DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

人生の意味は一方で単純で、他方で複雑だ 

2018-02-03 23:34:58 | 日記
(1)
人生の意味は、金があって、えばり散らせて、一般に、その人の幸福、快、あるいは望むものが、手に入るかどうかだけだ。
The meaning of a life depends on your making much money, having much power, and, generally speaking, acquiring your happiness, pleasures, or objectives.
それらが、どういう形態の内で実現・成就するかは、どうでもいいのだ。 It doesn’t become a problem in what kind of way you achieve or accomplish them.
これが、出世、成功の内実だ。 This is the real meaning of your rising to a high position and succeeding in life.
人生の意味は、かくも単純だ。 The meaning of a life is simple in this way.

(2)
だが、人生の意味は、複雑にもなる。 However, the meaning of a life becoms complicated, too.
それは、多くの人が、金が足りず、屈従せねばならず、一般に、しばしば不幸、不快、あるいは失望を経験するからだ。
The reason is as follows: Many people are short of money and have to reluctantly obey to upper people. As a result, generaly speaking, they often experience unhappiness, displeasures, and disappointments.
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感覚において出現する物は、「物そのもの」であって、物の「像」でない 

2018-02-03 22:51:13 | 日記
第1部 物は、モナドでなく、物それ自身において、出現できる(存在する、有である)のか?
(1)
君は、「モナド」だ。
「モナド」は、世界(宇宙的広がりの存在)であり、君は、世界だ。(後述:第4部(9)-2「モナド」は「物そのもの」を含む、参照!)
「モナド」は、感覚だけでなく、感情・欲望・意図からなる存在(有)であり、時間形式をもつ。
(2)
「物」は、「感覚」においてのみ、存在(有)として、出現する。(感情・欲望・意図は「物」の出現と関わらない。)
(3)
「物」は、はたして、(「モナド」と無関係に)永遠に存在しているのか?(後述:第4部「モナド」が絶滅しても、「物」(宇宙)は「予持・今・把持という時間形式」を持つので、存在可能だ、参照!しかし「モナド」が一つでも存在する限り、「モナド」は「物」(宇宙)全体を含む!)
(4)
「モナドという存在の仕方」以外に、この宇宙(物の拡がり)は、出現(存在)できるのか?(後述:第4部、「モナド」がなくても、「物」(宇宙)は存在可能だ!)
モナドなしには、物の拡がり(宇宙)は、虚無なのか(存在しないのか)?(後述:第4部、虚無でない!)
それともモナドなしに、物の拡がり(宇宙)は、存在する(有である)のか?(後述:第4部、存在する!)
(5)
物は、モナドでなく、物それ自身において、出現できる(存在する、有である)のか?(後述:第4部、出現できる!)
物は、モナドとしてしか、出現できない(存在できない、無である)のではないのか?(後述:第4部、「物」は、モナドを介してでなくても、出現・存在できる!)


第2部 君の感覚において、君は、物の「像」を感覚するのでなく、「物そのもの」を感覚する
(6)
君の感覚において、君は、物の「像」を感覚するわけでない。
感覚されるのは、「物そのもの」だ。
ここが、話の、出発点だ。
(6)-2
物の「像」という言い方は、視覚の比喩だ。
だが「物」は、定義からして、視覚として感覚されるのでない。
「物」とは、抵抗するもの、重さのあるものであり、つまり触覚においてのみ、「物」は出現する。
(6)-3
「物」は、何よりも、触覚において感覚される。
この時、触覚されるのは、「物そのもの」だ。
(6)-3-2
君の身体は、「物」であり、内部が充填されており(内部充填感覚は、触覚の一種だ)、君が向こう側を触れば、こちら側(君)も向こう側も、「物」として出現する。
触覚される君の身体は、視覚される「像」でない。
痛覚も触覚だ。
君の激痛は、「物(身体)そのもの」で、「物(身体)そのもの」の範囲を確定する。
(6)-4
君の身体(こちら側の物)は重さがあり、向こう側の物も重さがある。
物は、互いに抵抗し合い、抵抗し合うとは重さを持つことだ。(抵抗の度合いが重さだ。)
抵抗するもの、重さのあるものは、「物そのもの」であり、触覚において、「物そのもの」が出現する。
触覚において、物の「像」でなく、物「そのもの」が、出現している。


