ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

【ソラの人間誕生記】(その7)

2006年12月25日 22時09分46秒 | Weblog
発売された【ソラの人間誕生記】に関係のある2005年のソラ画像お知らせを紹介していきます。
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マールロック、可愛いでしょう
イシカミが言葉を発することを知らせる文字
フゴッペ洞窟の岩絵
九州耶馬渓
北海道江別市埋蔵文化財センターの石棒

2006年12月13日
「三千院とは3千人と言う意味です。
三千人の人が殺され集められた所です。
そしてその血が紅葉の赤い葉になったのです。
殺されたのはイシカミを信じる人たち(被差別)でした。
それを証拠とするものが、ヨダレ掛け(前掛け)をした地蔵です。
ヨダレ掛けは物を食べる時に使うということであらわされています。
それは(その人たちが)食べ物をほしいとお願いしたので殺されたのです。
支配星に支配された人は、“イシカミ(イシジン)は水を飲んでおれば良い”と言って、食べ物を取り上げたからです。
イシカミをあらわすお餅(鏡餅)を食べている所を見つかったのです。
そしてイシカミに教えてもらって、折角作った食べ物を全て取り上げられたのです」

なぜ、急に三千院が出てきたかわかりません。
海外の雑誌に赤い涎掛けが写真に載っていて、丁度どういう意味かと思っていたと知らせてくださいました。

2006年12月16日
以前に夢うつつに、聖徳太子推古(天皇)とイシジンの父親から生まれた合いの子で、リュージン系の推古の言われるままにしたことを後悔していると降りてきていました。
初期の頃に聖徳太子の父親は、目が見えなく、馬小屋の番をしていたと知らされましたが、イシジンは目を通してものを見なく、手で触ることで全てわかるので、情報とあっていたと思います。

2006年9月21日
《ビジョン》
“超微粒子が集まってきて一斉に斜め向こうの上にあがっていく。
その後、入り口は石を積み上げた石室のような中に、茶色の大きくて四角い頭のイシジンと白い小さな人間?が一緒にいるマンガ“

意味は
「イシジンと人間が結婚したのです。
半分人間で半分イシジンというのもいたということを知らせました。
石像のイシジンは水分が多かったので、肉体は人間と同じでした。
人間との結婚はイシジンの願いでした。
あまりに人間が弱くて傷つきやすかったからです。
けれども、いろいろな体験が出来る人間になりたかったのです。
五感を感じることが出来たからです。
死んでも生まれ変われることを知っていたからです。

イシジンは嫌になるほど創れるのに、人間はなかなかできませんでした。
イシジンの遺伝子が大きく働くと、巨人になりました。
けれども巨人は命が短かったのです。
人間はイシジンが違う食べ物を与えたので長く生きれたのですが、巨人は死ぬしかないと言われたのです。
巨人のお汁がなかったからです。

人間とイシジンのあいの子がオオクニヌシやヒミコでした。
オオクニヌシは死ぬまでにホシノミナの降りた日本へ行こうと思いました。
同じくヒミコも合いの子で一緒に日本に行くことになったのです。
低い山になったイシカミは早くに死にました。
けれども高い山(エベレストなど)になったイシカミはお汁が出たので、それを貰いながら日本を目指したのです」

「なぜイシジンの精子が人間の卵子に入ったかというと、イシジンの原子が精子になりたがったからです。
それで男性のイシジンと女性の人間と結婚したのです。

人間同士は結婚が出来なかったのです。
なぜなら人間は男性としての機能が働かなかったからです。
イシジンの男性はたくさんいました。
それに対して人間の女性が少なかったのです。
それで女性は子供を生む女神として大切にされたのです。

それに対して男性は粗末に扱われて、そのことを潜在意識に残っている人が、今生では女性に威張るのです。
イスラム教やアフリカなどで女性に自由を与えないのも、同じ理由からなのです。
それで未だに中世さながらの悲劇が起きているのです」
(アフリカの女性の割礼や、本「生ききながら焼かれて」のヨルダン西岸の女性の悲劇

「人間は男女関係なく一人ひとりが平等です。
人間の平等を破っているのが皇室制度です。
それをさらに(男子優先という制度で)先頭に立って皇室が破っているのです。
これらがなくならない限り無理なのです」

2006年8月14日
13日のお知らせ壱岐の地図天手長男神社)の画像を見ていると
「天の手長男はいつになれば気づいてくれるかと思っていました。
ようやくお知らせに載せて貰えたので本当にうれしいです。
悪者をどれだけ恨んだか。
それで陸が沈んだのです」
(博多湾は以前にも平野だったと知らされた)

2006年8月13日
横穴など遺跡めぐりをしてくださっている読者の方のブログを見ていると、とてもかすかに、

「ここ(横穴)にいたものが、土グモと呼ばれていました。
悪者に殺されました。
悪いことは何もしていませんでした。
イシカミに言われたことをしていたのです。

口の中から食べ物を出していたのです。
食べ物とは、おもに固まらないクズモチ?のようなものでした。
それがワラビモチでした。
小さな人間はそれを食べていたのです。
穴の部分の原子がイシジンの身体の原子になったのです。
そしてそこで住んでいたのです。
石になる前はイシジンでした。
頭の上の壷に入ったお汁が食べ物でした」
(伝説で人を食べたように悪者にされていることに対しての抗議)

「悪者は伊勢にいるものです。
伊勢の人(伊勢神宮の巫女)が聞こえる言葉は、支配星部下のものだったのです。
伊勢のものが(イシジンを抹殺するように)全ての神社に伝えたのです。
簡素な家に住んでいました。
土グモと呼ばれたイシジンです。
イシジンがすることは人間に食べ物を与えることでした。
食べ物はおモチのような物でした」

《ビジョン》が見えて目が覚める。
“緑色のコケが生えた小さな巻物と箱と小刀?と何か”
意味は

「岩穴の中に置いていた物です。
それが倭の国にあったのです。
ヒミコの教えが書かれていたのです」

「イチゴ(イシカミの誓いの語録)が出来る前にヘビが来ました。
イシジンは何人もいました。

何も知らない間にタカマガハラのものが、お汁にシブ(タンニン?)のあるものを入れました。
それが渋のあるお茶の葉の汁でした。
それがイシジンの身体に入って固まりました」

壱岐島の天手長男神社の神とされているのも、同じイシジンと思われます。
壱岐はヤマトから遠く、イシジンの抹殺計画から逃れたのでしょう。
その他手長、足長は悪者の伝説として残っているようです。
人間があらわれて食べ物もわからなかった時に、イシジンたちが食べものを与えて世話をしてくれたのに、その手柄を全て僧侶に置き換えて、イシジンを抹殺し、悪者としか伝えてこなかったことに早く気づいてほしいと思います。
↑のことに対する怒りを昨日の雷↓でしっかりと知らせたと思います。

・雷=激しい雷雨、帰省の足乱す 落雷による火災も(2006/08/12付ニュース)

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以上、ソラからの伝言より。