男社会というのは、既に女どもの被害妄想だ。下らない、つっこむ必要もない。
現代は「男社会」だとか言う馬鹿にはつきあいきれない。
確かに、今の社会の中心に居座っているのは男だが、その男を教育したのはたいていお母さんだ。
確かに、今の社会の中心に居座っているのは男だが、その男を教育したのはたいていお母さんだ。
例えば、男である俺が、交番に行って道を尋ねる時に、おまわりさんを「ポリスマン」と言えば、ふざけてんのかと怒られる。かといって、正式な階級名で「巡査」とか言ったら、なんだこいつはと思いきりあやしまれる。
「おまわりさん」と呼んであげるのが妥当である。
何故か?
たぶん、交番にいる巡査どものお母さんは、交番にいるポリスマンを「おまわりさん」と呼ぶように巡査どもを教育したからだ。だから「おまわり プラス さん」なんて侮蔑的な表現で呼ばれても笑顔でいられる。
お母さんが普通にそうよんでいたから「おまわりさん」はスタンダードなんである。
「おまわりさん」と呼んであげるのが妥当である。
何故か?
たぶん、交番にいる巡査どものお母さんは、交番にいるポリスマンを「おまわりさん」と呼ぶように巡査どもを教育したからだ。だから「おまわり プラス さん」なんて侮蔑的な表現で呼ばれても笑顔でいられる。
お母さんが普通にそうよんでいたから「おまわりさん」はスタンダードなんである。
おまわりさんは他人からの呼び名だ。おまわりさんは職業名ではない。
「おまわりさん」から「さん」をマイナスしてみよう。「おまわり」。
いきなり、なめてんのかお前という侮蔑の表現だ。では何故、おまわりさんはおまわりさんなのか?
それは、「おまわりさん」なんて女子供が使う言葉であったからだ。だから、国家権力も悪意がない言葉だと認定した。果たして女子供に本当に悪意はなかったのだろうか?
「おまわりさん」から「さん」をマイナスしてみよう。「おまわり」。
いきなり、なめてんのかお前という侮蔑の表現だ。では何故、おまわりさんはおまわりさんなのか?
それは、「おまわりさん」なんて女子供が使う言葉であったからだ。だから、国家権力も悪意がない言葉だと認定した。果たして女子供に本当に悪意はなかったのだろうか?