昨日の一日ノロでダウンして、ずっと寝ていて
やっと起き出せるようになった頃、『最高の
人生の見つけ方』をテレビでやるというので
朦朧と見始めました。
しかし、冒頭からコピ・ルアックが至高の珈琲
であると自分の部下に薦めるジャックニコルソン
が現れ、もう目が離せませんでした。
余命半年を宣告された老人二人が、二人で決めた
死ぬまでにやるリストを決行していくという
どこかで聞いた事のあるストーリーです。
ひとりは、裸一貫から大統領も一目置くという
財を築いた人物であり、もう一方は45年自動車
修理工をして来た黒人の老人です。
たまたま同じ病院の病室に同室となった事から
親しくなり、残された人生を全うするために旅に
でるのです。
そのリストの涙が出るほど大笑いする、のネタに
されたコピ・ルアクですが、最近は映画にでた
事からだいぶ珈琲好き以外にも認知されてきた
ようです。
しかし、かつてのブルマンと同様の逡巡がつき
まいとます。
ブルマンは今でもブルーマウンテンが珈琲の
トップであり、珈琲といえばブルマンであると
言う信者を持ちます。
私自身、珈琲の最高峰はブルマンとして、味わって
きました。
最高の味には、常に物語がついて回ります。
神話や伝説の類が他の味にない箔を付けるから
みんながどれどれと注目してお宝となって行く
のでしょう。
それはパナマのエスメラルダ・ゲイシャも同様
だと思います。
つまりは、値段を除けば人それぞれにストーリー
があってよく、これが至高の味といえる珈琲を
持っていてもいいと思います。
私が自分でいろいろの豆を取り寄せては自分で煎っ
て、味を確かめてみると果たして私が順番をつけて
いいのかといつも思うのです。
それは、SHBとかNO1とかスプレモとか各国の第一水準
の豆と、それ以上の単一農園ものの所謂スペシャルティ
とかグルメコーヒーといわれるものとの比較でもそう
なのです。
その違いとは一言で何かといえるまで違いを見極め
飲み比べても、かといってどちらが低級であると
決定してしまっていいのかと思えてくるのです。
もちろん値段は全て度外視して、冷静に実験物と
してハンドピックの段階から不良豆の多さとか、付き
合っていくと、その多寡すらも味には比例しない事を
思いしらされるのです。
値段の農産物のできとしてまめの概観も味には関係
しないばかりか、うまいから高いとか認証とかコンテスト
とかいろいろのストーリーが豆にはついてきますが、
それらを全て取っ払って味だけで評価したらどうなるのか
これは突き詰めると個人の志向の問題でまとわりつくもの
のストーリーで決めてはならないものであると結論づけ
るしかありません。
ブラジルNO2.が最高であると思う人。
グゥアテマラSHBが最高であるという人。
コピ・ルアクでもインスタントでもいいのです。
売る側からしたら気を付けたいのは、その過去のストーリーを
崩してはならないということだけです。
ブルマンが最高と思う人にいえいえこちらを飲んでみて
くださいとはいいません。
コピ・ルアクが最高という人にも然り。うちには
ないんですけど。
そうしていくと少し困った事が出てくるのです。
私の好きな豆にキューバがあります。
困った事にこの豆のストーリーは、ブルマンより
ブルマンらしいとか、ブルマンをしのぐとかいう
ものなのです。
これはブルマンを出さずに説明したいものです。
しかし、キューバ好きの人はブルマン最高神話を
経て、自身の舌でその味に気づいた人たちです。
ですから、最初からキューバがあるならキューバと
指名される方はなかなか飲み比べ自分の珈琲を探した
歴史を持っていると言えます。
そう言う自分のストーリーを確立した人や自分の味を
見つけた人には何も言う必要ないのです。
そもそも人の好みに踏み込むものではないのでしょう。
最高の人生も然りだと思います。
何をしたから最高だとか何かを見出したから有意義だとか
そんな事は何の意味もないのです。
金に飽かせて世界遺産を歴訪したからと言って如何程
の意味があるのか。
見る側はそう思います。
しかし、最高の美女とキスをするに線をするところ
では思わずほろりとさせられてしまうのです。
ジャックなんて映画に出ていても私にとってはいつも
コートで見かけるレイカーズ好きのおじさんであり、
同じバスケ好きの仲間のような感じがしています。
まあ向こうはセレブでいつもコートサイドで必ず
テレビカメラにピンポイントで取られるような
有名人であるわけですが、私には隣にいる普通の
おじさんと同じ感覚に思えます。
それがああ仕事してるくらいです。
モーガンフリーマンもどの役をやってもいつも
しゃべり方から動き方まで全て同じでよく勤まるなあと
これもおなじみ以上の役者です。
それなのに映画としてちゃんと色々考えさせてくれて
この映画としての味があるまるで珈琲のようです。
