おとのくに♪♪

生徒さんのピアノレッスンで感じたこと、考えたこと、コンサートの感想などポツポツ綴っています。

プレトニョフのこれはあり!

2024年08月31日 | コンサート情報

プレトニョフはロシア人なのに普通に西側で活動出来ているな、と思っておりましたら、ロシアのウクライナ侵攻に反対の立場を取っていると、今頃知りました。

そして、住居のあるスイスに拠点を移していると。


全く知りませんでした。


日本へは毎年のように来日している気がすると思っておりましたら、「前世は日本人だったのかもしれない」というほど日本を好んでいらっしゃるのだとか。



まぁ、それは良いのですが、プレトニョフのシューマンのコンチェルトの演奏を偶然 youtubeで見かけ、シューマン?珍しいかも・・と思い、聴いてみました。

聴いてすぐに、これはありだ!というか、これだ!と思いました。


シューマンのコンチェルトのテンポが私には速く感じていて、でもどのピアニストもそう弾くし、そうあるのがこの曲なのだろうと思っておりました。

ところがプレトニョフは遅めのテンポで、この曲の良さをじっくりと味合わせてくれています。

これでしょ!

このテンポじゃなきゃシューマンのナイーブさは出せない、と勝手に喜ぶ私でした。

第1楽章の第1テーマをピアノもオケもこんなに切なく歌った演奏は聴いたことがありません。木管との掛け合いもうっとりです。

終楽章も優しい音で、乙女なシューマンでなんだか良かったです。独特なアゴーギグやフレージングはありましたがプレトニョフっぽくて面白かったです。

終楽章の幕開けも印象的です。第2楽章の終わりですが。
眠りから目覚めたような、ちょっと魔法っぽい感じ。


調べてみましたら、シューマンの独奏曲をプレトニョフは録音しているようで、イメージに全くなかったのでこれを機に聴いてみようと思います。


Mikhail Pletnev plays Schumann - Piano Concerto (Budapest, 2016)


プレトニョフのファンではありませんでしたが、聴いていく内になんだかファンになっていきそうです。

この人、本当は繊細で優しい人なのかも・・


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おそろしく時間がかかる

2024年08月29日 | 不思議な音の国

「不思議な音の国」の著者イリーナさんは、この教本は上下巻合わせて1年以上費やさない。1曲に3回以上レッスンせずに進む、と仰っています。



昨年、この教本を3年半かけて終えた生徒が2人います。
練習をサボってというわけではなく、習得するのに時間がかかるタイプだったからです


この2人は、時間はかかりましたが基本は身に付いていると感じます。
音楽的な表現に長けているわけではありませんが、アーティキュレーションに対して無頓着なことはなく、平板な一本調子な演奏はしません。



ところが今、3年半を大きく上回る生徒が3人います。

小1から始めた小6、小5の生徒、年中から始めた小5の生徒です。

この3人は宿題の曲を家で何とか形にしてくることはまずありません。
音が読めないのかと思い、毎回手伝っていましたが一緒にやると読めていないわけでもなく··

レッスンで一緒にしたから、これでどういう曲かわかったので家で練習できるだろうと思っていると、「今週は忙しくてできなかった」ということがよくありました。もしくは「練習するのを忘れていた」と。


練習するのを忘れていた、は疑問しかない言い訳です。

ピアノを習っていたら毎回必ず練習する曲があります。このような生徒は書く宿題も絶対にしてくることはありませんので、翌週また同じものを宿題にします。

しかしそれでもしてこないことが多いので、結局レッスンの時間の中ですることになります。

書く作業は時間がかかります。特に年齢が低いお子さんはそうなので、これだけでレッスン時間の半分以上は使ってしまいます。



こうしたことの積み重ねが、ピアノを始めて5年も経つのに導入教本さえ終えることができない事態を生みます。

これだけ時間をかけたにも関わらず、最後の章に来ても、浅い音でスラーの弾き方さえ覚えることなく弾いている姿を見ると全ては無駄だったとしか思えなくなります。


ご家庭で放置され、やっつけの連続でその場しのぎで続けても、基礎は身に付かないことがこの教本を使ってよくわかるようになりました。


やろうとして時間がかかった3年半は意味がありますが、練習をサボり続けた5年は意味がないです。

練習してこられなかった言い訳に「お兄ちゃんが剣道があったから」と言われたり、レッスンで必要な楽譜を何かしら家に置いてきたり、空の鞄だけ持ってきたり、無断欠席するご家庭があったり··

