墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

2005-11-17 19:54:43 | 日常
 昨日は満月だった。
 今日もほぼ満月。
 立川駅から自宅までの帰り道、寒くてかったるいので、「スーパーおおた」に寄るのはやめて「セブンイレブン」で買い物をすませて帰宅する。「スーパーおおた」は酒を安売りしているのだが、寄ると遠回りになってしまう。「セブンイレブン」なら酒は高いけど、ダイレクトに家に帰れる途中の道にあるし、タバコも売っているから、一件寄るだけで全ての用事がすませてしまえるのだ。おそるべきコンビニエンスさである。
 買い物をすませ、チャリをこぎながら夜空を見上げる。まだ、夕方の7時前だというのに、もうすっかり真っ暗だ。
 白いまん丸の月が東の夜空に浮かぶ。今朝、家を出たときにも月を見た。その時は明けかける空とは反対の西にあったのに、今の月は東の空に浮かんでいる。
 その月を見たとたん、昼間の仕事での出来事が遠い過去の事になる。そして、明け方に見た月がはるか昔にみた月のような気がしてくる。
 今しかない、そう月は教えてくれる。今、見上げている月以外の月は、20年前に見上げた月も今朝見上げた月も、同じく過去の月だ。
 今夜の月以外の月は、空には月は浮かばない。
 月を見てしまったせいで、家に帰ると、新鮮とも、あるいは懐かしいともいえる気持ちで胸がいっぱいになる。12時間前に家を出たはずなのに2・3日ぶりぐらいに家に帰ってきたような気がしてくる。

 はるか昔に、おふくろと妹と三人で月を見ていて、月の大きさについてケンカした事を思いだした。俺は、月は一円玉ぐらいの大きさだと言うのに、二人は百円玉ぐらいはあると言い張るのだ。
 遠くに見える物の大きさを、手短かな物の大きさで代用して言い表そうとしても無理な話だ。そんなものは、見る人の観念の違いで大きくも小さくも見える。それこそお盆ぐらいの大きさに見る人もいるだろうし、おはじき程度の大きさに見る人もいるだろう。
 そんな事でケンカするのは下らないが、当時の俺には月が「一円玉」ぐらいの大きさに見えたのだ。現在では、おはじきの玉か、ボタン程度の大きさに見える。
 腕をいっぱいにのばして、指先で月をつまもうとすると、その程度の大きさに見えるから俺はそう言うのだ。ガキの頃は腕のリーチも短かかったし、手も小さかったから、一円玉ぐらいだったのだが、現在ではおはじきぐらいだ。


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