(1)水野氏の2つの論点:①「資本主義」崩壊論&②アベノミクスは「生活破壊」政策!
①資本主義は崩壊に向かっている。
②アベノミクスは「国民窮乏化」政策、つまり「生活破壊政策」だ。
《感想》
資本主義の崩壊とは、どういうことか?
(ア)資本主義は、「企業・個人の利潤追求」が経済活動の原動力となる社会だ。
「企業・私人の利潤追求」が、経済システムとして、おそらく最良だ。
この意味での「資本主義」は、崩壊しない。
(イ)水野氏が、問題にするのは、「経済成長」、「経済規模の拡大」を目的とする「資本主義」だ。
(イ)-2 そして人口減少する日本では、「経済成長」、「経済規模の拡大」の追求は、企業による「国民窮乏化」を進めるだけだと、指摘する。
(イ)-3 その上で「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義は崩壊すべきだし、さらに、水野氏は、現に崩壊しつつあると、論じる。
(2)利子率の低下から、資本主義の崩壊を予見:水野氏
かつて1976年、仏の歴史人口学者エマニュエル・トッドは乳児死亡率の異常な高さから、ソ連の崩壊を予言。(1991年ソ連崩壊。)
日本の経済学者水野和夫は、利子率の低下から、資本主義の崩壊を予見する。
《感想》
「資本主義の崩壊」の問題は、水野氏の議論の論点①で、後述する。
(3)水野氏の論点②:アベノミクスが、「国民窮乏化」政策であるのは、なぜか?
(3)-2 経産省2014年「伊藤レポート」:ROE(自己資本利益率)20%を目指せ
経産省が2014年、「伊藤レポート」を出した。
アベノミクスは、「伊藤レポート」を前提に、経済政策を立案する。
これは、ROE(自己資本利益率)最低8%以上、具体的にはROE20%を目指せとのべる。
ROEは、株主拠出の自己資本で、企業が株主のためにどれだけ利益を上げたかを示す。
《感想》
経産省が、ROE(自己資本利益率)20%を目標とするのは、海外から日本企業への投資を呼び込むためだ。
海外から資金をえることが重要としても、ROE20%を企業に課することは、「国民窮乏化」をもたらし、国民を分断する。
他の方法を考えるべきだ。
(3)-3 ROE20%:賃金カット、非正規雇用比率の増大、つまり「国民窮乏化」をもたらす
企業は、経産省のお眼鏡にかない、かつ株主総会を乗り切るため、ROE(自己資本利益率)20%を目指す。
このため、賃金カット、非正規雇用比率の増大がなされる。
これを、国民ベースで考えれば、実質賃金、生活水準が、どんどん下がる。
これは「国民窮乏化」政策だ。
(3)-4 『短観』と『生活意識調査』
日銀が3か月ごとに出す景況感を示す二つの統計データが、対照的だ。
『企業短期経済観測調査(短観)』では、「良い」と答える企業が多数派だ。
『生活意識調査』では、「良くない」と回答する個人が多数派だ。
二つのデータが、逆方向を向くことは、これまで滅多になかった。
《感想1》
「伊藤レポート」を前提するアベノミクスは、「国民窮乏化」政策だ。
アベノミクスは、企業をサポートする。
しかし、企業の景気が良くても、国民の生活向上につながらない。
《感想2》
確かに、アベノミクスが、「人手不足」を引き起こすほど、「景気」を良くしたのは事実だ。
ただしこの人手不足は、基本的に非正規雇用者の「人手不足」だ。
国民の生活水準を、向上させてはいない。
《感想3》
若者(18歳以上~20歳代)の安倍内閣支持率が、高い。
これは、就職氷河期と違い、現在、売手市場(就職する学生側に有利)だということだ。
しかし正社員の過重な労働負担、明白なサービス残業。
しかも給料はあまり上がらず、いつリストラがあるか分からず、転勤も単身赴任が前提で、当たり前の果亭生活を保障しない。
(3)-5 生活水準は1997年比で15%下落した