これは趣味の習い事だとしても、「学ぶ」ということをご家庭で考えるべきだと思います。

子どもの頃の習い事への姿勢は、大人になってからの仕事や態度に表れるのではないかと思います。

信頼されなければ仕事を任せられないし、人として付き合えない。


習い事はその事自体に成果が見られなくとも、どのように向き合ったかに意味があるのではないかと思います。


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今頃コチシュに驚く

2024年08月27日 | コンサート情報

コチシュはピアニストだけではなく、指揮者として、作曲家として、編曲家として、幅広い才能を発揮した音楽家です。

ハンガリーの国立オケの総監督になった時に、団員をオーディションし直してレベルアップしたり、新たなオーケストラを創設したりといったこともしたそうで。


ハンガリー三羽烏として存在は知っていましたが、積極的に聴いてきたわけではなく、以前読んだ「遊藝黒白」にコチシュのことが書いてあり、才能あるピアニストとして名前が何度か挙がっていました。

聴いてみると、音が澄んでいて綺麗で、グイグイ突き進む音楽で、強い人という印象。


それ以来、久し振りに聴いてみました。

いくつか聴いておりましたら、音のキレとリズムのキレが素晴らしく、このようなタイプの演奏は積極的に聴くことはなかったので、今頃コチシュって凄かったんだと驚いています。


それから変な話ですが、ピアニストの中でこんなにスケールとアルペジォが美しく上手い人は、私の中ではちょっと聴いたことがないです。

そりゃプロですので、ピアニストは皆当たり前に上手いのですが、この人のはこれだけで耳を奪われるものがあります。

一生で1分だけでも良いので、このテクニックを味わってみたいです。



こちらの曲、どのピアニストが弾いても大変そう、との印象しかない曲でしたが、コチシュの演奏で初めて音楽として成立しているものを聴きました。

彼の頭の中はオーケストラなんだろうと思います。

速めのテンポでさっさか弾いている演奏が多めですが、モーツァルトの緩徐楽章は一音の表現にうならされます。


Zoltan Kocsis plays Franz Liszt: Reminiscenses de Norma de Bellini



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ルプーに聴き入る

2024年08月22日 | コンサート情報

同業のピアニストたちの間でも羨望を集めたルプー。

ルプーのリサイタルには同業者たちがこっそりと聴きに訪れていたそうです。

2022年に病で逝去しましたが、2019年に引退されています。
その引退も、これで最後と世間に発表するでもなく、ひっそりと引退されました。


今頃なぜルプー?と思われると思いますが、東欧のピアニストを調べていて、ちょうどルプーのことを書くために少し調べてみたところです。

先程の引退のことは「ルプーは語らない」という本に書かれています。商業主義が肌に合わず、レコーディングやインタビューから徐々に遠のいて行かれたようですが、そのお人柄は決して人づきあいが良くないとういうものではなく、温かなお方だったということが、その本に書かれています。


さて、日本のマネージメントをしていたカジモトのサイトを見ましたら、ルプーの追悼文が掲載されていました。

だいぶ前に読んではいたと思いますが、そこにあった日本でのリサイタルの記憶でいくつかの曲のことをカジモトの方が書かれていました。

その中にあった、シューマンのクライスレリアーナについて、「ぞっとするような夜の世界の幻想性」とありました。

興味を持ったのでyoutubeで探して聴いてみました。


クライスレリアーナをこんなにじっくりと聴かせてくれる演奏もそうないと思います。

まず音が言うまでもなく素晴らしい。適度な重さが載り純度の高い音。
何の小細工もなく、ルプーが心の底から感じたものをそのまま音に載せている感じです。

生で聴いたら、あの弱音に別世界に連れて行かれそう。

シューマン自身がこの演奏を聴いたら、こんなに凄い曲を自分は書いたのかと驚きそうな気がします。ルプーの手にかかると神がかりなものになる。



ぺライアと弾いたモーツァルトのk.242のコンチェルトも、ありえないくらい素晴らしいです。

特に第1楽章は永遠に聴いていたいくらいです。聴くだけで幸福感に包まれます。

今頃ですが、神に近い人じゃないかと思ってしまいます。


学生の頃、ルプーが来日した時のリサイタルをテレビで放送していました。
見ましたが、何か研ぎ澄まされた人だな、と思いました。

そんな感想しか持てませんでしたが、わからないなりにこの人は特別な人だと感じたのだと思います。


一度も生で聴けなかったのが悔やまれます。


Schumann Kreisleriana op. 16 Radu Lupu


Radu Lupu & Murray Perahia: W. A. Mozart - Pianos Concerto No.7 in F Major, K 242
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ヴェルビエ音楽祭2024 プレトニョフ

