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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

7月24日 「 月の朝 」

2013-07-24 05:52:11 | 朝の風景とその他の風景





















昨日の朝に比べて少しムシた朝だった。
月は西の空にあって
昨日よりも高い位置に浮かんでいた。



福岡県柳川市 ・ 大川市  近代土木遺産 「 筑後川デレーケ導流堤 」

2013-07-24 00:03:01 | 近代化産業遺産・土木遺産



自然の力を借りて治水するデ・レーケの曲線美






















おびただしい数の石積みが見方によっては 「 鯖の模様 」 にも見える







拡大してみると平たい面を上手く揃えて敷き詰めている







導流堤の先端は水の抵抗を少なくするため水切りはなだらかに丘状になっている







導流堤本体を守るように防波石が左右に設置されている






所在地   / 福岡県大川市・柳川市
        佐賀県川副町
竣工    / 明治23年 ( 1890年 )
築堤指導者 / ヨハネス・デ・レーケ
Aランク近代土木遺産  


筑紫次郎と呼ばれる大河・筑後川の流れを守るために築かれた壮大な水の道は、
干潮の時だけ姿を見せる。
その途方もなく遠大な石の堤が筑後川のど真ん中をどこまでも伸びている。
オランダ人、ヨハネス・デ・レーケの技術が今も筑後の流れを守っているのである。

明治政府は近代化にともない、西洋の土木技術を輸入しようと試みた。
オランダ人、ヨハネス・デ・レーケは治水・河川改修の専門家として招かれた技師で、
明治6年に31歳で来日して、その後30年にわたって日本の治水に力を尽くし、
大阪淀川や木曽三川の治水、防災に手腕を発揮している。
その間、明治12年に妹を、また明治14年には最愛の妻を失っているが、
日本の治水に対する情熱が冷めることはなかった。

明治16年に筑後川を視察し、木曽三川と併行して同20年から工事に着手。
河口から上流へ6.5キロに及ぶ導流堤を築いて川の流れを速め、
河口付近への土砂の堆積を防ぎ、遠浅の有明海の沖まで泥や砂を運ぶ仕組みを作り上げ、
洪水の防止と河川航路の確保に成功した。
デ・レーケは明治24年に内務省の勤務官となり、明治36年に帰国した。


※ 明日は、導流堤の曲線美を紹介します。



大分県院内の石橋 56 「 宮地嶽橋 」

2013-07-24 00:01:21 | 大分の石橋



きれいな直線の桁で造られた宮地嶽橋








正殿から分かれの神殿へとつなぐ







橋は4本の桁で構成されている







桁を支える橋台は自然の栗石で出来ている







県道667号から一本杉の向こうに斜め勾配の橋が見える







橋が架かっている神社正殿と鳥居





所在地 /  大分県宇佐市院内町定別当 : 院内川支流谷川
架橋  /  不明
石工  /  不明
長さ   /    2.28m   幅   /   1.54m
拱矢  /   1.05m   径間  /   1.30m
桁厚  /  17㎝    
単径間桁橋


宮地嶽橋は、県道667号線 ( 落合―斉藤線 ) 沿いにある神社の境内に架かる橋で、
正殿 ( 本殿 ) から分かれの神殿へとつなぐ役目をしている。
橋の架橋や石工などは不明だが、そんなに古い石橋ではないようである。
橋は4本の桁で構成されており、真っ直ぐに切られた縁面が潔い。

宮地嶽橋へのアクセス
宮地嶽橋へは、県道667号線 ( 落合 ー 斉藤線 ) 沿いの神社にあるため、
県道27号線から県道667号線に入ってしばらく行った左側になる。
駐車は、神社の手前の広くなった場所に駐車した。