懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

一夜明けて

2019-12-23 17:01:11 | Weblog
フィギュアスケート全日本選手権から一夜明けて。
(以下、素人の世迷いごと感想なので、素人の主観とは例えば一つにはこんなもん、と思って、気楽に読んで下され)

*ほんとは、高橋大輔選手の転身の事とか書こうと思ってたのだけど。

*その前に。羽生結弦選手のFS.
リアルタイムで一回見て、技術的には優勝を逃す内容だった、羽生結弦選手の演技だったけど、自分は、感動したのだけど。(こんなこと言われても嬉しくない人は多いと思うけど)

一夜明けて、少し冷静になった頭で、録画を見直してみて。

そうしたら、「何だ、上手いじゃん」、と思ってしまった。昨日は、まさかの羽生のミスで、心がビックリしてたみたい。

今までずっと、ハイレベルなものを見てきて、目が羽生基準になってしまっていて、出来て当たり前みたいな感覚になっていたのかも。少しのミスでも、「ガ~ン!」みたいに思っていたのかもしれないけど、改めて冷静な目で見ると、多少ミスしていても、きれいに回転までは行ってたり、着地が多少乱れても、それなりにカバーは入ってたり。

自分も、多くの観客視聴者、関係者も、羽生選手の身体のFSの状態がここまで来てるって、気付いてなかったと思うけど、それが分ってみると、むしろ、この状態では、比較的まし、もしくは最良の形で実施できていたんではないか?と思った。例えば、4回転の中でも、特に4回転ルッツが2回転になったのが目立っていたけど、ここが一番鬼門だったかもしれないので、この位で済んでよかったんじゃないか?なんて言ったら、怒られるかな?

バランス的に、今の状態でやり抜く、という観点では、全体的に、これ以上はやばいという所までは崩れずに、それなりにまとまってたような気が。逆境にあっても研ぎ澄まされた嗅覚があるみたいで、そういう所、相変わらず、大したバランス感覚だと思った。

それと、自分が、こんな状態でなぜ感動したんだろうと思ってみたけど、2回見ても、やっぱり良かった。

色々、何か、即興的に行ったのか、上体の動き、腕の振りとか、あれ?こんなのあったっけ?と思う様な動きが、幾つか入ってたけど、(例えば、ちょっと弓を引くような、と言うのとも違うんだけど、意味する所は解らないんだけど、何か、細かい振りっていうか、動きが入ってて、見慣れた振付が新鮮に見えた、だけでなく、ほとんどの動きが、余計なものが削られ、研ぎ澄まされた、はっとするような美しさを湛えていたと思う。こういうのが、いつでもできるわけじゃない。

もしかしたら、ジャンプに難があり、ジャンプ、脚の方に不安がある分、腕や上体の表現でカバーする様な感じが、本能的にあったりしたとか(???違うかもしれないけど)
顔の付け方、瞳の方向付けとか、あごの位置とか、上体部分の各部位が、それぞれきれいにはまるっていうか、鋭い系統の綺麗さに満ちていた。
ピンチになった時の緊張感、王者の矜持が引き寄せた何か、なのかもしれないが。

今季の羽生の、余裕のある時の「秋によせて」とか、何となく、ナルシスボーイな感じが、自分はあまり好きではなかった(表面的には、それなりにきれいなんだけど)のが、今回全日本のFSでは、そういう余分なものが、緊張感の中でそぎ落とされて、玻璃のような名状しがたい美の世界を構築していた。

困った事に、羽生選手と言う人は、追い詰められると、こういった不思議なものを引き寄せてくる人なんだと思ってる。

つまり、昨日の自分の感動には、きっと根拠があるんだと、何となくわかった。

それに、王者の位置から転落する、という段になって、ビックリするほど、王者の風格と気品、誰にも叶わない様な気迫や研ぎ澄まされたバランス感覚を見せてくる。最後まであきらめないなんて、生易しいものじゃなかった。最後の最後まで、きっちり、見事に『羽生結弦の世界』を崩さなかった。だから、圧倒されたし、2位の結果の演技でなお、この人は特別なんだ!と思わされた。1位じゃなくなる!と言う立場になって、却って、誰もたやすく到達できない様な、特別な風格を持ってることが、自分には感じられた。(ファンの世迷いごとだと言ってくれ!)