生活水準は1997年比で15%下落した。
今後、名目GDP3%を達成しても、ROE(自己資本利益率)20%経営を強いられれば、10年後の生活水準は1997年比で40%下がる。
《感想1》
生活水準が下がったと言っても、これは平均だから、実は、低賃金の非正規雇用者の増大を意味する。
今後、さらに急激に、非正規雇用者が増大する可能性がある。
正社員も、裁量労働制が拡大すれば、労働時間の制限がなくなり、また残業代もなくなるので、低賃金・労働強化が進むだろう。
《感想2》
非正規雇用は、身分意識・差別意識・パワハラを生み、暗い社会を生み出す。
「国民窮乏化」だけでなく、「階級社会化」が進む。
「美しい」はずの国は、「国民相互の共感が失われた殺伐とした」国になるだろう。
残念だ。何とかしなければならない。
(3)-6 アベノミクスは、「国民生活より株主を重視している」
安倍政権は、一方で、3%賃上げを求めている。
しかし、他方で、安倍政権は「伊藤レポート」を前提とし、ROE(自己資本利益率)20%経営も求める。
3%賃上げとROE20%経営の両立のためには、名目GDP成長率5.5%が必要だ。
官僚は、このことを、知っているが、「忖度」(ソンタク)し、何も言わない。
アベノミクスは、「明らかに、国民生活より株主を重視している」(水野氏)。
《感想1》
アベノミクスは、国民向け(or選挙向け)に「3%賃上げ」ばかり宣伝する。
ところが実は、アベノミクスは、ROE(自己資本利益率)20%経営を事実上強制し、非正規雇用の拡大=「国民窮乏化」をめざしているのに、それを隠す。
《感想2》
企業が、国民全体の経済状況の向上など、考慮しない。
政治の任務だ。
日本が「階級社会」でいいわけがない。
かつて仁徳天皇は、「民のかまどの煙」に喜んだ。
政治は、国民全体の幸福の増大を目指すべきはずだ。
(4)アベノミクスと「株高」
ところで、アベノミクスは、「株高」をもたらした。
「株高」はアベノミクスの目標の一つだ。
①米国では株高は、国民の資産向上に寄与するが、「日本では、国民の資産の多くが銀行預金で、国民の大多数は、株高の恩恵を受けない」。
②株高は、もっぱら外国人株主に恩恵を与える。株高のために株を買い支える日銀は、「外国人株主銀行」(?!)と言ってよいくらいだ!
《感想》
水野氏の話に、付け加えれば、次の通り。
③株高は、時価会計の企業決算を好転させる。企業の好決算は、賃金上昇につながりうる。(実際は、企業は内部留保を増やすばかりで、賃金を増やさない。)
④株高は、富裕層に、資産効果をもたらし、一定程度、個人消費を増大させる。アベノミクスは、基本的にトリクルダウン説に立つ。(だが、格差の拡大が大きすぎる。)
(4)-2 日銀は、いつまで「株」を買い支えることが出来るか?
日銀は、5年間も、量的緩和を続ける。
量的緩和をやめるたら、「利上げ」と、「株価の急落」が起きる。
かくて「株価第一」の安倍政権は、黒田東彦(ハルヒコ)総裁に量的緩和を続けさせたい。
だが、タマ(日銀が購入できる民間保有の国債)がなくなったら、日銀の株買い支えができなくなる。
ただし日銀の国債購入が、年40-50兆円ペースなら、10年間は、大丈夫だ。つまりタマはもつ。
《感想1》
水野氏は、日銀の量的緩和、つまり日銀の「株」の買い支えが、10年間は大丈夫だとみる。
アベノミクスは、安泰だ。
《感想2》
安倍首相の目的は、「憲法改正」であって、「アベノミクス」は方便だ。
彼は、「株価」が上がり、「人手不足」が続き、就職が「売り手」市場で若者の支持が見込め、さらに景気に関心を持つ国民が、安倍政権を支持すれば、「憲法改正に有利になる」から、それだけに関心がある。
極論すれば、彼は「国民の生活」に興味がない。
彼は、「憲法改正」だけに興味がある。
(5)量的緩和からの出口でハイパーインフレ、国債暴落の懸念はないのか?
