おとのくに♪♪

生徒さんのピアノレッスンで感じたこと、考えたこと、コンサートの感想などポツポツ綴っています。

なんということ・・

2019年04月28日 | 重力奏法
2月、3月、4月と続いた発表会が本日やっと終わりました。

最後にショックなことになりました・・・

ホールが全く響かず(音楽用のホールではありませんでした)、ピアノも恐ろしいくらい鳴らず音が伸びなかったので、結局指の力でガツガツ弾く生徒さんの音しか聞こえない事態になりました・・

私の生徒では普段指の力みがある生徒の方がよく聞こえてきたので、叩いた者勝ちでした。

なんということでしょう・・

ホールもピアノもデッドだとこういうことになるかは定かではありませんが、私も6手の連弾を講師演奏でしたのですが、いつも通り弾くと音が伸びずピアノに任せて弾くことができなかったので打鍵のスピードを速めたり、上から打ったりせざるを得ませんでした。

ピアノを始めて1年に満たない生徒がこのようなことができるはずはありません。
そのような弾き方を教えてこなかったからです。

やってきたことがこんなに活かせないなんて悲しいです。

逆に普段、その弾き方はホールでは響かないと言ってきた生徒の方がそれで正解になってしまったことも悲しいです。

日本にロシアンメソッドが浸透しない理由にこのようなこともあるのだと思いました。

悲しすぎます・・
他の場所で夏あたり弾く機会を作りたいとちょっと考えています。
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発表会がありました

2019年04月27日 | 重力奏法
本日発表会がありました。
昨年の夏以降にピアノを始めた年中~小2の生徒さんたちが参加しました。

「不思議な音の国」上巻で全員レッスンをしています。

同じ部の先生に言われたことは「音を聴いている」「ホールで聴くと音が違う」

3月にあった発表会でもご一緒した先生に同じようなことを言われました。(本日ご一緒した先生とは別の先生です)

3月も今日も、どうやって音を聴くようにしているのかきかれました。

私はレッスンで音を聴くように何度も言ってはいません。
ただ、「この音とこの音違うのわかる?」「どっちの音がこの曲に合ってると思う?」「この音はピアノの音じゃないよ」

とは言っています。

「ホールで聴くと」という意味は、きっと伸びのある音ということだと思います。
大きく打鍵の強さで出すものとは違うということだと思います。

今日の生徒さんたちは皆のんびり屋さんです。
私も無理やり進めてはいません。

それでもこれまでの教え方では何年かかっても到達できなかった所にいけるのです。
私も驚いています。

そして、指に力みがあるとホールでのピアノの鳴りが弱いこともはっきりわかりました。
澄んだ音にならないのです。

明日も習い始めて1年経たない生徒たちが参加する発表会があります。
どんな演奏をしてくれるか楽しみです。
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ドイツ国際平和村代表ヤコブス氏来日

2019年04月23日 | コンサート情報
本日このようなものに参加してきました。


ドイツ国際平和村の代表トーマス・ヤコブス氏がにこにこ一般財団法人(にこたんソープの活動をしている所です。手を洗い衛生環境をよくすることで助かる命がある活動をしています)の招きで来日されました。

広島、長崎、東京の3か所で開催されました。

主催、共催共に女性が代表を務める団体で、パワフルな活動力に私の周りにはない空気を感じました。しかも皆さんお若い。(私の隣に座った方もホロコースト教育資料センターというNPOの代表の方でした。30代だと思います。)
ご自分たちの活動に関した企画ではなく、ドイツ国際平和村の活動を知り、日本にも同じようなものを作ることはできないかと考えたのが今回のヤコブ氏を招いた動機のようです。
まずは多くの人に知ってもらうこと。

ただ日本は、病気を持ち込まれるかもしれない子供たちや、そもそも難民を受け入れている国ではないのでそのようなことはドイツと同じようにはできません。

実はドイツも本来そこは同じような状況のようですが、ドイツ政府は平和村の活動には目をつむりOKを出してくれているそうです。
それはナチスが犯した罪への贖罪の気持ちもあるのだろうということでした。

平和村に子供たちを連れてくるのは治療やリハビリだけの目的ではないと言います。
子供たち同士が、
できることをできる子がやる。
手伝えることを手伝う。

戦争や紛争を解決する方法を平和村は知っていると言います。
それは、様々な国、宗教の子供たちが皆で助け合うこと。

それを知ってほしくて平和村に連れてきているというお話でした。
一滴一滴を集めたら大きな河になる。一滴を増やすことが役割と言います。
世界が、一人一人が考え行動していくようになった時、平和村は必要なくなるだろうともおっしゃっていました。