2024年08月18日 | コンサート情報

ヴェルビエで、今年はプレトニョフのモーツァルトのコンチェルトがありました。

お楽しみとして取っておきましたら、見るのを忘れておりました。

先ほど思い出し、見てみました。



っぽい。らしい。

という期待を裏切らない演奏。



ピアノにもオーケストラが別にいるようでした。モーツァルトのコンチェルトはこんなに交響的だったのかと。

かといって対立しているわけではなく、ピアノパートらしい、ピアノにしかできない音色にも一瞬で変身させてしまうプレトニョフ。


この人の頭の中はどうなっているのでしょう。普通の会話でもこの人の話に私はついていけないだろうと思います。頭脳が違いすぎる··

そして余裕がある。
音楽で会話ができる人なんだなと、この域にいる人たちの別次元の世界を見させてもらった気がします。会場で聴いたらもっと驚きの世界だったのではと思います。



プレトニョフは、私にとってはチャイコフスキーコンクールで優勝して来日した時に(これは間違いでした。その4年後でした)、取り敢えず録音しておこうとFMで放送されたリサイタルを録音しておいたピアニストです。

シャコンヌとプロコ2番のソナタが何だか、どういうわけか何度も聴きたくなり、よく聴いておりました。

鮮やかなテクニックに惹き付けられていたのだと思いますが、今の彼の演奏を聴くと、決してそれだけではない、というよりそれを全面に押し出すことはしていない、もっと音のニュアンスの多彩さや曲の構築性の新しさで驚かされているので、そのような所が何かしらほぼ素人のような当時の私の耳に少しは届いていたのかもしれません。


と、自分を贔屓目にみておきます。


Sir Antonio Pappano conducts Rossini, Mozart, and Bizet — With Mikhail Pletnev

Sir Antonio Pappano conducts Rossini, Mozart, and Bizet — With Mikhail Pletnev

Verbier Festival 2024

Available in the Play Store

 




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アシュちゃん

2024年08月15日 | コンサート情報

もうひとつのブログで東欧のピアニストのことを書いています。

昨日はアシュケナージのことを調べて書いておりましたら、そうだったのかと驚くことが。


アシュケナージがショパンコンクールで2位だったことはご存知の方が多いと思いますが、出場したのが1955年。

アシュケナージは1937年7月生まれ。


へ?18歳?

しかもその年にモスクワ音楽院に入学。


あら?ほぼ高校生だった?
ん?飛び級?

翌1956年にはエリザベートで優勝。


在学中にヨーロッパや北米で演奏し成功を収め、国際的名声を確立。


そうだったのか・・と、今はじめて知りました。


アシュケナージはすでに引退されましたが、今年87歳。
いつもステージ袖から小走りで出ていらして、ピョコピョコお辞儀をされていました。

私はファンでしたので、何度リサイタルに足を運んだか分かりません。

いつも背広の下はタートルネック。(今でもとっくりと言いそうになる


コンサートのスケジュールは超人的で、1カ月半くらいの間、ほぼ毎日本番が入っていました。

たいへんな体力です。地方への移動も少なくなく、日本全国を移動していらしたと思います。

いつもたいへんお美しい奥様とご一緒に。


何年か前に、息子さんとのデュオのコンサートが予定されており、アシュケナージを聴けるのはこれが最後だろうとチケットを買っておりましたら、コンサートがキャンセルになってしまいました。

今だったら自分はどんな耳で聴けるだろうと楽しみにしておりましたので、とても残念でした。

その後引退で、さらに寂しくなりました。

アシュちゃん、元気かな?
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作曲

2024年08月07日 | 不思議な音の国

不思議の教本上巻にある作曲のページで生徒さんが作った曲です。

決められたリズムパターンで作るのですが、なぜかリズムも自分で新たに作って作曲してくる生徒さんがよくいます。

今回の生徒さんもそうです。

せっかく作ったのでそのままにしました。


全音符をここに?と思いますが、そのままです。

リズムも音楽の流れに乗ったものを作れた方が良いので、このページではあえてリズムパターンが作られているのだと思います。


生徒さんに曲名をつけてもらおうとしましたら、「わからない」と。

どんな気持ちの曲なの?悲しいの?楽しいの?