「基本的にはないと思う。」(水野氏)
ただし、安倍政権が財政収支均衡目標を先送りさせるのは、まずい。
今は、日本(経済)の基礎体力があるからいいが、なくなると財政収支均衡化が、大変な負担になる。
《感想》
「量的緩和からの出口で、ハイパーインフレや国債暴落の懸念がないのか」との問いに対し、水野氏が「基本的にはないと思う」と答えたが、本当にそうなのか、疑問が残る。
(5)-2 日本の基礎体力の物差しの一つは、「経常収支黒字」だ
(ア)日本の基礎体力の物差しの一つは、日本全体の「貯蓄」、つまり「経常収支黒字額」が、どれだけあるかだ。
これが、じわじわ減っている。
(イ)日本の経常収支黒字の源泉は、電気機械と自動車だったが、リーマンショック後、電気機械(Ex. スマホ)は落ち込んだ。かつて10-15兆円あった貿易黒字が3兆円に縮小。
(イ)-2 これから、「自動車が黒字を出せるか」、懸念がある。(これからは電気自動車の時代だ!)
(ウ)経産省は、かつての旧通産省のように輸出・産業育成行政に、立ち戻るべきだ。
(ウ)-2 財務省に成り代わって、経産省がマクロ経済政策の司令塔役を果たそうなどと、無理をするから間違える。先述の「ROE至上主義政策」など間違いの典型だ。
《感想》
「これから自動車が黒字を出せるか、懸念がある。」との指摘はもっともだ。
(a)中小企業は後継ぎがなく、産業のすそ野が衰退する。
(b)国内は格差が拡大し、優秀な人材が高等教育を受けられない。
(c)大学に財政資金を回さず、日本の科学・学問は瀕死の状態だ。
「国家百年の計」は、大丈夫なのか?
(6)水野氏の論点①:資本主義が崩壊に向かっている?
論点①:「資本主義が崩壊に向かっている」との水野氏の主張を、以下、検討しよう。
資本主義は、「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」(フロンティア)を広げることによって、「中心」が利潤率を高めていく(資本の自己増殖を推進していく)システムだ。
ところが「グローバリゼーション」で、世界が近くなったこの時代に、地理的な市場拡大も、金融・資本市場の拡大も、限界に来ている。
《感想1》
水野氏が「資本の自己増殖」と呼ぶのは、「経済成長」、「経済規模の拡大」のことだ。
「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義は、このグローバリゼーションの時代、終わりつつある。
世界が、もはや「周辺」を持たず、「中心」のみになる時が、やがて来るだろう。
その時は、「経済成長」、「経済規模の拡大」は不可能だ、つまり「資本の自己増殖」は不可能だと、水野氏が言う。
《感想2》
さて、水野氏は、国民経済レベルで、拡大再生産は、不要だと主張する。
つまりGDP 成長は不要だとする。
前年と同じだけ利益が上がればよい。
国民経済の目標を、経済成長(GDPの成長)でなく、一人当たりGDPの水準の維持に置けば、良い。
人口規模に対応した単純再生産でよいということだ。
「経済成長」、「経済規模の拡大」を目的とする「資本主義」は崩壊してよい。
《感想2-2》
GDPとは、そもそも、企業・個人の経済活動における利益の合計だ。
これが国民経済レベルで増大しなくても、困らない。
国民一人当たりのGDPが変わらなければ良いのだ。
経済的競争はもちろんある。
損する企業も、得する企業もある。
しかし、全体として国民経済レベルで、拡大再生産することを、目標としなくていい。
国民一人当たりのGDP、分配の公正性などを、目標とすればよい。
「利益の合計を前年より増大させよ」、「前年より経済成長させよ」と、各企業に要求しなくてよい。
《感想2-3》
しかし「企業・個人の利潤追求」の経済システムとしての「資本主義」は崩壊しない。
(6)-2 「金利ゼロで、資本の自己増殖の時代(資本主義の時代)が、終わりつつある」?
