懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

クレオパトラな女たち

2012-06-06 09:31:29 | Weblog
TVドラマの話になってしまい、すいません。

自分的には、ちょっと面白いかなと思ったんだけど、視聴率的には奮わないそうで。
8話で今日で最終回だって。(視聴率の低いTVドラマは、この頃多いけど。)

朝日の写り方がきれいで、作品の内容に合ってて、品があるとか、最近のドラマ低迷の中、ちょっと一味違う佳品になるかしら?と思ったんだけど。

【クレオパトラな女たち】
・主役の佐藤:今まで自分的に好きな俳優ではなく、特に見たいと思う人でもなかった。この役では、とてもよく見える。同じ台本でも、こういう演技でないと響かない、と思う箇所がよく出てくる。光る役を貰えた、ということか?

・稲森いずみ:前回、パスタを作って失敗する所が、とても可愛くて感心した。
こういう所が、女優だな~と思って。特に好きでも嫌いでもない女優さんだけど。

昔、小説家の人が女優と仕事してみて、「女と女優は違うんだ」と言ってたのを思い出した。

良い演技って、「上手い演技」ともイコールではないし、まして、美人女優・美男男優と、性格俳優では、領分が違う。美人女優にとって重大要素の一つは、男性が見て絶対的に可愛く見えること。抱きたいと思う存在に見えること、とかってあると思う。
(演技論ってほどでもないけど、泉やしげるが、ちょっと前に演技についてどうこう言ってた内容に違和感を覚えたので、演技論めいてしまった。この件は後述。)

一般的には、料理が上手なのが女性的魅力の一つ、と言う既成概念。それを凌駕する稲森の演技。ちょっとしたシーンなんだけど、パスタを鍋に放りこんで、お湯が跳ねて、キャーっとか言ってる姿が、キュートで、料理上手いより返って男ごころをそそるかも、と思わせた。こういう、女の魅力のエッセンスを、演技で出せるのが、美人女優の「演技」。

と同時に、実生活で考えると、自分にはあれはハードル高いと思った。ああいう風に男を無意識に挑発できるといいんだろうな、と思うけど、あのパスタ作ってどうのこうのという一連の稲森の演技、ああいう可愛さ、隠れセクシーさ(作った色気じゃなくて、男が行為に及びやすいような)・・。感心はするんだけど、なかなか現実には、あそこまで何をやっても可愛く、ってのは、難しい?(笑)

分かりやすい比較で、木曜の「パパドル」に出てる優花の演技。愛らしい妻の役を順当にやってるんだけど、ああいう、誰にでも好かれそうな、いつもニコニコ、みたいなキャラだったら、演技にしても、実際の恋愛でも、誰にも難しくはない。
でも、前回「クレオパトラ」の稲森の演技って、やりようによっては、人に嫌われる要素が幾つか入ってて。怒って声を荒げたり、つんつんしたり。それで、男性側からみて彼女を好きになる気持ちが分かりやすい、つんつんしても、失敗しても、何しても可愛く見える。そういう説得力のある演技って言うのは、容姿も含めて「美人女優」の領域なんだろうな、と、ちょっとしたシーンに思ってた。

※モンローをセックスシンボルと言う形容があるけど、ちょっと言葉が日本人向きではないかもだけど、美人女優、美男男優と言う領域は、台本の要求する魅力を体現できないといけない。稲森にかぎらず、この手の俳優さんは、意識無意識に、一生掛けて、半生かけてそういう作業をやっていく専門家みたいなもんかも、と思った。素人が「演技」と言う言葉を聞いて思う事とは、別のファクターがあると思った。

それぞれ、目に見えないところで自分を磨いていくような仕事なんだと思う。

(小説家の言った意味は、女優は、「見せる」仕事だから、写った映像が魅力的に見えるためにやっていってるので、ちょっと見には良く見えても、実際につきあってみると女としてはあまり良くない、とか、現実に女としてつきあえるような存在ではない、という意味だけど。まあ、それはともかく。”人間は、一つのことをやるのに精一杯で、女優と女は両立しにくい場合もある”とか言えば、一般化しやすいかな。)