第3部 物が提供する「像」は、実は、「像」でなく、物そのものの「一部」だ&感覚において出現する物は、「物そのもの」であって、物の「像」でない。
(7)
触覚において感覚されるこちら側の物と向こう側の物は、「物そのもの」の出現でないのか?(「物そのもの」の出現だ!)
「触覚において感覚されるこちら側の物と、向こう側の物」というこの出来事全体が、物の「像」なのだろうか?(物の「像」だなく、物「そのもの」だ!)
(7)-2
(触覚される)「物そのもの」が、視覚において汲めども尽きせぬ「像」を提供する。
だがその「像」自身が、実は「物そのもの」なのだ。
君の感覚において、君は、物の「像」を感覚するわけでない。
視覚も含めて、あらゆる感覚されるものは、「物そのもの」だ。(参照(6))
(7)-2
錯覚も、「物そのもの」の錯覚だ。
(7)-3
物が提供する「像」は、実は、「像」でなく、物そのものの「一部」だ。
物の「像」とは、物の「一部」のことだ。
(7)-4
幻影も、実は、「物そのもの」の一部だ。
視覚における物の「像」も、「物そのもの」の出現形態の一つだ。
(8)
物は、感覚において、存在(有)として、出現する。(参照(2))
感覚において出現する物は、「物そのもの」であって、物の「像」でない。


第4部 「モナド」が絶滅しても、「物」(宇宙)は「予持・今・把持という時間形式」を持つので、存在可能だ
(9)「モナド」としての君において、物の「像」でなく、「物そのもの」が出現する
「モナド」としての君において、物の「像」でなく、「物そのもの」が出現する。
「物」は、モナドを介してでなく、物それ自身において、出現できる(存在する、有である)のか?(参照(5))
(後述(10)-3④参照:「モナド」が絶滅しても、すでに、「モナド」とシンクロナイズしたことが確認されたから、「物」(宇宙)は、「予持・今・把持という時間形式」を持つので、「モナド」と無縁に、存在可能だ。)

(9)(続)「物」が時間形式を持ち、かつ「モナド」が時間形式を持つ
モナドにおいて、物(ここで「物」の語は、以下、「物そのもの」の意味で使う)が出現できるのは、物が時間形式を持ち、かつモナドが時間形式を持つからだ。

(9)-2 「モナド」は「物そのもの」を含む
「モナド」としての君において、「物そのもの」が出現する。
このことは、「モナド」が「物そのもの」と連続している(あるいは「モナド」は「物そのもの」を含む)ことを示す。

(9)-3 「物」は、それ自身、予持・今・把持という時間形式を持ち、それゆえに存在が途切れず保たれる
「物」が存在するためには、予持(存在が到来すること、途切れず来ること)・今・把持(存在が途切れず保たれること)という時間形式(時間)を持つことが必要だ。
「物」は、それ自身、予持・今・把持という時間形式を持つ。
(後述(10)-3④参照:すでに、「モナド」とシンクロナイズしたことが確認されたから、「物」(宇宙)は、「予持・今・把持という時間形式」を持つ。)
「予持・今・把持という時間形式を持つ」とは、存在が「生み出され続ける」ことだ。
時間とは、存在の産出、例えば「物」なら、「物」が産出され続けることだ。
時間が無いと、存在は途切れ、不可能となり、虚無となる。

(9)-4 「モナド」は、(「物」と異なり)「想起・今・先想起(予期)という時間形式」も持つ
「モナド」は、(「物」と異なり)「予持・今・把持という時間形式」のほかに、「想起・今・先想起(予期)という時間形式」も持つ。

(9)-5 「物」は、「予持・今・把持という時間形式」のみを持つ
これに対し、「物」は、「予持・今・把持という時間形式」のみを持ち、「想起・今・先想起(予期)という時間形式」を持たない。

