全国各地を渡り歩く取材も、近年までして来た。
折りに触れて、その地方、市町村、離島の祭りにも遭遇。
大概のお祭りの参加者は、地元の男女の若者。それも、御神輿となると、担ぎ手は、主に彼らだった・・・・・・はず。
ところが、ここ数年、地方在住・勤務の若者が年ごとに、櫛の歯が抜けていくかのように減少。
大都市に若者が、集中して流れ込んでゆくわけだ。なにしろ、働きたくても、地元に魅力ある仕事先が無いのだから。
将来の見通しが立たないと、父母が経営する仕事の跡継ぎすら拒否、の傾向が後を絶たない。
さらに、高齢化社会が、後押しする。時代の流れとはいえ、過疎化の波が、地方の祭り神輿を覆う。
暗くて、いささか重いオハナシ。
で、お祭りに、オハナシツナガル。
先日、「7年祭り」という名称こそ付いてはいるものの、実際には6年に1回、催されるお祭りを見てきた。
めったに見られないものが、見られるかも知れない!という期待感にも誘われた。なにしろ、見逃したら、6年もの間、観ることが出来ないのだから・・・・。
えっさこらさと、電車乗り継いで行ってきた。
観客、ごらんのように、かなり多数、鈴なり見物。
ちゃんと担ぎ手は、神輿は神聖なモノと心得ていて、浅草の三社祭りのように、神輿の上に、入れ墨彫った人間が上がって騒いだりしないし、「せいや、せいや」などと、本来間違っている掛け声など出さない。
と言って、正しく「わっしょい、わっしょい」でも、無かったのが、いささかガッカリさせたが・・・・。
そして よ~く観ると、担ぎ手たちの中に、若者がいなかった。中心は、中高年や熟年。そして、目にも明らかなご老人。
神輿の後を、ぞろぞろと付いて歩く、担ぎ手交代要員もまた、50歳以上90歳未満。
なもんで、神輿の高さが、チカラなく低い。だからか、背の低い小柄な老人が神輿の下にもぐりこんで、ヒザを深く折って、神輿をたった独りで支えようとして歩いていた。
あぶねえ! もし、事故が起こったら、どうするのだろう。
地方、田舎、過疎地ならともかく、首都近くの通勤圏で、活きの良い若者が、まだまだ多いはずなのに、コレは一体、ど~ゆ~ことなんだろう~・・・。
実情を聞かねばなるまい。
喧騒がおさまり、「御旅所」で一休みしている時を狙って、人込みをかき分け、その担当らしき人物たちに事情を聴きまくった。
「そ~なんだよねえ・・・・。いないんだ、若いもんがさ」
「次の6年後には、今日担いでいた年寄りのなかで、何人生きているかなあ」
「いや、冗談じゃなく、本当にさ」
「そっちもだろ? こっちもなんだよ。ど~したもんかねえ・・・・。アタマ、抱えてるんだ」
結構、深刻な問題と、やはり、とらえてるようだ。
「この九つの、県下の地区全部がそうなんだ。担ぎ手の、跡取りがいないっちゅう・・・・」
祭りの主な担ぎ手は、地元の商店主や、広い土地持ちの旧農家の、2代目、3代目などが中心。農家は、土地を切り売りし、マンションなどを建てて、等価交換などの手段を、不動産業者などに勧められて、悠々自適の喰いっぱぐれなし。
長年にわたって、祖祖父、祖父、父、そして自分がと、跡を継ぐかのようにして、祭りの役員を務めてきた中年、老年が大半。
「まあ、6年に1回、巡ってくるわけだしねえ。仕事などに差し支えるわけでもないしと、引き受けてきたんだけど・・・・・」
ハッと、近年気付いたら、自分の息子は跡を継がずに会社員となり、東京に移り住んでいたりしていた。
「カネは集まってるよ、正直言ってさ」
フトコロの帯辺りを、ホロ酔い加減の口調で指差す。寄付金のことだ。
神輿は、さほど大きく、とんでもなく重いわけでは無い。先ほど書いた、三社祭りの、神を汚された神輿くらいの中規模サイズ。それが、九つ。
が、ズシリと重たいのは将来、迫りくる次回。
「6年に1回というのが、ネックなんじゃねえか? みんなで、そういうハナシしてんだよ。あんた、次やってくんない?」
冗談半分で、私の身体を舐めまわすように見る。
「この前もね、祭りに出たい!って、若いモンが来たんだよ。ところがさあ・・・・やりたいって言うのが、御囃子でさあ・・・・・・・。 あとは、古くから伝わる飾りもんを持って歩くやつ。ほら、今、休んでいるのがいるだろ? あのあんちゃんたちさ」
