
こんもりとしたマンジュウ型のグスク

グスクへ通じる一本道

グスクの入口に立つ鳥居


グスク内にある拝所

わずかに残っている石積み
西銘グスクは、宮古島市平良北増原集落の北方にある小高いマンジュウ形の丘に築かれたグスクで、
標高60mほどのところに西銘神社が建立されている。
俗に「ニシミグスク」と呼ばれている。
グスク内にある石積みは北側の部分が崩れ落ちており、城門は東南側に向かって開かれている。
グスク周辺の畑地から土器片や陶磁器片が採集されている。
増原地域を支配していた西銘グスク城主の西銘按司の一人娘・於母婦(おもふ)の婿として迎えたのが
文武両道に優れ、勇猛虎の如くその健なること飛鳥の如しと称されたトビトイシュウ(飛鳥翁)といわれている。
やがて、西銘按司の後を継いで西銘グスク城主となったトビトイシュウの勢力は近隣按司の脅威の的となっていった。
そんな西銘グスクの勢力拡大に人一倍怖れを抱いていたのは、
西銘の西方に石原グスクを構えていた城主の思千代(うみちよ)按司であった。
思いあまった思千代按司は、トビトイシュウに勝るとも劣らぬ武芸者として
勇名をはせていた東仲宗根のウキミゾリトノ(起目箕殿)に、トビトイシュウを討つように頼み込んだ。
ウキミゾリトノは一計を案じ、勝負は互いに得意とする弓で決着をつけることとなった。
それは、砂浜に自分の身の丈ほどの穴を掘り、
その穴の中で弓を引き相手の頭の上の小さな的を射抜くというものであった。
まず先にトビトイシュウが射ることになった。トビトイシュウの放った矢は空気を切り裂き唸りをあげて、
的よりもはるか後方に突き刺さった。
そこですかさず穴に入っていたウキミゾリトノが飛び出て来て雁股の矢をトビトイシュウを目がけて射た。
すると矢はトビトイシュウの両目を射抜いた。
謀られたと気付いた時にはすでに遅く、続いて二の矢が胸を射抜いた。
トビトイシュウの死とともに西銘グスクも滅んだという。
興味のある方は、以前に掲載した飛鳥御嶽をご覧ください。