(10)中間まとめ:①「予持・今・把持という時間形式」が存在を可能にする、②「物」と「モナド」のシンクロナイズ(「今」の共有)が「モナド」のうちに「物」を出現させる、③「モナド」は宇宙そのものを含む、④「心」は「物」を含む
かくてここから、以下のことが、明らかだ。
①「物」は、「予持・今・把持という時間形式」を持つから、存在する(有である)。
②「物」と「モナド」は、どちらも、「予持・今・把持という時間形式」を持つので、いわばシンクロナイズして(つまり「今」が共有されて)、「モナド」のうちに「物」そのものが出現する。
②-2 「物」は宇宙へと広がっているから、「モナド」は宇宙そのものを含む。
②-3 「モナド」は、普通、「心」と呼ばれるから、「心」は「物」を含む。

(10)(続) 「心」と他の「心」が直接に出会うことができる:それは、この「身体」(心の一部)と他の「身体」(心の一部)が、直接に「物」として同時に(互いに触れ接しつつ)出現する時だ
②-4 「身体」は「物」だから、「物」(「身体」)を介して、「心」と他の「心」が直接に出会うことができる。
これはすなわち、この「身体」(心の一部)と他の「身体」(心の一部)が、直接に「物」として同時に(互いに触れ接しつつ)出現する時だ。
「物」は触覚において出現するから、「身体」(心の一部)と他の「身体」(心の一部)が直接に触覚し合う時、その境界において、両側に「物」(両「身体」)が出現する。
この時、「心」(「物」・「身体」を含む)と「心」(「物」・「身体」を含む)が、直接に出会う。

(10)-2 多数の「モナド」・「物」は、シンクロナイズし、唯一の「物」世界(宇宙)を成立させる&シンクロナイズとは、「今」が共有されることだ
③「物」(宇宙)は(「予持・今・把持という時間形式」を持つゆえに)存在可能だから、仮に、「モナド」が存在しなくても存在可能だ。(Cf. 後述④:すでに、「モナド」とシンクロナイズしたことが確認されたから、「物」(宇宙)は「予持・今・把持という時間形式」を持つので、「モナド」と無縁に、存在可能だ。)
③-2 ただし「モナド」が1個でも存在すれば、「物」(宇宙)は、その「モナド」の内に存在する(出現する)。
③-3 「予持・今・把持という時間形式」において存在(有)が可能である限り、そしてその形式においてシンクロナイズが可能な限り、多数の「モナド」・「物」は、シンクロナイズし、唯一の「物」世界(宇宙)を成立させる。
③-3-2 シンクロナイズとは、「今」が共有されることだ。

(10)-2-2 「モナド」:(ア)「モナド」は「物」と「心」からなる、つまり感覚が「物」(宇宙)の出現であるのに対し、感情・欲望(自発性)・意図は、普通、「心」と呼ばれる、(イ)「想起・今・先想起(予期)という時間形式」は「モナド」のみが持つ(「予持・今・把持という時間形式」は「物」・「モナド」が共に持つ)
③-4 「モナド」は、感覚・感情・欲望(自発性)・意図からなり、感覚が「物」(宇宙)の出現であるのに対し、感情・欲望(自発性)・意図は、普通、「心」と呼ばれる。
③-5 「モナド」は、時間形式として、「予持・今・把持という時間形式」(「物」・「モナド」が共に持つ)の外に、「想起・今・先想起(予期)という時間形式」も持つ(「モナド」のみが持つ)。

(10)-3 「モナド」が絶滅しても、「物」(宇宙)は「予持・今・把持という時間形式」を持つので、存在可能だ
④「モナド」が絶滅しても、すでに、「モナド」とシンクロナイズしたことが確認されたから、「物」(宇宙)は「予持・今・把持という時間形式」を持つので、「モナド」と無縁に、存在可能だ。
④-2 「物」(宇宙)が変化して、「予持・今・把持という時間形式」を持たなくなったら、虚無が到来する。

(10)-4 「物」の想定される変化:想起し先想起(予期)する(準)「モナド」としての「物」
④-3 「物」(宇宙)が変化して、今より、さらに、「想起・今・先想起(予期)という時間形式」を持つようになれば、「物」は(準)「モナド」となり、(感情・欲望(自発性)・意図は持たないが)、想起し先想起(予期)する。(あるいは想起し先想起(予期)する「物」と言ってもよい。)
④-4 (準)「モナド」が、さらに変化して、感情・欲望(自発性)・意図も持つようになれば、「物」は、完全な「モナド」となる。
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「君は、虚無から、存在(有)として、ふいに出現した。」 