「・・・」

先生には悲しく感じる、と言いましたら

「そう思って作った」と。


どんなときに悲しくなる?なにか悲しかったことあった?、とききましたら、

「ピンクのうさちゃんの風船もらってきて、夜寝る時にはあったのに、朝起きたらなくなってた。どこにいったかわからない。われたのか、とんでいったのか、さがしてもみつからなかった」と。


それで、<ピンクのうさちゃんのふうせんが・・>にしました。

どこに行ったんだろう、という意味の「・・」です。



【作曲】ピンクのうさちゃんのふうせんが・・
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ムーティ&鈴木さん 対談

2024年08月05日 | コンサート情報

東京・春・音楽祭の実行委員長である鈴木幸一氏とムーティの対談の記事を読みました。

こちらを読んだだけでも学ぶことばかり。


「美しい調和」は厳しい緊張感があって初めて成り立つもので、だらしなくやっていても美しくはないですよね、と鈴木氏。

厳しい緊張感は、アカデミーの様子を無料配信された時に拝見した時から「ドキリ」としましたので、鈴木氏が仰ることが理解できるように思います。

昨年の聴講時にも「うわっ」と凍りつく想いがしましたので、あのようなことだろうと思います。

ムーティ氏、厳密なものがベースにあって、調和は生まれるのだと思いますと。



対談には、ムーティ「私たち音楽家は、職業として演奏しているわけではないのですね。ミッション、つまり使命としてやらなくてはいけないことだと思っています」と。

さらに、「劇場にやって来るお客様はただ美しい音を聴くためじゃない、魂のこもった音を求めているのだと。だから、習慣として演奏するということは、音楽をやるうえで最も大きな敵だと思います」と。


安易に出した音は決して見逃さないムーティでした。

「どんな音がほしいのか、全て考えて出して」と。考えずに出した音には「私にも我慢の限界がある」と幾度となく仰っていました。

ムーティが静かに言うと本当に怖い・・



対談の最後の方で、ヨーロッパから来る素晴らしい音楽家はたくさんいるとしながらも、日本に演奏旅行に来るのを楽しんでいる人たちだっています。「ヨーロッパの偽物を信じたりすることはやめた方が良いですよ」と。

「誰もかれも信じてはいけませんよ。大事なことは、本当に良い人を選ぶということです」と。



日本人はテレビで取り上げられると「あの人は良い演奏家だ、実力がある」とすぐに思ってしまう傾向がある気がします。

わからないと言いながら、それに流されて付いて行ってしまう。

どれが正解ではなく、自分はどう思うかだと思います。


対談 vol.10 リッカルド・ムーティ(指揮)×鈴木幸一

対談 vol.10 リッカルド・ムーティ(指揮)×鈴木幸一

桜咲く上野を舞台に東京の春の訪れを音楽で祝う、国内最大級のクラシック音楽の祭典。

東京・春・音楽祭

 


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真央君のモーツァルト

2024年08月04日 | コンサート情報

medici tvでヴェルビエ音楽祭が聴けるので、そろそろ真央君が聴けるかなと見てみました。

オリンピックも開催中で、何かと見るものが多いのですが、どれどれと真央君のリサイタルを見ました。


どれも素晴らしかったですが、特に驚いたのがモーツァルトのきらきら星の変奏曲。

テーマからして聴き入ってしまいました。


ムーティがオペラアカデミーで、本当のレガートと言うのは母音によって響きが変わらないことだと以前おっしゃっていました。

まさに真央君のモーツァルトのレガートがそうでした。


これこれ、これを私は目指したくて下手だけどモーツァルトを年がら年中弾いているのです。


内田光子さんも同じように私には聞こえていて、あの美しい響きが全く崩れることなく、フレーズを形作っていてうっとりします。

学生の時に偶然NHKのスタジオで耳にした彼女の音の衝撃は、今も私の中に残っています。



それから、数日前に辻井さんの室内楽を聴きましたが、これも素晴らしかったです。

シューベルトの「鱒」でしたが、辻井さんの澄んだ音がシューベルトにとても合っていると感じました。そして純粋な所も。

これから辻井さんのシューベルトを聴いてみたいと思いました。



やはり音楽は音があってこそだと、つくづく思います。


真央君が自分は音の名刺を配り続けてきた、と言っていました。

音楽家の名刺は「音」ですね。



聴いてもらわなければ配れないですが・・

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聞こえない音

2024年08月03日 | レッスン

昨日、大人の生徒さんのレッスンで偶然、このような話になりました。


その方曰く、


「日本人には聞こえない音があるんじゃないでしょうか。日本語にない母音は日本人にはどうやったって聞こえない。それがこういう音楽にも関係しているように思う」と。


鋭い!


