疾中に書かれた言葉1月3日記。山の天気は変わりやすい。さっきまで日が照っていたのに、ふと窓の外に目をやると吹雪き始めている、そんなことがいつものことで、冬の特に正月明けての数日はそうである。...
新たな年明けにともなってリニューアルしそこなった。
あたふたと年末年始を過ごし、皮を被ったままであるが
七草も終わったことだし近況を。
親分もおかげさまで年越しをすることができたので喜んでいる。
人も動物もみな老いて死ぬ。死ぬことは生まれてくるよりも
難儀なことかもしれない。いや、生き抜くことが難しいから
死ぬことがナンギと見えるのだろう。
一人で死なせないように、老いたものを誰かが看取って送る。
最期を悔いなきようにと過ごすのは、逝く者よりも送る側の
心のありようのほうが問われる、そんなことを日々思う。
悔いなきように、人として自分は確かに行ったか。
一時の感情に振り回されてはいないか。
悔恨よりも事前の自戒がのちのちの喜びにつながる。
逝くものは去ってしまうのではなく、ひとすじの道の上を
先へ進むことなのだ。
生きた喜びを分ちあって送りたい。
犬に教わりつつ過ごした十数年、あとどのくらいあるか、
大切にします。