懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

日本映画「メゾン・ド・ヒミコ」

2009-01-06 00:04:04 | Weblog
新年、TVでは深夜は、日本映画特集なのか、連夜放映していた。
中で、これが良かった。

犬童一心監督作品。ってこの人、ど~ゆ~名よ。こんな名の人だから、これは「撮りたいものをやりたいように撮った」って感じなのかと、想像。

私のテリトリーの映画じゃないけど。
いやはや、良く出来てます。

引退したゲイバーのママが作ったゲイの老人ホーム。で死にかけてる末期がんの老いたゲイ(この役の人上手で、ほんとっぽいと思ったけど、美輪明宏とかピーターとかが見たらどうかな?)には、昔捨てた娘(柴咲コウ)が一人。死にかけたゲイの愛人(オダギリジジョー)が、彼氏のために、コウちゃんを老人ホームに連れてきて・・・。といったストーリーで、・・。

つまり、これだけ読むと、別に見たい気にならない説明になってしまうため、私も公開当初は見なかった。

筋を書くと凄く変なのに、映画は、ちゃんと見れる。
良く出来てます。(別にお勧め、とまでは言わないけど、見たら見た時間は無駄にはならないと思う)

オダジョーの柔の持ち味と、柴咲の剛、のブレンドも絶妙。

オダギリジョーって、一時期やたら日本映画によく起用される役者さんだなって思ってたけど、これ見て、ちょっと納得。

この人、出始めのころ、そ~んなに天才的に演技が上手いわけでも、かといって大根なわけでもなかった。

それで、こんな風な「結果としての映像」を見ていると・・・。
私たちは、スクリーンという「結果」しか見てないのだけど、たぶん、この人はこの結果に至りつくまでに、かなりのエネルギー支払ってると思った。

台本渡されて、監督からの要求やサジェストがあって、それから、それから・・・ってとこで、プロセスのとこで、苦しんで、こういう演技になった、というものが、きっとあるのだろうと思う。

なんとな~く、全体に「それらしく」見える。
ゲイの青年を演じて、違和感がない。余計な不快感もなく、映画が表現すべきことが浮き彫りになる。

一方、柴咲コウの「呵責ない少女のような」突き放したもの言いは、半分は資質とか、地なんだろうけど、この人はこういう「呵責ない少女のような」容赦ない突き放した言い方をして、そこに逆に「女」を感じさせる、面白い個性があるのが、この映画ではかなりはっきり出ていると思う。

ここに集った人たちは、映画が好きなキャストスタッフなのかも~と思いながら見た。

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