自然の力を借りて治水するデ・レーケの曲線美
おびただしい数の石積みが見方によっては 「 鯖の模様 」 にも見える
拡大してみると平たい面を上手く揃えて敷き詰めている
導流堤の先端は水の抵抗を少なくするため水切りはなだらかに丘状になっている
導流堤本体を守るように防波石が左右に設置されている
所在地 / 福岡県大川市・柳川市
佐賀県川副町
竣工 / 明治23年 ( 1890年 )
築堤指導者 / ヨハネス・デ・レーケ
Aランク近代土木遺産
筑紫次郎と呼ばれる大河・筑後川の流れを守るために築かれた壮大な水の道は、
干潮の時だけ姿を見せる。
その途方もなく遠大な石の堤が筑後川のど真ん中をどこまでも伸びている。
オランダ人、ヨハネス・デ・レーケの技術が今も筑後の流れを守っているのである。
明治政府は近代化にともない、西洋の土木技術を輸入しようと試みた。
オランダ人、ヨハネス・デ・レーケは治水・河川改修の専門家として招かれた技師で、
明治6年に31歳で来日して、その後30年にわたって日本の治水に力を尽くし、
大阪淀川や木曽三川の治水、防災に手腕を発揮している。
その間、明治12年に妹を、また明治14年には最愛の妻を失っているが、
日本の治水に対する情熱が冷めることはなかった。
明治16年に筑後川を視察し、木曽三川と併行して同20年から工事に着手。
河口から上流へ6.5キロに及ぶ導流堤を築いて川の流れを速め、
河口付近への土砂の堆積を防ぎ、遠浅の有明海の沖まで泥や砂を運ぶ仕組みを作り上げ、
洪水の防止と河川航路の確保に成功した。
デ・レーケは明治24年に内務省の勤務官となり、明治36年に帰国した。
※ 明日は、導流堤の曲線美を紹介します。