次男坊の自閉脳に手を焼く。
子供達の発達障害に気付くきっかけは、長男の場合、私の弟に似たパターンに目が止まったから。
次男のはあやされるのが嫌いな乳児期にある。
長男は一風変わった幼児だったけど、手のかからないオリコウちゃんだと思っていた。
町で見ず知らずの御婦人から「男の子は大変でしょう。」(わんぱくで、という意味のようだった。)と言われてもピンとこないくらいおとなしい幼児だった。
母子手帳に記された発育も早いくらい順調だった。
一姫二太郎っていう言葉があるくらい、初めての育児は女の子の方が楽なものらしい。
次男が誕生して男の子の大変さらしき事柄が押し寄せてきた頃、私は夫の人生の岐路に対処するのに精一杯で、まだ元気だった母に次男を任せる事が多くなった。
母は今でも生活を共にするくらい世話をした次男が孫の中で一番可愛いと言ってくれる。
次男はあまり笑わない赤ん坊だった。
いつも気ぶっせいな顔をして、童謡にも絵本にも興味を示さなかった。
発育は遅め。
言葉を話し始める頃には口をへの字に結んで「ん!」とおばあちゃんを顎で使うようになった。
でも笑うとなんとも言えない愛嬌があって、やんちゃな性格と相まって長男とは違う世話をする楽しみを感じさせた。
お出かけするとまるで気難しい社長が椅子で踏ん反り返るようにベビーカーで移動。
歩き出すと手を繋ぐのは3秒ともたず振り払う。
ひょっとしてこの子、自閉症?
アトピーで通った病院で相談しても「気にしすぎ。」と言われ、違和感が残るもののそっちの方は放置しる事に。
長男は妙な堅苦しさを発揮しだし、その真面目さは時に大人の失笑を買うようになる。
でもオリコウちゃんなので褒められこそすれ、おかしいぞとはならなかった。
どうも二人共、私に似てあまり頑丈ではなく、まめに市立の総合病院に通い続けるうち、たまたま主治医ではない医師に診察してもらった際、初めて「ちょっと変かもしれない。」と言われた。
そうなんですよ!微妙なんです!
そこでドクターは予約制の発達関係の枠に回して下さった。
が、やっとたどり着いた糸口は一旦切られそうになる。
それでも親切なドクターで、小児を扱う心療内科を探して紹介状を書いて下さった。
が、が、これは手酷く私が叱られて終わり、元の病院に戻り食い下がって他の病院に回してもらった。
それが今の次男のかかりつけ病院。
そこには次男は極度の便秘関連で通っていて、その担当外科医のすすめもあって神経科にもかかれるようにしてもらった。
長男も一緒に受診できるようにまた二人分紹介状を書いてもらわなければならなかった。
神経科のドクターの診断は実にあっさり、拍子抜けする程だった。
ただ私の想像とはちょっと違っていた。
長男:多動傾向の有る自閉症
次男:自閉傾向の有るADHD
え?というのが本音だった。
今でもキチンと理解出来たとは言えない。
ただ漠然となるほど!と思う。
診断はドクターごとにまちまちで、ある意味典型的なボーダー兄弟だったわけだ。
新しいドクターの説明は一々ふに落ちた。
ふには落ちたけど、「両極に在ると言っていい子達ですから、お母さんはそれぞれに全く違う育て方をする必要があります。」と言われたのには困った。
はっきり言って無理。
一応トライはした。
お兄ちゃんはこうだから、そうする。
チビはこうだから、ああする。
これは兄弟に混乱と反発を招いたのですぐ止めた。
私のやり方がまずかっただけかもしれないけど。
少し前から「片付けられない女達」とか「大人のADHD」なんてのが取り上げられはじめていて、片付け下手の私もなんとなくそこに分類されるのだと自覚があったので、私なりに色々調べた。
子供の診断を期に少し理解が進んだ。
対処方法の得とくには至らなかったのは、私の脳がとても感覚的にできていて、論理的ではなかったから。(若い頃、妙に理屈で論破するのが出来た事があったけど、それは別次元の論理だったようだ。うまく説明できないけど。それは文法が理解できなくても話せてるのに似ているかもしれない。)
そんなわけで人間が超絶に苦手な私が学校とのやり取りを増やさざるをえない事態に置かれた。
