≪ 2018・3・14 掲載記事 ≫
≪ 2019・5・10 再掲載 ≫
≪ 2019・12・30 再再掲載 ≫
かつて、まぎれも無く、お笑い女性芸人、ナンバー1であった山田邦子(くにこ)のことを、昨年、数本、記事化した。
不倫関係の末、今から18年前。願いかなって、「夫」となった後藤史郎(しろう)と、妻子からの略奪婚までした彼女が、今は、殺意がふと湧き出ることもあるほど、夫への愛情が醒め切ってしまった発言を、ナマ放送の場でしたこと。
また、日本テレビが持ち上げた、女芸人コンテストの不明朗さに、自身のブログで異議を唱え、無料出番を急きょ、中止したいきさつなど。
それについては、番組のコンテストの不可解さを追いかけて、記事化もした。
実際、優勝した女ピン芸人は、賞金を手にした?ものの、その後の人気や躍進は、まったく見られない。その芸名すら、人の記憶から消え去ってしまった
その点だけでも、山田邦子の観る目は歪んでいなかったことが、証明されたとも、言って良い。
その流れもあって、彼女の、唯一のレギュラー、ラジオ番組を、しばしば聴いている。
かつては、婚姻後、親しい人達を招いて、このように、折りに触れて、仲睦まじく、パーティーを開いていた。
だが、近年は、まったく行なっていない。
都内、山手線のど真ん中に位置する四谷に建つ、後藤夫妻が住むとされている家。
だが、先の番組での発言でも、個人のブログの中でも、夫とのこと、妻としての家事、料理作り、交わす会話のこと、などは、一切、触れていない。
話したり、記載されているのは、いくつか手がけていたボランティア活動のイベント出演や、わずらった乳ガンの経験を話す講演会や、単発の番組ロケなどで、地方へ出かけて行って、数日宿泊。
帰京して、しなければいけない自分の着ていた衣類の洗濯作業。飼っている猫の世話や、食事を与えること。番組の若手芸人を引き連れての飲み会。
さらには、「恵ちゃん!」と、親愛の情を込めてクチにする、艶歌歌手・山内恵介の、追っかけコンサート鑑賞。彼を追って、大阪の劇場までも行く、入れ込み振り。
プロレスにも、のめり込み、後楽園ホールに観に行くだけで収まらず、企画までする「プロデュース興業」まで手掛けてしまっている。
その、どこにも、愛していた・・・・はずの、後藤史郎の「ご」の字も、「し」の字も出てこない。
後藤が社長として陣頭指揮をとっている、テレビ番組制作会社は、いくつかのレギュラー番組を抱え、順調に制作と経営を維持し続けている。
その会社に、今の生活ぶりを聞きたく、連絡を取り続けても、いつも不在。
いつデスクに戻るかも、いつ出社すのかも分かりませんと、突き放す応答ばかり。
・・・・・・・・・・・
そんななか、多少古いと言われるかも知れないが、昨年の11月19日(日)の、前記「日曜バラエティー」の生放送スタジオ公開収録番組で、思わず、耳をそばだてる出来事が起こった。
「鮨屋(すしや)で・・・」という曲が、歌われたのだ。
この曲名を目にしただけで、どんな詞の内容が歌われているのか?
知っている読者は、多いだろう。なにしろ、you tubeの検索数、89万回もあるのだから!
歌っているのは、芸名・あさみちゆき。結婚する前の実名・山本陽子・・・・といわれている。
くわしい氏素性は、明らかにしていないばかりか、実は、彼女。
裏と表の差があり過ぎる、決してほめられた性格ではない。所属事務所も、とある中年の夫婦が運営。芸能界のなかでの評判も、いまひとつ、かんばしくない。
なもんで、この「鮨屋で・・・・」が、こんなに検索視聴数があるのに、大ヒットには至っていない。
そんな女も、ひそかに入籍もしたのか、どうか。
現在2歳8か月の男児を抱えて、子育ても・・・・している・・・・らしい。
ともかく、不明瞭さが目に付く女。 とはいえ、曲と歌手は別物。
詞には、母と離婚した、かつての父と、久しぶりに再会。それも、鮨屋で・・・・という物語。
その得も言われぬ、細やかな感情のひださえ滲む、しみじみとした詞。
書いたのは、「井上千穂」という人物。
作曲は、杉本眞人(まさと)。若い頃は「すぎもと まさと」という表記で、シンガー&ソング・ライターとして、ライブ活動をしていた。
結構良い曲を創って歌っており、わたし、好きで、LPレコードも持っているほど。
あさみ、とは味わいが、かなり違う。これも、心に、し・み・る・・・・・・・。
で、作詞した人間。実は、専門の作詞家ではなく、杉本のレコーディング・スタッフの1人・・・・らしい。
おそらく、自身の体験が根っ子にあって、したためた詞であろう。
この曲が、山田邦子にとって、どうして衝撃的かというと・・・・。
後藤と結婚式を挙げた、その日。
まさに、喜びに浸っていたその時、母とともに、強引に離婚させられた娘は、なんと自殺を図っていた!
不幸中の幸いで、発見され、一命は取り留めた。当時、女子高校生だった。
あれから・・・・・18年。
彼女は、元気であれば、35歳前後。結婚して、子どもも、いるのかどうか・・・・。
20歳までの養育費や、共有の財産分与、慰謝料など、金銭的には生活は維持出来たかもしれないが、カラダ以上に傷ついたであろう心は、月日は流れて、どうなっているであろうか・・・・・。
後藤史郎と、山田邦子。
例え、同居していたとしても、「同床異夢」ならぬ、「別床異夢」。
別居、ならびに事実上の離婚をしていたとしても、マスコミはもう、大きく取り上げることも、無いはず。過日の、橋幸夫の、離婚&再婚の報道のように、わずか1日で、消え去る程度。
ひょっとして、今なら、オトナとして、かつての父と、鮨屋でなくとも、会っているかも知れない・・・・・。
少し、いや、大きく、前置きが長くなった。
「鮨屋で・・・・」を歌い終えた、あさみちゆきに、山田邦子が声を掛けた。
「良い曲ですねえ」
まあ、この一言は、構成台本通り。
「これねえ・・・かつて事情が有って、分かれて生きていた、父と、実の娘が、鮨屋のカウンターで年月を経て、再会するというんでしょう?」
「人生ねえ、ホント、色々あるのよねえ・・・・・・う~ん・・・・・」
いっぱく間を置いて、「ありがとうございました。あさみちゆきさんでした」
聴いてて、痛感した。
「・・・・・・・・」の間に、山田邦子の心の奥に、どのような想いが去来したのであろうか、と。
う~ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・、幸せって、人生って、男と女って・・・・・