資本主義は、無目的に自己増殖する仕組み(「経済成長」、「経済規模の拡大」を追求する仕組み)だ。
これに関して、水野氏が、以下のように言う。
だが「金利ゼロで、資本の自己増殖の時代(資本主義の時代)が、終わりつつある。」
特に、日独では長短金利が両方ゼロになり、資本主義のご臨終の局面だ。
これは、科学とテクノロジーで合理性を追求する近代主義の終りでもある。
《感想1》
金利がゼロだからと言って、それが資本の自己増殖ゼロを意味するわけでない。
金利がゼロでも、投資の配当がゼロでない。
例えば、銀行は、金利で稼げなければ、投資で稼ぐ。
《感想1-2》
「金利ゼロ」と、「資本の自己増殖の時代(資本主義の時代)の終わり」が同一との、水野氏の主張は、疑問だ。
《感想2》
「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義(つまり「資本の自己増殖」としての資本主義)は崩壊してよい。
《感想2-2》
しかし「企業・個人の利潤追求」の経済システムとしての「資本主義」は、歴史的に見て最良の経済システムだ。
《感想2-3》
「企業・個人の利潤追求」は、競争を不可欠とするから、「科学とテクノロジーで合理性を追求する近代主義」も、終わることがない。
「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義が崩壊したら、「近代主義も終わる」とする水野氏の主張は、疑問がある。
(7)資本主義は、利潤も生めない&格差ばかり拡大する
「資本主義はモラルとしてもたない」と水野氏は言う。
資本主義は、格差社会を生み出しつつある。
「全体のパイが増えず、分配が行き届かない。」
日本では、「分配が、外国人株主のほうに厚く、片寄っている。」
「資本主義は、利潤も生めない。格差ばかり拡大する。」(水野氏)
(7)-2 経済成長を目標としない“定常型社会”に適した資本主義への「修正」がなされるべきだ
水野氏は、「資本主義後の世界」について語る。
(※これには、疑義がある。資本主義は存続する。問題は資本主義の「修正」だ。(後述))
経済成長を目標としない“定常型社会”が、到来する。
《感想》
「資本主義後の世界」について水野氏は語るが、これは不適切で、問題は、資本主義の「修正」だ。
「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義(つまり「資本の自己増殖」としての資本主義)は崩壊してよい。
しかし「企業・個人の利潤追求」の経済システムとしての「資本主義」は、これまでのところ歴史的に最良の経済システムだ。
かくて、経済成長を目標としない“定常型社会”に適した資本主義への「修正」がなされるべきだ。
(7)-3 財政の均衡化、再生可能エネルギーへの転換、地方分権の実現が、定常型社会の前提だ(水野氏)
定常型社会は、ゼロ金利、ゼロインフレ、ゼロ成長だ。
財政の均衡化、再生可能エネルギーへの転換、地方分権の実現が、定常型社会の前提だ。
資本主義、近代主義の「より遠く、より速く、より合理的に」という価値観から、「より近く、より遅く、より寛容に」の価値観へ転換する。
《感想1》
《経済成長を目標としないが、競争にも勝ち抜く「企業・個人の利潤追求」の経済システムとしての「資本主義」》は、存続するだろう。
《感想2》
水野氏が言うように、経産省の「ROE至上主義政策」など間違いの典型だ。
分配の不公正が、国民の連帯感、活力をそぐ。国民が、分断されてしまう。
①資本主義は崩壊に向かっている。
②アベノミクスは「国民窮乏化」政策、つまり「生活破壊政策」だ。
《感想》
資本主義の崩壊とは、どういうことか?
