(1)
まことに、君は、面倒くさい。
君は、健康のため、今、体重管理をしている。
ところが今日は、美味(ウマ)いものを食べ過ぎた。
明日は、あまり食べられない。
つらくて大変だ。
(2)
美味(ウマ)いものを食べたい欲求。
別に悪いことではないが、「食べ過ぎ」は、健康によくない。
(3)
これだけのことで、かくも、面倒くさい。
人生は、その些末(サマツ)さに笑ってしまう。
(4)
さて、これまでの「君の悩み」、「君が戦ってきた相手、あるいはもの」は、何だったのか?
思い返すのも、大変だ?
ただ「多くの苦労が、あった」のは、間違いない。
(5)
今、君は、「美味(ウマ)いものが、好きなだけ食べられない」と、悩んでいる。
「いいご身分だ!」と嫌味を言われるだろう。
(6)
それにしても、人生は欲望、欲求、目指すべき目標、意図で動く。
さらに、感情が、君を取り巻く。
(欲望、欲求も、感情の一種だ。)
(6)-2
理性(論理的理性)は、論理的注視の自発性(欲望)だ。
善を求める理性もある。道徳的理性だ。これも欲望の一種だ。
美への欲望もある。
(6)-3
目標・意図の基盤は、感情、欲望、欲求だ。
(7)
かくも人生は、人の心の産物だ。
そして、誰もが、「感情、欲望、欲求、目標、意図」に振り回される。
なんという、煩悩!
「煩悩は、身心を乱し、悩ませる」と仏教は言うが、人生とは煩悩そのものだ。
(7)-2
煩悩の否定は、人生の否定だ。
それは、どう考えても、簡単にできるわけがない。
煩悩の否定は、生きたまま死ぬことだ。
(お釈迦さまも、大変な課題を、自らに課したものだ!)
(7)-3
その上、何十億もの人生が、この地上(地球)にある。
考えただけで、気が滅入る。
(8)
君は、どうするか。
君が、君にふさわしいと思う「感情、欲望、欲求、目標、意図」を選び取り、君自身をそちらへ誘導し、あるいは実現していく。
これが、君の人生の内実そのものだ。
まことに、君は、面倒くさい。
君は、健康のため、今、体重管理をしている。
ところが今日は、美味(ウマ)いものを食べ過ぎた。
明日は、あまり食べられない。
つらくて大変だ。
(2)
美味(ウマ)いものを食べたい欲求。
別に悪いことではないが、「食べ過ぎ」は、健康によくない。
(3)
これだけのことで、かくも、面倒くさい。
人生は、その些末(サマツ)さに笑ってしまう。
(4)
さて、これまでの「君の悩み」、「君が戦ってきた相手、あるいはもの」は、何だったのか?
思い返すのも、大変だ?
ただ「多くの苦労が、あった」のは、間違いない。
(5)
今、君は、「美味(ウマ)いものが、好きなだけ食べられない」と、悩んでいる。
「いいご身分だ!」と嫌味を言われるだろう。
(6)
それにしても、人生は欲望、欲求、目指すべき目標、意図で動く。
さらに、感情が、君を取り巻く。
(欲望、欲求も、感情の一種だ。)
(6)-2
理性(論理的理性)は、論理的注視の自発性(欲望)だ。
善を求める理性もある。道徳的理性だ。これも欲望の一種だ。
美への欲望もある。
(6)-3
目標・意図の基盤は、感情、欲望、欲求だ。
(7)
かくも人生は、人の心の産物だ。
そして、誰もが、「感情、欲望、欲求、目標、意図」に振り回される。
なんという、煩悩!
「煩悩は、身心を乱し、悩ませる」と仏教は言うが、人生とは煩悩そのものだ。
(7)-2
煩悩の否定は、人生の否定だ。
それは、どう考えても、簡単にできるわけがない。
煩悩の否定は、生きたまま死ぬことだ。
(お釈迦さまも、大変な課題を、自らに課したものだ!)
(7)-3
その上、何十億もの人生が、この地上(地球)にある。
考えただけで、気が滅入る。
(8)
君は、どうするか。
君が、君にふさわしいと思う「感情、欲望、欲求、目標、意図」を選び取り、君自身をそちらへ誘導し、あるいは実現していく。
これが、君の人生の内実そのものだ。