「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

「 ただいま~ 」 

2012-04-23 23:49:52 | 日記 ・ イベント
南島原市 ( 瀬詰崎灯台 )





阿蘇、熊本、天草、島原5日間の探訪の旅も無事終り、
1000キロにおよぶ旅は、充実したものとなった。
まだ探訪まで行きつかない石橋や灯台もあったが、
今回は行きたい場所に行き、見たいものを見る旅だったので、
時間に追われる今までの旅と違って納得できるものであった。

崇元寺門の記事と 「 ただいま~ 」 の記事の掲載が前後したが、
夕べ帰りが遅くなったし、
今日は溜まっていた雑用を片付けてから
写真を取り込んだから更新が今になってしまったが、
この記事は今日 ( 23日 ) の内に投稿を終えたい。







沖縄県那覇市   「 崇元寺の石門 」

2012-04-23 22:33:07 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所


























































崇元寺の石門は、那覇市安里の県道29号線 ( 通称・又吉道路崇元寺通り ) 沿いにある。
アーチ門は、中央にある総門 ( 大型門 ) 3基と、左右の脇門2基の5基で形成されている。
石門は15世紀後期から16世紀中期のものとされ、
楕円曲線の石門アーチは規模大ならず、手法も簡単であるが、
その中央と左右の脇門の取り合わせが自然で、
相互の幅と長さ、幅員の権衡を得ている。
さらに、その輪郭の簡明にして要を得ている。
その線の少なくして無駄がなく、随所に美点が現れている。
一見、素朴のように見えるが、よく観れば豊富で高雅な門である。


崇元寺御嶽は、別名・遺鞭御嶽(イベンウタキ)と呼ばれており、
その由来は、泊村に住む安里大親清信 ( 子孫は毛氏永村家、名乗り頭は清 ) が、
安里橋の東を通るとき夕方になっていた。
そこへ白髪の老人が現れ、安里の林の中に導いた。
そこには美麗な建物があり、まるで神仏が住むように見えた。
不思議に思った安里は、ひそかに馬の鞭をその場に隠し、翌日行ってみた。
するとあの建物は跡形も無く、鞭だけが残っていた。

ある名月の夜、この地を歩いているとその老人に出会った。
老人は黄金を一個与え、 「 ここに家を建てるがよい 」 と言ってかき消えた。
安里は早速家を建て、竹を植えて垣根とした。

後に金丸 ( 尚 円 ) が即位し、この地に王廟(霊所)を立て、
そばに崇元寺ノ嶽 ( 神名 「 コバノミヤウレ御イベ 」 ) とした。
崇元寺は、舜天王以下諸王の位牌を祭ってある霊廟であったが沖縄戦で焼失した。
石門は戦災でも大半が残り、戦後若干修復された。
安里大親 ( あさとうふや ) の墓は若狭海岸から雪の崎 ( 斧形の崎 ) から、
戦後繁多川に移された。