*一方、バレエのワガノワメソッドを幼いころから習得してる演じ手ならば、美しく動くことについて、体系化された教育システムで育っているから、羽生よりも安定して、毎回全身の動きの美しさを出せてくる、という強みはある。例えば、ロシア2強のトゥルソワ、シェルバコワとかは、そういう系統で、トゥルソワとかは相当難しいことやってるわりには、何でもない様な所でぱっとあげた手とか腕とか脚とか、きれいだったりする。シェルバコワの動きの綺麗さは、すぐに気づくと思うけど、トゥルソワも、ハード過ぎる振付の割には、何気にきれいな線を出す時があって見とれてる。日本人だと、バレエのトレーニングが目立った人に、浅田真央がいる。

*羽生が美しく動くのは、そういうメソッド、他の人が作った理論による教育で身についた物でなく、もっと感覚的なものなので、多少、その時々で変わるんだと思ってる。

*それと、感動を増幅させたのが、応援との呼応。4回転ルッツが2回転になった時と、後半の3Aの2回目で転倒した時かな、思わず、TV放送でも聞こえる声で、「ユズル!」って叫んでる女性の声が入ってたけど、これが、きれいな音声なのね、(感心した)自分なんかは、フィギュアスケートって、音楽がかかるものなので、そこで聞こえる音声はやっぱり気になるので、羽生のピンチに思わず声を上げたのが、きれいな音声だったりすると、妙に感心してしまって。見ようによっては、全てが作品の一部のようにさえ見えてくる。(だからって別に、観客の方が、意識して気取った声を出す必要なんか勿論ないんだけど。)

そして、終盤にさしかかって、ジャンプが一通り終わって、さあ、ここからステップ、とかそういうタイミングで、手拍子とかが、何となく、2回目見た時、羽生と、観覧席のお客様の手拍子の音と、あたかも、同じ一つの生き物のように感じたり、とか。凄く呼応度合が高くって。

いつもは無い事だけと、いつにない、特別なピンチに思わず上がった声も、ジャンプをクリアして、終盤に声援の代わりに起こる手拍子も、氷上の羽生の動きと相まって、何か、破綻の無い一つの世界を形成していたような気がした。

フィギュアスケートがあって、ジャンプや回転やステップが行われる、っていうことだけで終わらない、その空間全体で起こってる、張り詰めた緊張感の中の何か。
まあ、一体感とか、連帯感とか、そんな平板な言葉にしたくないのだけど。そこで起こってる全体が、一つの表現みたいだった。凄く精度が高くて、感心した。羽生選手と、そこにいたファンの人たち、TV画面のこちら側から見てると、心の距離感が近い感じがするというか。

羽生がいつになくピンチで、絶対に王者に相応しい演技をやり遂げてほしい、羽生自身と、ぐるりと周りを囲んだファンの人々との共通の思い。
その強い願い、熱い思いが、舞台を、見ていて涙ぐむほど感動的なものにしていたのか・・・?

羽生自身は、あんな演技は問題外、弱いだけ!としか思ってないかもしれなくて、褒めるのは少し恐縮なのだけど、

でも、自分には、予想外もあったけど、感動的なステージだった。
そう、羽生、洗練されて、いつも以上に綺麗だったよ。自分主観では。

*高橋大輔選手のSPは、ジャンプ技術よりそれ以外の部分の良さに目が行って、最初の引退宣言から、キャスターしたり、復帰したり、アイスショーの舞台に立ったり、アイスダンスに転向することにしたり、紆余曲折があったけれど、その道程は、無駄ではなかったのではないか、と思える演技に見えた。

この件は、そのうち、書く暇あるかな。全日本選手権の中に、事実上の大輔選手の引退興行の様相があった今大会でもあったけど、コーチにキスクラで花束渡してたり、ファンの人が客席で5人位で、一人一文字のボードをもって「ありがとう」って書いてあるのを持ってたり、スターの一つの引退興行(次もあるけど)として、心温まる光景が、TV映像にも入ってて、なかなかほっこりした。(私は高橋選手のファンではないけれど。)

その人が、何者で、何をやるべきなのか?迷って幾つか試して、やっぱり自分の気持ちが納得できる方向に進んだ方が、いいのかなあ?と思う様な、スター選手の模索ではあった。

*双方のファンの方、非フィギュアスケートファンの、一感想なので、違和感あってもスルーしてね。

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愛がよみがえる時~羽生結弦in全日本選手権FS

2019-12-23 02:55:39 | Weblog
2019フィギュアスケート全日本選手権、男子FS。
ごく主観的感想。

久しぶりに、1に羽生、2に羽生、3.4がなくて、5に羽生!

