DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

いろはかるた「喉元(ノドモト)過ぎれば熱さを忘れる」:一方で「懲りない面々」、他方で「あつもの(アツモノ)に懲りて膾(ナマス)を吹く」!

2018-08-25 20:42:02 | 日記
「喉元(ノドモト)過ぎれば熱さを忘れる」
Though you have painfully swallowed too hot food, you forget the hotness soon.

《感想1》この諺を証明するのが「懲りない面々」だ。多かれ少なかれ誰もが、その面々だ。ひどい目に遭っても、すぐそれを忘れ、同じ過ち・失敗・悪事を繰り返す。人は愚かな行動をしばしばする。
《感想2》これと正反対なのが「あつもの(アツモノ)に懲りて膾(ナマス)を吹く」だ。料理があまり熱くて大変な目にあったので、次からは冷たい膾(ナマス)をフーフー吹きさまして食べる。トラウマだ。「懲りない面々」がうらやましい。
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「世の人の見付(ミツケ)ぬ花や軒(ノキ)の栗」芭蕉(『奥の細道』)(10):芭蕉は、世捨て人にシンパシーを感じる!

2018-08-25 19:18:19 | 日記
「世の人の見付(ミツケ)ぬ花や軒(ノキ)の栗」
There are flowers of a chestnut tree in front of the house. People rarely see them in such a place.

《感想1》
須賀川の宿の近くに世捨て人の可伸(カシン)という僧が住んでいた。その庭には大きな栗の木があった。栗は、「西の木」と書くので西方浄土に縁があると、行基菩薩(※実は法然上人、芭蕉の思い違い)は一生、杖にも柱にもこの木を使ったという。芭蕉は、可伸のような世捨て人に、シンパシーを感じるようだ。
《感想2》
可伸(カシン)のように家の庭に栗を植えることは、あまりない。だから栗の花を家の軒近くに見ることも普通ない。芭蕉は、僧可伸(カシン)が行基菩薩を慕って、栗の木を自分の庭に植えたと思った。
《感想3》
可伸(カシン)その人は、後に、「予が軒の栗は更に行基のよすがにもあらず唯(タダ)実をとりて喰(クフ)のみ成(ナリ)しを、いにし夏、芭蕉翁のみちのく行脚(アンギャ)の折から、一句を残せしより、人々愛(メデ)る事と成侍(ナリハベ)りぬ」(『伊達衣』)と書いた。可伸は正直な人だ。また芭蕉翁の人気がすごい。
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 バイロン(1788-1824)「1824年1月22日、メッサロンギにて:この日、36年目の年を終わるにあたって」:放蕩の限りを尽くしたバイロンが今や、過去と決別し、ギリシアの独立に命を捧げる!

2018-08-25 13:52:21 | 日記
 January 22nd 1824, Missolonghi  1824年1月22日、メッサロンギにて
 On this Day I Complete my Thirty-Sixth Year この日、36年目の年を終えるにあたって
          By Lord Byron (George Gordon) 作バイロン卿(ジョージ・ゴードン)

'Tis time this heart should be unmoved, 今やこの心が感動を受けなくてもいい。
Since others it hath ceased to move: 他人に対しこの心が感動を与えなくなったから:
Yet though I cannot be beloved, だが僕が愛されなくても、
Still let me love! それでも僕に愛させよ!

My days are in the yellow leaf; 僕の日々は黄色い枯れ葉だ;
The flowers and fruits of Love are gone; 愛の花も実も去った;
The worm—the canker, and the grief 虫と瘤病と悲しみだけが
Are mine alone!  僕のものだ!

The fire that on my bosom preys 僕の胸に燃える火は
Is lone as some Volcanic Isle; 火山島のように孤独だ;
No torch is kindled at its blaze. その炎から点火される松明(タイマツ)もない。
A funeral pile!  火葬の燃える薪だ!

