その昔、オーストラリアでのワーホリ後、NZを1ヶ月のんびり旅をして
このまま真っ直ぐ日本に帰るのももったいないなと、
ふとヨーロッパまで足を伸ばしてみようと思いついてエアチケットをGET。
往路 シドニー~シンガポール~ロンドン
復路 パリ~バンコク~シンガポール (タイ航空)を買ってシドニーを後にしました。
行き帰りのトランジットでシンガポールに合計7日間ほど滞在するはめに。
それが私のはじめてのシンガポールでした。
しばらく白人社会の中にいたのでシドニーからシンガポールに着いた時、
大勢の黒い髪に黒い瞳の黄色人種を見たら、
なぜかホッとして「あ~帰ってきたんだな」と感じました。
その時、私は日本人であると共にアジア人だったんだ~と感じた瞬間でした。
夜遅くに空港到着。
その夜の宿は、NZ旅行中に仕入れた情報で、YWCAのドミトリーと決めていました。
着いてすぐ電話帳で調べて掛けてみたけれど誰も出ず、
取り合えず行ってみようとタクシーを飛ばしました。
YWCA前に着いたらちょうど守衛さんが門にカギを掛けているところ。
「泊めて!」と咄嗟に中に入れて貰えたのですが、
フロントはもう閉まっているのでルームキーを受け取れず。
部屋のドアをたたいて中から開けてもらって泊まりなさいとのこと。
当時ドミトリールームはYWCAの本館ではなくて、別棟になっていて、
つづきに女子高の寄宿舎になっていました。
1部屋6~8人の相部屋。シャワー、トイレ共同。
聞いた部屋の前でノックをしても、誰も出てきてくれず(寝ていたのか)
途方にくれて。。。、
廊下で寝袋広げて寝るはめになるのか・・・とガックリきていると、
隣の部屋の人が気が付いてくれて
運良くそちらのベットも1つ空いていたので、
隣の部屋のベットの上でちゃんと寝れたのでした、メデタシ
バックパッカーの旅はまずその日の宿探しから始まるのです。
今みたいにインターネットで世界中の宿が予約できるなんて考えもしない時代でした。
まあ~若くてたっぷり時間があったから出来た旅ですな・・・(遠い目)
当時のシンガポール内の移動はバスのみ。
まだMRTは通っておりませんでした。
それで、一日バス乗り放題チケットを買って行くあてもなくどこまでもバスに乗ったり、
美味しそうな屋台を見つけたらバスを飛び降りて食べたり(まだホーカーズもなし)、
マレーシアからシンガポールの高校に留学してる寄宿生の子らとおしゃべりしたり。
インド人街のヒンズー寺院のカラフルさに圧倒されたり、
イスラムのモスクで朝早くからめいめい祈りをささげている人たちに感動したり。
同じアジア人ながら、あまりの濃い文化にビックリすることだらけでした。
ドミトリーのトイレの手桶にもビックリ。
セントサ島にも行ったのですが、当時は戦争のメモリアルパークになっていて
記念館に入ったら、
ジャパニーズアーミーがどういうルートで占領していったかという話しを
えんえんとテープで流していて、いたたまれずに早々と出ました。
今では島中一大テーマパークになっていて
巨大マーライオンが建っているようですね。
その後、シンガポールはヨーロッパとアジアを結ぶ中継貿易と通信の拠点に急ピッチで
発展していったことは言うまでもありません。
私が旅の途中でのぞいたシンガポールは、
ちょうどまだ発展途上ののどかさが残った時代であったようです。 【プク】
このまま真っ直ぐ日本に帰るのももったいないなと、
ふとヨーロッパまで足を伸ばしてみようと思いついてエアチケットをGET。
往路 シドニー~シンガポール~ロンドン
復路 パリ~バンコク~シンガポール (タイ航空)を買ってシドニーを後にしました。
行き帰りのトランジットでシンガポールに合計7日間ほど滞在するはめに。
それが私のはじめてのシンガポールでした。
しばらく白人社会の中にいたのでシドニーからシンガポールに着いた時、
大勢の黒い髪に黒い瞳の黄色人種を見たら、
なぜかホッとして「あ~帰ってきたんだな」と感じました。
その時、私は日本人であると共にアジア人だったんだ~と感じた瞬間でした。
夜遅くに空港到着。
その夜の宿は、NZ旅行中に仕入れた情報で、YWCAのドミトリーと決めていました。
着いてすぐ電話帳で調べて掛けてみたけれど誰も出ず、
取り合えず行ってみようとタクシーを飛ばしました。
YWCA前に着いたらちょうど守衛さんが門にカギを掛けているところ。
「泊めて!」と咄嗟に中に入れて貰えたのですが、
フロントはもう閉まっているのでルームキーを受け取れず。
部屋のドアをたたいて中から開けてもらって泊まりなさいとのこと。
当時ドミトリールームはYWCAの本館ではなくて、別棟になっていて、
つづきに女子高の寄宿舎になっていました。
1部屋6~8人の相部屋。シャワー、トイレ共同。
聞いた部屋の前でノックをしても、誰も出てきてくれず(寝ていたのか)
途方にくれて。。。、
廊下で寝袋広げて寝るはめになるのか・・・とガックリきていると、
隣の部屋の人が気が付いてくれて
運良くそちらのベットも1つ空いていたので、
隣の部屋のベットの上でちゃんと寝れたのでした、メデタシ
バックパッカーの旅はまずその日の宿探しから始まるのです。
今みたいにインターネットで世界中の宿が予約できるなんて考えもしない時代でした。
まあ~若くてたっぷり時間があったから出来た旅ですな・・・(遠い目)
当時のシンガポール内の移動はバスのみ。
まだMRTは通っておりませんでした。
それで、一日バス乗り放題チケットを買って行くあてもなくどこまでもバスに乗ったり、
美味しそうな屋台を見つけたらバスを飛び降りて食べたり(まだホーカーズもなし)、
マレーシアからシンガポールの高校に留学してる寄宿生の子らとおしゃべりしたり。
インド人街のヒンズー寺院のカラフルさに圧倒されたり、
イスラムのモスクで朝早くからめいめい祈りをささげている人たちに感動したり。
同じアジア人ながら、あまりの濃い文化にビックリすることだらけでした。
ドミトリーのトイレの手桶にもビックリ。
セントサ島にも行ったのですが、当時は戦争のメモリアルパークになっていて
記念館に入ったら、
ジャパニーズアーミーがどういうルートで占領していったかという話しを
えんえんとテープで流していて、いたたまれずに早々と出ました。
今では島中一大テーマパークになっていて
巨大マーライオンが建っているようですね。
その後、シンガポールはヨーロッパとアジアを結ぶ中継貿易と通信の拠点に急ピッチで
発展していったことは言うまでもありません。
私が旅の途中でのぞいたシンガポールは、
ちょうどまだ発展途上ののどかさが残った時代であったようです。 【プク】