判示所為との間に、因果関係があるものと認定したものであるか否かは頗る疑問であえると言わなければならないから、原判決は結局罪となるべき事実を確定せずして法令の適用をなし、被告人Xの罪責を認めた理由不備の違法あることに帰し、論旨には理由がある(破棄差戻し)。→因果関係論


 評価
 この事案は、共犯における錯誤の問題である。一般に錯誤には2つの類型がある。1つは事実の錯誤、もう1つは違法性の錯誤である。事実の錯誤は、具体的事実の錯誤(錯誤が同一の構成要件の範囲内で生じている場合)と抽象的事実の錯誤(錯誤が異なる構成要件にまたがる場合)の2つの場合に分けられる。通説・判例は、事実の錯誤のいずれの場合においても、行為者が認識した事実と現に発生した事実とが、「犯罪の類型(定型)として規定している範囲において一致している」限り、現に発生した事実に対して故意の成立を認める。つまり、行為者が認識した犯罪が該当する構成要件と現に発生した犯罪が該当する構成要件とが、重なっているとか、包摂される場合には、その重なっている部分の犯罪について故意の成立が認められる。これは、客体の錯誤(AをBだと取り違えた場合)の場合だけでなく、方法の錯誤(Aを狙ったところ、Bのところで被害が発生した場合)の場合にもあてはまる。このような事実の錯誤に関する立場を法定的符合説ないし構成要件的符合説という。

 この法定的符合説は、正犯・共犯における事実の錯誤にも適用される。例えば、XがYに窃盗を教唆したところ、Yが強盗を行なった場合、窃盗罪の教唆と強盗罪の教唆とでは、「窃盗罪の教唆」について構成要件の重なり合いが認められるので、Xには窃盗罪の教唆が成立することになる。

 この結論は、Xの教唆とYの犯行との間に因果関係があることを前提としている。つまり、XがYに窃盗を教唆したから、Yが「強盗」を実行することを決意して、それを敢行したといえなければならない。この事案では、XがYに「A宅の住居侵入・窃盗」を教唆したところ、Yがそれを受けて、Zら3人と「A宅の住居侵入・強盗」を行なうことを共謀し、A宅の屋内に侵入したが、母屋への侵入を「いったん断念し」たが、「更に同人等は犯意を継続し、Aの隣家であるB電気商会に押入ることを謀議し、決行することとした」。Yは同家付近で見張りをし、Zら3人は屋内に侵入して、就寝中のCを脅迫して、金品を強取したとされている。つまり、Xが行なったYへのA宅の住居侵入・窃盗の教唆とYとZら3人が行なったA宅への屋内侵入(母屋侵入の断念)との間に、さらにB宅への侵入と強盗との間に因果関係があると認定している。XはA宅侵入・窃盗を教唆し、YらはB宅侵入・強盗を実行しているので、客体と犯罪について食い違いがあるが(Xから見れば「方法の錯誤」であるが)、Yらの犯意が継続しているので、Xの教唆とYらの犯行には因果関係があると認定しているのである。つまり、両者の間の因果関係の存在を根拠づけているのでは、Yらの犯意の継続である。ここの論証が重要である。

 XはYにA宅侵入・窃盗を教唆したところ、YはA宅侵入・強盗を決意し、その実行をZら3人と共謀し、A宅侵入にとどまり、その後、B宅侵入・強盗を行なっている。このB宅侵入・強盗は、Xの教唆に基づいたものというよりは、YらがA宅母屋侵入を断念した後、Zらが強硬に犯行を主張したことに動かされて、「決意を新たにして遂に敢行したものである」。「決意を新たにする」とは、Xの教唆によって生じた犯意とは別の犯意を持ったということであるならば、Xの教唆とYらの犯行の因果関係は否定される。錯誤論の問題として検討するまでもなく、YらはXの教唆とは無関係にB宅侵入・強盗を行なっていると認定することができる。しかし、Xの教唆→Yの犯行の意思→Zらとの共謀→Y・Zらとの犯行の意思連絡→Yの犯行の意思の放棄。但し、Zらの犯行の意思の継続→Zらの強硬な説得という因果経過を見ると、Yの新たな決意とは、Zらよって形成された犯行の意思、つまりXの教唆によって形成された当初の犯行の意思であるといえる。従って、Xの教唆とYらの犯行の因果関係は肯定される。錯誤論の問題として処理し、Xには窃盗罪の教唆が成立する(ただし、破棄差戻し後、第2回目の控訴審の認定の不明)。


 判例の事案(その2)(最決昭和54・4・13刑集33巻3号179頁)

