ドッグフード缶が一個、棚と棚の隙間に落ちていた。
片づけたはずなのに、散歩ウンチ袋の使いかけとかと一緒に
出てきた。
掃除をすると黒い毛を見つける。ふわっと綿ゴミに混ざり、
存在を主張するでもないが、あることはあるという具合。
消えないというより、消す必要もないけれど、揺らぐ。
悲しみからさみしさに変わって、埋めようのない隙間がかえって
くっきりとしてきた。
2011.3.12からの数日、どこへもいけずにいた頃、
たぶんわたしは彼がいたからだいじょうぶだった。
不在がかえって存在を知らしめるの日々がいまも続いています。
これからずっとそうでしょうけれど、それは幸せなことなんだと
思いもします。
よろこびはふかいと、跳ねたりはしゃいだりではなく、しんとして
います。通り過ぎて泡のように消えないよろこびだから
底の底のほうでじっとしています。
森の春はまだ先なので、もうすこしわたしはさみしがって
だらだらとしているかもしれません。
こんなんじゃなあと情けなく思って鼓舞してはいるのですけれど、
隙間は日々、くっきりとし、今はその縁が鋭角なのです。
ほんとうの春がくるころにはまろやかな縁取りになるでしょうか。
片づけたはずなのに、散歩ウンチ袋の使いかけとかと一緒に
出てきた。
掃除をすると黒い毛を見つける。ふわっと綿ゴミに混ざり、
存在を主張するでもないが、あることはあるという具合。
消えないというより、消す必要もないけれど、揺らぐ。
悲しみからさみしさに変わって、埋めようのない隙間がかえって
くっきりとしてきた。
2011.3.12からの数日、どこへもいけずにいた頃、
たぶんわたしは彼がいたからだいじょうぶだった。
不在がかえって存在を知らしめるの日々がいまも続いています。
これからずっとそうでしょうけれど、それは幸せなことなんだと
思いもします。
よろこびはふかいと、跳ねたりはしゃいだりではなく、しんとして
います。通り過ぎて泡のように消えないよろこびだから
底の底のほうでじっとしています。
森の春はまだ先なので、もうすこしわたしはさみしがって
だらだらとしているかもしれません。
こんなんじゃなあと情けなく思って鼓舞してはいるのですけれど、
隙間は日々、くっきりとし、今はその縁が鋭角なのです。
ほんとうの春がくるころにはまろやかな縁取りになるでしょうか。