(ア)資本主義は、「企業・個人の利潤追求」が経済活動の原動力となる社会だ。
「企業・私人の利潤追求」が、経済システムとして、おそらく最良だ。
この意味での「資本主義」は、崩壊しない。
(イ)水野氏が、問題にするのは、「経済成長」、「経済規模の拡大」を目的とする「資本主義」だ。
(イ)-2 そして人口減少する日本では、「経済成長」、「経済規模の拡大」の追求は、企業による「国民窮乏化」を進めるだけだと、指摘する。
(イ)-3 その上で「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義は崩壊すべきだし、さらに、水野氏は、現に崩壊しつつあると、論じる。
(2)利子率の低下から、資本主義の崩壊を予見:水野氏
かつて1976年、仏の歴史人口学者エマニュエル・トッドは乳児死亡率の異常な高さから、ソ連の崩壊を予言。(1991年ソ連崩壊。)
日本の経済学者水野和夫は、利子率の低下から、資本主義の崩壊を予見する。
《感想》
「資本主義の崩壊」の問題は、水野氏の議論の論点①で、後述する。
(3)水野氏の論点②:アベノミクスが、「国民窮乏化」政策であるのは、なぜか?
(3)-2 経産省2014年「伊藤レポート」:ROE(自己資本利益率)20%を目指せ
経産省が2014年、「伊藤レポート」を出した。
アベノミクスは、「伊藤レポート」を前提に、経済政策を立案する。
これは、ROE(自己資本利益率)最低8%以上、具体的にはROE20%を目指せとのべる。
ROEは、株主拠出の自己資本で、企業が株主のためにどれだけ利益を上げたかを示す。
《感想》
経産省が、ROE(自己資本利益率)20%を目標とするのは、海外から日本企業への投資を呼び込むためだ。
海外から資金をえることが重要としても、ROE20%を企業に課することは、「国民窮乏化」をもたらし、国民を分断する。
他の方法を考えるべきだ。
(3)-3 ROE20%:賃金カット、非正規雇用比率の増大、つまり「国民窮乏化」をもたらす
企業は、経産省のお眼鏡にかない、かつ株主総会を乗り切るため、ROE(自己資本利益率)20%を目指す。
このため、賃金カット、非正規雇用比率の増大がなされる。
これを、国民ベースで考えれば、実質賃金、生活水準が、どんどん下がる。
これは「国民窮乏化」政策だ。
(3)-4 『短観』と『生活意識調査』
日銀が3か月ごとに出す景況感を示す二つの統計データが、対照的だ。
『企業短期経済観測調査(短観)』では、「良い」と答える企業が多数派だ。
『生活意識調査』では、「良くない」と回答する個人が多数派だ。
二つのデータが、逆方向を向くことは、これまで滅多になかった。
《感想1》
「伊藤レポート」を前提するアベノミクスは、「国民窮乏化」政策だ。
アベノミクスは、企業をサポートする。
しかし、企業の景気が良くても、国民の生活向上につながらない。
《感想2》
確かに、アベノミクスが、「人手不足」を引き起こすほど、「景気」を良くしたのは事実だ。
ただしこの人手不足は、基本的に非正規雇用者の「人手不足」だ。
国民の生活水準を、向上させてはいない。
《感想3》
若者(18歳以上~20歳代)の安倍内閣支持率が、高い。
これは、就職氷河期と違い、現在、売手市場(就職する学生側に有利)だということだ。
しかし正社員の過重な労働負担、明白なサービス残業。
しかも給料はあまり上がらず、いつリストラがあるか分からず、転勤も単身赴任が前提で、当たり前の果亭生活を保障しない。
(3)-5 生活水準は1997年比で15%下落した
生活水準は1997年比で15%下落した。
今後、名目GDP3%を達成しても、ROE(自己資本利益率)20%経営を強いられれば、10年後の生活水準は1997年比で40%下がる。
