DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

「田一枚植(うゑ)て立去る柳かな」芭蕉(『奥の細道』)(8):西行ゆかりの柳を訪れ、芭蕉は感慨にうたれる!

2018-08-20 22:12:02 | 日記
「田一枚植(うゑ)て立去る柳かな」
After female peasants have planted rice in one square of rice field, I left the willow tree.
(I have been deeply impressed by the willow tree as Saigyo wrote a waka-poem about it long ago.)

《感想1》西行(1118-1190)にゆかりの柳を芭蕉が訪れた。芭蕉は感慨にうたれる。気づけば、早乙女がすでに田一枚を植えていた。芭蕉はここを立去る。奥州の入り口の白河の関は近い。

《感想2》西行は昔、ここで「道の辺に清水流るる柳陰(ヤナギカゲ)しばしとてこそ立とまりつれ」と詠んだ。このことを謡曲「遊行柳」が描く。相州の遊行寺のある上人が、開祖一遍上人の教えを伝えに奥州へ向かった。ある夕暮れ、一人の老人が現れ道案内をしてくれた。途中、朽ちた柳の古木があり、老人は「西行と名乗る歌人が、昔、夏の頃この木陰に休憩し歌を詠んだ」と述べ消えた。老人は柳の精だった。
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「言わぬが花」:自己の心に形を与えず、未規定なままにしておく!&他人に、自分が考えていることを悟らせない!&「心」と「状況」(人々(他者)を含む)!

2018-08-20 12:43:53 | 日記
 「言わぬが花」 It’s the best for you to say nothing.

《感想1》言葉は心に形を与える。「言わぬまま」つまり、曖昧なままにしておくのが、自己に対して最良(「花」)だ。このことを賢い者は知っている。
《感想2》他方で、他人に、自分が考えていることを悟らせないために、「沈黙は金」だ。
《感想2-2》「言わぬが花」には、「沈黙は金」のように、他者との駆け引きの面もあるが、同時に、上述のように、「自己の心を未規定なままにしておく」という意味もある。
《感想3》言葉は恐ろしい。言葉に出すとは、言葉で状況や君の心が「何であるか」規定することだ。言葉は「繰り返された経験の重なり(意味)」を指示する。しかも、すでに人々の間で、その重なり(意味)がおおむね定まっている。言葉によって、「状況」も君の「心」も、一定の形にされる。
《感想3-2》かくて「言わぬが花」だ。「言わぬ」ことで、君は、君の「心」に関し、自由(人々の影響を受けないこと)を確保する。
《感想4》だが「状況」に関しては、君は「言わぬ」ことで、自由を確保できない。なぜなら「状況」は人々(他者)を含むからだ。人々が君に、「状況」(人々(他者)を含む)をどう規定するのだと迫る。かくて君は、人々(他者)とともに生きるから、「状況」を規定せねばならない、つまり言葉を発さねばならない。君は「言わぬが花」と無言でいるわけにいかない。
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