今度の部屋

授業でできなかったことや出版物についてフォローします(できるだけ^^)

高校生に授業!(後編)

2012-12-31 12:11:21 | 日記

こんにちは。

高校生に授業!(後編)です。

どのグループも30分程度で準備し、発表しました。

無理かな・・・と思いましたが、みなさんよくがんばってくれました。

とても優秀な生徒ばかりでした。

さて、どれもこれもすばらしいのですが、とくに優れていたグループを紹介します。

『新しい憲法の話』の中の「国際平和主義」を担当したグループのものです。

ただ『新しい憲法の話』に書いてある文章を読み上げるのではなく、大胆に改変しています。

それでいて、しっかりと内容が聴衆にもつたわる。

では、紙芝居をお楽しみください。


(1)



「国際平和主義」とはなんでしょうか? 例えば、こんな感じです。

 あるとき、日本人の太郎君とアメリカ人のジェームズ君がたいやきの食べ方について語り合っていました。

「日本人は頭から食べるよ!」

「アメリカデハ、シッポカラタベルネ!」

と言って、二人はけんかになってしまいました。

太郎君とジェームズ君は相手の食べ方が気にくわなく・・・。

(2)



ついには戦争に発展してしまいました。これを「第1次たいやき大戦」と言います。

戦いはだんだん激しくなり、「シッポから食べるなんておかしい!」、「アタマカラタベルナンテオカシイ!」と言い争っていました。

これは、たいやきの食べ方を自分の国のこととして考えていて戦争になってしまいました。

でも、今度の憲法では世界中の国と仲良くやっていく「国際平和主義」をします。

自分の国のことだけではなく相手のことを考えれば、「第1次たいやき大戦」は起きないはずなのです。

では、この国際平和主義をするとこのようになります。

(3)


「ジェームズ君、これからはお腹から食べることにするよ!」

「タロー、ゴメンネ。コレカラハ オナカカラタベルヨ!」

と言って仲直りしました。

みなさんも太郎君やジェームズ君のように相手のことを思いやって行動しましょう。

(おしまい)

ーーーーー
 いかがだったでしょうか。

 たった30分で、文章をよみ、紙芝居(下書き・着色など)をつくり、発表内容も考える。

 なかなかできないことです。

 高校生のみなさんに感服しました。

 ーーーーー
 授業の最後のことばは以下の通りです。
 
 「たくさん勉強して知識を蓄えることは大切なことです。でも、それを利用したり、他人に伝えることとはちがうことです。教育というのは、知識をいかに他人に伝え、他人を高められるのかが大切であって、結構大変なことです。学校の先生たちはそれをやっているのです。自分でたくさん勉強した上に、さらに生徒たちにわかりやすく伝えなければならない。学校の先生たちはすごいのです。
 それは大変なことでありますが、喜びもあります。教育に興味が湧いたなら、この大学で一緒に教育について勉強してみませんか。お待ちしています。今日はありがとうございました。」

 ーーーーー

 今日も来てくださってありがとうございました。

 今日は大晦日です。

 みなさんにとって2013年がいい年になりますように、お祈りいたします。

 それではまた来年よろしくお願いします。



 

高校生に授業!(前編)

2012-12-26 16:19:02 | 日記


 こんにちは。

 高校生に授業(90分間)しました。3年ぶりです。

 その進行は、以下のとおりです。

 ーーーーーー

12月26日高校授業90分:高校生 48名

【はじめに】7分
 1 自己紹介(北海道・約20年間中学高校で教員・3年前に愛教大にきました・カレー・赤・パンダです)

 2 宿題の確認(前文・どんな論争があったのか?やってきましたか?→それの確認はさておき) 

 3 社会科教育とはなにか?(勉強して自分が賢くなることと、人を高めることとはちがう→特に教え方を学ぶ)

 4 今日のテーマは「あたらしい憲法の話」を使って、人に教えるとは どういうことか、を考えてみましょう。
  (これは大学生にもやった授業の圧縮版です)