《感想1》
生活水準が下がったと言っても、これは平均だから、実は、低賃金の非正規雇用者の増大を意味する。
今後、さらに急激に、非正規雇用者が増大する可能性がある。
正社員も、裁量労働制が拡大すれば、労働時間の制限がなくなり、また残業代もなくなるので、低賃金・労働強化が進むだろう。
《感想2》
非正規雇用は、身分意識・差別意識・パワハラを生み、暗い社会を生み出す。
「国民窮乏化」だけでなく、「階級社会化」が進む。
「美しい」はずの国は、「国民相互の共感が失われた殺伐とした」国になるだろう。
残念だ。何とかしなければならない。
(3)-6 アベノミクスは、「国民生活より株主を重視している」
安倍政権は、一方で、3%賃上げを求めている。
しかし、他方で、安倍政権は「伊藤レポート」を前提とし、ROE(自己資本利益率)20%経営も求める。
3%賃上げとROE20%経営の両立のためには、名目GDP成長率5.5%が必要だ。
官僚は、このことを、知っているが、「忖度」(ソンタク)し、何も言わない。
アベノミクスは、「明らかに、国民生活より株主を重視している」(水野氏)。
《感想1》
アベノミクスは、国民向け(or選挙向け)に「3%賃上げ」ばかり宣伝する。
ところが実は、アベノミクスは、ROE(自己資本利益率)20%経営を事実上強制し、非正規雇用の拡大=「国民窮乏化」をめざしているのに、それを隠す。
《感想2》
企業が、国民全体の経済状況の向上など、考慮しない。
政治の任務だ。
日本が「階級社会」でいいわけがない。
かつて仁徳天皇は、「民のかまどの煙」に喜んだ。
政治は、国民全体の幸福の増大を目指すべきはずだ。
(4)アベノミクスと「株高」
ところで、アベノミクスは、「株高」をもたらした。
「株高」はアベノミクスの目標の一つだ。
①米国では株高は、国民の資産向上に寄与するが、「日本では、国民の資産の多くが銀行預金で、国民の大多数は、株高の恩恵を受けない」。
②株高は、もっぱら外国人株主に恩恵を与える。株高のために株を買い支える日銀は、「外国人株主銀行」(?!)と言ってよいくらいだ!
《感想》
水野氏の話に、付け加えれば、次の通り。
③株高は、時価会計の企業決算を好転させる。企業の好決算は、賃金上昇につながりうる。(実際は、企業は内部留保を増やすばかりで、賃金を増やさない。)
④株高は、富裕層に、資産効果をもたらし、一定程度、個人消費を増大させる。アベノミクスは、基本的にトリクルダウン説に立つ。(だが、格差の拡大が大きすぎる。)
(4)-2 日銀は、いつまで「株」を買い支えることが出来るか?
日銀は、5年間も、量的緩和を続ける。
量的緩和をやめるたら、「利上げ」と、「株価の急落」が起きる。
かくて「株価第一」の安倍政権は、黒田東彦(ハルヒコ)総裁に量的緩和を続けさせたい。
だが、タマ(日銀が購入できる民間保有の国債)がなくなったら、日銀の株買い支えができなくなる。
ただし日銀の国債購入が、年40-50兆円ペースなら、10年間は、大丈夫だ。つまりタマはもつ。
《感想1》
水野氏は、日銀の量的緩和、つまり日銀の「株」の買い支えが、10年間は大丈夫だとみる。
アベノミクスは、安泰だ。
《感想2》
安倍首相の目的は、「憲法改正」であって、「アベノミクス」は方便だ。
彼は、「株価」が上がり、「人手不足」が続き、就職が「売り手」市場で若者の支持が見込め、さらに景気に関心を持つ国民が、安倍政権を支持すれば、「憲法改正に有利になる」から、それだけに関心がある。
極論すれば、彼は「国民の生活」に興味がない。
彼は、「憲法改正」だけに興味がある。
(5)量的緩和からの出口でハイパーインフレ、国債暴落の懸念はないのか?