8人のパネリストの方々が後半お話されましたが、その中で2つ印象に残った話をご紹介します。

ウルトラマンや怪獣のデザインをされていた方の息子さん、俳優の成田さんという方が、お父様が「子供には本物を見せなければならない」とよくおっしゃっていたそうです。

Runway for Hope代表の、国から迫害され家族と生き別れ、難民となった経験を持つイラン出身のセナさんは、「日本人は心配し過ぎ、確認しすぎ。いくら確認しても間違えるもの。やってもいないのに次のステップを気にしすぎ。」とおっしゃっていました。

この2つは私の職業柄ピンとくるものがあり、大いに納得。

平日の夕方にもかかわらず、100人位集まっていました。
お土産をいただきました。
お土産代を寄付に回した方が良かったのでは?と単純に考えてしまいました・・


ヤコブス氏はスリランカの連続爆破テロにより帰国を早め、23日に日本を後にされるそうです。スリランカには平和村の現地プロジェクトがあり(現地での医療インフラを整備)、連絡が取れなくなっているそうです。

何ができるか皆で考えるために帰国を早めるそうです。
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日本人の音楽教育#6 これがラスト

2019年04月22日 | 書籍紹介
カヴァイエ先生の本です。

30年前と現在とどのくらい日本の音大は変わったでしょうか。

この本の最後の方にこのようなことが書いてあります。

「日本の音楽大学は完全に凍り付いている」

日本の音大に伴奏科や室内学科がないこと、入学試験の課題曲、学内試験の方法、学生のレパートリーの狭さ、音楽全般の知識の少なさ。
これらのことを嘆いていらっしゃいますが、次の文を読んだ時にきっと今も昔と大差ないのではないかと思いました。

日本の音大で教えた経験のある著名なドイツ人教授の言葉を引用して、
「日本の音楽大学は完全に凍り付いている。そこで生じていることはことごとく20年も30年も昔のままで、何一つ変わっていない。そもそも変わる可能性もない。それは凍結状態の動物のようなもので何ら動こうとしない。」

老教授たちについて、
「彼らが昔ドイツで教わってきたメソッドはそれ自体凍結されたメソッドであり、あえていえば二流のメソッドに他なりません。」

「今の調子で行くと音楽芸術という分野に関しては、日本は20年先も30年先も、50年先もヨーロッパやアメリカよりもおくれをとっているはずです。」

日本に招聘された多くの外国人教師と個人的に話し全く同じ意見だったこととして、
「日本では音楽教育制度上のいかなる新しい実験や試みに対しても恐ろしいほど消極的で改革しようとする意欲が全くない。」という不満を漏らしていたとのこと。

30年たった今、カリキュラムがどの程度変化したかは知りませんが「二流のメソッド」は今もおそらく主流です。

ヨーロッパやアメリカにおくれをとっているどころか今やアジアの中でもおくれを取っています・・

全く新しいアカデミアを是非築いてほしいと次のようにおっしゃっています。
「新しいカリキュラムの計画に当たって、常にオープンなそして自由な心を持つこと。すなわち、変化を恐れるな、ひとつの考えに決して固執するな、柔軟であれ、他の音楽学校でやっていることと異なっているのではないかといったことを何ら気にするな。」

いかがでしょうか。
学校ということではなくとも、音楽教室でも20年、30年前と現在が大きく変化したとは思えません。

新しいことを勉強されている先生は少なくありません。
なのに、それを実際に生徒さんのレッスンで試される先生は少ないように思います。

「いいとわかってはいるのですが」と・・

学生の頃、ドイツ人の先生のゼミで先生がリサイタル前に1曲弾いてくださいました。
危うくなった所がありました。内心驚きましたが、弾き終えて先生は一言。
「ここがまだあやふやでちゃんと覚えられていない。ここをもっとやらなければ。」

それを聞いた時に、生徒と対等の気持ちで接して下さっているのだと思いました。
現代曲が得意な先生でしたがその時はシューベルトのソナタを弾いてくださいました。

その先生のゼミの試験曲に武満徹の曲が課題になりました。
同じ日本人の作品なのに全く知らない曲、とうより武満さん自体あまりに遠い作曲家でした。なのにドイツ人は知っているという・・

まさにピアノ音楽でさえ狭い範囲のものしか知らない学生であったわけです。

音楽的に遠いと思っていたのに、武満さんに渋谷でバッタリ遭遇したことがあります。

2016年6月来日したユーリ・バシュメット&モスクワ・ソロイスツ のコンサートのアンコールがこの曲でした。Waltz from "The Face of Another"
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日本人の音楽教育#5 根本的な根深い問題かと・・