ーここまで7分ー

【展開1】15分
唐突ですが・・・ご挨拶がわりにお送りします
 5 日本国憲法の歌をきく(前衛的というか・・・まか不思議というか・・・)
 6 今日の授業でつかう「あたらしい憲法の話」とはなにか?(戦後の中学生に憲法はどういうものなのかをわかりやすく伝えようとした冊子)有名な絵もでています。
 7 今日はこれをつかって、人に教えることを実際に体験し、考えてもらいます。
    →具体的に言うと・・・
    具体的には、一部の担当箇所を「かみしばい」(3枚程度)にして、発表してもらいます(2分)
    その際、小学生にはなしかけるようにして、やってもらいます。
    そのとき、みなさんは先生です。小学校の先生になるんです!
     (だから、難しいことばや考えは、わかりやすく伝えないと、子どもにはつたわりません)

ーここまで22分ー

【展開2】10分
グループ分け(6人×8グループ)
 8 8グループつくります
 9 同じ数字の人同士であつまって、机をくっつけてください。
10 自己紹介:30秒で自分の名前、趣味をはなしてください。
11 はじめ→おわり

ーここまで32分ー

【展開3】35分
では、具体的に作業してもらいます。ではプリントを配ります。
12 ぜんぶやるわけにはいかないので、限定しました。
13 それぞれの袋に、担当箇所が5枚いれてあります。(人数分)
14 さきほどにいったように、担当箇所を(3枚程度)のかみしばいにしてください。子どもが喜びそうなものがいいですね。
    どんなふうに発表するのかも考えてください。楽しい発表を期待しています。実際に皆のまえで発表してもらいます(2分程度)
15 マジック、色鉛筆、厚紙3枚 はここにあります。もっていってください。
16 作業時間は30分です。質問はありますか?
17 作業開始

ーここまで67分ー
【展開4】20分
18 では発表してもらいます。2分ずつ。(2分×8グループ=20分くらい)
19 民主主義とは(前)→民主主義とは(後)国際平和主義→主権在民主義→天皇陛下→戦争の放棄→基本的人権(前)→基本的人権(後)
20 それぞれの発表を審査と感想をかいてください。みなさんはいつも評価をつけられてますから、みなさんがこんど評価する体験もしてください。
21 では始めましょう。

ーここまで87分ー

【展開5】3分
21 まとめ(まなぶだけではなく、つたえる・おしえるということの大変さ/ 生徒と一緒ではだめでもっとまなんでください:氷山と同じです)
       (みなさんは今日読んだところはそれほど難しくないと思います。少なくとも理解はできる。でもそれを子どもに伝えるとなったたらどうでしょうか→そのむずかしさが教育の難しさというものです。それでも、みなさんが教員になってみたいとおもったのなら、わたしの知っていること、体験してきたことをみなさんに差し上げます。どうぞ愛教大にきてまなんでみませんか? お待ちしています。ありがとうございました)

ーここまで90分ー

ーおわりー

 ーーーーー
 みんなとてもよくがんばりました。

 くわしい話は後編へつづきます。

 今日もきてくださってありがとうございました。

永井路子『氷輪 下』を読み終えました

2012-12-22 21:40:34 | 日記


 こんにちは。

 永井路子『氷輪 下』中公文庫・298頁 を読み終えました。

【カバーにある紹介より】 
 藤原仲麻呂と孝謙女帝の抗争が続くうちに女帝は病に倒れた。その平癒に心魂かたむける道鏡の愛におぼれる女帝ーが、遂に夢破れて近江に潰滅する策士仲麻呂一族。奈良の都の狂乱の日々を綴る、昭和57年度女流文学賞受賞作。

【本書によるストーリー展開】

藤原仲麻呂が力をもつ→760年:仲麻呂の権力の後ろ盾であった光明皇太后が没→761年:孝謙上皇と淳仁天皇が近江国の保良宮(ほらのみや)へ行幸→この頃、孝謙上皇と道鏡が出会う→孝謙上皇・道鏡VS.淳仁天皇・仲麻呂→764年:藤原仲麻呂の乱→孝謙上皇が重祚し、称徳天皇として即位→766年:道鏡が法王となる→藤原氏の不満が高まる→769年:宇佐八幡宮神託事件(道鏡が天皇になろうとしたが、なれなかった事件)→770年:称徳天皇崩御(光仁天皇即位)→道鏡は下野へ左遷→藤原氏の復権

