ゆめひこう 

日々の思いを

ローマ帝国とイエス・キリスト

2013-10-26 20:22:32 | カトリック
イエス・キリストの世界史的意味を、当時の世界帝国の背景から解明します――。

序章には
ガリラヤの人イエスは、エルサレムの思想的な状況をよく知り、おそらく、われわれが想像する以上にローマ文化の価値意識や思考様式をよく知っていた。
と、ありました。

なるほど。

イエス様は30歳まで大工を仕事としていたといわれます。
ナザレの村だけでなく、いろいろなところに仕事で出かけていられた。
だからローマ帝国のことを抜きにしてはキリスト教は語れないと。



聖書の中でいつも聖書の言葉を読んで、聞いて味わってきました。

それを外側から読んで、考えてみるというのは、ちょっと違った感覚でした。

著者は活躍されている聖書学者の説に次々疑問を投げかけています。

法学部で学んだ人だそうですが、どのような経緯でキリストを研究するようになったのでしょうか。

私としては今までちょっとわからなかった部分が、すっきりすることがありました。
たとえば、ぶどう園の労働者のたとえです。
朝から働いた人も1タラント、お昼から働いた人も1タラント、夕方から働いた人も1タラント、不公平ではないか。
登場する労働者はみな朝から働きたいと思っていた。
朝から働いた人も、夕方から働いた人も、働きたいという思いは同じ用に朝からあった。その思いに対する代価というわけです。

ユダは裏切ったわけではなく引き渡した。
イエスは毎日神殿でに来ていたわけだから顔は知られていた。
合図の必要はない。
ユダの福音書にもこういうことが書いてあったように思い出しました。

イエスを置き去りにして逃げ去ったほかの弟子たちも罪は同じと。

聖書が1世紀近くになって書かれたものであることも、改めて考えました。