DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

伊東静雄(1906-1953)「長い療養生活」(1953年、47歳):不思議に平穏な光景に、死の悲しみが隠れていた

2018-02-06 21:20:38 | 日記
 長い療養生活 Long hospitalization

せんにひどく容態の悪かつたころ。 Some time ago, I was ill in very bad condition.
深夜にふと目がさめた。私はカーテンの左のはづれから I awoke incidentally at midnight.
白く輝く月につよく見つめられてゐたのだつた。 Outside from the window on the left side of the courtain, the whitely shining moon strongly looked at me.


まためさめる。矢張りゐた。今度は右の端に。 I awoke again. The moon existed just as I thought. This time, it was on the right side.
だいぶ明け方近い黄色味を帯びてやさしくクスンと笑つた。 It was fairly near dawn. The moon became like yellow and tenderly chuckled.
クスンと私も笑ふと不意に涙がほとばしり出た。 I chuckled too. Then I suddenly burst into tears.

《感想》
詩人の死の年に発表された。
(1)
病院のベッドから、窓の外の空が見える。
深夜、白く輝く月が、彼を見つめる。
月は公平だ。夜、誰にも等しく白く輝く。
月は不死だ。彼と違い、死ぬことがない。
月が彼を見つめる。公平で不死の崇高な存在が、彼に注目する。

(2)
月の公平さは慈悲だ。その月が、彼を見つめる。彼は感謝する。
月が「やさしくクスンと笑つた」。
嬉しくなり「クスン」と彼も笑う。
だが、彼は月の不死と、自分の死を対照させ、悲しくなり突然泣く。
彼は、きっと、じき死ぬのだ。

(3)
不思議に平穏な光景に、死の悲しみが隠れていた。
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 彼(69歳)を50年以上にわたって苦しめ続けたコンプレックスに対し、彼は勝利しつつある:上原隆(1949-)「夜間中学」『雨にぬれても』(2005年)所収

2018-02-06 11:45:41 | 日記
(1)
夜間中学で、浦川義男(69歳)が、「2つの実がついたサクランボが8個並んでいる」絵を見て、「全部で何個になるか?」という数学の問題を解こうとする。しかし、彼は、式が書けない。
先生(29歳)が、「2×8」と教える。浦川が「に、はち、じゅうろくか・・・・」とつぶやく。
(2)
浦川は、仕事をやめたので、夜間中学に通えるようになった。今は年金生活で月々15万円をもらっている。(2002年)
この金額では、生活できないので、彼は、パートの仕事を見つけようと、昼間は職業安定所に通う。
(3)
浦川は、27歳で家を出て以来、ずっと69歳まで、ひとり暮らし。
「結婚したいと思ったことは?」との上原(著者、インタヴュアー)の質問に、「あるよ。でも、こんなんじゃ逃げられちゃう。何にもできないんだから。手紙一本書けない。」と浦川。
(4)
浦川は、長距離トラックの運転手をしていた。
その仕事に就くまで20以上の職場を転々とした。
「履歴書は、自分で書けないので、代書屋に書いてもらった。代書屋にずいぶん払った」と浦川。
(5)
「なぜ中学校を卒業しなかったか?」について、浦川は、「勉強が嫌いだったから」としか答えない。
(6)
夜間中学に入ってから、浦川(69歳)は、一度も学校を休んだことがない。
彼は、高校受験は、しないだろう。
もちろん、卒業証書は欲しいかもしれない。
しかし、最も大きな理由は、彼が、問題を解くことの楽しさを知ったためだろう。(これは著者、上原の解釈。)
(6)-2
算数の文章題。「2枚のレンズがついたメガネが、7つあります。レンズは全部で何枚でしょう。式を書いて答えなさい。」
浦川は、問題の文章を3分位かかって、ノートに書き写す。
(これは英語の初心者が、ノートに英語の文章を写すのに似ている。浦川は、日本語の読み書きの学習者だ。彼は、もちろん日本語の会話は達者だ。)
次に、彼は、書き写した文章を読みながら、各単語の下に線を引く。その線を、一度、二度、三度となぞる。
(これは、英語の文章を理解するため、英語学習者が行う作業と、同じだ。)
彼は、ジッと問題を見つめ、考える。
(彼は、算数の問題を解いている。)
ついに、彼は問題用紙の式を書く部分に、「2×7=14」と、考え考え書いていく。
私(上原)がVサインを出す。
「浦川の顔に、スローモーションのように笑みがひろがる。」

