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後藤 静香(セイコウ)(1884- 1971)「地上なり」『権威』2009年(304):阿修羅になれ!&君は一方で気力、他方で知恵を動員して戦え!

2018-02-16 21:22:48 | 日記
 地上なり

思いてかなわず
願いて成就せず
無念の涙にぬれて
世をはかなむ

友よ
悲しむをやめよ
ここは地上なり
おん身は人間なり
人間の意のままにならねばこそ
この世なり

《感想1》
「思いてかなわず、願いて成就せず、無念の涙にぬれて、世をはかなむ」。
これは、まことに、君そのもの。見事に、君の代弁だ。
では、君はどうする?
《感想1-2》
「友よ、悲しむをやめよ」とは、実に、その通りだ。
では、君はどうする?

《感想2》
君は、戦うのだ。無念でも、いつまで泣いていてもしょうがない。
君は、戦うのだ。君は阿修羅になる。

《感想3》
「ここは地上なり、おん身は人間なり」。その通りだ。
「人間の意のままにならねばこそ、この世なり」。まことに、その通りだ。
では、君はどうする?
君は、意のままにならぬこの世で、戦うのだ。君は阿修羅になる。

《感想4》
かくて君は「悲しむをやめ」、そして「意のままにならぬ」この世において、ひたすら阿修羅になって戦うのだ。
身体が丈夫なら、身体を資本に戦う。
本当に殴り合うことは、あまりないが、身体の健康は、戦いの基礎だ。
その上で、君は一方で気力、他方で知恵を動員して戦う。
(身体が丈夫でないなら、より一層、気力と知恵が重要だ。)
戦え!阿修羅になれ!
「無念の涙にぬれ、世をはかなむ」くらいなら、また「悲しむ」くらいなら、君は戦って死ぬのだ!
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自分が忘れてしまえば、もはや誰も知ることがない:上原隆(1949-)「この道を泣きつつわれのゆきしこと」『雨にぬれても』(2005年)所収

2018-02-16 20:05:07 | 日記
文学者、小沢信男(1927ー)が「新日本文学会」(1945ー2005)の解散にあたり、回顧する。
(1)
①1980年代、1990年代と、新日本文学会は、活力を失っていった。
②今や2000年代に入り、入会者は定年後の高齢者ばかりだ。雑誌は文学好きの同人誌にすぎない。

(2)
③小沢は1950年代前半、26歳で入会した。当時、大西巨人30歳代、花田清輝編集長40歳代。
③ー2 新日本文学会がスタートした1945年には、中野重治、佐多稲子とも40歳代だった。

(3)
④1970年代に、小沢は事務局長となる。
花田さんは、「つくれ、つくれ」と言う。
しかし「創作」とは、「いまだかつてないものを、新しくつくり出すこと」だ。そんなこと「しょっちゅうやってられますか」と小沢。
「十年かけ二十年かけて自分の代表作にやっとたどりついた」というのが普通。
⑤今は、雑誌『新日本文学』が、「なんかスカスカして見える」。

(4)
⑥かつては、1949年佐多稲子『私の東京地図』、1950年島尾敏雄『ちっぽけなアバンチュール』、井上光晴『書かれざる一章』が、新日本文学会から出た。
⑥ー2 1950年代に、金達寿『玄界灘』。これは「在日の文学を開拓した作品」と小沢。
⑦1960年代になると、大西巨人『神聖喜劇』、佐木隆三『ジャンケンポン協定』、野呂重雄『天国遊び』、小関智弘『ファンキー・ジャズ デモ』。
⑦ー2 「ワン・オブ・ザ・ベスト」が「ポコポコと出てきてるんだよ」と小沢が言う。

(5)
「ところが、あれからこっち、どうもね。」
「新日本文学界の会員が会の仕事をやると」、時給800円とか、1000円とか、財政難なのに、平気で受け取って帰る。
(5)ー2
ここで小沢の声が大きくなり、怒りが噴出する。
小沢は、26歳で新日本文学会に入会し、今や、76歳直前だ。
「運動というものは間尺にあわないものですよ。間尺にあわない運動をやるから獲得するものもあるわけじゃないですか」と小沢。

(6)
2003年、58年間続いた新日本文学会は、総会で解散を決定した。
小沢が解散の提案者だった。
小沢信男『わが忘れなば』に次の短歌がある。
「この道を泣きつつわれのゆきしこと わが忘れなばたれか知るらむ」

《感想》
50年間、自分が、かかわってきた「間尺にあわない運動」、つまり損得勘定からすれば全く割に合わない運動に対する気持ちを、小沢の短歌が示す。
彼は、この道を、「泣きつつ」進んだ。
その苦労は、自分のみが知るのであって、自分が忘れてしまえば、もはや誰も知ることがない。
人生は、みな、たいてい、こういうものだ。
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笑い話「足の痛み」:《潜在要因》に《年齢要因》が加わって、足の痛みは発症する

2018-02-16 19:28:01 | 日記
医者:右足の痛みは、お年のせいです。
患者:そんなはずは、ありません。だって、もう一方の足は、同い年なのに、ぜんぜん痛まないのだから。

Doctor: Your right leg is painful because you have got older.
Patient: You are wrong. The reason is that my left leg is as old as my right one but it is not painful.

《感想1》
右足と左足は、一緒に生まれたので、同年齢(「同い年」)だ。これは、患者の言うとおり。

《感想2》
足の痛みは、痛みの《潜在要因》に、《年齢要因》が加わって発症する。

《感想3》
右足は、痛みの《潜在要因》があらかじめあったので、これに《年齢要因》が加わって、痛くなった。
左足は、痛みの《潜在要因》がないので、《年齢要因》が加わっても、痛くならない。

《感想4》
患者は、痛みが、《潜在要因》+《年齢要因》で、発症することを知らない。

《感想5》
医者はどう言えば、よかったのか?
足の痛みは「お年のせいです」(《年齢要因》)とのみ、言ってはいけなかった。
足の痛みの原因は、「《潜在要因》に《年齢要因》(「お年」)が加わるからです」と言うべきだった。

《感想5ー2》
つまり、右足に、痛みの要因(《潜在要因》)がもともとある場合のみ、足の痛みは「お年のせいです」(《年齢要因》)と、医者は説明すべきだった。

《感想5ー3》
左足は、痛みの《潜在要因》がないので、年をとっても、つまり《年齢要因》が加わっても、痛くならない。
患者の言うとおり、確かに、左足は「同い年なのにぜんぜん痛まない」。

《感想5ー4》
右足は、痛みの《潜在要因》があるのだから、「右足の痛みはお年(《年齢要因》)のせいです」と言った医者は正しい。
医者が、丁寧に説明していれば、「そんなはずはありません」と、患者に言われることはなかった。
「そうですか、わかりました」と、患者は言ったろう。
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