2018-02-03 22:48:58 | 日記
(1)
死を考えないとき、君は不死だ。(Cf. はじめ、そういう気分だったが、この言明は、実は、誤り。後述。)
虚無の恐怖がなくなる。
というより君が死体になる恐怖がなくなる。
(2)
君も死体になるはずだ。
それを疑う者が誰もいない。
不死の者を、歴史的にも、現在においても、誰も見たことがない。
時に「見た者がいた」との記録があるが、確かめようがないし、その時代でも、「不死の者を見た」との言説は、普通、異常・狂気・錯誤とされた。
(3)
もちろん、現在、生きている者は、未来がまだやってきていない限り、死は未定だ。
未定だからと言って、死が必然でなくなることはない。
君の身体は、これまで死体になった身体と、違いがない。
だから、「死は必然」と、誰もが、普通考える。
かくてきみの死は必然だ。
(4)
君が「死を考えないとき」も、君は不死であるのでない。
(先述の(1)の言説は、誤りだ。君が死の必然を、考えていないだけで、君が不死なわけでない。)
「きみの死は必然だ」と、誰もが、つまり君も、考える
(5)
やはり、君は死ぬのだ。
君は、虚無になる。
君は、死体になる。
(6)
君は虚無を経験したことがない。
君は、虚無についての知識はある。
「君が生まれる前、君は虚無だった。」この言明を、君は知識としてもつ。
「君は、虚無のはざまの、存在(有)だ。」この言明も、君は知識としてもつ。(ただし、この言明は誤り。後述。)
(7)
「君の存在は、長い虚無の時間と比べたら短い存在だ」とする見方もあるが、これは誤りだ。
虚無(無)は、時間も無いから、「虚無の時間」について語ることが出来ない。
あるいは「虚無の時間」という事態が起こらない。
虚無が長いとか短いとか言えない。
(8)
「存在(有)の時間」は語ることができるし、また「存在(有)の時間」という事態は起こる。
「君の存在は、長い存在のはざまの一瞬だ。」
このことは知識として、妥当だ。
(9)
「君は、虚無のはざまの、存在(有)だ。」この言明は、実は誤りだ。
虚無は無だから、存在(有)の周りを、取り巻いたりできない。
存在(有)を、取り巻くのは存在(有)のみだ。
かくて、「君は、虚無から、存在(有)として、ふいに出現した。」と言うべきだ。
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「アイドルを探せ(一番きれいになって舞踏会にいく)」シルビー・バルタン(1963年):その時、彼女には、絶対で永遠の最も美しいもの(「イデア」)が、宿っている

2018-02-03 13:36:29 | 日記
 La plus belle pour aller danser     Sylvie Vartan
 (The Most Beautiful for Dance)
 (一番きれいになって舞踏会にいく)

Ce soir je serai la plus belle
Pour aller danser
Danser
(Tonight I'll be the most beautiful for dance, dance)
(今夜、舞踏会で私が一番きれいになるの、舞踏会で)
Pour mieux évincer toutes celles
Que tu as aimées
Aimées
(In order to supersede all those you love, love)
(あなたが好きだった、好きだった女の子みんなに勝つために)
Ce soir je serai la plus tendre
Quand tu me diras
Diras
(Tonight I will be the tenderest when you say to me, say to me)
(今夜、あなたが私に言ってくれたら、私は素直になる、言ってくれたら)
Tous les mots que je veux entendre
Murmurés par toi
Par toi
(All the words I want to hear whispered by you, by you)
(あなたから、あなたから、ささやいてほしいと思っている言葉をみんな)

