想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

たけくらべ

2019-11-12 19:22:37 | Weblog
「身の丈」発言が尾を引きポロポロと
内閣の不祥事が露わになる今日であるが
身の丈に合わない志望校を早々に諦め
どうでもいいよというやけっぱち進学
をして、結果ひどく後悔をした過去を
思い出さずにはいられない。

その後の経験は愚かなりに糧として
今日に至っているので悔いはないが、
他人事とは思えず敏感に反応した。
反応している我に驚くくらいに。

諦める子どもの気持ちが身にしみて
わかる。
親が無理をすることを察して自ら
金のかからない方へと進む。けれど
内心は落ち込んでいないわけがない。



奨学金をもらっても下宿代が払えない
とわかってから私は受験勉強をやめて
しまった。
地元で進学するしかないなら頑張る
必要はなかったからだ。

今思えば、そういう環境であっても
社会人になって働きながら自力で進む
道はあるわけだから、根性無しでも
あったと思う。そういうことを言って
慰める大人は周囲にいたし萩生田大臣
の悪びれない身の丈でという言葉は
似たようなものだろう。

しかし一つ諦め、また一つ我慢し、
あるいは挫折し、と続けていくうちに
苦く辛い日々に疲れていった。
希望という夢を持ち続けるのも才能
かもしれないが容易ではなかった。

もちろん人生を左右するのは学歴だけ
ではない。人の運はもっと複雑だ。
挫折した私が学んだのは多くの負の
感情からである。それが他者を理解
する気持ちにつながっていった。
驕らずに済んだということ。

しかし本人が諦めるならいざ知らず、
上から制度として道を狭められて
しまうのは悲しい。
身の丈で、なんぞ言ってしまうのは
政治家として無自覚すぎて許されない。
いまなおこのような問題が解決されず
むしろ貧富の格差は広がる一方だと
いうことにため息と怒りがこみあげる。



韓国ドラマに多く描かれているのは
検察腐敗や学歴格差による就職難を
背景にした悲恋や復讐劇である。
その格差の大きさと人々の成功への
執着にへええと対岸の火事を眺める
野次馬のように視ていたが…
落ちぶれきって底をついた日本の現実
をそろそろ認めざるを得ないと思う。

韓流アイドルにうつつを抜かし、
コスメ買いに走る。いつの時代も
女性たちは日常が優先だが、その
日常の平穏を保ちたいならば
もっと怒った方がいい。
反韓、反日などと煽るメディアに
惑わされず足元が崩れないように
踏ん張らなければならない。

今ならまだ間に合うかもしれない。
左派ポピュリズムは揶揄ではなく、
正しい意味で用いれば社会運動の
うねりが改革を支えるということ
なのだから。

そうそうタイトル「たけくらべ」は
遊女と僧侶になる定めの少女と少年
の物語であった。その定めから抜け
るには命を賭すしかなかった時代だ。
子どもたちに同じ思いをさせない
ように、巨悪に踏みにじられるのを
黙って見ているわけにはいかない。

巨悪といってもほんの一握りの悪党
に同調圧力で寄り集まる愚者が張り
ついて膨れあがった、はりぼてに
すぎないのだ。
香港の若者を170文字で支援する
既成野党党首にいくら期待しても
世の中は変わりそうにないから
普通の人の、無縁のつながりに
むしろ期待したい。
同じ気持ちの人はたくさんいると
思うから。

闘わずして落ちていくより、
他の為に、多くの人の為に闘うことが、
どんなにか気持ちよいことか、
そういう人生はたぶん楽しいだろう。

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