763年:鑑真没→その後も唐律招提は不遇が続くが、少しずつ寺として形を整えていく→著者によると779年頃までには「唐招提寺」になったのではないかとされている。

ーーーーー
【感想】
 下巻は、藤原仲麻呂、称徳天皇、道鏡、藤原氏の権力闘争がメインであり、鑑真たち唐僧の話はかなり少なくなっています。
 たしかに、唐律招提が唐招提寺になっていくためには、権力者たちとのかかわりがありました。しかし、東大寺や薬師寺などといった大寺とは比べるべくもなく、その苦労はかなりのものだったようです。
 戒律を厳格に守る(政治に関係せず、修行が大切)ことを求める鑑真や唐僧たちの気持ちとは逆に、日本の僧たちの中には政治に深く関係していくものたちがでてきます。その典型が道鏡で、その嘆きが鑑真の高弟である如宝たちの口をかりて語られます。「何のために、波濤をこえてやってきたのか・・・」といったことばが、胸に迫るものがあります。 
 これまで数回唐招提寺にいったことがありますが、今度行ったときにはこれまでとはちがった気持ちで、お参りできる気がします。

 これで『氷輪 下』を終わります。

 次は、何を読みましょうか・・・。『天平の甍』ではありません(笑)。

 今日も来てくださってありがとうございました。

横須賀に行ってきました(その4;番外編)

2012-12-20 08:06:28 | 日記


 こんにちは。

 「アメリカ海軍空母の全長が、333m」という話をうけて、長さや高さが気になりました。

 そこで、ちょっとだけ調べてみました。

〔長さ 比べ〕(wikiより)

ノックネヴィス(ノルウェー船籍の石油タンカー):458m
ジョージワシントン:333m
タイタニック:269m
宇宙戦艦ヤマト:265m(架空の宇宙戦艦)
戦艦大和:263m(戦艦武蔵も同じ)
ホワイトベース:262m(諸説あり;機動戦士ガンダムに出てくる強襲揚陸艦;架空)
山手線(11両):220m
イージス艦 マスティン:155m
戦艦三笠:131m
サターンVロケット:110m(アポロ計画などに利用)
ボーイング747-8:76m
スペースシャトル(オービタ):37m
シロナガスクジラ:20-34m
遣唐使船:30m(http://kakitutei.gozaru.jp/nara10may/kentoushisen.htmlより)
サンタマリア号:18m(1492年コロンブスが大西洋を渡ったときに使った船)
ティラノサウルス(推定):11-13m
ゼロ戦:9m
幅跳び世界記録(男子):8m95cm マイク・パウエル(アメリカ合衆国;1991年8月30日)
幅跳び世界記録(女子):7m52cm ガリナ・チスチャコワ (ソビエト連邦;1988年6月11日)
シャチ:6-7m


〔高さ 比べ〕

ブルジュ・ハリーファ(アラブ首長国連邦にある世界一高いビル):828m
東京スカイツリー:634m
東京タワー:333m
ギザのピラミッド(クフ王):138m
コンバトラーV:57m(架空の武器)
ウルトラマン(初代):40m(架空の宇宙人)
ガンダムRX-78:18m(架空の武器)
マジンガーz:18m(架空の武器)
奈良の大仏(国宝):14.98m
鎌倉の大仏(国宝):11.3m
東大寺 木造金剛力士立像(国宝):8.4m
走り高跳び世界記録(男子):2m45cm ハビエル・ソトマヨル (キューバ;1993年7月27日)
走り高跳び世界記録(女子):2m09cm ステフカ・コスタディノヴァ( ブルガリア;1987年8月30日)
鉄腕アトム:1.35m(架空のロボット)
ドラえもん:1.293m(架空のロボット)
鑑真和上像(国宝):0.801m(80.1cm)
 (注:世界記録については、2012年12月19日現在)
 
 「長さ」は、これくらいで飽きてしまいました。
 「高さ」は、まだ気になるものがありましたが、これくらいにしておきます。


 今日も来てくださってありがとうございました。
 お体をたいせつに!

