紙一重って言葉が有るけど、私がもっと頭脳明晰に生まれていたならかなり危なかったんじゃないかと思う。
とうに死を選ぶか完全に狂ってたかもしれない。
昔、ある人に家庭の事を相談する事になって、とりあえず神妙にしていたら、その相手のきれいに剃り上げられた頭上に揺らめく湯気が見えた。
湯気が出るほど怒らせちゃったのかとも思った。
けど、その湯気、どうも変。
なんだか文字みたいに見える。
と言ってもユラユラするし、すぐ消えちゃうので読める文字は無い。
しばらく考えた後、その人は私に知恵(というか呪いというか)を授けてくれた。
で、私は“幽霊の正体見たり枯尾花”てな具合に湯気の正体が知りたいというか、薄気味悪さを消したい気持ちも有って、湯気の事をきいてみた。
相手はちょっと呆れたように「あんた、それ、見えたんか?」と逆にきいてきた。
で、「ほんまにカンの強い子やな。」と言って説明してくれた。
「それはな、言葉になる前のワシの考えてる事や。梵字みたいに見えたんやろ?言葉になる前やから読まれへんのや。」というような事だった。
普通見えないものらしい。
で、続けて「若いうちは、そういう力を伸ばそうと修行したらアカンで。精神分裂症になってしまうで。」とも言われた。
子供の頃から色々変というか不思議な体験をした事も有るので、霊感が有るなら中途半端なカンじゃなく、はっきり分かる方が面白そうだとも思ったけど、なにせ無精者なので修行なんてめんどくさそうな事は言われなくてもする気にはならなかった。
以降、カンはどんどん衰えた。
巫女に純潔が要求されたようなもんだろうと思う。
世俗にまみれるうちに鈍くなるのは場合によっては救いにもなる。
で、こういう風な経験をした人の中にはカン違いする人も居るんだな。
私は釘を刺してもらえたのとぐうたらな性格が幸したんだと思う。後、そっち方面には自意識が強くなかったんだな。
自意識過剰な人は神の啓示だと勘違いしたり自分が特別だと思っちゃうんだろう。
そしてもう一つの紙一重は、心理学。
高校の終わり、進路を考えなきゃいけなくなった頃、色々人間ってややこしいなあとか可笑しいなあと思ってて、心理学をやってみたいと模索したんだけど、学力不足であっさり諦めた。
頑張っちゃって突き進んでカウンセラーなんかになっちゃってたら、捻くれ方がとんでもなくなったか、悩みが爆発して狂うか死ぬかだったかも。
精神科医は人が発する毒気を浴びるうちに自身が患者になり、最悪死を選んでしまうケースが結構多いらしい。
そりゃまあそうでしょうとも。
どっちも精進しようなんて血迷わなくて、私みたいなヘタレには良かったんだわね。
私は身近に“神”一重カン違いは(多分)居ないので、そっちの変な毒気は直に被らずに済んでる。
私がかかってる心療内科のドクターはかなり公平な人だと思うけど、体感した痛みなり違和感なりを頭から否定される事もあるから、どうしたって理解できない事が誰にだってあるのかもしれないと考えたりする。
私は知識も少ない上に偏ってるからニュートラルでいたいと思っていても自分可愛さや身贔屓で眼鏡が曇るし、短気だから早合点をしたりする。
時々は自分を疑う事も必要かもしれないですよね。
でないと善良さも危うくなるんじゃないかな。
とうに死を選ぶか完全に狂ってたかもしれない。
昔、ある人に家庭の事を相談する事になって、とりあえず神妙にしていたら、その相手のきれいに剃り上げられた頭上に揺らめく湯気が見えた。
湯気が出るほど怒らせちゃったのかとも思った。
けど、その湯気、どうも変。
なんだか文字みたいに見える。
と言ってもユラユラするし、すぐ消えちゃうので読める文字は無い。
しばらく考えた後、その人は私に知恵(というか呪いというか)を授けてくれた。
で、私は“幽霊の正体見たり枯尾花”てな具合に湯気の正体が知りたいというか、薄気味悪さを消したい気持ちも有って、湯気の事をきいてみた。