構造:普通はメインの男女が最初から、「この二人がくっつく」って分かってドラマが展開するのが多いけど、この作品はそうでないのがユニークだった。
最初、女だらけの集団性に、異分子の男が入り込み、元の集団性がかき乱される、その諸々の出来事の中で、いつのまにか、まさかくっつくと思われなかった二人が男女関係に。という珍しい展開。現実には、よくある集団と対の関係の構造が、自然に描けていて感心した。

ただ、8話で終わってしまったので、残念ながら、いまどきは多少安直でも、最初からこの二人がくっつく、と分かりやすい構図の方が、TVドラマ視聴率事情に、耐えやすいのか?

・綾野剛:TVドラマで、ゲイじゃない人がゲイの役を演じて、ここまで自然に広範囲に支持を得られる演技した人をはじめて見た。

(以前のドラマで、ゲイ役の人が台本見て、「こんな馬鹿みたいな演技したくない」と思ってた、なんて話も過去にはあった。それは視聴者側から見ても、ばかばかしかった。だから今回、ゲイ役でここまでできるって、目から鱗。)

ただ、自分的には、佐藤の役と稲森いずみの役の人が、かわいいので、こっちがうまくいってほしいんだけど。綾野の役の人は、ゲイだから視聴者の支持はあるけど、もし彼が女なら、たんなる片思いなのでは??

・他の人々:とても残念なのは、主役だけでなく、脇役もそれぞれカップルや、進行してるドラマがあるので、もう少し放送できたなら、もっとよかった。
葵とか、クールな検査会社社員と星田先生とか、院長と音楽家の男とか、周りの人々が、各々結局どういう人なのか、どういう風に変わってゆくのか、欲を言えば見たかった。それぞれに興味を持たせる演出、演技になってたから。

・8話縮小になってしまってからも、そんなに不自然になったりないし、悪くなってないのは良かった。最終回でがっかりする話、結末が分かってほっとする話、ドラマの最終回は、それぞれだけど。

・脚本:「セカンドバージン」書いた人らしいけど、あれは、自分は興味なし。チャンネルつけてもつまらないので、見なかった。

(バージンにセカンドは、ない!何事も、聖なる一回性をなめてはいけない。それなりの人生がないから、たやすくセカンドと言ってしまえる。鈴木京香は、ああいう役だと、自身の恋愛経験の内容の貧しさが馬脚。演技見てても、彼女自身が、本当にこれと言えるほどの恋の思いを、抱えたことはないように見える。純情な娘の役の年でもないし、年齢的にも、ちょっときつい。華麗なる一族での悪女役みたいな方が、あってそう。)

「クレオパトラ・・」は、台本だけがいいというのでもなく、本とキャスト・スタッフがそれぞれ良かったのかな?と。低視聴率の理由は知らないが、リアルな手術シーンは、だめない人はだめなのかしら?。(自分には知らないことが分かって良かった。)

例えば視聴率のためには、もしかして主役に嵐を使うしかない(半分冗談ですが。)なら、それも自分には関係ないし~・・。

時に、この作品、タイトルと内容が必ずしも適合してない気もするけど、それと視聴率関係あるのか、分からないし。(この題なら、整形美人や美人がいっぱい出てきて、そのユーモラスでビジュアルがゴージャスなドラマ、みたいなイメージでしょうかねぇ。)

・主人公の父も、黒田清の映画以来の、「ぶっとんだ父親」像で、なかなか珍しいキャラで。この役の人も、他の人も、同じ台本でも、別の役者さんなら同じ味は出せなかったと思う。そうかと思うと、朝日が良かったり、俳優の力以外のところも印象に残った。

そ~んなに大ぼめするほど良かったというのとは、少し違うけど。
今のドラマで、稲森と佐藤のコンビのように恋愛関係を自然に描けてるのって、この頃見たのでは、他にあまりなかった。