横須賀港に行ってきました(3)

2012-12-19 16:43:44 | 日記

 こんにちは。

 次は海上自衛隊の艦船です。

 【くりはま(試験艦)】:退役した船



 くりはま(ローマ字:JS Kurihama, ASE-6101)は海上自衛隊の試験艦。艦船搭載装備の実験・開発を行う艦である。同型艦はない。
 海上自衛隊初の試験艦である。本艦の建造以前は、護衛艦などを用いて開発・試験を行っていたが、それでは不便であったために専用の艦が建造された。主に後部甲板において、艦船搭載装備の実験・開発を行う。そのために、後部甲板が一段低くなっており、その右舷側に器材操作用のクレーンが装備されている。また、後部甲板に面して試験観測用の計測室が設置されている。このほか、左舷側に魚雷発射の試験設備がある。
 2012年4月6日、横須賀基地にて自衛艦旗の返納式が行われ退役した。(wikiより)
 ーーーーー
 ガイドさんも言ってましたが、「32年間はたらいて、この船は役目を終え、しばらくするとスクラップにされ、また生まれ変わる」とのことでした。試験艦とはきいていなかったので、そういう船もあるのかと、今思いました。
 お疲れ様でした。

 【ちよだ (潜水艦救難母艦)】

 

 ちよだ(ローマ字:JS Chiyoda, AS-405)は 、海上自衛隊の潜水艦救難母艦。艦名は江戸城の別名千代田城に由来し、この名を受け継いだ日本の艦艇としては4代目。
海上自衛隊初の潜水艦救難母艦として計画される。「ASR-401 ちはや」の拡大改良型として設計され、うずしお型潜水艦の潜航深度に対応するために深海救難艇(DSRV)と深海潜水装置(DDS)を装備することとなった。艦の後部にはヘリコプター甲板を有する。
 潜水艦救難艦のみならず、潜水母艦機能を付加されており、潜水艦1隻分80名分の宿泊施設、ミサイル、魚雷、糧食、真水の補給物資、潜水艦への給電と充電を可能とする。喫水線下にはサイドスラスターが艦首付近に設けられている。(wikiより)
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 潜水艦は、海の中で動けなくなってしまうことがあるそうです。そのときに出動するのがこの船で、艦のまんなかに小さな潜水艇がみえました。
 救うだけではなく、宿泊施設まであるとは、至れり尽くせりですね。

 【うらが (掃海母艦)】

 

   
 
 うらが(ローマ字:JS Uraga, MST-463)は 、海上自衛隊の掃海母艦。艦名は浦賀水道に由来する。うらが型掃海母艦の1番艦。
 2005年11月25日、国際連合難民高等弁務官事務所の要請を受け、アフガニスタンの難民向けにテント・毛布などの物資を運ぶため護衛艦「DD-157 さわぎり」と共にパキスタンのカラチへ派遣された。救援物資搬出後は「さわぎり」と別れ12月31日に帰還した。
 2011年9月、「MSO-302 つしま」と共に海自艦艇としては初めてベトナム・ダナン港およびインド洋アンダマン諸島のポートブレアに寄港した。その後は10月14日にバーレーン・ミナサルマンに寄港し、翌15日から30日までバーレーン沖ペルシャ湾にてアメリカ合衆国とイギリス共催による多国間掃海訓練」に日本国として初参加し、12月1日に帰国した。(wikiより)

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 ガイドさんも「ペルシャ湾で合同訓練をおえて帰ってきたばかりの船」といってました。これまたお疲れ様でした。
 「うらが」について調べていたら、「うらがホームページ」がありました。興味がある人はどうぞご覧ください。http://www.mod.go.jp/msdf/mf/uraga/jdsuragahp.html
 
 【海上保安庁の船 たかとり】:これは海上自衛隊の船ではありません。

 

 たかとり型巡視船(英語: Takatori-class Patrol Vessel)は海上保安庁の中型巡視船(Patrol Vessel Medium, PM)である。
 第十雄洋丸事件の反省を踏まえ、開発された強力な消防能力を持つ巡視船。毎分3,000リットルの泡沫放水銃2基、毎秒35キログラムの粉末消火剤噴射銃1基を装備している。 通常の警備救難能力も備えており、大規模な災害の際、指揮船となるために、OIC(Operation Information Center)室を船橋に備えている。

 第十雄洋丸事件(だいじゅうゆうようまるじけん)とは、1974年(昭和49年)11月9日に起こったLPGタンカー衝突炎上事故である。衝突によって発生したタンカーの火災を鎮火できなかったため、海上自衛隊の護衛艦が砲撃と雷撃でタンカーを撃沈処分した。(wikiより)

