発行日 2006年2月13日(月) 発行・文責 長坂 徳久
【最強の愛弟子たち・・彼らは今、中3⑤】
(543号・・④からの続き。↓にあります。)
このシリーズばかりをあまり引っ張れないので、そろそろクライマックスに(笑)
☆中3拳士たちに「くじら」の法話をした。そして親や周囲の人たちへの感謝の気持ち を忘れてはいけないことをさらに強調した。そして、どうすれば運がよくなるか? 勉強がはかどらないときはどうすればいいか? などをアドバイスした。そして最後に言った。
『今の橋本西支部があるのは君達を含めて多くの先輩拳士たちのおかげだよ。』
☆さて、そこからは場も和やかに食事会だ。そして食事も終わると男の子はトランプを始めた。女の子はカラオケ。そんなこんなで楽しい時間はあっという間に過ぎて言った。予定の九時となり解散・・。となる予定だった。
☆しかし、男の子たちが、家に帰りたくない(楽しいから)と言い出した。
「先生、今から温泉行こうよ!」
『うーん、 時間ないやろ?』
「じゃあ先生の家へ行こう!」
『最近、先生は家にはほとんど帰ってないからな・・・。』
「じゃあ育夢の事務所に泊まろうよ!」(妻にある第一事務所のこと。民家を事務所に借りているので今は長坂はここの別棟の和室でほとんど寝泊まりしている。中3が小学生の頃はよくここでミーティングをしたり、遊びにきたり、泊まりに来たりしていた。)
『うーん、今は先生もそこで寝泊まりしてるからな・・』
「じゃあ、ちょうどいいですやん!」
『いや、これがおるからな(小指を立てる)。』(あきらめさせようと冗談で言っただけです。笑)
「女ですか? そんなん僕たち気にしませんから!」
『あほ! 俺が気にするわ!』
「じゃあ勝一に泊まる!」
勝一は泊まらせてもらおうと思えば大丈夫。でも当然迷惑はかけられない。だから、
『じゃあ駅前の第二事務所へ行こう、お前ら行ったことないやろ?』
「そこで泊まっていいですか?」
『うん・・まあな。』
とりあえず連れて行って、日付が変わるまでには帰らそうと思った。
ここで言っておく、彼らは・・「最恐」である・・(笑)
☆女の子はもう帰らせないと行けないので長坂が送って行った。次は愛ちゃからのメール。
「こんばんは!!!今日はありがとうございました(^o^)/久しぶりに先生とかに会って、神社や勝一に行ったりして楽しかったのでとってもいい一日になりました(^O^)あっという間に時間が過ぎたのでなんとなく寂しく感じられました。私も少林寺に行きたいと思う時があるのでまた行ける機会があったら行きたいと思っています!!高校でももし○○高校に行けると決まったら一回少林寺拳法部にも見学に行こうかなって思っています!!意地でも○○高校に行きたいので勉強を頑張って推薦合格できるようにこの一か月間、努力と必死の状態で勉強を頑張りたいと思います!!今日は一日本当に楽しくいい思い出ができました(^_^)本当にありがとうございましたm(_ _)m」
☆さて、男の子は駅前事務所へ。そこで長坂は言った。
『家には、もうちょっとしたら送って帰るってメールしてあるからな。』
「ええ~!先生なんでそんなメールするん?!」
すると、ひらめいたように大輔が言った。
「そうや! こんな時は行くとこ決まってるやん! こんな機会はあそこやろ?」
『どこよ?』
「仁嗣ん家!」
「おお、それはええな!こんな機会(みんなが久しぶりに集まった)やしな。」
「俺はええけどよ・・」
と仁嗣。長坂は言った。
『でも、仁嗣とこがなんて言うかわからんやん。仁嗣、電話してみ。』
Okという返事。でも、長坂も「六人も泊めてもらうのは悪いしな・・」と思い再度電話をかけた。
『ダメですよね?』
「いえ、大丈夫です。」
電話をきったあと、
「先生、なんで、ダメですよね?って言うん?」
『お前らまだまだ甘いな。「ダメですよね?」って言われたら逆に「ダメです」って言いにくいやろ? 』
「あっ そういえばそうやな!さすが長坂先生!!。」
『次はお前ら一人一人が先生の目の前でおうちに電話しろ、それであかんって言ったらあかんぞ。』
みんなOK。ひとりだけ、自分でよう電話せんから先生からうまいこと言うてと。仕方なく直接話す。
☆子どもたちも最強だが、当時から保護者も懐が深かった。何というか、子どもたちのやることに寛大だった。決して甘いという寛大さではない。子どもたちを信じているという寛大さだろう。だからこそこんな素晴らしい子どもたちに育ったのだ。
男の子たちにいくつか約束させた。「夜中に外へ遊びに行ったりしないこと」「次の日昼から塾の人はそれにはちゃん行くこと」「朝飯は先生がお金を渡すから自分らで買っていくこと」。
☆仁嗣の家では当然盛り上がり、朝方5時近くまでみんな起きていたとのこと。そしてケンカしていたAとBの二人も同じ毛布にくるまって寝るぐらい仲良しに戻っていたらしい。
仁嗣のお母さんは次のように月例回答に書いてくれていた。
「家に来てくれて、さすが!と思った事があります。まず玄関の脚下照顧(くつをそろえること)、朝起きてふとんの片付け、ゴミの始末。誰が声をかけるでもなく、みんながやってくれる姿にはびっくりしました。ごはんを食べたあとも、私がいくと洗いおけの中にすべてよせてくれてあったのには、「わぁー」と思わず声が出るくらいでした。これは西支部で教わった事を他でも実践できる姿には、やっぱり橋本西支部の拳士やなあと思わず感動してしまいました。」
最後に言っておく ・・彼らは今も変わらず最強であった。おしまい。