今風のドライな男女と今風でない四角い男のバトルによって、色んな異質な考えがぶつかってる面と、物事に前向きなトーンが良かった。でも、全体をふんわり包み込んだ作品の色調・雰囲気は、見るにさりげないけど、作り手には、簡単に作れる世界でもなさげ。

【最近のドラマ】
TVドラマと言うと、最近のは恋愛を描けなくなってきてると思ってたけど、これはちょっと例外的だった。
恋愛ドラマじゃないけど、局違うけど、ちょっと前にやってた日曜日のドラマ「運命の人」が下らなさすぎて、もう、TV業界でのドラマ作りに期待するのは難しいのかも、と思ってた。

まともな人間関係が描けないとか、社会性にしても、原作も含めて作り手の理解の程度が低すぎるとか。

【運命の人】
「運命の人」が愚作だった件は、下らなさすぎて黙殺するつもりだった。
(史実を捻じ曲げてるようにも見えたし、第一、真木ようこの演じた女が変すぎる。神聖な法廷で私情の恋情で嘘をついてて、ドラマ上どこでも断罪されない。想われる男の本木に、男の魅力ゼロ。二人の関係性に、リアリティもない。主役の本木雅弘も、役に彼自身の卑小さが反映されすぎて、役が見えなくなる酷い演技だった。

ついでに、人として、異性に想いを寄せられて、応えられない場合は、きちんとお断りするのは、人としての基本礼節。それもできない情けない男が何を論じても、説得力がない。原作も台本も演出も、そして本木の演技、解釈も、酷すぎた。

<このドラマに限らず、いまどきのTVドラマがダメダメなのは、こういう人としての在り方の部分。「クレオパトラ・・」は、珍しくその辺が、ましに描けてた>

でも『運命の人』は、脇役端役も、泉やも含め、酷すぎた。最終回の端役の人たちは、沖縄戦での生き残りの人のドキュメンタリー位見て、演技の為に勉強した方がいいと思う。うさんくさい安っぽいお涙頂戴芝居に、何のリアリティもない。演技下手なら下手なりの、努力の仕方があると思う。ただ、この作り手たちに、社会派ものは無理に見えた。作品解釈が酷すぎる。沖縄が沖縄がと言えば、何でも通ると勘違いしてるみたいだった。見識が低すぎるのだから、ロマコメ路線にでもしてほしい。社会性のある作品は、もう少し問題意識が高くないと、実際に生きた人たちに失礼だと思う。事件については、例の吉田局長の発言で、括られるのが一番良かった。せっかく発言した人が居るのに、こんな屑ドラマで、変な曲解をふりまくべきではなかった。また、沖縄の現実については、実際にはドラマのような単純な話ではなく、その後の経緯により変質している。沖縄問題の現在性から見ても、変なドラマだった。)

ところが泉やしげるが、余計な発言をネットにのせたので、やっぱ悪いものは悪いと言われないと作り手に反省もないのかも、と思ったので。泉やが何を言いたかったのかは、憶測はできるが、言葉の使い方が酷い。俳優でもない泉やが、俳優の人に演技の巧拙をいうのは変。

とくにドラマ「運命の人」では、泉やしげるにも、本木にも、
ほとんどの出演者の「演技」に、うんざりした。
人の演技をいう前に、自分の演技を省みて欲しいと、俳優になら言えるけど。泉やって、歌手だった?と思うので。俳優のつもりなら、演技勉強して欲しいと思うけど、彼らにはそういう期待はない。

ついでに、泉やみたいな知名度で演技ができないのをカバーしてる立場でなく、本業の性格俳優の人たちは、この頃のドラマで、上手いな~と思って感心する人が何人も出てくる。知名度あるタレント系との違いは、台本に書いてないことを、作って的確に出してくる能力。作品が愚作でも佳品でも、彼らはいい演技してる。

美形の主役と、脇の役者さんたちとで、領分はそれぞれ違って、それぞれに精進が、ある。

※『運命の人』での本木雅弘は、ミスキャストの残酷さみたいなものを、図らずも露呈した格好だった。

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