DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

リルケ(Rainer Maria Rilke)(1875-1926)「海の歌」(1907年):自然は、個体的存在に対して全く無縁、無関心な強大な存在だ!

2018-08-18 20:25:29 | 日記
 ‘LIED VOM MEER’ 「海の歌」
  Capri. Piccola Marina カプリ島、ピッコラ・マリーナにて

Uraltes Wehn vom Meer, 海からの太古の風、
Meerwind bei nacht; 夜の海風(カイフウ);
 du kommst zu keinem her; 汝は誰に向かって吹くのでもない;
wenn einer wacht, ある者が目覚めていたら
so muß er sehn, wie er その者は見るにちがいない、
dich übersteht: その者が汝(海風)をいかに耐え忍ぶかを:
 uraltes Wehn vom Meer,  海からの太古の風、
welches weht それは吹く
nur wie für Ur-Gestein, 太古の岩石に向かうようにのみ、
lauter Raum 純粋透明な空間を
reißend von weit herein . . . 引き裂いて遠方からこちらへ . . .

 O wie fühlt dich ein ああ、打ちなびく
treibender Feigenbaum 無花果(イチジク)の木はいかに感じるのか
oben im Mondschein. 高く月光を浴びて。

《感想1》海からの太古の風、夜の海風は、誰に向かって吹くのでもない。ただ吹き荒れる。
《感想2》もし起きている者が居たら、その者はただ自分がその太古の海風を耐え忍ぶほかないのを見るだろう。夜、太古の海風は、人間に対して全く無縁、無関心に吹き荒れる。
《感想3》夜の海風は、ただ太古の岩石に向かうかのように吹く。その風は純粋透明な空間を引き裂き、はるか遠方からこちらへ向かう。
《感想4》海辺に高く月光を浴び、激しい風に打ちなびく無花果(イチジク)の木!ああ、お前は太古の海風に耐えながら、何を感じているのか?
《感想5》詩人リルケは、自然が、個体的存在(Ex. 人間、無花果)に対して全く無縁、無関心な強大な存在だと、あらためて確認する。そして詩人は、自然の強大さを畏怖する。
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「木啄(キツツキ)も庵(イホ)はやぶらず夏木立(ナツコダチ)」芭蕉(『奥の細道』)(6):「寺ツツキ」と言われるキツツキさえ、仏頂和尚を敬ってその庵に穴をあけない!芭蕉の敬意と諧謔(ユーモア)!

2018-08-18 17:41:04 | 日記
「木啄(キツツキ)も庵(イホ)はやぶらず夏木立(ナツコダチ)」
Even woodpeckers don’t break a small hut of a great monk that is surrounded by trees in summer.

《感想1》
芭蕉の禅修行の師、仏頂(ブッチョウ)和尚の庵(イオリ)の跡を、芭蕉が訪れた。下野の雲岸寺(雲巌寺)だ。キツツキは、別名が「寺ツツキ」と言われる位、寺の建物に穴をあける。そのキツツキも、和尚を敬ってその庵に穴をあけない。ここには、和尚への敬意とともに諧謔(ユーモア)がある。
《感想2》
なお『源平盛衰記』に、聖徳太子による四天王寺建立を、物部守屋(モノノベノモリヤ)の怨霊が妨害した話がある。「太子、仏法最初の天王寺を建立給たりけるに、守屋が怨霊、彼伽藍を滅んが為に、数千万羽の啄木鳥(キツツキ)と成て、堂舎をつつき亡さんとしけるに、太子は鷹と変じてかれを降伏し給けり。」
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