明日はキューバを焼きます。
やっと起き出せるようになった頃、『最高の
人生の見つけ方』をテレビでやるというので
朦朧と見始めました。
しかし、冒頭からコピ・ルアックが至高の珈琲
であると自分の部下に薦めるジャックニコルソン
が現れ、もう目が離せませんでした。
余命半年を宣告された老人二人が、二人で決めた
死ぬまでにやるリストを決行していくという
どこかで聞いた事のあるストーリーです。
ひとりは、裸一貫から大統領も一目置くという
財を築いた人物であり、もう一方は45年自動車
修理工をして来た黒人の老人です。
たまたま同じ病院の病室に同室となった事から
親しくなり、残された人生を全うするために旅に
でるのです。
そのリストの涙が出るほど大笑いする、のネタに
されたコピ・ルアクですが、最近は映画にでた
事からだいぶ珈琲好き以外にも認知されてきた
ようです。
しかし、かつてのブルマンと同様の逡巡がつき
まいとます。
ブルマンは今でもブルーマウンテンが珈琲の
トップであり、珈琲といえばブルマンであると
言う信者を持ちます。
私自身、珈琲の最高峰はブルマンとして、味わって
きました。
最高の味には、常に物語がついて回ります。
神話や伝説の類が他の味にない箔を付けるから
みんながどれどれと注目してお宝となって行く
のでしょう。
それはパナマのエスメラルダ・ゲイシャも同様
だと思います。
つまりは、値段を除けば人それぞれにストーリー
があってよく、これが至高の味といえる珈琲を
持っていてもいいと思います。
私が自分でいろいろの豆を取り寄せては自分で煎っ
て、味を確かめてみると果たして私が順番をつけて
いいのかといつも思うのです。
それは、SHBとかNO1とかスプレモとか各国の第一水準
の豆と、それ以上の単一農園ものの所謂スペシャルティ
とかグルメコーヒーといわれるものとの比較でもそう
なのです。
その違いとは一言で何かといえるまで違いを見極め
飲み比べても、かといってどちらが低級であると
決定してしまっていいのかと思えてくるのです。
もちろん値段は全て度外視して、冷静に実験物と
してハンドピックの段階から不良豆の多さとか、付き
合っていくと、その多寡すらも味には比例しない事を
思いしらされるのです。
値段の農産物のできとしてまめの概観も味には関係
しないばかりか、うまいから高いとか認証とかコンテスト
とかいろいろのストーリーが豆にはついてきますが、
それらを全て取っ払って味だけで評価したらどうなるのか
これは突き詰めると個人の志向の問題でまとわりつくもの
のストーリーで決めてはならないものであると結論づけ
るしかありません。
ブラジルNO2.が最高であると思う人。
グゥアテマラSHBが最高であるという人。
コピ・ルアクでもインスタントでもいいのです。
売る側からしたら気を付けたいのは、その過去のストーリーを
崩してはならないということだけです。
ブルマンが最高と思う人にいえいえこちらを飲んでみて
くださいとはいいません。
コピ・ルアクが最高という人にも然り。うちには
ないんですけど。
そうしていくと少し困った事が出てくるのです。
私の好きな豆にキューバがあります。
困った事にこの豆のストーリーは、ブルマンより
ブルマンらしいとか、ブルマンをしのぐとかいう
ものなのです。
これはブルマンを出さずに説明したいものです。
しかし、キューバ好きの人はブルマン最高神話を
経て、自身の舌でその味に気づいた人たちです。
ですから、最初からキューバがあるならキューバと
指名される方はなかなか飲み比べ自分の珈琲を探した
歴史を持っていると言えます。
そう言う自分のストーリーを確立した人や自分の味を
見つけた人には何も言う必要ないのです。
そもそも人の好みに踏み込むものではないのでしょう。
最高の人生も然りだと思います。
何をしたから最高だとか何かを見出したから有意義だとか
そんな事は何の意味もないのです。
金に飽かせて世界遺産を歴訪したからと言って如何程
の意味があるのか。
見る側はそう思います。
しかし、最高の美女とキスをするに線をするところ
では思わずほろりとさせられてしまうのです。
ジャックなんて映画に出ていても私にとってはいつも
コートで見かけるレイカーズ好きのおじさんであり、
同じバスケ好きの仲間のような感じがしています。
まあ向こうはセレブでいつもコートサイドで必ず
テレビカメラにピンポイントで取られるような
有名人であるわけですが、私には隣にいる普通の
おじさんと同じ感覚に思えます。
それがああ仕事してるくらいです。
モーガンフリーマンもどの役をやってもいつも
しゃべり方から動き方まで全て同じでよく勤まるなあと
これもおなじみ以上の役者です。
それなのに映画としてちゃんと色々考えさせてくれて
この映画としての味があるまるで珈琲のようです。
明日はキューバを焼きます。