と言う世界を味わいました。

ほんとのこと言うと、今季の羽生・・・・、フィギュアスケートとしての質は高くても、何だか、勝って当たり前のナルシスワールドになって、昨年ほど、感動してなかったのが。(ファンの人ゴメン)

やっぱり、「Origin」だと違うのか?!

あの・・・・。羽生さんも、ファンも、1位じゃなかった事に驚いているのかも(?)しれないけど。

自分的には、それよりも、・・・違っているかもしれないけど、曲、ディテール変えてなかったかな??私の気のせいだったら、ごめん。
ほんのちょっとだけ、一回前とも演奏が違って聞こえて、新鮮で、はっとした。

衣装も、前と後ろ、腰の部分に、紫の中にも、ピンポイント、赤い花が咲いていて、今日は、この赤が、目に染みた。

ジャンプのミスがあって、必死で見たということもあるかもしれないけど、たぶん、それだけではなく、
やっと、やっと、羽生結弦のスケートの演技を一心に追い、一心に愛する気持ちが、自分の中に戻ってきた演技だった。

羽生のジャンプ前に祈る思い、涙しながら羽生を見る。両手を組み、必死で見て、1に羽生、2に羽生、3,4が無くて、5に羽生!と、夢中になる思い、
続くジャンプミスに涙し、それでも。

何という王者の風格、別格のカリスマ性。今日の身体は、完ぺきにできる状態ではなくても、その中で、MAXの演技に挑んで、それ以下を自分に許さぬ

負けを潔しとしない、矜持。

負けてなお強し、という言葉があるけれど、そうじゃなくて、負けてなお、愛おしい、

この、敗北があからさまな中で、却って、羽生の何たるかが、見る自分の中では、浮き彫りになっていく、そんな思い。

ずっと、羽生結弦のスケートの演技が好きだった。17歳の、世界選手権3位の時から。1位になっても。順位に関わらず、ずっと。

ここ2回位、それが薄まる思いがしていたのが、今日は逆に、その愛が、蘇る演技だった。順位や技術的な完璧さが、全てでもない事は、高橋大輔選手のSPへのファンの応援を見れば、あからさまだと思う。私は、自分がいかに優れているかを誇示するような、ナルシスっぽい演技があまり好きな人間でもないし、追い詰められた時に羽生結弦と言う人は、異様に高いテンションで魅力を出す人なのだと、何度か思い知らされた。

絶対王者が、危機になって、却ってその王者たる風格、別格の存在感、高すぎる、自分に厳しすぎる矜持、そんなものを改めてひしひしと感じさせられる演技をしてきた。

この人は、特別なんだ。

今日の体調コンディションは、勝てる状態ではなさそうだと、自分的には途中で感じられたにも関わらず、果敢に挑み、完ぺきにできず、そんな自分を自分に、決して許さぬ高すぎる王者のプライド。その、瞬間の、引き付ける力。

あるまじきミスを出した時の、自分に呆れたような、他の選手には見られない誇りの高さ、有無を言わせぬ厳しさ。
あ~これはダメだ、と分かった時には、自分に呆れたのか何なのか、笑みさえ浮かべていた。

でも、私はその羽生の演技には、心を動かされた。もっとずっと技術的には高いのを実施できた前回、前々回よりもずっと。

ピンチになった時の振る舞い、演技。そこに、その選手の何たるかが、逆にあぶりだされる気がした。

羽生結弦と言う名手、羽生の演技への愛、
それが、自分の中で、戻ってきた。

今日の結果にさぞかし本人は、失望していることだろうけれど。
そして、私の感動は、きっと彼から見たら、意味もないし、届かないと分っているので、

なので、今日こそは、本当に、本当に、観覧席を埋め、羽生結玄に熱い応援の声を上げていた、会場に詰めかけた羽生ファンの一人一人に、ありがとう!本当にありがとう!と言いたくなった。

