有作未庵  烏兎怱怱 有作憂さ話 

有作(うさ)=煩悩の生ずること。
憂さ話=つらさや苦しさを語ってなぐさめ合うこと。
月日の経つのは早いですね。

2013年04月16日 05時14分09秒 | モブログ
私は小さい頃、母似だと言われていた。
丸顔で低い団子鼻。

それが少しずつ様子が変わっていき、ふと気付くと頭の形が長くなってきた。
父に「お多福豆」とからかわれた。
私は空豆の豆臭さとごわつく食感が嫌いだったし、お多福は福笑いの変顔を連想する不美人顔だと思ったし、馬面は可愛くないとも思ったし、母似から遠ざかるのも嫌だった。

ある時、写真に写った自分が父にそっくりで愕然とした。
でもそれは表情とか雰囲気で、私の顔の彫りが深くなったわけではない。

長い月日が経ち、幼稚園の送迎の後、実家にこどもを預かってもらうために来てくれた父を見た人が「あれTさんのお父さんやろ?そっくりやなあ!」と言ったけど、父似だときっぱり言われたのはその一度きり。

あたまたま居合わせた見知らぬお婆さんに「親子か?ああ悲観せんでええ。あんたも年取ったらお母ちゃんみたいなええ顔になれるから。」といきなり言われて面食らった事も。(笑)
私、そんなに酷い顔してますかしら?(笑)

先日、法事で久し振りに会った叔父に「姉さんが戻って来たのかと思ったわ。」と言われた。
少しはまた母に似てきたのかな?
顔が似てきたなら、性格も母に近づきたいなあ。
父似の自分が大嫌いだから。

こどもはこどもでまた顔立ちが変わってきた。

長男は生まれた時、母に「向こうのお父さんそっくり」と言われ、ショックだった。(笑)
ちなみに同じ甲戌の八月(しし座)生まれのO型なんだよな。
でもじきに私の小さい頃にそっくりになって、旦那から「クローンや」と笑われた。

次男は私より私の妹に似てた時期が多い。
でも幼児期の後ろ姿は旦那のミニチュアのようだった。

あまり似てない兄弟だったけど、最近笑えるくらい似てたりする。
私には似てないと思うんだけど、去年だったか、妹に私と長男の後ろ姿がそっくりだと言われた。特に後頭部は髪形のせいで間違えそうなくらいだったらしい。
確かに頭の形が長男は私に似ている。
次男は父似だ。

私と妹も瓜二つな写真が残ってるけど、妹は母には似てない。
妹は父に似ている。でもサバサバしたところは母に似てるのかな?
雰囲気が一番近いのは父方の祖父かも。

久し振りに会った従妹は生まれた時から父方の祖母にそっくりだ。顔立ちは可愛いと言えば可愛い。
でも祖母には私も妹も色々思うところがあるので、従妹のクリッとした可愛らしさにも愛想の良さにも良いイメージを持てない。

妹のこども達は長男くんはお父さん似で、次男くんはお母さん似だった。
最近次男くんの顔立ちが変わってきた。あまり覚えのない雰囲気。なかなか男前だと思う。

みんなが「ええ」感じの表情でいられるとええなあ。
単なる顔立ちじゃなくて、心の穏やかそうなと言うか、優しさとか、幸せが見えるような、そう言う意味のええ顔になりたいね。

2013年04月16日 02時15分44秒 | モブログ
もう全員が揃う事は無いんじゃないかな?と過る。

母の三回忌。
親戚が一年ぶりに集まった。
前回都合がつかなかった人も来たから私と妹が思ってたより少し多いけど大した人数じゃあない。
てか、義理で夫婦揃って遠方からもわざわざってのがよく解らん。
ま、これを口実に兄弟集まろうってんなら解らないでもないけど、それにしちゃ長男(父)かやの外です。(笑)

母の弟達も、残った3人みな来てくれた。
こちらはなんだか申し訳ない気もする。

みんな年を取った。
最年長は父。
苦労をかけまくった妻に先立たれ、やっと長男の障害と向き合う覚悟をして動き出し、疲れ気味。
でも娘二人の目は冷ややかだ。妹はクールなのでなおさら。
さんざん「俺は知らん」とか「こどもが馬鹿なのはお前の血」とか、丸投げしといて今さら。
でもまあ、うちらはうちらで自分のこどもの事で忙しいから、親の自覚が出てきたならやるべき事はやってもらわにゃ。

集まった兄弟の最年少は父方母方双方とも今年還暦。嫁さんにはもっと若いのも居るけど、かなりジイサンの集い。
優秀なこどもを持つ人もあれば、こどもに恵まれなかった人も、離婚した人も、独身を通した人も居る。
人生色々だわ。

普段賀状くらいの付き合いしかないので知らなかったけど、父方の上の叔父の奥さんは母と同じだか近い病を患ったらしい。
検診で見つかってすぐ大病院に行って事なきを得たのだそうだ。賢明な生き方を誇ってるもんね。
でも、ま、運だね。と私は思う。
何にもしなくたって元気に長生きする人もいれば、いじくりたおしてぐちゃぐちゃになりながら生きる人もいるもん。
病は気からを少し発展させて、ストレスこそ万病のもとだと思う。
そして母は飄々として見えて実は沢山重荷を一人で抱えていたのが致命的だった。
長生きだから幸せとは思わないけど、母の死に顔が疲れ切った老婆のようだったのは、病のせいだけではなかったと思う。
母の重荷に自分も入るのはとても情けない。
紅一点の叔母はこどもがないさみしさ、心もとなさを口にするけど、こどもによる苦労もある。

あれもこれも、努力の報いが全てなわけじゃないんだよね。

今回集まって、最初の挨拶は「ご無沙汰~」次が「地震どうやった?」と、前日の話。
みんな瀬戸内に面してる。ここは大阪。母の弟は全員香川。一番遠くて愛媛。(一人は神奈川に単身赴任中だけど、多分近々大阪に戻るはず。)
南海地震が来たら、みな少なからず被害に遭うだろう。
地震が先か寿命が先か分からないけど、どっちにしてももうみんな揃って会う事は無いような気がした。

時は流れる。
ずっと同じでは居られない。