2019年04月18日 | 書籍紹介
ロナルド・カヴァイエ先生の<日本人の音楽教育>という本から「音楽は芸術」「絶対音感」「家庭の音楽環境」「初心者のテキスト」とご紹介してきました。

30年以上も前に書かれたにもかかわらず、今の日本にも変わらず存在する問題と感じました。

他にもいくつか書き足したいと思います。

「ピアノほど非音楽的に機械的に弾くのに容易な楽器は他にない。」

「ソルフェージュやヒンデミットの高度な問題がこなせても、それがモーツァルトやベートーヴェンの比較的単純なソナタを音楽的に演奏することにつながらないのは極めておかしなこと。これらの訓練が音楽の演奏に何ら役立たないのであれば一体何のために訓練しているのか。言ってみれば一種のトリックのようなもの。トリックをそれ自身の目的のために行うことほど意味のないことはない。」

「テクニックというのは音楽的なテクニックを指す言葉。大きな音で速く弾く技術ではない。音の微妙な色彩、声部のバランスをいかに考えるか、音をどのようにコントロールするか。ラドゥ・ルプーが”生徒の作り出す音そのものの性質や色彩を一番の関心にしない教師を私は知らない”とはっきり言っている。」

「日本の学生は長い間音楽に携わっていても、微妙な音の色彩の差異、特異性に気付くようしむけられてこなかった。半ば教育的、半ば環境の問題が潜んでいるように思う。”すごい!ミケランジェリのこの音に注目せよ!”といったふうに感激と驚きで反応しない環境に育ったということも一つの原因かもしれない。」

「音楽に対する総合的、全体的な知識の不足は自分が耳にしたものを分析する能力をも欠く。このような能力の欠如は、音楽教室や音楽大学のカリキュラムを少し手直しした程度ではどうしようもないほど深い問題だ。」

厳しいご意見です。
しかも私が学生だった頃の話ですので、この話は他人の話ではないのです。

しかしこれらのことにずっと気付かなかったわけではありません。
何かおかしいと思ったから私の場合はフォルマシオン・ミュジカルやロシアンメソッドにたどり着いたのです。

ただ、周りも変わっていかなければ単なる変わり者です。
他の先生はそんな事やっていない、お友達はそんな事やっていない。

若い先生がソルフェージュというのは演奏と関係のないもの、そういうものと思い疑問にも感じていなかった話を聞いてショックを受けました。
昨年の話です・・
ワークも同じような気持ちで使っているのかなと思いました。

ピアノは触るだけで音が出てしまう楽器です。
息を吐いていようが吸っていようが止めていようが、音は出せます。

だから難しいのです。
それはピアノの本当の音ではないから。

ピアノの本当の音を初めから子供たちに聴いてもらう、知ってもらう。
保護者の方にも知っていただく。

最近コマーシャルで聞こえてくるピアノらしき音が電子楽器の音が多くなり、いや~な予感がしています・・

電子オルガン化する電子ピアノ・・(電子オルガンの方がずっといいです。)
今や、クラシックピアニスト風な音、ジャズピアニスト風な音、木漏れ日の森のような音、サイレントナイト風、ノスタルジア風、など音色の種類も増えています。

人の持つ気持ちまで電子音化し始めているようで気分が悪い・・
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ロシアンメソッド勉強会 内容のお知らせ

2019年04月15日 | 重力奏法
2019年5月16日(木)に江戸川区小岩にある南小岩バッハザールでロシアンメソッドの勉強会を開催いたします。

「不思議な音の国」を翻訳された阿形ファーマン裕子先生をお迎えします!

ロシアンメソッドですでにレッスンをされている先生、
不思議な音の国でレッスンをされている先生、
はじめの一歩でレッスンをされている先生、
両方使用されている先生、
まだ教本使用に踏み切れずにいる先生、
このメソッドに興味を持っていたもののセミナー等の受講はまだ、
という先生方からお申し込みをいただいております。

先生方、ありがとうございます。

私達は子供の頃からこのメソッドで育ってはおりませんので(知らないうちにそうだった先生はいらっしゃると思います)、自分の指導が正しいのか不安に思われていることがあると思います。

このメソッドを正しく理解すること、先生方に自信を持ってレッスンをしていただけるようにとの阿形先生の思いから、
・メソッドの概念
・「不思議な音の国下巻」終了からブルグミュラー程度の曲に入るまでのレパートリーの提案
・実際に不思議修了後の曲を例にした指導法
をお話して下さいます。

「不思議な音の国」を使用されていない先生方も十分に参考になると思います。

このメソッドの概念を正しく理解することはとても大事です。
教えているうちに自分流に解釈してしまうことも人間にはあるので、改めて話を聞き直すことも必要です。

阿形先生のお話をもとに、先生方がふだん疑問に思っていらっしゃることをどんどんお話し下さい!!