Je fonde l'espoir que la robe que j'ai voulue
(I base the hope that the dress I desired)
(ほしかったドレスに望みをかけているわ)
Et que j'ai cousue
Point par point
(And that I sewed point by point)
(ひと針ひと針自分で縫ったドレス)
Sera chiffonnée
(Will be crumpled)
(あなたの手でしわくちゃになるわ)
Et les cheveux que j'ai coiffés
(And the hair that I have dressed)
(私が結った髪も)
Décoiffés
Par tes mains
(Ruffled by your hands)
(あなたの両手がくずしてしまうの)
Quand la nuit refermait ses ailes
J'ai souvent rêvé
Rêvé
(When night closed its wings, I often dream, dream)
(夜がその翼を閉じると、よく夢を見ていたわ、夢を)
Que dans la soie et la dentelle
Un soir je serai la plus belle
(In silk and lace, an evening, I shall be the most beautiful)
(絹とレースを身にまとい、ある夜、私が一番きれいになるって)
La plus belle pour aller danser
(The most beautiful for dance)
(一番きれいになって舞踏会にいくわ)

Tu peux me donner le souffle qui manque à ma vie
(You can give me the breath which is lacking in my life)
(あなたは私に息吹をくれるの、私の人生にはなかったものよ)
Dans un premier cri
De Bonheur
(In the first cry of happiness)
(はじめての幸せの叫びのうちで)
Si tu veux ce soir cueillir le printemps de mes jours
(If you want to gather this evening the spring of my life)
(もし、今夜、あなたが私の人生の春を摘み取りたいなら)
Et l'amour en mon cœur
(And love in my heart)
(そして私の心の中にある愛も)
Pour connaître la joie nouvelle
Du premier baiser
Je sais
(To know the new joy of the first kiss, I know)
(初めてのキスの新しい喜びを知るために、私は分かってるわ)
Qu'au seuil des amours éternelles
Il faut que je suis la plus belle
(At the threshold of eternal love I must be the most beautiful)
(永遠の愛の始まりの時は、一番きれいにしなければいけないの)
La plus belle pour aller danser
(The most beautiful for dance)
(一番きれいになって舞踏会に行くわ)

《感想1》
「アイドルを探せ」の詩そのものの題は、「一番きれいになって踊りにいく」だ。
初めての恋に、一番きれいなドレスを着て、舞踏会に行く女の子の決意の歌だ。
1965年のライブで、シルビー・バルタンは、そのような女の子の「永遠のイデア」そのものだ。
絶対で永遠の最も美しいもの(「イデア」)が、その時、彼女に宿った。
彼女は、憑代(ヨリシロ)であり、永遠の世界から、イデアが、彼女に降臨した。

《感想2》
初恋の女の子の決意は、すさまじく激しい。
舞踏会で、私は一番きれいでなければならない。
あなた(男)が、これまで好きだった女たちを、私が、圧倒するのだ。

《感想2-2》
今夜、舞踏会で、あなたからの囁(ササヤ)きの言葉を、私は聞きたい。
頼みは、自分のドレス。ひと針ひと針自分で縫ったドレス!
私のドレスとセットした髪が、あなたによって、しわくちゃにされ、崩されるのこそ、私の望み。

《感想2-3》
一番きれいになって舞踏会に行き、初恋のあなたに、囁かれるのが、いつも見た夢。
絹とレースを身にまとい、ある夜、私が一番きれいになる!

《感想2-4》
あなたは私に新たな「息吹」をくれる」。それは「私の人生にはなかったもの」。「はじめての幸せの叫び」を私は得る。
何と言う恋への期待だろう!(なんという危うさ!)
私の「人生の春」と私の「心の中にある愛」をあなたに、渡す決意。

《感想2-4》
「初めてのキスの新しい喜び」とは、「永遠の愛の始まり」の喜び。
その時、私は、一番きれいでなければいけない。
私は、一番きれいになって舞踏会に行く!

《感想3》
実は、ここから先が、困難で長い道のりだ。
恋は成立したが、「永遠の愛」でないことが、しばしばだ。
だが、初めて恋に落ちた女の子は、何も怖れない。
「一番きれいなドレスを着て、舞踏会に行く」と固く決意するのみ!

《感想4》
初めて恋に落ちた女の子を、シルビー・バルタンが演じる。
彼女は、この時、実は、その女の子そのものだ。
なぜなら、シルビー・バルタンには、初めて恋に落ちた女の子の「イデア」が降臨するからだ。
「イデア」こそが、演じることを可能にする。
演じる彼女に、絶対で永遠の最も美しいもの(「イデア」)が、宿る。
君は、その時、「永遠のイデア」そのものであるシルビー・バルタンを、崇拝する。
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