「基本的にはないと思う。」(水野氏)
ただし、安倍政権が財政収支均衡目標を先送りさせるのは、まずい。
今は、日本(経済)の基礎体力があるからいいが、なくなると財政収支均衡化が、大変な負担になる。
《感想》
「量的緩和からの出口で、ハイパーインフレや国債暴落の懸念がないのか」との問いに対し、水野氏が「基本的にはないと思う」と答えたが、本当にそうなのか、疑問が残る。
(5)-2 日本の基礎体力の物差しの一つは、「経常収支黒字」だ
(ア)日本の基礎体力の物差しの一つは、日本全体の「貯蓄」、つまり「経常収支黒字額」が、どれだけあるかだ。
これが、じわじわ減っている。
(イ)日本の経常収支黒字の源泉は、電気機械と自動車だったが、リーマンショック後、電気機械(Ex. スマホ)は落ち込んだ。かつて10-15兆円あった貿易黒字が3兆円に縮小。
(イ)-2 これから、「自動車が黒字を出せるか」、懸念がある。(これからは電気自動車の時代だ!)
(ウ)経産省は、かつての旧通産省のように輸出・産業育成行政に、立ち戻るべきだ。
(ウ)-2 財務省に成り代わって、経産省がマクロ経済政策の司令塔役を果たそうなどと、無理をするから間違える。先述の「ROE至上主義政策」など間違いの典型だ。
《感想》
「これから自動車が黒字を出せるか、懸念がある。」との指摘はもっともだ。
(a)中小企業は後継ぎがなく、産業のすそ野が衰退する。
(b)国内は格差が拡大し、優秀な人材が高等教育を受けられない。
(c)大学に財政資金を回さず、日本の科学・学問は瀕死の状態だ。
「国家百年の計」は、大丈夫なのか?
(6)水野氏の論点①:資本主義が崩壊に向かっている?
論点①:「資本主義が崩壊に向かっている」との水野氏の主張を、以下、検討しよう。
資本主義は、「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」(フロンティア)を広げることによって、「中心」が利潤率を高めていく(資本の自己増殖を推進していく)システムだ。
ところが「グローバリゼーション」で、世界が近くなったこの時代に、地理的な市場拡大も、金融・資本市場の拡大も、限界に来ている。
《感想1》
水野氏が「資本の自己増殖」と呼ぶのは、「経済成長」、「経済規模の拡大」のことだ。
「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義は、このグローバリゼーションの時代、終わりつつある。
世界が、もはや「周辺」を持たず、「中心」のみになる時が、やがて来るだろう。
その時は、「経済成長」、「経済規模の拡大」は不可能だ、つまり「資本の自己増殖」は不可能だと、水野氏が言う。
《感想2》
さて、水野氏は、国民経済レベルで、拡大再生産は、不要だと主張する。
つまりGDP 成長は不要だとする。
前年と同じだけ利益が上がればよい。
国民経済の目標を、経済成長(GDPの成長)でなく、一人当たりGDPの水準の維持に置けば、良い。
人口規模に対応した単純再生産でよいということだ。
「経済成長」、「経済規模の拡大」を目的とする「資本主義」は崩壊してよい。
《感想2-2》
GDPとは、そもそも、企業・個人の経済活動における利益の合計だ。
これが国民経済レベルで増大しなくても、困らない。
国民一人当たりのGDPが変わらなければ良いのだ。
経済的競争はもちろんある。
損する企業も、得する企業もある。
しかし、全体として国民経済レベルで、拡大再生産することを、目標としなくていい。
国民一人当たりのGDP、分配の公正性などを、目標とすればよい。
「利益の合計を前年より増大させよ」、「前年より経済成長させよ」と、各企業に要求しなくてよい。
《感想2-3》
しかし「企業・個人の利潤追求」の経済システムとしての「資本主義」は崩壊しない。
(6)-2 「金利ゼロで、資本の自己増殖の時代(資本主義の時代)が、終わりつつある」?