皆さんで意見交換することで理解がより深まると思います。

他にはロシアの教本、ノンレガート期に併用できるテキストのご紹介をする予定です。
他におまけ資料も付きます。

すでに多くの先生方にお申し込み頂いております。
あまり大人数にならないよう考えております。
若干名余裕がございますので、この機会に是非ご参加ください。
(募集は終了させていただきました)



「南小岩バッハザール」行き方

JR総武線 小岩駅南口 徒歩7分


1.改札を出て左に(南口)
2.階段を下り右に行くと「フラワーロード」があります。(現在りそな銀行周辺は工事中で白いフェンスで覆われています)
3.アーケードをひたすら直進
4.左側にみずほ銀行が見えてきます。
5.右側に郵便局が見えたらそのビルの最上階に「バッハザール」があります。
6.エスカレーターでは2階までしか行けません。エスカレーターで2階まで行き、そのまま自動ドアを通りぬけ直進するとエレベーターがあります。それで4階へ上がると「バッハザール」
 

7.郵便局隣のスーパーの左横(少し引っ込んでいます)にエレベーターがありますので、初めからそれに乗ってもOK。


下町感たっぷりの街です。


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日本人の音楽教育 #4「初心者のテキスト」

2019年04月13日 | 書籍紹介
32年前に出版された本ですので少し話題は古いのですが、現在でも通用するお話をされているのでご紹介します。

バイエルの芸術性のつまらなさをご指摘。

およそ子供の内的イマジネーションを膨らませるようなもの、音楽的刺激を与えるものではないこと。ピアノの鍵盤の4分の1の音域しか使っていないこと。指の練習のための練習でしかなく指以外の練習が何もできないことなどを挙げています。

ピアノを弾くというのは単に指の運動に尽きるのではなく、手、前腕、上腕、肩、腰など全てを使う運動。
バイエルは指以外の練習が全く欠けている。結局極めて狭い範囲の鍵盤の上で指だけの練習をするテキストであると言わざるを得ない。

良いテキストとして腕の使い方を学ぶことができるクルターク「遊び」、ルンツェ「2つの手・12のキー」を挙げ、子供はピアノを習い始めて1週目で腕の使い方を学ぶことができるはずです。

と、あります。

ルンツェはロシアンメソッドのテキストを使う前に私は全員に使用していました。
初めの所だけですが・・
このテキストで手首や腕の使い方を最初に教えていました。

子供の書いた絵しか載っていないユニークなテキストです。
ユニーク過ぎてほとんど知られていないテキストです・・

メト―ドローズの問題点も指摘されています。

バイエルより遥かに優れている。メロディーの面白い曲が含まれているがフランスの歌なので日本人にはどうか。バイエル同様左手の練習がほとんどない。左手は単なる伴奏パートに終始している。すべてが指の練習で腕を使う練習がない。20個の鍵盤しか使っていない。ピアノの正しい座り方の絵にたいへん問題がある。

と、あります。

どちらも現在ではあまり使われておりませんが、それでも去年引き継いだ生徒さんでメト―ドローズを使っている生徒さんがいます。なぜそれにしたのかずっと疑問に思いながらそれを使っておりますが・・

さて最後にこれを是非お読みいただきたいと思います。

「思うに、教師は常にその考え方がモダンで、生き生きとしていなければなりません。もし教師が、自分が20年前、30年前に使ったテキストをそのまま生徒に使わせるとしたらそこには何の進歩もありません。そのような教師は絶望的です。20年前、30年前は仕方がなかったかもしれませんが、その間にモダンな考え方に裏打ちされた素晴らしいテキストが出現しています。この事実に教師は気が付かなければなりません。」

インタビュアー:『教師はモダンで革新的であれということですね。旧態依然とした考え方しかできない教師が日本の音楽教育界、ピアノ教育界に少なくないとしたらそれは問題ですね。』

「古い教本に固執しそこに何の疑問も感じない教師は本当の進歩を知らない人です。」

と、あります。

批判的なご意見が多く書かれていますが、先生が日本で感じられた疑問は30年以上経った今も存在していると思います。

何度か書かれていることに
「子供に接するピアノ教師は、ピアノを弾くということはあくまで芸術することでありそれ以外の何物でもないのだということを常に教え続けなければなりません。」

