想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

花待ちの日々

2015-05-01 12:43:20 | Weblog
(写真を差し替えました)

青森の桜が満開だというのに、ここはまだつぼみです。
ゴールデンウイークの真ん中あたりに毎年咲くので
今年もそのあたりかとふんでいるのですが…
満開の一番いいときに山を下りていて、ちゃんと見た
ことがないのです。
来年こそは、今年こそはといいつつ今年で19年目の
山暮らしになりました。



前回の椿の移植をカメがやりなおしてくれました。
庭造りはやっぱり…トーシローには難しいですなあ。
カメも庭師ではありませんが~

大きな板を削って腐食防止のペンキを塗り、それで
土留めをし、黒土を入れ、たくさんやることがあって
椿は数m移動しました。
(黒土は放射能数値を計測し安全な土を使用します)

新しく白い椿、侘助も加わって、あと一本分のスペース
を残して椿コーナーが出来上がりました。
少しづつ伸びていくのを楽しみにしています。
雪に耐えてくれるといいのですが。

で、今年こそは花見と、今から待ち構えているのですが。

桜を観た日のことをここで書かなくなった
のは、アレとアレのせいだった。
でも、今年は待ち遠しいのです。

一つ目のアレは空間線量のこと。
二つ目はベイビーのこと。

忘れたわけでも気にしなくなったわけでもない。
逆です。
思いっきり、ど真ん中くらいに、意識しています。

両方があって、自然と、地神のハタラキについて、
深く考えさせられたわけです。
より自然に近づき、より謙虚にならざるをえなく
なった、その分、桜の花を待つ気持ちも強くなって
いる、そんな感じです。

人がなんでもできる、作れると思い込んでしまった
のは、いつからなのでしょうか。
今も昔も、肝心なところでは、人はなんにもできない
ままです。
それを悪く思ったり、卑下したり、悔しがったりする
曲がった気持ちが強くなったのはいつからなのでしょう。

人は自然の摂理を学んで模倣したり工夫したりする
知恵があったけれど、いつから遠慮がなくなったのか。
教わっている、恵まれているという気持ちを忘れた
まま、人は増え続けてきました。

このまま行くのは止めようという人々が、3.11以降
に動き始めた、それが一時的なことで終わるものでは
ないということを感じます。
自分にできることはとても小さいけれど、
そもそも、世の中は、小さなことが集まってできて
いる。まず、そのことに気づくのが大事でした。



魂は大きな魂も小さな魂もない、重さはいっしょ。
人一人を助けることは大勢の命を救うことに劣ったり
しない。
生きものは人だけではないし。

そんなことをたくさん考えて、春、本番になりました。



猫パワーが庭に満ちているんだわー。
イジケテ、おまえではなし、とは言いません。
おまえでいいよ、おまえはかわいい、くらい…






コメント
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