相手はちょっと呆れたように「あんた、それ、見えたんか?」と逆にきいてきた。
で、「ほんまにカンの強い子やな。」と言って説明してくれた。
「それはな、言葉になる前のワシの考えてる事や。梵字みたいに見えたんやろ?言葉になる前やから読まれへんのや。」というような事だった。
普通見えないものらしい。
で、続けて「若いうちは、そういう力を伸ばそうと修行したらアカンで。精神分裂症になってしまうで。」とも言われた。
子供の頃から色々変というか不思議な体験をした事も有るので、霊感が有るなら中途半端なカンじゃなく、はっきり分かる方が面白そうだとも思ったけど、なにせ無精者なので修行なんてめんどくさそうな事は言われなくてもする気にはならなかった。
以降、カンはどんどん衰えた。
巫女に純潔が要求されたようなもんだろうと思う。
世俗にまみれるうちに鈍くなるのは場合によっては救いにもなる。
で、こういう風な経験をした人の中にはカン違いする人も居るんだな。
私は釘を刺してもらえたのとぐうたらな性格が幸したんだと思う。後、そっち方面には自意識が強くなかったんだな。
自意識過剰な人は神の啓示だと勘違いしたり自分が特別だと思っちゃうんだろう。
そしてもう一つの紙一重は、心理学。
高校の終わり、進路を考えなきゃいけなくなった頃、色々人間ってややこしいなあとか可笑しいなあと思ってて、心理学をやってみたいと模索したんだけど、学力不足であっさり諦めた。
頑張っちゃって突き進んでカウンセラーなんかになっちゃってたら、捻くれ方がとんでもなくなったか、悩みが爆発して狂うか死ぬかだったかも。
精神科医は人が発する毒気を浴びるうちに自身が患者になり、最悪死を選んでしまうケースが結構多いらしい。
そりゃまあそうでしょうとも。
どっちも精進しようなんて血迷わなくて、私みたいなヘタレには良かったんだわね。
私は身近に“神”一重カン違いは(多分)居ないので、そっちの変な毒気は直に被らずに済んでる。
私がかかってる心療内科のドクターはかなり公平な人だと思うけど、体感した痛みなり違和感なりを頭から否定される事もあるから、どうしたって理解できない事が誰にだってあるのかもしれないと考えたりする。
私は知識も少ない上に偏ってるからニュートラルでいたいと思っていても自分可愛さや身贔屓で眼鏡が曇るし、短気だから早合点をしたりする。
時々は自分を疑う事も必要かもしれないですよね。
でないと善良さも危うくなるんじゃないかな。
私も幽霊とか見ちゃったり、分裂病?みたいな経験あります。特別な力があるわけではないんだけどね。
弱いから幽霊と波長があって幽霊を見てしまうのだと言われた事もありますが、見ちゃったものは仕方ないでしょ、そんな事言われてもって思います。強くなれって言われても、どうやって強くなったらいいの?って感じだし幽霊を見たくないから精神修行するって言うのもなんかちがうよね?
心理士に、あなたはなんでも人のせいにする、弱い人間(でした)だなどという診断を下されたら、ちょっと反抗してしまいたくなったわ。
だって、「そうですね。」と受け入れたら、そのまま鬱のポケットに入り込みそうだったから。
今や、医学的にも私のオカシサは証明されていますしね。
頭が悪いので、今まで生き延びれたのだと思います。
で、人のせいにする人間なので不特定多数の人の読む可能性のあるブログに悪口書きました。
でないと落ち込んでしまいそうな嫌な予感がしたから。
私も服薬中止はしたけど、もしかしたらそれは躁鬱病だからなのかもしれません。
でも、お前は馬鹿だと言われて「はい、そうですね。」と受け入れる事はできても、そのせいでこうなるんだ。全部私のせいなんだ。などという風には取りたくないです。今の私の状況では。
本格的に寝込んで、子供の面倒が看れなくなるのが一番困るし、そんな事では本末転倒だから・・・