と、あります。

ロシアンメソッドで子供たちに音を求めているのはこういうことでもあります。
音が良くなってくると音楽が美しいものであることがわかってきます。そしてその先にもっと深いものがあり、それを表現する歓びを知るようになります。

しかし、芸術以外の何物でもないは賛同できないです。
ピアノを通して、あるいはレッスンの時間を通して立ち直っていく子供たちもいるのです。

30年以上前に書かれた本ですが、改めて考えさせられることが多かったです。
古い本なので手に入らないかもしれませんが図書館にあったら是非、読んでみて下さい。

「日本人の音楽教育」新潮選書
ロナルド・カヴァイエ 西山志風 著
1987年(昭和62年)発行
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日本人の音楽教育 #3「家庭の音楽環境」

2019年04月12日 | 書籍紹介
ロナルド・カヴァイエ先生の「日本人の音楽教育」の本からです。

家庭の音楽環境について。

先生:「音楽的環境というものは非常に大切です。非音楽的な家庭の人が子供にピアノを買い与えピアノのレッスンを受けさせようと仕向けること自体が間違っているというのではありません。音楽の勉強を受けさせる機会を与えるということは結構なことだと思います。」

先生:「このような場合注意しなければならないことは、もしその時のピアノの先生がその子供にとって100%良い教師であり、しかも充分な音楽的刺激を子供に与えるのであれば良いのですが、そうでなければその子供はピアノを弾くことがどんなにたいへんで難しくて、しかも退屈かということをすぐに発見するでしょう。おそらく日々の練習が苦痛となり、意味の分からない労働と化すことでしょう」

先生:「つまり、家庭の音楽的環境が貧しくて、いっさいのことが音楽教室の教師に任せっぱなしの場合は、よほど注意しないと常にこのような危険性をはらむわけです。」

インタビュアー:『なるほど。つまり子供が家庭で音楽的刺激を一切受けずすべてが教師に任されている場合は、たまたまその教師が子供に音楽的刺激を与える素晴らしい教師でない限り、普通は音楽することを諦めるわけですね。子供にとってそれは大変な苦痛を伴うからですね。』

先生:「非音楽的な家庭でも少しばかり心掛けて変えてみてはどうでしょう。親も子供と一緒にピアノのレッスンを受けるのも一つの手です。リコーダーを親子で演奏するとか、それほど難しくないクラシックのレコードを聴いてみる、といった程度のことは親の方もできるのではないでしょうか。親の方でそういう音楽的環境作りの努力をいっさいしないでおいて、家庭全体がテレビやラジオ、時にはパチンコ店から流れる非音楽的な音にどっぷりとつかっておきながら、子供にだけピアノのレッスンに通わせたところでうまくいくはずがありません。」


○○ちゃん、お母さんは(お父さんは)わからないから宿題やってね。ちゃんとやってね。
と言うご家庭は必ず短期間でピアノを辞めます。

家庭で一人ぼっちにしないでほしいと思います。
練習を何気なく聞いていてあげるだけで違います。
ご飯の支度をしながらでも良いのです。テレビを消してお子さんが弾くのを口出しせずに聴いてあげるだけでしたらすぐにできます。

次回は初心者のテキストについてご紹介します。
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日本人の音楽教育 #2「絶対音感」

2019年04月11日 | 書籍紹介
絶対音感の話。

以前、ドイツにいる知り合いが「こっちには絶対音感を持っている人なんていない」と。

あら、そういうものなのかと意外な気がしました。

さて、「日本人の音楽教育」のカヴァイエ先生のお話。

先生:「イギリス(先生はイギリス人)でもヨーロッパでも絶対音感を持っている人はたいへん少なく、私自身も持っていません。ところが、どういうわけか日本では絶対音感を持ち合わせている人が多いのに驚きます。日本では、それをたいへん小さな子供(3歳くらいの子供)に訓練しているからでしょう」

先生:「絶対音感を持つということが、音楽的ハンディキャップすら与えかねない。ご承知のようにピアノのピッチは時代によっても、国によっても変わります。そうすると絶対音感を持っているということは音楽することにとって障害にすらなりかねません」

インタビュアー:『それにもかかわらずわが国では絶対音感を身に付けることがあたかも子供の音楽教育にとって本質的であるかのように考える向きもありますね。音楽学生や職業的な音楽家にとって絶対音感を保持していることは概ね望ましいことだ、という信念は相変わらず根強いようですが』