資本主義は、無目的に自己増殖する仕組み(「経済成長」、「経済規模の拡大」を追求する仕組み)だ。
これに関して、水野氏が、以下のように言う。
だが「金利ゼロで、資本の自己増殖の時代(資本主義の時代)が、終わりつつある。」
特に、日独では長短金利が両方ゼロになり、資本主義のご臨終の局面だ。
これは、科学とテクノロジーで合理性を追求する近代主義の終りでもある。
《感想1》
金利がゼロだからと言って、それが資本の自己増殖ゼロを意味するわけでない。
金利がゼロでも、投資の配当がゼロでない。
例えば、銀行は、金利で稼げなければ、投資で稼ぐ。
《感想1-2》
「金利ゼロ」と、「資本の自己増殖の時代(資本主義の時代)の終わり」が同一との、水野氏の主張は、疑問だ。
《感想2》
「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義(つまり「資本の自己増殖」としての資本主義)は崩壊してよい。
《感想2-2》
しかし「企業・個人の利潤追求」の経済システムとしての「資本主義」は、歴史的に見て最良の経済システムだ。
《感想2-3》
「企業・個人の利潤追求」は、競争を不可欠とするから、「科学とテクノロジーで合理性を追求する近代主義」も、終わることがない。
「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義が崩壊したら、「近代主義も終わる」とする水野氏の主張は、疑問がある。
(7)資本主義は、利潤も生めない&格差ばかり拡大する
「資本主義はモラルとしてもたない」と水野氏は言う。
資本主義は、格差社会を生み出しつつある。
「全体のパイが増えず、分配が行き届かない。」
日本では、「分配が、外国人株主のほうに厚く、片寄っている。」
「資本主義は、利潤も生めない。格差ばかり拡大する。」(水野氏)
(7)-2 経済成長を目標としない“定常型社会”に適した資本主義への「修正」がなされるべきだ
水野氏は、「資本主義後の世界」について語る。
(※これには、疑義がある。資本主義は存続する。問題は資本主義の「修正」だ。(後述))
経済成長を目標としない“定常型社会”が、到来する。
《感想》
「資本主義後の世界」について水野氏は語るが、これは不適切で、問題は、資本主義の「修正」だ。
「経済成長」、「経済規模の拡大」としての資本主義(つまり「資本の自己増殖」としての資本主義)は崩壊してよい。
しかし「企業・個人の利潤追求」の経済システムとしての「資本主義」は、これまでのところ歴史的に最良の経済システムだ。
かくて、経済成長を目標としない“定常型社会”に適した資本主義への「修正」がなされるべきだ。
(7)-3 財政の均衡化、再生可能エネルギーへの転換、地方分権の実現が、定常型社会の前提だ(水野氏)
定常型社会は、ゼロ金利、ゼロインフレ、ゼロ成長だ。
財政の均衡化、再生可能エネルギーへの転換、地方分権の実現が、定常型社会の前提だ。
資本主義、近代主義の「より遠く、より速く、より合理的に」という価値観から、「より近く、より遅く、より寛容に」の価値観へ転換する。
《感想1》
《経済成長を目標としないが、競争にも勝ち抜く「企業・個人の利潤追求」の経済システムとしての「資本主義」》は、存続するだろう。
《感想2》
水野氏が言うように、経産省の「ROE至上主義政策」など間違いの典型だ。
分配の不公正が、国民の連帯感、活力をそぐ。国民が、分断されてしまう。