セラフィーヌという掃除婦が霊的に導かれ絵を描く、樹に抱かれ
樹を抱く。木の実を砕いてラッカーに混ぜて絵の具を作る。
床にモップをかけ、床に這ってワックスで磨きあげる。
残り物の肉を雇い主や画材屋の主人にもらい、礼は言わず。
腹を満たすでもなく肉を食べパンをほおばり、こぼれたパン屑は
エプロンのポケットに入れ、樹のある草原へ歩く。

コレクターで画商のドイツ人ウーデがその奇妙な絵を見いだす
まで掃除婦だったセラフィーヌ。さげすまれ世の中の最底辺に
生きてきたセラフィーヌは類型的な無垢の人として描かれては
いない。じゅうぶんすぎるほど俗臭を放つ、美しくない姿。
魂もまた、同じで汚濁の中で救いを求めあがいているだろうと
その描かれた奇妙な絵からうかがえる。
先日の「共喰い』に併録された『第三紀層の魚』を読み終えた
時の感じもそうだったが、今起きている目の前にある諸々の面倒
とは関係のない世界に一時避難し、回復した自分自身があった。
セラフィーヌが生きていたんだからわたしも生きてていいように
思うわけだった。
ウーデでも妹のアンヌ・マリーでもなく醜いセラフィーヌは
とても身近に感じる女だった。
セラフィーヌ年を取らない、老女だけれど、女、女の子。
森の中で樹々と、猫と、風の奏でる音、声。
それらが空にも土にもつながっていて、つながった間に抱かれ
わたしは回復する。しばしの天上の心地の後、諸々の面倒が思い
出されてきて、またわたしは怒りっぽい掃除婦に戻っていく。
くりかえしながら、また森へ戻る。どこへも行かず、ここへ。
戻れればいい、そう思った。
映画の話なんだけど独り言のメモ。
いい映画なので何度でもみるといいと思う。セラフィーヌを観て
旅した気分になったりもしてお得であった。
本もいい本で、まあ三回は軽く読める(読んだ)。
いいものはやっぱりいい、沁みてくる。
外界から逃げたい方はいいんじゃなかろうか。
アッハーアッハー、実は諸々の面倒はガンガン続いているだー。
メゲナイぜ。JAE◉、除染の妨害するんだもんね、役所は強い、
まいってしまう。でもメゲナイぜ。
勝つのは我々市民だ。