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 ガイドさんの説明によると「船側に描いてある三本のライン、よくみると3本ではなくて『s』なんですよ。シー(海)、セーフティ(安全)、スピード(早さ)を表しています」とのことでした。

 疑うわけではないですが、海上保安庁のHPを調べたら、次のようにありました。

 「海上保安庁の使命であるSafety,Search and rescue,SurveyとモットーであるSpeed,Smart,Serviceのそれぞれの頭文字である“S”を図案化したもので、巡視船や航空機に紺色で描いています」http://www.kaiho.mlit.go.jp/11kanku/03warera/umimaru/osirase/k-mark/mark.htm

 なんだかちょっと違うようですが、まあよしとしましょう。


 【新井堀割水路】

 

 「安政元年(1854)に公郷村名主永嶋庄兵衛は、幕末の海上交通が増えたのにともない、半島先端にある暗礁が危険なため、多額の費用をかけ半島前方部に掘割を377m掘削し、水運の便をはかった。これにより武蔵国野島浦(現在の横浜市金沢区)から横須賀村への航路が作られた。このときの土石は江戸品川に運ばれ、台場築造に使われたという。(旧掘割)
その後、明治18年に長浦に海軍の水雷営、水雷武庫、水雷練習艦がおかれてから横須賀港との交通が頻繁になり、交通に不便となったため、現在の場所を掘削するよう鎮守府は横須賀造船所に依頼して、明治19年、海底27メートルの掘割工事に着手し、明治22年に完成開通した。これにより旧掘割は埋め立てられ、周辺は旧海軍時代より現在まで燃料庫地帯になっている。 」(横須賀市のHPより)

 ーーーーー
 右と左にみえる緑色の丘のようなところは、もともとつながっていたそうです。

 それを水路にしてしまい、右側は「吾妻島」と名付けたそうです。

 大きい船は通れないが、小さな船がここを通って、近道するそうです。

 江戸・明治期にこれを作った人は苦労しただろうな、と思いました。

【おわり】
 
 寒かったのですが、おもしろかったです。説明も楽しく、飽きませんでした。

 もう少し船がたくさんいたらよかったのですが、マニアにとってはたまらないと思います。
 
 艦の識別番号とか、艦も装備(ミサイル・砲塔など)について勉強していくと、さらに楽しいクルージングになると思います。

 やはり、現地の見学は予習をしてから臨んだ方がいいですね。

 
 今日も来てくださってありがとうございました。

横須賀港に行ってきました(2)

2012-12-17 12:33:02 | 日記
 
 こんにちは。

 横須賀港クルージングの続きです。

 最初は、アメリカ海軍の艦船の紹介が始まりました。



【ミサイル駆逐艦 マスティン】

 まず、「マスティン」です。艦首に「89」とかかれています。

 イージス艦(イージスシステムを搭載)です。(「八角形」の板みたいなもの→イージス艦の証)

 ーーーー
 (以下は、 WIKIによる説明です)
【マスティンとは・・・】
 マスティン (USS Mustin, DDG-89) は、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の39番艦。艦名は多くの海軍軍人を輩出したマスティン家にちなむ。その名を持つ艦としては2隻目である。マスティンは、ステルス性を高めるため煙突を上部構造内に埋め込まれて建造された、最初のアーレイ・バーク級である。

 2001年1月15日に起工、2001年12月12日に進水し、2003年7月26日に就役した。2006年7月、マスティンは横須賀に配備された。ミサイル防衛対応艦船。

【イージスシステムとは・・・】
 イージス(Aegis)とは、ギリシャ神話の中で最高神ゼウスが娘アテナに与えたという盾(胸当)アイギス(Aigis)の英語読みである。この盾はあらゆる邪悪を払うとされている。

 従来、空の脅威から艦隊を守ってきた各種の艦対空ミサイル・システムは、いずれもせいぜい1~2個の空中目標に対処するのが精一杯であり、また意思決定を全面的に人に依存していたことから、応答時間も長かった。こういった問題を解決するため、1950年代末よりアメリカ海軍は新しい防空システムの開発を試みたものの、計画は難航した。その後、慎重に洞察を重ね、また新しい技術を適用することで、1960年代末から1970年代にかけて開発されたのがイージス・システムである。