超絶に苦手なので、必要なレベルまでコミュニケーションは取れない。
後からしまった!と思うハメになるのはしょっちゅう。
そして最近ニキ・リンコさんの手持ちの本を読みかえして以前読んだ時には気付かなかった自分の症例に思い当たり、同氏の著書をもう一冊買い求めた。
そこでは次男の自閉脳の一端を見たような発見があった。
ニキ・リンコさんの本を読むと「なんでそうなるの!?」の謎が解ける事がちょくちょくある。
資料集めを検討し始めた頃に何冊か自閉症者の著書を拾い読みしてなんだか腹が立つような気分になって結局資料集めを止めてしまってたんだけど、たまたま書店でニキさんの本を手にしたのは神様のお導きとでも言いたい出会いだった。
夫の付き添いで医学書の棚近辺に行ってなかったらこの本を手にしてみる事はなかったかもしれない。
ただこの「なるほど!」を端的に人に説明するのは感覚的思考の私には難しい。
だから夫に説明を求められてもできなかった。
そして夫自身にも自分なりの「なるほど!」を見つけてもらいたかった。それは夫自身の症状にも照らし合わせる事が出来るとも思っていたから。自分がフツー、スタンダードと思って譲らない人というのは厄介だ。
一度は病院に同行してドクターに会っるんだから私でなく直接専門家に質問するのも有効だと思うんだけど、それもしなかった人だから興味の無い本なんか読みそうにないまま自分の事に謀殺されて行ってた。
もちろん世間に出れば父親と同じく発達障害の事など意にかいしてくれない人の方が多いし、母親と同じく分かってもうまく対処できない人もいるはずで、そうそうこちらの希望通りに事は運ばないから慣れるのにはいいかもしれない。
後は本人達がどのように対処するかが鍵を握る場合もある事を踏まえて知識を高めるしかない。
チビ君よ、君が○と□どっちにする?ときかれて始めに言われた○を選びがちなのは短気なんではなく、自閉脳の仕業かもしれないんだねー。
母もせめて余裕のある時は質問の仕方を工夫するように心がけるよ。
先に癇癪玉を破裂させちゃったらゴメンねー。
その時々、自閉症とADHDどちらに傾いてるかメーターでも付いてればもう少しやりやすくなるのにね。
子供達の発達障害に気付くきっかけは、長男の場合、私の弟に似たパターンに目が止まったから。
次男のはあやされるのが嫌いな乳児期にある。
長男は一風変わった幼児だったけど、手のかからないオリコウちゃんだと思っていた。
町で見ず知らずの御婦人から「男の子は大変でしょう。」(わんぱくで、という意味のようだった。)と言われてもピンとこないくらいおとなしい幼児だった。
母子手帳に記された発育も早いくらい順調だった。
一姫二太郎っていう言葉があるくらい、初めての育児は女の子の方が楽なものらしい。
次男が誕生して男の子の大変さらしき事柄が押し寄せてきた頃、私は夫の人生の岐路に対処するのに精一杯で、まだ元気だった母に次男を任せる事が多くなった。
母は今でも生活を共にするくらい世話をした次男が孫の中で一番可愛いと言ってくれる。
次男はあまり笑わない赤ん坊だった。
いつも気ぶっせいな顔をして、童謡にも絵本にも興味を示さなかった。
発育は遅め。
言葉を話し始める頃には口をへの字に結んで「ん!」とおばあちゃんを顎で使うようになった。
でも笑うとなんとも言えない愛嬌があって、やんちゃな性格と相まって長男とは違う世話をする楽しみを感じさせた。
お出かけするとまるで気難しい社長が椅子で踏ん反り返るようにベビーカーで移動。
歩き出すと手を繋ぐのは3秒ともたず振り払う。
ひょっとしてこの子、自閉症?
アトピーで通った病院で相談しても「気にしすぎ。」と言われ、違和感が残るもののそっちの方は放置しる事に。
長男は妙な堅苦しさを発揮しだし、その真面目さは時に大人の失笑を買うようになる。
でもオリコウちゃんなので褒められこそすれ、おかしいぞとはならなかった。
どうも二人共、私に似てあまり頑丈ではなく、まめに市立の総合病院に通い続けるうち、たまたま主治医ではない医師に診察してもらった際、初めて「ちょっと変かもしれない。」と言われた。
そうなんですよ!微妙なんです!