先生:「これは日本の音楽教育の重大な問題ですのではっきり言っておきましょう。ある人が絶対音感を身に付けているということと、その人が音楽的に大切な素養を身に付けているということは全く無関係です。真に音楽的な聴覚能力というのは、音の色彩、フレージング、リズム、調性、音程などを正しく把握できる能力を持っているということです。ある音の絶対音高を記憶しているということは音楽的な意味で良い耳を有していることにつながりません」

先生:「各調性が持っている独特の性格にとって客観的な絶対音高は大して重要ではない。長い年月をかけて少しずつ標準音高(ピッチ)が変わっても耳は柔軟に適応できる。ハ短調ならハ短調という調性にベートーヴェン自身が付与した特定の色合いは、たとえそれを弾くピアノのピッチが多少変わったところで保持できると思います。」


私は最近特にソルフェージュの指導法が気になっています。
以前から音楽に結びつく方法でできないものかと思っておりましたら、フォルマシオン・ミュジカルに出会いました。

音程や調性、終止形への感覚を早くから身に付ける内容に驚きました。
理論として知ることを求めるのではなく、それを音楽を理解することに結び付けるのです。
理解したことを表現するには音が良くなければなりません。
それで辿り着いたのが、私の場合はロシアンメソッドです。

最近ご紹介したグネーシンも音楽の為のソルフェージュをしています。

ネイガウスが、読む→弾く→聴くでは、弾く前に音を想像する過程が欠落するので音楽性が育たない。そうではなく、読む→聴く→弾くの順番になるようにレッスンを進めるべきである、と言っています。

ピアノで弾く前に想像する。
その手助けになるのがソルフェージュでもあると思います。
どんな音楽がそこあるかを想像できること。

「不思議な音の国」上巻の最初の方は年齢が低い生徒さんは少し時間がかかります。
その間に音程、長・短調の感覚をどんどん付けられるようにしたら良かったと今頃気付きました。
小さい生徒さんがとっつきやすいのはリズムなので、そちらをメインにしていました。
あとは音の方向の聴き取り(上行、下行)です。
たまに時間がある時に長調、短調もしていましたが分からない事が多いのでまだ早いのかと思っていましたが、グネーシンを見てアプローチが不足しているのだと気付きました。

フォルマシオン・ミュジカルに良い課題がたくさんあるので、もう一度見直してレッスンを組み立てたいと思います。

余談ですが、オルガン(パイプオルガン)はピッチや音色(レジスター)が地域によって異なります。
それらはその土地の風土や文化に基づくとオルガンの先生がおっしゃていました。
絶対音感のある方はご自分の記憶のピッチと大きく異なると弾けなくなります。

次回は家庭の音楽的環境作りの話をご紹介します。
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日本人の音楽教育 #1「音楽は芸術」

2019年04月10日 | 書籍紹介
ロナルド・カヴァイエ先生のお名前をお見かけし、図書館から借りてきた「日本人の音楽教育」

対談形式で書かれ、1987年に出版された本です。
カヴァイエ先生のお名前は存じておりました。外国の先生にしてはわりと長くいらっしゃると聞いていました。
この本は帰国された翌年に出版されたようです。

さてさて、まだ読み始めたばかりですが私が疑問に思っていることがすでに書かれています。

序章は対談相手である音楽に造詣が深いという言語学を専門にしている方の言葉で始まります。

『日本製ピアノやオーディオ装置の質が極めて高いことは誰しも認めるところであろうが、そのことは必ずしも日本の音楽文化の質の高さを示すものではない。』

『音楽は、子供が楽しく、気楽にやりさえすればよい、という一見物分かりのよい哲学の下に、しょせんは玩具に過ぎない電子オルガンの類のものをピアノと同様、「子供の情操教育上最適の芸術楽器である」と公言してはばからないこの種の音楽教室経営陣の芸術観に、そもそも問題はないのであろうか。』

第1章からカヴァイエ先生登場。

先生:「なによりも忘れてならない大切なことは、音楽は芸術だということです。音楽に限らず芸術は決して容易なものではありません。」

先生:「一般に芸術することにとって一番大切なことは、自分自身を表現するということ。軍隊におけるごとく、規律で縛るとか命令するとかいったことは反芸術的な行為と言えます。」

ピアノ後進国日本、電子ピアノ氾濫。
30年経っても変わらぬ日本です。

次回は絶対音感のお話をご紹介します。


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遠回りは・・

2019年04月09日 | 重力奏法
現役を引退したイチロー。

NHKで「イチロー最後の闘い」という番組を放送していました。
そこでイチローが語っていた言葉。

『最終形がない。後退することももちろんあります。ずっと前に進みたいけどなかなかそうはいかない。はっきりしていることは近道はない。あとで考えると、遠回りだったなぁ、省けたらよかったなぁということは確かにあります。でもそれが一番近い。
自分のぼんやりとした理想に近付く一番の方法は、遠回りをすることと、今は思います。』