 事実の概要
 X、Yら7名は、経営する店に巡査Aが強硬に立ち入り検査したことに憤慨し、Aに暴行、傷害を加える旨順次共謀し、派出所前において罵声・怒号を浴びせたところ、Aがそれに応答したのに対して、Yが激昂し、携帯していた小刀で未必の殺意をもってAを刺し、出血死させた。

 第1審神戸地裁は、Xら7名の行為は、「殺人罪の共同正犯に該当する」が、Yを除く6名は暴行ないし傷害の意思で共謀したものであるから、38条2項により、「傷害致死罪の共同正犯の刑で処断する」と判示し、原審大阪高裁も、この判断を維持した。Xらは、殺人の故意のないY以外の6名に「殺人罪の共同正犯が成立する」のは疑問であり、暴行罪または傷害罪が成立するにとどまると主張して上告した。


 裁判所の判断
 殺人罪と傷害致死罪は、殺意の有無という主観的な面に差異があるだけで、その余の犯罪構成要件要素はいずれも同一であるから、暴行・傷害を共謀した被告人Xら7名のうちYだけが、Aに対して未必の殺意をもって殺人罪を犯した本件において、殺意のなかった被告人Xら6名については、(客観的に行なわれた)殺人罪の共同正犯と(主観的に行なおうとした)傷害致死罪の共同正犯の構成要件が重なり合う限度で軽い傷害致死罪の共同正犯が成立するものと解すべきである。……もし犯罪としては重い殺人罪の共同正犯が成立し、刑のみを暴行罪ないし傷害罪の結果的加重犯である傷害致死罪の共同正犯の刑で処断するにとどめるならば、それは誤りといわなければならない。


 評価
 共同正犯者間において、殺人(重い罪)の故意があった者とそれがなく暴行・傷害(軽い罪)の故意しかなかった者がいる。暴行・傷害の故意しかない者を、どのように処理するかが争点であった。

 過去の判例は、軽い罪の限度で刑事責任を認めてきたが、重い罪の共同正犯の成立を認めた上で、軽い罪の共同正犯の刑を科すのか、それとも最初から軽い罪の共同正犯の成立を認めているのかは、不明であった。本決定は、このような問題に関して、Xら6名に対して、犯罪としては殺人罪の共同正犯が成立し、科刑のみ傷害致死罪の共同正犯で処断するという原判決をしりぞけて、Xら6名には傷害致死罪の共同正犯が成立することを明確にした。その根拠は、Xら6人は、客観的には殺人罪の共同正犯を行なっているが、その認識としては暴行・傷害の故意しかなかったのであるから、刑法38条2項によれば、軽い罪の故意しかなかった者に重い罪の共同正犯にはならないので、殺人罪の共同正犯と傷害致死罪の共同正犯の構成要件の重なり合う限度で軽い傷害致死罪の共同正犯しか成立しないからである。これは、軽い罪の故意しかなかった者の行為について、抽象的事実の錯誤として扱い、法定的符合説・構成要件的符合説を適用して処理していると理解することができる。

 過去の判例
 →完全犯罪共同説  X・Yらには殺人罪の共同正犯が成立。Xら6名には傷害致死罪の刑が適用。

 判例の立場?
 部分的犯罪共同説 X・Yらには傷害致死罪の共同正犯が成立。Yには殺人罪の単独正犯が成立。
          Yの傷害致死罪と殺人罪は観念的競合(刑54前段)→「重い刑」(殺人)で処断

 行為共同説    Xらには傷害致死罪の共同正犯が成立。Yには殺人罪の共同正犯が成立。

しかし、本件で争点になったのは、Xら6名に犯罪の共同正犯が成立するかという問題であって、Yに成立する犯罪は争点になっていない。従って、最高裁では、結論的にはXら6人に傷害致死罪の共同正犯が成立するというのは明らかにされたが、その結論が部分的犯罪共同説を採用したことによるものなのか、それとも行為共同説によるものなのかは明らかにはならなかった。明らかになったのは、完全犯罪共同説をしりぞけたということだけであった。

 その後の判例の展開
 シャクティ事件(最決平成17・7・4刑集59巻6号403頁)
 X・YはAの保護責任者であるが、Xは殺人の故意で、Yは遺棄の故意で、Aを放置して死亡させた。
 Xに不作為による殺人罪(の単独正犯)が成立し、殺意のないYらとの間では(不作為による)保護責任者遺棄致死罪の限度で共同正犯が成立する。→部分的犯罪共同説を採用したと一般的に解されている。