「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県福智町金田  ・  バツグンに旨い! 「 梅香園の中華丼 」

2012-04-11 10:57:52 | グルメ





















いきなりだが、福智町金田にある 「 梅香園 」 の中華丼は旨い!
本場、中国の方が料理をしているので美味しい。
この前は、中華丼だったが、今度は麺類を食べてみたいと思っている。

場所は福智町金田の敷島の信号機のある交差点の角にある。
ちなみにバツグンに美味しい中華丼は580円である。





沖縄県南城市玉城  「 尚 泰久王の墓と位牌 」

2012-04-11 10:30:21 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所


















長男、安次富金橋の位牌と一緒にある尚 泰久の位牌





尚 泰久王 ( しょうたいきゅう ) は尚 巴志 ( しょうはし ) 王の七男で、
即位する前は沖縄市にある越来 ( ごえく ) グスクに居住し、越来王子と称されていた。
尚 巴志王の五男の尚 金福 ( しょうきんぷく ) 王の死去で、
尚 金福王の長男、尚 志魯 ( しょうしろ )と尚巴志の六男、尚 布里 ( しょうふり ) が王位を争い、
志魯は戦死し、布里は逓走した。
そのため、越来王子だった尚 泰久が王位を継ぐこととなった。

こうした身内の争乱と阿麻和利、護佐丸の乱などがあった所為か?
尚 泰久王は強く泰平を願っていた。
そのため、多くの寺を創建し、既存寺にも釣鐘二十三個を寄進した。
琉球王国歴代の王の中で最も多く寺を建立した王である。

尚泰久の墓は当初、首里池端の天山陵にあったが、
金丸のクーデターが起きて、家臣らが第一尚氏の各王の遺骨を持って、
読谷村伊良皆の森の中に隠した。
ここから尚泰久王の遺骨は、乳母の郷里である伊波村に移された。
そして明治41年ごろ、尚泰久王の長男、安次富金橋 ( あしとみかなはし ) の子孫の屋良家が、
安次富の墓の隣に移葬したという。




福岡県福智町  ・  平成筑豊鉄道 「 金田駅 」

2012-04-11 10:08:45 | 汽車・電車・駅・廃線路
































平成筑豊鉄道株式会社は 「 金田駅 」 にある。
本社が、直方でもなく、伊田でもなく、
行橋でもないというところが意外であった。

第3セクターで苦しい経営が続いているが、
地域住民には、なくてはならぬ路線だけに頑張ってもらいたい。
「 がんばれ!へいちく 」





熊本県天草市 「 佐伊津港三号防波堤灯台 」

2012-04-11 09:47:28 | 熊本の灯台











































佐伊津港三号防波堤灯台の初点は昭和42年11月20日で、塔形の赤色灯台である。
地上から頂部までの高さは8.32mで、平均水面から灯火までの高さが12.18mとなっている。
灯質は単閃赤光で毎3秒に1閃光となっている。
現用灯器は、LED灯器 ( Ⅰ型赤 ) である。

※ 佐伊津港三号防波堤灯台へのアクセスは、
   佐伊津港三号防波堤灯台は天草上島の本渡港から鬼池港に向かう途中にあり、
   港は国道324号線沿いにあるため分かりやすい灯台である。
   灯台へは港の左側から歩いて行くことが出来る。

( 熊本県天草市佐伊津 )