 本システムが同時に捕捉・追跡可能な目標は128以上といわれ、その内の脅威度が高いと判定された10個以上の目標を同時迎撃できる。このように、きわめて優秀な情報能力をもっていることから、情勢をはるかにすばやく分析できるほか、レーダーの特性上、電子妨害への耐性も強いという特長もある。

 ーーーーー
【マッキャンベル】
 つぎは、マッキャンベルです。



 マッキャンベル (USS McCampbell, DDG-85) は、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の35番艦。艦名は第二次世界大戦での海軍のエース・パイロットであったデヴィッド・マッキャンベル大尉に因む。(WIKIより)

 見えにくいですが、艦首に「85」とかかれています。

 これもイージス艦です。

 ガイドさんが言ってました。ここでミサイルを発射したら、秋田・兵庫のあたりまで飛んでいくそうです。

 とにかくながい射程距離をもったミサイルをもっているとのことでした。

【空母 ジョージワシントン】
 ひときわ大きな船がみえてきました。

 空母・ジョージ・ワシントン (USS George Washington, CVN-73)です。



 アメリカ海軍の航空母艦。ニミッツ級航空母艦の6番艦。艦名は初代アメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントンに因んで命名された。アメリカ国外の基地を事実上の母港として配備される唯一の空母であり、日本に配備された初の原子力推進空母である。(WIKIより)

 「そういえば、ジョージ・ワシントン乗組員が公然わいせつ罪で逮捕された事件があったなあ」(2012年11月23日)と思いながら、みていました。

 とにかくおおきな船です。乗組員6000人です(さきほどのマスティンなどは600人なのでケタがちがいます)

 コンビニやら、ATMやらがあるそうです。

 ガイドさんが「この船の長さは333mです。東京タワーと同じおおきさです」と教えてくれました。

 とても大きいことが伝わりやすい説明でしたが、「東京タワーが海の上に浮いて、進んでいたら不気味・・・」とまたしても意味不明なことを考えました。



 以上がアメリカ海軍の艦船でした。

 次回は海上自衛隊の艦船についてお話しします。

 今日も来てくださってありがとうございました。

横須賀港に行ってきました(1)

2012-12-16 13:22:32 | 日記


 こんにちは。
 
  唐突ですが、先日横須賀に行ってきました。

「YOKOSUKA 軍港めぐり」というクルージング(45分間)を体験してきました。コースは横須賀港と長浦港を巡ります。

 私は軍事のことはまったく詳しくありません。それほど興味もありません。
 ただ、衝動的に「天気がいいので体験してみよう」と思いました。

 クルージングはガイドさんがいるので、どういう船なのか説明してくれます。ただし、ガイドさんは「私たちは自衛官ではありませんので、私たちが話すことは事実と違うところがあります」と断りをいれてました。毎日入港する船はちがっていると思うので、その都度調べるのは大変だろうな・・・と思いました。予定にない艦船が突然やってきたら、急いで調べるのかな・・・とどうでもいいことを考えていました。

 さて、ここからは、ガイドさんが話してくれてことと、WIKIで調べたことをもとに話を進めます。(WIKIの信憑性についてはいろいろとありますが・・・)

 最初に、海上自衛隊の潜水艦が3隻ならんで停泊していました。海上自衛隊だけれども、泊まっているところは米海軍の港らしく、日本とアメリカの緊密な関係を話していました。



 ガイドさんがいうには、他の軍艦とことなり、潜水艦は名前がわからない。なぜなら、似たり寄ったりの格好をしていて、しかも識別するための数字(艦首に描かれている78とか、98とかの数字)がみられないからだそうです。「潜水艦はとにかく秘密重視」とも言ってました。

 たしかに、どれも真っ黒で、全部同じだ・・・と思いながら、みていました。

 さらに潜水艦勤務は、守秘義務が厳しいといっていました。具体的には、潜水艦内であった出来事、知った情報は一切口外しないという誓約書を書かせられるそうです。

 とにかく、ここに停泊している潜水艦の名前はわかりませんでした。

 そこで、WIKIで、海上自衛隊の潜水艦について調べました。
ーーーーーー
 潜水艦隊(せんすいかんたい、Fleet Submarine Force)とは、日本の海上自衛隊自衛艦隊に属する潜水艦を中心に編成された艦隊である。

