勉強会でテキストにすると言うので、予習のつもりで読みました。
おこがましい感想ですが、慈しみという言葉はとても上からの目線を感じます。
神様ですから上からに目線でよいのでしょう。
そう感じるのは私が傲慢だからかと思いました。
神様の慈しみを素直に受け取れないという・・・。
教皇様が、共同体や、司教様や司祭に対して言っておられることはとてもよく理解できました。
教皇様は、こうした場所で、聖職者に、ものを語られるのかと驚きもありました。
信徒の私たちは慈しみという目線で互いに見つめ合うことはできないと思います。
もっと遜って、お互い苦しむもの、救われたい者同士の慰めが欲しいと。
教皇様は原書ではどのように書かれているのか、それが分からない自分のことを、
もどかしく、悲しく思いました。
教会で、神父様がこの勅書についてお話してくださるとよいのですが。
今年はせつにそれを祈ります。