そこでドクターは予約制の発達関係の枠に回して下さった。
が、やっとたどり着いた糸口は一旦切られそうになる。
それでも親切なドクターで、小児を扱う心療内科を探して紹介状を書いて下さった。
が、が、これは手酷く私が叱られて終わり、元の病院に戻り食い下がって他の病院に回してもらった。
それが今の次男のかかりつけ病院。
そこには次男は極度の便秘関連で通っていて、その担当外科医のすすめもあって神経科にもかかれるようにしてもらった。
長男も一緒に受診できるようにまた二人分紹介状を書いてもらわなければならなかった。
神経科のドクターの診断は実にあっさり、拍子抜けする程だった。
ただ私の想像とはちょっと違っていた。
長男:多動傾向の有る自閉症
次男:自閉傾向の有るADHD
え?というのが本音だった。
今でもキチンと理解出来たとは言えない。
ただ漠然となるほど!と思う。
診断はドクターごとにまちまちで、ある意味典型的なボーダー兄弟だったわけだ。
新しいドクターの説明は一々ふに落ちた。
ふには落ちたけど、「両極に在ると言っていい子達ですから、お母さんはそれぞれに全く違う育て方をする必要があります。」と言われたのには困った。
はっきり言って無理。
一応トライはした。
お兄ちゃんはこうだから、そうする。
チビはこうだから、ああする。
これは兄弟に混乱と反発を招いたのですぐ止めた。
私のやり方がまずかっただけかもしれないけど。
少し前から「片付けられない女達」とか「大人のADHD」なんてのが取り上げられはじめていて、片付け下手の私もなんとなくそこに分類されるのだと自覚があったので、私なりに色々調べた。
子供の診断を期に少し理解が進んだ。
対処方法の得とくには至らなかったのは、私の脳がとても感覚的にできていて、論理的ではなかったから。(若い頃、妙に理屈で論破するのが出来た事があったけど、それは別次元の論理だったようだ。うまく説明できないけど。それは文法が理解できなくても話せてるのに似ているかもしれない。)
そんなわけで人間が超絶に苦手な私が学校とのやり取りを増やさざるをえない事態に置かれた。
超絶に苦手なので、必要なレベルまでコミュニケーションは取れない。
後からしまった!と思うハメになるのはしょっちゅう。
そして最近ニキ・リンコさんの手持ちの本を読みかえして以前読んだ時には気付かなかった自分の症例に思い当たり、同氏の著書をもう一冊買い求めた。
そこでは次男の自閉脳の一端を見たような発見があった。
ニキ・リンコさんの本を読むと「なんでそうなるの!?」の謎が解ける事がちょくちょくある。
資料集めを検討し始めた頃に何冊か自閉症者の著書を拾い読みしてなんだか腹が立つような気分になって結局資料集めを止めてしまってたんだけど、たまたま書店でニキさんの本を手にしたのは神様のお導きとでも言いたい出会いだった。
夫の付き添いで医学書の棚近辺に行ってなかったらこの本を手にしてみる事はなかったかもしれない。
ただこの「なるほど!」を端的に人に説明するのは感覚的思考の私には難しい。
だから夫に説明を求められてもできなかった。
そして夫自身にも自分なりの「なるほど!」を見つけてもらいたかった。それは夫自身の症状にも照らし合わせる事が出来るとも思っていたから。自分がフツー、スタンダードと思って譲らない人というのは厄介だ。
一度は病院に同行してドクターに会っるんだから私でなく直接専門家に質問するのも有効だと思うんだけど、それもしなかった人だから興味の無い本なんか読みそうにないまま自分の事に謀殺されて行ってた。
もちろん世間に出れば父親と同じく発達障害の事など意にかいしてくれない人の方が多いし、母親と同じく分かってもうまく対処できない人もいるはずで、そうそうこちらの希望通りに事は運ばないから慣れるのにはいいかもしれない。
後は本人達がどのように対処するかが鍵を握る場合もある事を踏まえて知識を高めるしかない。
チビ君よ、君が○と□どっちにする?ときかれて始めに言われた○を選びがちなのは短気なんではなく、自閉脳の仕業かもしれないんだねー。
母もせめて余裕のある時は質問の仕方を工夫するように心がけるよ。
先に癇癪玉を破裂させちゃったらゴメンねー。
その時々、自閉症とADHDどちらに傾いてるかメーターでも付いてればもう少しやりやすくなるのにね。