「お囃子なんかは、女の子がやりたがっているからさ。若い男がやりたいってゆうのがねえ・・・・・・」
「こっちもね。ほら、そこらへんにいる子どもたちいるだろ。太鼓たたいてみたり、飾りのものをひもで引っ張ったりする子達。その子たちに、こまめに御菓子あげたりしてるわけよ。さりげなく、親御さんにもね、6年後、12年後、ひとつよろしくってね」
まあ、言い換えれば餌付け(えづけ)みたいなもん、か。
「でも、将来はわかんないよなあ・・・・」
「わしらも、それなりに努力はしてるのさ。だけどねえ・・・」
深いためいき、ひとつ。
よく理解出来る、いろんな役員の説明と、厳しい現実。
「6年に1回と言うのが、ネックなのかなあ・・・・・」と、何度か繰り返した。
確かに、首都圏、関東各地で行なわれている祭りは、1年に1回、もしくは2回。期日も、土日も入れて、おまけに早いうちに決まっている。
例えば、千葉県の「佐原の大祭」。年2回、開催されている。神輿こそないが、旧地区名から引き出される、古来より伝わり、飾られている「山車(だし)」がそれぞれ鮮やか。
ソレを引っ張り歩くのは、若者たち。
角々で、勢い付けて木で出来ている車輪をグルリと一回転させる引き回しなどは、恒例の見せ場となっている。
その前で、扇子をまるで、数十年前のディスコ・フィーバー!のお立ち台に上って、扇子ひらひら、ミニスカの奥をくねらせ、ひらひらさせたギャルをほうふつとさせる踊りを、祭囃子に乗せて魅せる。
元、前、現ギャル連。
御囃子(おはやし)の笛、鐘、太鼓。これらは、半日、特訓すれば、昨年やったリズムや勘は、甦るものだ。
当たってみると、地元佐原の若者、すべてでは無かった。
地元出身の子は、この祭りに合わせて有給休暇をとって、帰郷して参加。ついでに、友達を引きずり込むように参加させる。
女の子、目の周り、タヌキメイクや、ただいま46歳の有働由美子アナウンサーのような、大きなつけまつげ落ちそうなくらい、文字通り、目一杯付けまくった元ディスコ・ギャルの姐さんも、昔取ったきねづか見せようじゃないのとばかりにとばかりに、チラリホラリ。
祭りの参加者は、あくまで地区出身の人間だけと、こだわっていたら、もうお祭りはこの先、成り立っていかない”厳実”が、そびえ立っている。
先の「佐原」と同様、古くから「小江戸」と呼ばれている、埼玉県の川越市の街並み。
そこの「お祭りの山車」(写真左上)の引き手や、御囃子連。それもまた、地元出身者が、帰郷して参加。友達も引き連れて、盛り上げ参加。
だから、長年にわたって祭りの伝統は維持され続けていると言う。
同じ関東地区で、こちらも伝統のある、栃木県鹿沼市(かぬまし)の「ぶっつけ秋祭り」の山車というか、大型屋台だ(写真左上)。
いつもは、ハッキリ言って、さびしき町。大型産業もなく、駅前もさびれ果てている。だから、若者の人口比率も低い。
だが、この秋祭りには、それっとばかりに戻って来て、盛り上げ騒ぐ。
最終日の夜は、ミニ同窓会も兼ね、祭りの打ち上げで振る舞われる酒をしたたかに飲み、歌い、旧交も温めあうという。
祭りが終わるや、翌日はまたそれぞれの住む街や、仕事先に舞い戻っていっている。
若者は、時として、馬鹿者になりがち。
日本で育ったものでもないのに、先日の渋谷駅頭で繰り広げられたバカ騒ぎ「ハロウィン」騒動。
いつだって、意味なく一体感が欲しくて、何かにかこつけて祭りに参加したがっている。
ソレを、「7年祭り」が利用しない手はない。
アタマを使えば、活路は、必ず開けるはず。ましてや、見た目カッコいい祭りの花形、神輿だ。
”餌付け”も必要だが、手始めに近隣の「スポーツジム」や「スポーツ チーム」などに呼びかけ、貼り紙や告知をお願いして、我こそはチカラ自慢の者達、体力自慢の者たちに、参加を広く呼びかけると良い。
担当役員は、みんな名言していたのだから。
「もうね、地区出身じゃないとダメとか、まずいとか、そんなことにこだわったり、言ってられない状況になってきているんだ」
「全国各地から、仕事や大学とかに通うために、地区のマンションやアパートに住んで、チカラを持て余している人達に、是非参加して、楽しんで担いで欲しいんだわ。お願いしますよ~!」