想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

冷却中

2008-08-14 09:12:41 | Weblog
          冷たい水のなか、腹這いになって冷却中の親分さん。


   世の中、なんかこう画一的な感じがしないか?
   何か一つのことが話題になる、流行る、するとどこいっても同じような
   話、話題、テーマが取り上げられていて、なんで今それなのよ? という
   問いを投げる隙はないのである。
   びっしり、ぎっしり、つかの間だけど染まってるから。

   たまたまそれにぶつかったということもあるだろうけど、
   なーんだみんなおんなじでつまんない、という声はよく聞く。
   テレビ、新聞、雑誌、メディアに登場するものは季節、旬の野菜みたいに
   同じものが出回ってるよなあ。
   オリンピックやたとえば総選挙、なんてことを言ってるわけではないんである。

   気になっているのが、仏教。
   それも親鸞。なぜ浄土真宗? 真言宗じゃだめか?
   信者の主張というわけじゃなく、ほかにもあるだろ、曹洞宗とか。
   高村薫が書いた「リア王」なんてすごいよ、曹洞宗、
   そこらの禅ボウさんより作家高村薫はつぶさに詳しい。
   南木桂?士の「阿弥陀堂だより」に出てくる婆さん、ほとんど観音様である。
   でも世間では親鸞ばかり人気者である。

   親鸞を研究したり尊敬したり興味を抱く文化人が多いんだなあ、なんでやろ?
   その話を聞いたり読んだりしてみると、興味を抱いている箇所が似ている。
   っていうか、同じなのである。
   悪人正機、いわんや悪人をや、とか破戒の親鸞ってことなんだなあ。

   親鸞は実践せず机上で考えてわかるほど、易くはない。
   すくなくとも修行者としてのつつしみを持った人に論じ、考えたことを
   発言してもらいたいものである‥、されど本当の行者は論じたりしないから、
   表に出てこない。
   学者が仏教を論じる場合は範疇というものがあるし、分というものもある。
   悟ってもいないのに悟りについて話すのって、どういう心境なんだろう?   



   後世のわれわれが好き勝手に話の材料、あるいは飯のタネにしている。

   衆生済度、他人を救済するという思想が仏教の根本にある。
   しかし、その前に己を知ることが前提。
   そうでなければ溺れるお地蔵様になっちまう。
   学者の先生はそのことは承知なのか、どうもこうも、
   みていて恥ずかしい人ばかり、表に出てくるように思うのはあたいだけかい?

   そんな話に耳を傾けるより、藤枝静男の「欣求浄土」を読んでお盆を過ごすほうが
   よほど有意義、スカッとして生きる元気が出てくると思うんだけどなあ‥

  
   

      
   
コメント (2)
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