King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

珈琲異聞

2009年06月09日 21時24分50秒 | 珈琲
いきつけの喫茶店での出来事です。

私の注文を聞いたマスターの機嫌がすこぶる
悪化しました。

私の注文は、焙煎して3日経った豆はあるかというもの。

そういうチョイスはありか?

という言葉を発した後、自分は珈琲にはクールであると
いうのです。

はあ。

そうでしょう。だからいつも来てる訳で、いつも間違いは
ないと思いますよ。

それから色々な本のここを読んでみろと何冊もの本を
私の前に積まれ、珈琲にこだわるのは馬鹿らしいと
おっしゃるのです。

私は、ただ3日経った豆はうまいといっただけ、逆に
言えば焙煎したてはまずいのです。

マスターの見せた本を見ると、3週間経った後にうまくなる
豆もあると書いてあります。

それはにわかに信じがたいものです。

私自身、一度注文すると10日もすると飲み切りますから、
長く置いた後どうなるかは定かではありません。

しかし、ここ2ヶ月というもの煎りたての豆をいつも
送ってもらっていますから、これは確かなのです。

概ね3日後にうまさのピークを迎えるのです。
その後急速に味が落ちるということはありません。
ただし、古くなれば酸化しますから、味はよくなる
とは思えません。

昔スーパーで豆の状態で買って挽いては淹れてましたが
開封してしまうとすぐに酸化して1週間もすれば飲めたもの
ではありませんでした。

今でこそ、焙煎したてが届きますからいつでもおいしい
コーヒーが飲めるようになったのですが、それまでは
お店で真空パックしてもらっても開封した後はもう味は
期待できませんでした。

そんなわけで出た私の3日後の豆の注文なのですが、
気に入らなかったらしくて、マスターの機嫌を損ねた
のですが、こういうお店の主人のすねたような物言いは
どこでも共通するものか、私のよく知る蕎麦屋の店主の
愚痴を思い出させます。

雨が続いて客が少ないといっては愚痴り、近くでそば祭り
があり、客足が奪われたと言っては愚痴り、客が少ないこと
に嘆くのですが、好きでやってるんだからいいではないですか。

なぜ愚痴るのか。そんな共通の物言いを見出して、店名の
前に珈琲道と名付けるほど珈琲に命をかけるとした心意気
がなくというものです。

そして彼のいう味にこだわるのは馬鹿らしいという態度が
その珈琲道という店名と矛盾するのではといぶかしむことに
なりました。

彼が積み上げた本の中で私の目を引いたものに、
『珈琲に憑かれた男たち』がありました。


バッハの店長にしろ、モカの店長にしろ独特のこだわりが
あり、それが正しくて飛びぬけておいしいのか。

特にランブルのオールド珈琲という商品は、何度か味わったり
聞いたりしたことがありますが、これは正しいものなのか。

あらためて、3週間後の豆とあわせてこの日の疑問として
残りました。

いきつけ店のマスターは、この本の人達のようにこだわらなくて
よかったといいます。

それは珈琲道に反しないのか。

それが商売として成り立とうが他の人に理解されなかろうが、
こだわれるということが大事なんじゃないでしょうか。
それは珈琲に限ったことではありません。

芸術家もそうです。

商業的に成功しているのが優れた芸術家でないのは
世の常です。

でも常に美を追求できる精神に私は乾杯したいと思います。

その精神性を讃えます。

I Shall Be Released

ひねた客に3日後の豆を注文されたといってすねないでください。
コメント
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