あのイチローさんがこのように思うことに勇気づけられます。

ノンレガートからやらなくとも大丈夫なんじゃない?はないのです。

私は生徒のレッスンで「はっきり弾いて」と言ったことはありません。
そのように言うと力むに決まっているからです。

カチカチ弾かれることが嫌でしたので腕の向きを音の動きに合わせること、手首をどう回転させるかといったことはどの生徒にもやってきました。打鍵の方向も教えてきました。

しかし、音の鳴りが十分ではなく客席に飛んでこない。
何故だろうと思っていました。
耳障りな音はしません。でも表現していることが良く聞こえてこない・・
ステージの奥の方でちんまり弾いているようでした。

私自身は逆に客席に音が飛んでくると言われていたので、生徒もいずれ音が飛ぶようになるだろうと思っていました。

それがロシアンメソッドを知って原因が分かりました。

重さです。
Hangingです。

それを最初から諦めずに教えていくと小さな生徒さんであろうと音は鳴るのです。

省いてはいけないノンレガート。
遠回りだと感じるのは最初の半年くらいです。

そのあとは従来の奏法より急速に弾ける曲が増えていきます。
そして音楽を奏でられるようになります。

というのが1年間このメソッドでレッスンをした結果です。
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重さを伝える

2019年04月09日 | 重力奏法
ロシアンメソッドでレッスンをしていて私が一番伝え辛い事は、「重さを掛ける」事です。

初めからこのメソッドでレッスンを受けている生徒さんはノンレガートから始めますので、私の生徒の場合は短くとも5カ月間はリラックスさせた腕で深く鍵盤に沈めて音を鳴らすことをします。というより、それしかやらないと言ってよいほどです。
なのでこの感覚は自然に養われていきます。

ところが途中で奏法を変える、というより直す(本来ピアノはガンガン弾きません)生徒さんにこの感覚を知ってもらうのは骨が折れます。

重さと言うと押す事と勘違いされることがあるので私はあまりこの言葉は使いません。

よく言うのは「寄りかかる様に」です。
それでも伝わり辛く、最近は「椅子に座るのと同じ。椅子を取って座っている格好をするのはつらい」と言います。

海外ではこの感覚をHangingと言っているようです。
ツィメルマンの公開レッスンでも実際にそう言っています。
おー!ツィメルマンも教えています!
昨年見つけたこちらの先生の動画、ドミソの弾き方を教えるのに10分以上かけています。

その中で何度もHanging downとおっしゃっています。



モロゾワ先生の演奏です。
Irina Morozova - Bortkiewicz Etude Opus 15 No 9

スライムを鍵盤にのせて弾いてもらうことも有効です。
ただ、ブスブス突き刺す生徒さんもいるので色々伝え方を編み出しておく必要があります。
人間の感覚は人それぞれですので。
その中で正確に伝える技術を指導者は持つ必要があります。
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スケールを早く覚える秘密がここに?

2019年04月04日 | グネーシンソルフェージュ
ロシア近辺の国々が、奏法だけであの音楽的な演奏と進みの速さが可能になっているとは考えにくくなってきておりました。

様々なアプローチを試みた結果、素晴らしいカリキュラムが出来上がったのだと思いますが、その中の一つにソルフェージュの取り組みがあると思います。

こちらの動画を見て「ははぁ、そういうことか」と思いました。

以前、中央音楽学校のプレスクールの生徒さんのレッスン動画をご紹介しました。
その生徒さん、半年で調号3つまでのスケールを弾いていたと思います。短調も2つか3つまで弾いていたような・・しかも反進行も。

どうしてそんなに早い内に弾けるようになるのかと思っておりました。
もちろん選ばれた生徒さんですが、それにしても早い、猛特訓している様子も感じられない・・
ん~、なぜ?