 潜水艦隊の司令部は横須賀基地(船越地区)におかれている。
海上自衛隊の潜水艦部隊は、自衛艦隊隷下の第1潜水隊群(呉市)と第2潜水隊群(横須賀市)が編成上並列で、潜水艦の作戦運用は群司令部相互間の調整により実施していて、指揮・運用が二元化されていた。そのため、「防衛庁設置法等の一部を改正する法律」(昭和55年11月29日法律第93号)により、両潜水隊群の上位組織として潜水艦隊が設けられることとなり、1981年2月に編成された(本改正と同時に曹長等の階級が新設された。)。
ーーーーーー
 さらに海上自衛隊のHPによると、潜水艦には「はるしお」型、「おやしお」型、「そうりゅう」型というのがあるらしい。どの型も70名程度が乗員数らしい。
 「はるしお」型には、586 「あらしお」・587 「わかしお」がある。
 「おやしお」型には、591 「みちしお」・592 「うずしお」・593 「まきしお」・594 「いそしお」・595 「なるしお」・596 「くろしお」・597 「たかしお」・598 「やえしお」・599 「せとしお」・600 「もちしお」がある。
 「そうりゅう」型には、502 「うんりゅう」 ・503 「はくりゅう」・504 「けんりゅう」がある。
ーーーーーー
 この中の3隻がなかよく並んでいたのでしょう。

 さて、「○○しお」シリーズはなんとなく理解できますが、「もちしお」がわからなかったので、調べました。

 「もちしお」(望潮):満月のときの満ち潮のこと、です。


 このように、15隻の潜水艦が日本にあるとHP上で公表されています。しかし、なにせ秘密主義ゆえ、まだ他にあるのかもしれません。

 とにかく日本の潜水艦隊の本部がある横須賀、「横須賀はやっぱりすごいのだ」と幼稚な感慨をもちました。

(つづく)

 今日も来てくださってありがとうございました。

 


永井路子『氷輪 上』を読み終えました

2012-12-14 07:06:22 | 日記



 こんにちは。

 永井路子『氷輪 上』中公文庫・279頁

【カバーにある紹介より】

「波濤を越え、苦難のはてに中国から渡来した戒和上鑑真の見たものはー光明皇后と結び、陰謀と術策を弄して政治権力の中枢に立ち、孝謙女帝と対抗する藤原仲麻呂。政争うずまく天平の時代を透徹した史眼で捉え直す歴史大作」

【本書によるストーリー展開】
(742年:日本からきた栄叡、普照から戒律を日本へ伝えるように頼まれる→753年:鑑真らが鹿児島に到着)

(小説は次から始まる)

754年:鑑真一行が平城京に到着→同年:聖武上皇・孝謙天皇たちに「菩薩戒」を授ける(鑑真ら唐僧は東大寺に住むことになる)

755年:初めての三師七証による授戒の儀式がおこなわれ、80人ほどの正式な僧侶が誕生(それまで日本にいた僧侶は、自分で自分に対して授戒して僧侶となっていた。しかし、中国の仏教から見れば正式な僧侶ではない。正式な授戒ができる僧10人から認められなければ、僧とは言えない)

756年:聖武上皇崩御→大僧都 良弁を中心とする勢力(わかりやすく言うと「公務員僧侶」)と、大僧都 鑑真のもとに集まる勢力との対立

758年:鑑真が大僧都(政治的な仕事もおおく忙しい)を解任される

759年:解任により、東大寺から出ることになる。鑑真の授戒権喪失→新田部親王の旧邸宅跡が与えられる(廃屋に近かった)→その場所に「唐律招提」がつくられる(現在の唐招提寺)→廃材や平城京の屋敷を移築し次第に寺として整備されていった(当時の権力者であった藤原仲麻呂らの援助など)

【補足説明など】

・菩薩戒(3つの戒を守る《規律に従い悪いことはしない・進んでよいことをする・さらにこれを他人に及ぼす》、俗人か僧侶かを問わない)→沙弥戒(十戒を守る)→具足戒(250戒をまもる)→三師七証による授戒の儀式(一人前の僧侶のスタート地点に立つ。男性は「比丘」女性は「比丘尼」)→和上(僧侶を指導する教師)のもとで、その後も戒について学びつづける→5年から10年するとみずから和上になり、後進を指導する。