高得点をたたき出し、皆に称賛される結果を出せた時なら、誰もかれも称賛を惜しまないだろう。だけど、今日の様な日こそ、会場に詰めかけたファンの声援、愛情が、特別なものに思えた。

羽生の演技の一つ一つへの客席の反応。そして、最後に、結果の点数が出て、「2位」と分かった時の、高音の悲鳴の声…、これが、きれいな音声で、・・・
あの演技内容なら、たぶん勝てないと分りそうなものなのに、最後の最後まで羽生を信じ、羽生が1位でなく2位なんて、信じられない!とでもいうような。

誇り高き羽生結弦に相応しいファンの心情がありがた過ぎて、涙出そうだった。

久しぶりに、羽生に、心から感動した。この結果では、その思いは負けず嫌いの羽生に届くはずもない。
だから、失意の羽生に愛を注いでやまない会場のファンの方々の存在が頼もしく、ひたすら有難かった。

一点だけ。
今回、高橋大輔選手を見て、色々、思う事は多かった。(別途書けたら、それはまた後日に。)

羽生結弦選手に、一点だけ思うのは、今の様な、技術を上げる事だけよりも、個人的には、全てを一人でやらずに、試合だけでなく、アイスショーとかの演技、企画、演出・構成等に絡んで、舞台の演出家に関わってもいいんじゃないか?と言うような事だった。

高橋選手は、シングルの選手としては、専門家から見て技術的には精彩を欠いたのかも(?)知れないが、反面、「氷艶」のステージなどで、別の経験をしていて、舞台の演出家が付いたせいか、(或は、アイスダンスの指導者がついたせいか?)今迄とは、SPの演技が違って見えた。

一方の羽生選手は、「4Aを!」とかって、さらに上の技術の可能性を口にし、技術の向上を求めるのは、それはそれだけど・・。

でも、フィギュアスケートを今後もやっていくようなら、技術より表現の面で、元々最初の頃から表現面の才能はあった人だから、第三者の演出家(フィギュアスケート外の)のサジェストを得て、それを発展させた方が、どのみち、試合だけでなくアイスショーだってあるのだから、いいんじゃないかって思ってる。

(フィギュアスケート内じゃなくて、業界外の、舞台の演出家の人の指導は、どこかで受けた方がいいんじゃないかなって思う。高橋大輔選手は、試合だけじゃなくて、「氷艶」とかの公演をやってて、そこでたぶん、普段のフィギュアスケートでは体験しないような演技面での体験をしてるんじゃないかな?って、今回の試合、特にSP見て思ったので。)


羽生結弦選手を、客席から全霊で愛して下さった会場のファンの皆さま、本当にありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願いします!

(私たち後衛のファンは、とてもじゃないけど、会場までは行けないから。)

・楽しみにしてた山本草太選手のFSの演技を見る事が出来なかった。そのうち、ネットで探してみるかも。

・ジュニアからシニアに来たばかりの鍵山選手が、あっと驚く高得点で、ビックリ。3位入賞。

これを見て思ったこと。トゥルソワ選手がジュニアの時、4回転ルッツとか、高すぎる技術をジュニアの選手がやるべきじゃないと言わんばかりの意見の書き込みをいくつか見たけど、それは大ウソだったんだなって思った。むしろ、年齢が若いうちに、高難度ジャンプができるように準備して行かないと、一定年齢越えてからではハードルが上がるのでは?と、鍵山選手の演技見て思った。

・でもそれ以上に、15歳の佐藤選手の「ロミオとジュリエット」には感動して涙出てきた。冷静な判断と、主観的な感動は違うので、より感動したのは、自分は、佐藤選手。ロミオの属性の中では、純粋さ、が感じられる系統の演技だった。

(そういえば、昔の17歳の羽生選手のロミオは、曲は違うけど、そういう一般的なロミオとは違ってて、疾走する十代の「闘争」の部分を色ごく感じさせ、情熱的で、突き進むことしか知らないような個性で、素晴らしかったことを思いだした。)
曲の奏し方も良かった。選曲と演奏、編曲はいつもとても大事。

・今回で引退と言う、ベテランの佐藤選手だったかな、「革命」の曲で、確かに、革命って感じの演技だった。技術は完璧でなくても、順位は15歳の鍵山選手より上ではなくても、何か、舞台を思いが覆うような表現の点では、一日の長があったと思った。

・ランビエールコーチの株が上がりそう!と思った。

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