《感想1》
人は、生きねばならない。
いかなる事情があり、中学校を卒業しなかったとしても、文章が読めなくても、また字がうまく書けなくても、生きねばならない。
だから、浦川(69歳)は、生きてきた。

《感想2》
だが、それらのことは、彼の積年の、つまり、50年以上にわたるコンプレックスだ。

《感想2-1》
今、彼は、コンプレックスから解放されつつある。
算数の文章題が解けることは、浦川の人生における勝利なのだ。
彼は、「問題を解くことの楽しさ」を知るとともに、彼を50年以上にわたり苦しめ続けたコンプレックスに対し、勝利しつつある。
これこそ、彼が今、学校を休まない理由だろう。
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「文明」とは西洋の「風俗」であり、植民地化を正当化する「ヨーロッパの自意識」だった(小学館『日本の歴史13』2008年)

2018-02-06 11:06:28 | 日記
西洋でフォークが使われるようになったのは17世紀だ。
やがて「肉を手でつまむ」、「スープを手でなめる」等が、下品となり、不快感を呼ぶようになった。
野蛮な人々を、文明化させることが、「歴史の進歩」だとの観念が生まれた。
文明意識とは、「自分たちの風俗が優れている」という「ヨーロッパの自意識」であり、これによって西洋諸国の植民地化を正当化した。

《感想》
(1)
幕末期、日本はどうすれば、よかったのか?
阿片戦争後のイギリスによる香港島の領有(1842年)は、「日本が植民地化されるのではないか」との懸念の象徴だった。

(2)
しかし庶民は、だまって見ているくらいしかできない。
政治権力を持つ立場に自分がならないと、日本、あるいは自分の運命に、より大きく関与することはできない。
かくて立身出世は、重要だ。
「少年よ、大志を抱け(野心的であれ)!」(Boys, be ambicious!)は正しい。
できることなら、立身出世せよ!

(3)
だが、事態は複雑だ。
おびただしい数の人間たちが、かかわって全体が動いていく。
権力を持つ者たちも、強弱様々で、多数からなる。
どのような方向の決定がなされるか、最上位の国家権力レベルでも、きわめて複雑だ。
(3)ー2
重要な点は、決定が、結局は、人の心から生まれることだ。
その人が、どのような人であるかが、政治的決定に、大きな影響を与える。
情勢判断、理想、人間観、教養・知識、性格、感情、欲望(Ex. 物欲・名誉欲)、経済的利害、軍事的関心、自分の出世、自分の影響力の維持、自分の沽券(コケン)(プライド)、傲慢、優越感、名誉を守ること等々の全体から、その人の決定が生まれる。
(3)ー3
人はたくさんいる。
競争者(弱肉強食の世界だ!)、「細民」、上司、権力者、庇護者、政治的反対派、敵、同盟者・味方・仲間、友人、中立者、自分の家族、自分の企業、自分の組織、自分の地域等々。
余りにおびただしい人々の全体の中で、政治的決定がなされる。

(4)
かくも歴史は、あるいは社会は複雑であり、とらえるのが、難しい。
その中で、政治的決定がなされる。

(5)
かつて、日本は、「明治維新」という政治的大変化が起こり、江戸幕府は倒れ、「近代国家」と呼ばれる西洋式国家が作られた。
(5)ー2
「明治維新」を生み出した日本の権力者たちは、一つの政治的決定を下した。
彼らは、西洋式に日本を文明化して、日本が西洋によって植民地化されることを、防ごうとした。
これが、現在の《形式・内容》あるいは《構造》の日本国家の始まりだ。

(6)
現在、2018年の日本では、すでに「文明」、西洋式の「風俗」が根付いており、普通となっていると言ってよい。
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