The hope, the fear, the jealous care, 希望も、恐怖も、用心深さも
The exalted portion of the pain 苦痛に伴う高揚も
And power of Love I cannot share, そして愛の力にも、僕はあずかり知ることが出来ない。
But wear the chain. ただ鎖を身にまとうだけだ。

But 'tis not thus—and 'tis not here だがこうではいけない――またそのような思いが僕の心を揺さぶるのが、
Such thoughts should shake my Soul, nor now,  ここではいけない。またそれは今でもいけない。
Where Glory decks the hero's bier, ここは栄光が、英雄の棺(ヒツギ)を飾り
Or binds his brow. あるいは英雄の額を飾る所だ。

The Sword, the Banner, and the Field, 剣、軍旗、そして戦場、
Glory and Greece around us see! 栄光とギリシア、それらを我らの周囲に見よ!
The Spartan borne upon his shield 戦死し自身の盾に乗せられスパルタ人も、
Was not more free. これほど自由でなかった。

Awake (not Greece—she is awake!) 目覚めよ!(ギリシャではない――ギリシアはすでに目覚めている!)
Awake, my Spirit! Think through whom 目覚めよ、僕の魂よ! 考えよ!誰を通じて
Thy life-blood tracks its parent lake 君の命の血潮がその淵源の湖(※自由)を突き止めたのか。
And then strike home! そして敵(※トルコ)を倒せ!

《感想1》バイロンの英雄的ロマンチシズムの覚醒の詩だ。アジア的専制主義のペルシア(トルコを含む)に対し自由を守ったギリシア人たち。その自由を引き継いだヨーロッパ人たち。ギリシアは自由の淵源の地。バイロンの魂は、目覚めなければならない。自由のためにギリシアをオスマン・トルコから独立させなばならない!
《感想2》大金持ちの貴族として愛と自由に生き、放蕩の限りを尽くしたバイロンが、今や、過去と決別する。彼は36歳、自由の淵源の地であるギリシアを、トルコから解放・独立させることに命を捧げると決意する。(この詩は、彼の36年目の年を「終える」にあたって書かれた、つまり過去との決別だ。)
《感想3》彼は1819年頃から、政治活動に目覚める。そしてついに私財を投じ、ギリシア解放軍を組織し1924年1月、解放軍司令官としてギリシアのメッサロンギに到着した。かつて、ヨーロッパは、ギリシアを通じてこそ、命の血潮の淵源の湖(※自由)を突き止めた。今や、ギリシアの敵であるトルコを倒すのだ(strike home)。

Tread those reviving passions down あの蘇る情欲を踏み潰せ。
Unworthy Manhood—unto thee 恥ずべき男よ――お前に対し、
Indifferent should the smile or frown 美女の微笑や渋面は
Of beauty be.  もはや無関係であるべきだ。

If thou regret'st thy Youth, why live? お前が自分の青春を悔いるなら、なぜ生き長らえるのか?
The land of honourable Death 名誉ある死に場所は
Is here:—up to the Field, and give ここだ:――戦場へ行き、そして
Away thy breath! お前の息(命)を捧げよ!

Seek out—less often sought than found— 探せ――兵士の墓を、お前にとって最善のものを。
A Soldier's Grave, for thee the best; それは探すというより普通、見いだされるものだ;
Then look around, and choose thy Ground, それから周囲を見回し、お前の場所を選び、
And take thy rest. そして永遠の休息につけ。

《感想4》バイロンは1824年1/5、礼砲が轟く中、メッサロンギに到着。1/22、この詩を書く。4/9、彼は、たまたまスコールでずぶ濡れになり、その後、悪寒・発熱。4/19に死亡した。死後、およそあらゆるギリシアの町が、バイロンの死を悼み、追悼式を行った。「バイロンの死は、その生存中の全ての努力以上にギリシアの統一に貢献した。」(レズリー・マルシャン)オスマン・トルコがギリシアの独立(自治国)を承認したのは1829年だ。バイロンの墓碑銘:「私の中には、拷問にも時にも屈しない何か、この身が滅んでも生きつづける何かがある」。

《参考》『対訳、バイロン詩集』岩波文庫
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