・「唐律招提」とは、唐の戒律を学ぶための開かれた学舎(私寺)という意味。(この名称が、いつから唐招提寺にかわったのかはまだ不明)

・国分寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺は「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」が正式名称である(p.44)

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【感想】
 鑑真一行が日本に来てからの話です。来日するまでの話は井上靖著『天平の甍』をお読みください。『天平の甍』は映画化されていて、子どもの時にみました。子ども心に、「鑑真は目が見えなくなっちゃったのに、ここまでして日本にきたなんてすごいな・・・」とごくありふれた思いをもちました。

 この『氷輪』は、平城京にきてからの鑑真一行の話で、それほど知られていないところが描かれています。当時の天皇と皇后、藤原氏などの政争の話もでてきますので、きちんと系図を見ながら読んでいかないと、わけがわからなくなります。私は日本史資料集をみながら読みました。しかし、細かいことは無視して読んでも、十分に楽しめます。

 永井路子氏は、遺跡の発掘現場にいったり、古文書にあたったりしながら、この本を書いたらしく、細かい内容がみられます。しかし、心地よい細かさといえます。やみくもに想像力だけで書ききってしまうというのではないので、説得力があります。

 ただこの文庫の初版が1984年で、単行本はそれ以前に出版されているでしょうから、少なくとも20年以上は経過しています。きっとあらたな発見や研究がすすみ、古くなっている内容があるかもしれません。それでも、十分に興味深いものになっています。学問的にさらに知りたければ、研究書を読めばいいのです。わたしにその予定はありませんが・・・。

 今日から『氷輪 下』を読み始めます。

 今日も来てくださってありがとうございました。


コリンチャンスとの遭遇

2012-12-13 07:47:44 | 日記



 こんにちは。

 12日、新幹線で新横浜から豊橋まで移動しました。

 この日は外国人の方がたくさん乗っていました。「こりゃ、にぎやかだ・・・」

 席にすわり、私は急ぎの仕事があったので、耳にヘッドホンをいれ音楽を聴きながら集中モードで仕事を始めました。

 30分くらいすると、突然外国人の一行が歌を歌い始めました。
 「何語だ?英語じゃない、ロシア語でもない、ラテン系か、、イタリア語?スペイン語?ポルトガル語?フランス語?ラテン系のことばみたいだ・・・」
 以前ロシア語の聞き分け?ができましたが、今回はいまひとつ聞き分けられませんでした。

 そのうち、乾杯が始まり、日本人ならやらないようなノリが展開し、少々うるさかったです。

 それにしても、この人たちはどこからきたのか・・・。



 よく見ると、サッカーのユニフォームを着ています。

 いまサッカーのクラブワールドカップが豊田で行われていることを思い出しました。

 スマートフォンで調べると、12日にコリンチャンスというチームの試合がある。

 コリンチャンスについて検索しました。1910年創設のブラジルのサッカーのクラブチームとありました。



 座席にかけられているタオルをみると、1910とかいてあります。

 どうやらコリンチャンスの応援団らしい。

 外国人のかたが着ているユニフォームをみると、多くの人がコリンチャンスのものを着ています。

 確認作業、つまり直接質問しませんでしたので、まちがえているかもしれませんが、ほぼ間違いないでしょう。

 ということは、話していたことばはポルトガル語です。ポルトガル語は「オブリガード」(ありがとう)しか知らない。(女性の場合は「オブリガーダ」らしい)

 みなさん、日本での日々がよいものであることをお祈りします。

 ブラジルがんばれ!

 今日もきてくださってありがとうございました。

 追伸:南米代表のコリンチャンス(ブラジル)がアフリカ代表のアルアハリ(エジプト)を1-0で下し、決勝に進んだそうです。おめでとうございます。



東京駅はにぎやかだ

2012-12-10 09:18:21 | 日記


 こんにちは。
 
 土曜日、東京で授業があったので戻りました。

 東京駅では見事なイルミネーション、装飾などが華やかです。

 劇団四季が60周年を迎えたそうで、その展示がされていました。



 わたくし自身は、劇団四季に対する思い入れは全くありません。

 観に行ったこともありません。



 衣装などが展示されていました。



 今日も来てくださってありがとうございました。