木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

バイオリン職人 菊田浩

2012-04-11 23:44:20 | 仕事
笑ってコラえて! 
ローマ支局のコマツバーラの最後の仕事かと半分寝ぼけたような目で見てた

菊田浩というバイオリン製作者のお話で眠気が吹っ飛んだ
1961年生まれの彼はなんと35歳からバイオリン製作の道に入り
世界の三大バイオリン製作競技会のうち二つを制覇して
今年の9月にトリプルクラウンを狙うという
前々回の記事で35歳の時に「M」に出会った
などというとぼけたことを言ってる僕とは次元が違う
それなのに僕と同じ名古屋で生を受けたという
工業高校を出てNHK名古屋放送局に勤務
東京に転勤して多くのクラシック番組に関わるうちに楽器そのものに惹かれてゆく
そしてあるときヨーロッパの露店で3000円で手に入れたバイオリンが彼の運命を進路を方向付けることになる
その稚拙な楽器を眺めて触れるうちに自分もバイオリンを作ってみたいと思うようになる

僕なんかは木工所をやってる家に生まれて自然に木の仕事をするようになっただけ
何のゆかりもなかったはずの一人の男がバイオリンに出会い
その魅力に惹かれてやがて生活していける地位を捨ててその道を目指す
職人を目指すわけだ
もうその決心をしたときには勿論彼には奥さんがいた
この人もテレビに出てたけど素晴らしい
旦那が勉強するためにイタリアへ行くことを相談した時
行くならすべてをなげうって行って来い と菊田氏いわく
「背中を押されたのではなく蹴っ飛ばされた」と
この時どういう生活の根拠があったのかは知らないけれど
そんな思いきった言葉を言える奥さんに思わず拍手をしてしまった
勿論菊田氏がそういうところまで行けるような人だと彼女は信じていたんだろう
素晴らしい夫婦愛だ

名古屋には昔から有名なバイオリン製作会社がある
楽器というのはこの不況の中で特に下向きになった業種である
それはその前に大活況を呈していたからでもあると思うのだが
つまり僕らの青春時代には楽器は結構な流行ものだったということだ
僕自身もギター3本、ベース、シンセサイザー、エレピ、ストリングスキーボードなどを持っていた

話がそれたが そんな名古屋のバイオリン会社には見向きもせず
あくまでバイオリンの聖地イタリアを目指した彼
イタリアの高校へ入ったのだそうだ そこは勿論バイオリン製作を教えるところではあったが
普通の高校の授業もされていてそれまでイタリア語など少しも知らなかった人間が3年後そこを首席で卒業することになる
そして日本にいる時から憧れていた職人さんの工房へ出入りし、卒業後そこで働く
師匠は同い年
普通はすべての工程を人に見せることはしないはずの師匠は彼にはすべてを与えた
それはそれに見合う何かを菊田氏が師匠に与えられたから
もう、ただの仕事ではなくて芸術的な要素がその工房で飛び交っていたに違いない
想像だけはできる

「僕はストラディバリウスのような音を目指してはいない
 生まれたての健康な赤ちゃんが徐々に成長して 何百年と年代を重ねる
 そこで熟成した音が生まれる
 もしもタイムマシンがあったら 100年後200年後に行って・・・」

 「自分の子供たちがどんな音を出しているか 聞いてみたい」 と言われるかと思ったら
 「どうなってるか見てみたい」 とおっしゃった
音も勿論だけどその評価も含めてなんだろうな と思った次第


職人の仕事はその人の命が終わってもそれより長生きしてくれる
素晴らしいお仕事である っていう一面もある
次の時代では日本ではほんの一握りの人しか続けられないというのが
本当に残念なことだと言わざるを得ない



コメント (6)
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