その答えがここにあるのではと・・
グネーシンのソルフェのレッスン動画です。

18分辺りから

先生がC-durスケールの反進行(シンメトリー)を弾き何か質問しました。(なんとおっしゃっているかはわかりません)
生徒さん「これスケール、スケール」
先生「何調かしら?」
生徒さん「ハ長調」
そのあと反進行してることをおっしゃっているような・・
「さよなら」と離れていると。

今度はa-moll
生徒さん「反進行」(たぶんそう言っているような・・)
先生「調は?」
生徒さん「イ短調」(リャ・ミノール)

次はC-durの3度音程の並進行を聴かせます。
そして生徒さんに弾いてもらっています。
全員同じことはやらせません。反進行を弾かせる生徒さんもいます。半音階の反進行まで・・。おー、すごい。
スケールの練習をまだしていないと思われる生徒さんは1本指で弾いています。

6度の並進行を先生が弾き、最初の音程を生徒さんが6度と答えています。

ソルフェージュのレッスンで音程の感覚を初回から行っていること、長調・短調も初回から行っていること、これがスケールを覚えることにすぐにつながっているようです。

ピアノのレッスンだけでスケールをどんどん習得しているわけではないのだとこの動画を見て知りました。

ソルフェージュが演奏に結びつく一つの例です。

Evgenia Oskolova's Music Theory open lesson № 2

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グネーシン、試しました!

2019年04月03日 | 不思議な音の国
昨日ご紹介したグネーシンのソルフェージュレッスン。

そこで使われていた「バンブルビー」の歌。
(不思議な音の国ではバンブルビーという歌詞がついています。曲名はついていないのでわかりません。バンブルビーは”まるはな蜂”のことだそうです)

今日のレッスンでちょうどこのページをした生徒がいたので、早速ハンドサインを使い半音と全音の違いをやりました。

「不思議」ではこの曲は♯と♭を覚えるためにあります。
しかしそんなあっさりとは覚えません。

このページも感動的なページです。

メロディー姫がお気に入りのこの歌を「ドレミー、ドレミ―」と弾いていると意地悪な魔法使いグランベリーノ閣下が「ド」の音を出なくする魔法をかけてしまいます。

そこでメロディー姫は「ファ」から弾いてみます。
「ファ」からでも同じ曲になる♡と喜びますが、その音も出なくなる魔法をかけられ今度は「ソ」から弾きます。
「ソ」からも同じように弾くことができます。しかしグランベリーノ閣下は今度は「ソ」を出なくしてしまいます。

今残っているのは「レミファ」(この時点でファは復活)
「いいも~ん、レからもきっと弾けるわ~」と弾き始めますが同じ曲になりません。「えー、うっそ~」
そこで何かと助けてくれるムジカリーナに助けを求めると「黒鍵を弾いてみたら?」と。
(注:そんな会話は書かれていません。そんな流れです。

「Fis音」を使うことで長調になりこの音はファの♯ということを覚えます。ついでに♭も覚えます。

♯、♭を覚えるためにこのような体験ができる教本を私は知りません。

今日のレッスンでハンドサインの最後が「アイ~ン」から「待て~イ」に変わるところ(何のこと?とお思いの方はこちらグネーシンのソルフェージュNo.1)を一緒にやってもらいましたらすぐにその生徒は「なんか狭い、さっきのより狭い」と言いました。

素晴らしいっ!

質問する前に気付きました。
そこで隣同士でも明るいものと暗いものがある。暗いのは「半音」と言ってあちこち弾いてみました。

この生徒さん3つの黒鍵でも「バンブルビー」を弾いていました。
「不思議」のテキストは作曲、移調もやりますのでそのせいか生徒たちは勝手に他の音から弾くことを試します。
私も子供の頃そのように遊んでいました。母親にはよく、いい加減な弾き方をしないように注意されていましたがこれは本来いい加減なことではないのです。

全音と半音の聴き取りがFMのテキストにあるので今度やってみます。
奏法が良くなると弾くことに余裕ができるので色々とできることが増えます。
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グネーシンのソルフェージュ No.1

2019年04月02日 | グネーシンソルフェージュ
グネーシンのこのシリーズ、No.20まであるようです。

エフゲニア・オスコロヴァ先生という方のソルフェージュのレッスンです。
興味深いです。

「不思議な音の国」下巻にある”バンブルビー、バンブルビー、はなからはなへとんでいく”の歌を使って長調(マジョール)と短調(ミノール)を知ってもらっています。

お日様と雨が降っている絵が描かれています。

そのあとはハンドサインを覚えています。
「せっしゃ」「すまん」「アイーン」というような手の動きです
短調は「アイーン」を手の平を向こうに見せる形に変えています「待て~イ」という手の形。横向きですが・・

そして楽譜を見せて歌ってもらっています。
短調もフラットがついたものを見てそれを子供たちに指差してもらっています。

すでに音程も取り入れています。
キリンの絵を見せて1オクターブ離れた音を歌ったり、指4本ずつを両手で出して1オクターブの音程を表示しています。

Evgenia Oskolova's Music Theory open lesson № 1

10分を過ぎると子供たちの集中力が・・
それでも全くよどむことなくレッスンを進められています。

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