料理研究家の土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」、
という本を読んでいます。
きっかけは、
「いちばん大切なのは、一生懸命、生活すること。
料理の上手、下手、器用、不器用、要領の良さでも悪さでもないと思います。
一生懸命したことは、いちばん純粋なことであり、
純粋であることは、もっとも美しく、尊いことです」
という、この本にある言葉を知ったからです。
まだ途中ではありますが、素晴らしい言葉がたくさん書かれています。
一汁一菜で慎ましい生活を、と仰っているのではなく、
心の持ちようを伝えていらっしゃいます。
家庭料理は手を掛けないもの、それがおいしさにつながる。
一汁一菜は手抜きではない。
できあがった料理を買い求めることができる現代。
「料理をする」を省略できる。となると、人間は食べるために必然であった行動を、捨てることになる。
「行動」と「食べる」の連動性がなくなれば、生きるための学習機能を失うことになる。
人間にとって人生の大切な時期に手作りの良い食事と関わることが重要。子供が大人になるまでの間の食事が特に大切。
食事の根源的な意味。一人ひとり、全ての人の命を作るもの。
日本には今、様々な哲学や思想の切れ端のような言葉が、生活の中に都合よく紛れ込んでいる。
最近はよく、「機能的」なことを「合理的」という言葉にすり替えて言われる。時間を短縮する、便利で都合の良い「機能」と、理にかなった「合理」では意味が違う。
読みながら、ついついピアノのことや生徒の事と重ねて考えてしまいます。
一生懸命すること。
レッスンでは、私も生徒も、これがあれば良いのです。