DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

いろはかるた「瑠璃も玻璃も照らせば光る」:君に才能があれば、めでたい!「蛙の子は蛙」の君は、残念だ!

2018-08-07 14:28:24 | 日記
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」
Both lapis-lazuli and crystal shine when they are illuminated.

《感想1》
すぐれた才能があれば、どこにいても、機会さえあれば活躍するものだ。君が玻璃や瑠璃なら、めでたい!
《感想2》
しかし残念だが、これがあてはまらない者も多い。「蛙の子は蛙」、「瓜の蔓には茄子(ナスビ)はならぬ」。平凡な親から非凡な子は生まれないのがふつうだ。君は平凡かもしれない。
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ゲーリー・スナイダー(Gary Snider) (1930-)「12月、八瀬にて」(1968年):この詩人(38歳)は今も、19歳の時、互いの野心のため別れた彼女を愛する!だが片想いかもしれない!

2018-08-07 14:07:41 | 日記
‘December at Yase’ 「12月、八瀬にて」

You said, that October, 君が言った、あの10月、
In the tall dry grass by the orchard 果樹園わきの背の高い枯れた草むらで
When you chose to be free, 君が自由を選んだ時、
"Again someday, maybe ten years." 「またいつか、たぶん十年」と。

After college I saw you 大学卒業後、僕は君に会った、
One time. You were strange. 一度だけ。君はよそよそしかった。
And I was obsessed with a plan. そして僕と言えば、ある計画に憑りつかれていた。

Now ten years and more have 今、10年とそれ以上が
Gone by; I've always known 過ぎ去った;僕はいつも知っていた、
where you were –       君がどこにいたかを――
I might have gone to you 僕は君のところに行ってもよかったかもしれない、
Hoping to win your love back. 君の愛を取り戻そうと望んで。
You still are single. 君はまだ独身だ。

I didn't. 僕はそうしなかった。
I thought I must make it alone. I 僕は一人でやり遂げねばならないと思っていた。僕は
Have done that. 今やそれをやり遂げた。

Only in dream, like this dawn, ただ夢の中でだけ、この明け方のように、
Does the grave, awed intensity 僕らの若い愛の
Of our young love 厳粛で畏れに満ちた激しさが
Return to my mind, to my flesh. 僕の精神と僕の肉体に戻って来る。


We had what the others 僕たちは他の者たちが
All crave and seek for; みな渇望し探し求めるものを、あの時、持っていたのだ。
We left it behind at nineteen. 僕らはそれを後に残して去った、19歳で。

I feel ancient, as though I had 僕はひどく年老いてしまった気がする、あたかも
Lived many lives. 多くの人生を生きたかのようだ。

And may never now know そして僕は今決して分からないのだろう、
If I am a fool 僕が馬鹿者なのか
Or have done what my あるいは僕の業(ゴウ)が要求するものを
karma demands. 僕がなしたのか。

《感想1》
19歳の若い愛は「厳粛で畏れに満ちた激しさ」を持つ愛だった。それは「他の者たちが皆渇望し探し求めるもの」そのものだった。
《感想1-2》
だが君も僕も、若者の野心を持っていた。そして野心を愛に優先させた。君は自由を選び、「次に会うとしても10年後」と言った。僕らは別れた。
《感想1-3》
大学卒業後、一度、僕らは会ったが、「君はよそよそしかった」。そして他方、「僕はある計画に憑りつかれていた」。愛のためともに生きることを、二人は再び選ばなかった。こうして二人は、それぞれ野心のために生きた。

《感想2》
すでに、今、僕は38歳だ。あれから「10年とそれ以上が過ぎ去った」。その間、僕は、君を忘れたことはなかった。「僕はいつも知っていた、君がどこにいたか――」
《感想2-2》
だが僕は、「君のところに行って」、「君の愛を取り戻そう」とは、ついにしなかった。

《感想3》
僕は「一人でやり遂げねばならない」計画を持っていた。そして「僕はそれをやり遂げた。」僕の野心は成就した。だが僕は、結局、愛を捨てたのだ。僕が、僕らの愛を忘れたことは、一度もなかったのに。
《感想3-2》
僕は、愛を捨てた「馬鹿者」かもしれない。しかし、あるいは「一人でやり遂げねばならない」ことに人生を捧げるのが、僕の宿命(「カルマ」(業))だったのかもしれない。そのいずれだったのか、僕には分からない。

《感想4》
詩人(38歳)は今も、19歳の時、互いの野心のため別れた彼女を愛する。だが、他方で彼女の気持ちは、この詩からわからない。意地悪く言えば、詩人の《片想い》かもしれない。「女心と秋の空」だ。

《参考》八瀬は、京都の趣(オモムキ)ある景勝地だ。瑠璃光院が美しい。
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