その方はフランスに10年住んでいらして、しかもソルボンヌで学ばれた方です。日常会話程度の語学力ではないのですが、その方がそう仰いました。



その方のレッスンでいつも感じるのが、外国語をご存知な方のフレージング、イントネーションだなと。
昨日もやっぱり違うものだと思いながら聴いており、その事をお伝えしようと思っておりましたら、その前に偶然先程のような話が出てきたのです。



私が話そうと思っていたものとは少し違う意味のことではありますが、言葉と音楽は密接に関係しているということです。

音のニュアンスが日本人に足りない傾向にあるのは、日本語に由来していることは否定できないと思います。

ただ、日本語でも方言になると標準語にない音が存在します。
私は地方出身なのでその音を知ってはいます。だからと言って耳が良いとは思っていませんが、標準語しか知らない人よりほんの少しだけ得をしている気はします。


ちょうど今週、他の大人の生徒さんのレッスンで、のっぺりしたリズム感と弱拍や拍の裏が重たくなるのはヨーロッパの言葉を知らないことと関係しているなと思ったばかりでした。

だいぶ前に、その生徒さんがドイツ語を少し口にしているのを聞いたことがあるのですが、リズム感があららだったのでその演奏になるのは理解できます。

体感としてわからないことは出来ませんので、こういうものはレッスンだけでは改善することは難しいと思います。



フランスで勉強されていた生徒さんが、日本人は美術は良いんですよね、と。

そうか、海外の人には見えない色が日本人には見えると言うしなと思いました。
色や形を捉える力に優れているかもしれません。だから、アニメや漫画大国にもなったし··


そんな話をしながら、日本人に向いていないことを私は日々教えているのかと、道を間違えたのかとチラッと思いましたが、すぐに頭の中でかき消しました。ブンブン


気休めにduolingoだけでも続けよう··



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作曲家を知ろう!ハチャトゥリアン

2024年08月02日 | 作曲家を知ろうシリーズ

今月はハチャトゥリアンを生徒さんに聴いてもらいます。


あの曲は絶対に知っていると思います。

ハチャトゥリアン自身は、この曲だけが有名になってしまって、こうなると知っていたらこの曲は作らなかったと。

しかも初演前日に急遽追加された場面の音楽で、徹夜で作ったそうです。踊りに相応しいリズムを机で叩きながら一気に書き上げたと。


ヒット曲は案外こんなものかもしれません。


ハチャトゥリアン | Composer Sakkyokuka

Composer Sakkyokuka

 



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バトルは無駄ではない

2024年08月01日 | レッスン

練習を見て下さるお母様方が悩むことの代表が、


「ケンカになる」


だと思います。


弾けるようにしようと練習を見てあげると、お子さんと喧嘩になってしまうのです。



「こうでしょ」と言うと

「ちがう」とお子さんが怒って言うことを聞かない。

反発するのでどうしたら良いかわからないと、相談を受けることが度々あります。

特に女の子は年長さんから小1くらいまではそのような調子が続きます。もちろん全員ではありませんが、比較的よく聞く話です。


私は特効薬は持ち合わせておりませんので、「そばで聴いて見守ってあげて下さい」「困った時には助けてあげて下さい」「一緒に覚えるようにしてみてください」など、

きっとお母様方には「もうやってるわ」という返答しかできていないと思います。



でも、このお母様方の奮闘は決して無駄ではありません。

お子さんたちは「口出しされる前に自分で何とかしよう」と考えるようになるのか、気付けば小2くらいで自分の力で宿題の曲をどうにか形にしてくるようになります。

レッスンで私が話したことも自分で覚えようとし、後回しにする癖が付きにくくなるように思います。

こうなってくれるとレッスンもスムーズに運びます。


ところが、バトルせず放置されて小学1~2年を過ごすと、小5になっても自分で何とかしようという気持ちは育っておらず、いつも教えてくれるのを待つタイプになるように思います。

誰かが何とかしてくれるという感覚なのか、その場で自分が覚えなければとは思えないようで、結局自分の責任を自分で持つ力は育っていないように思えます。



親子関係は色々ありますが、お母様方が悩むお子様とのバトルは決して悪いことではないと思います。

悩んだ分お子さんは成長してくれます。

真剣に考えてくれていることは伝わっているのだと思います。


親御さんは我慢強くあれです。そしてすぐに決断を下さず、見守ること。

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