想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

強い個人になる

2015-08-17 02:24:39 | Weblog
(ジョリの子 → ジョリコ に改名。
後ろの白いのは網戸用の放射能除けシート、
夏はけっこう役立ちます、オススメ)

自己中になるという話ではないよ。
《「日本人は個人としてどんなによくても
集団になった場合信頼できない」という
外からの評価を自信を持って打ち消すことが
できない。(略)理不尽なものにNOを言える
ようにならなければならない。それには、
それぞれがムードに流されない
強い個人になるための
自分らしさを、養い育てていく必要がある。》
日々の新聞8月15日号からの抜粋だが、
強い個人が生きるには
この国はあまり居心地のいいものではない、
残念ながら、現在進行形だと思っている。

先日、山暮らしとはいえ、村の住民として
村役場へあるお願いに行ったとき、それを
感じた。行政区という住民自治組織を通せ、
個人の申し出は受け付けないという。
行政区の方では新たに入ることを歓迎しない
という。あからさまではないが、ざっくりと
言えばそういうことなのだ。

まわりくどい話をする人たちに、結論はこう
ですね、と切り返すと、またぐるぐると話を
戻してあいまいな言い方をする。
そりゃあそうだ、いずれも拒否するわけには
いかない件であるが、けれどもこの女一人の話に
つきあうわけにはいかないという態度であった。


(EM菌の堆肥に生えてきたかぼちゃに
びっくり、種が入っていたらしい)

わたしは声は大きい方ではない。
わたしは声は大きくはないが、はっきりと
話す方である。
だから言った。
あなたの話は法的には根拠がありますか?
ないですね、きりがないから上の人と話をさせて
ください。と。

すると、自分が伝える、あとで連絡をすると
答えるのである。
わたしは強い個人ではないが、強い個人に
なろうと思い始めたところだったので、
心の中で神さまにお願いしながら、ぐっと
耐えて、筋の通らない話ですね、と言って
それ以上ゴネずに一応は引き下がって帰る
ことにした。ごねていると思われるのが
不快だったからである。

そして、帰路、運転しながら対応した若い職員の
言葉を反芻していて、ふと気づいた。
なんのことはない、彼は事情も情報も調べず
適当に、いつも通りに、対応しただけなのだ。
話を聞かないままに結論ありき、である。
いつもああやって個人からの陳情を受け流し
できるだけ相手にしないようにしているのだろう。

それで、わたしは車を止めて、電話をかけた。
名乗ると、電話口の女性は前とは違って丁寧で
あった。くだんの若い男に代わってもらった。
そして、あなたは知らないかもしれないが…と
ゆっくりと事情を、相手が聞く気も調べる気も
ない周辺事情をとてもゆっくりと話し始めた。

男はふんふんと相づちを打っていたが、突然
えーっと言った。そうだったんですか~
と言い、わかります、わかります、そうですよね、
と言い出した。善処すると言い出した。

一村民の女である(と思ってるだろう)私の
素性を話した後のことだった。
素性というより、この村へ来た経緯を話した。
それだけである。その話に登場した人の名に
彼はちょっと反応した気がした。
それから、なんだか声音が変わった。
一村民、一個人を尊重してくれたのではない。

地元のちょっと有力者っぽい知人の名前に
反応したのだ。
彼は親しい友人であると、わざと言ったわけ
ではなく移住の経緯に関わった人だったので
話に自然に出てきた。
その後、手のひら返しの対応ぶりであった。

けれど、こんなことはこれからも続くだろう。
これに味をしめて同じ手を使うなどと
いうことはない。
かえって不快であった。
そして、日々の新聞の言葉を思った。

あまり村へ降りない。
人里へ近寄らない。
人を離れるためにここへ来たのだから当然だ。
しかし、生活するのは諸々やっかいなこともある。
政治に首をつっこみたくはない。
誰かの力を借りたとたんに色がついて区分け
されてしまい、個人ではなくなるのだ。
利権で動き、癒着と談合が当たり前の旧態然と
した村は息苦しく、人はバラバラで活気はない。
元気なのは村長人脈に連なる企業と人々だけだ。

田舎に若い人が居着かないのは、仕事が少ない
からだけではない。不自由なのだ。
何につけ、不自由である。
コネ社会、いらぬ噂で人が指を指す。
親切な人はいるが、密やかな声でしか話さない。
いざというときには、いなくなる。
そういうところから出て、もっと孤独な場所
都会へ行ってしまう。

文化と教養がいかに大事かと痛感する。
強い個人になるには、学ばなければ、言葉を
持たなければ思考できないし、行動は思考から
生まれる。

群れていれば安全地帯だというのは錯覚で
人が生きることの可能性を閉じてしまうのに
悪い年寄りのいいなりになって、次世代が
悪習を引き継いで、またぞろ悪い年寄りの座に。
そうこうしていつか村ごと滅びていく。
いつか国ごと滅びていくか、他国に吸収される。

そうならないために、頑張っている人が
いるのだが、密やかでイマイチ勇気がないのだ。
あなたはトーキョーに行けるからいいけど、と
私はよそ者だから言いたいことを言うと見ている。
どうせなら宇宙人くらいに思ってくれよ、
どうせなら、うさぎなんだから山から降りるな
でいいですよ、と思いながら顔では笑っている。

日本全国に同じような田舎がたくさんある
のだろう。これでは自民党政権が続いたはずだ
としみじみ思う。

SEALDs は都市部で増殖中だが、田舎の
若もの達が頑迷でずる賢い年寄りを説得できる日
が来ることを期待したい。
MIDDLEs もOLDs も諦めたくはないが…。







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